厚労省研究班が「糖尿病にかかるとがんリスク3割増」といった調査結果をまとめたと26日の各紙で報道している。
糖尿病になっていた人ががんを発症するリスクを糖尿病でない人と比べると、がん全体では男性で27%、女性でも21%上回っていた。男性では、糖尿病の人はそうでない人と比べて肝臓がんで2.24倍、腎臓がんで1.92倍、膵臓(すいぞう)がんで1.85倍とリスクが高まっていた。女性では肝臓がんで1.94倍、胃がんで1.61倍だった。
また、糖尿病にならないように、「糖尿病につながる肥満や運動不足、喫煙といった生活習慣を改めることが、がんの予防にも役立つ」と言った専門家の話も伝えている。
一方、24日の時事通信で、モンペリエ(フランス)で開かれた国際コーヒー科学協会の会議では、「コーヒーは、パーキンソン病や糖尿病などの病気にかかりにくくなる効果があることなどが報告された。」と報じている。
この記事の中に
ヘルシンキ大学の糖尿病専門家は、食事習慣や運動不足が関係する2型糖尿病にかかる危険性は、毎日5、6杯のコーヒーを飲むことによって半減すると語った。さらに、ウィーン医科大学の専門家は、コーヒーは特にがんなどの一連の重大な病気の原因となるDNAの酸化の防止に、果物や野菜よりも一層効果があると指摘した。
とあった。
同期会に参加している者を見渡してみると、年相応に恰幅がよくなっている者も多かったように思う。
また、転がりそうな腹をして、「4年はもたない。次の同期会は2年後にしよう」という者もいた。
そんな弱気にならないで、こういった報道も参考にして、各人身体を自愛して、元気な姿で、次回の同期会で再会しようではありませんか。
話が変わりますが、
私は、81歳の母を連れて、立山黒部(立山駅→扇沢)アルペンルートをまわる1泊2日のたびに出ていました。
2日間、晴天で最高の山歩きでした。
「剣の峰ぞ我が鏡・・・」あの校歌にもある剣岳が間近に雄々しくそびえるさまは、ただただ感動でした。
久々に山の空気のすがすがしさを味わい、立山連邦の山々は「富山の誇り」とあらためて実感しました。
天狗平で撮った剣岳の写真を添付します。(併せて「黒四ダムの放水と虹」の写真も)
HPの更新いつも感心しています。校章の時計には驚きでしたが、校章くんが痛そうです・・・・(感想まで)
デジタルデバイドと言う言葉を耳にしたことがあると思う。
情報技術を使いこなせる「もの」と、使いこなせない「もの」との格差を表した言葉であり、「もの」とは、個人間であったり、国家間であったり、地域間であったりする。
今回の同期会での案内状作りや発送作業といった実作業を、殆ど私一人でできたのも、このブログで同期のみんなと情報交換できるのも、情報技術がなければ出来なかったし、出来ないと思う。
かくかように、インターネットを筆頭にした情報技術は、好むと好まざるとに係わらず、意識するしないに係わらず、我々の生活の中で、なくてはならないものになってきている。
そうこう思っている中で、INTERNET Watch に、行動特性や世代ごと利用動向を分析した「ネットユーザー白書2006」の紹介記事があった。世代別に分析しているところに、特に興味が引かれたので、引用して紹介します。
さらに白書では、インターネットユーザーをメディアとの接触タイミングから、「電脳生活世代」「ネット娯楽世代」「つながり世代」「ネットコンビニ世代」「メディア乗継世代」「ネット格闘世代」「ネット手ほどき世代」「スローメディア世代」といった8つの世代に区分し、各世代ごとにインターネットを利用する際の特徴などを挙げている。
電脳生活世代は、1985?1991年生まれで、高校時代までにブロードバンドと接触した世代。ネット娯楽世代は、1980?1984年生まれで、高校時代にインターネットと接触した世代。つながり世代は、1975?1979年生まれで、大学時代にネットと接触した世代。ネットコンビニ世代は、1968?1974年生まれで、就職期にPCと接触した世代。
またメディア乗継世代は、1959?1967年生まれで、就職期および20代でワープロ、30代でPC・ネットと接触した世代。ネット格闘世代は、1950?1958年生まれで、40代でPC・ネットと接触した世代。ネット手ほどき世代は、1942?1949年生まれで、50代でPC・ネットと接触した世代。スローメディア世代は、1937?1941年生まれで、60代でネットと接触した世代となる。
主な特徴として、つながり世代までは、ブログやサイトの閲覧、チャットや掲示板などを多く利用しており、インターネットをコミュニケーションツールとして活用する傾向がある。一方、ネットコンビニ世代以降は、ネットショッピングやネットバンキング、オンライントレードを多く利用する傾向がある。
「ネットユーザー白書2006」での分析によれば、我々の世代は、「ネット格闘世代」になる。当たっているようにも思うし、当たっていないようにも思う。みなさんはどう感じただろうか。
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佐伯どうしてる? と、カウンターの中を覗き込んだのだが・・・ |
昨夜、ビーフ館での反省会。佐伯夫妻が笑顔で迎えてくれることを楽しみにしながら、店の扉をくぐった。しかし、佐伯君が亡くなっていた。
胃癌で2年半の闘病生活。最後は点滴もせず栄養失調のような状態で亡くなったと紀子夫人が寂しそうに話をしてくれた。もう10年ほど前に彼の所へ焼肉を食べに行って、紀子夫人と急がしそうに働いていた彼の姿が脳裏を掠めた。
高校時代は、写真部に属し、運動会では抜群の瞬発力を生かし、スタートを切ったら、あっという間に後続との距離をとっていた。それがまた懐かしく思い出されていた。
一緒に高校を卒業した仲間の約1割が既に物故者となっているらしいが、残った我々は、若くして先に逝ってしまった友の分まで長生きをしなければいけないと思った。朝から暗い話題になったけど、佐伯君の冥福を祈りたいと思う。あと昨日の議事録は、担当者からのブログ書き込みを待つ。
最初に目に入るのが、校舎の中央にある青いひし形だ。そう確かに、中庭に校章をかたどった池があった。噴水だったかも知れない。鯉は泳いでいなかったと思う。
目を左手に移すと、丁度私たちが在学中に完成した食堂がある。二階に生徒会室があって、私が最初の住人だったんじゃなかったかと思う。
校舎にもいろんな建物が追加されている。周りも随分と変わったようだ。コンビニもある。当時はなかったのではないかと思うバス停も見える。
地図一枚だけど、ちょっとした切欠で、いろんな事が思い出される。明日は、これを肴に・・・。反省会にならなくなるかも知れないけど。
(誰か、校舎や付近の写真を送ってくれないだろうか。このブログにも掲載するのだが・・・)
イッテミア・ミッション「東高思い出の通学路」
少し前に、父に舞鶴から一通の葉書が届いた。父は戦時中、舞鶴を母港とする病院艦に乗って世界の海を回っていたようである。その当時の戦友からであり、父の近況を心配した内容だった。戦後60年、戦友達が一人、また一人と、この世を去っていく寂しさも伝わってきた。
今から20年程前だったろうか、父は、全国に散らばっている戦友達と宇奈月温泉で同期会をやって、その時の世話役をやっていたのを思い出す。今年の2月に逝った父は、折に触れ、あの時の話をしていた。10年前に亡くなった母と一緒に、下見などをしながら楽しそうに汗をかいていた。そんなこともあり、思い出もひとしおだったのだろうと思う。
今年の同期会は、みんなにどんな思い出を残したのだろうか。私自身、前回の同期会と少し違った思いが残っている。父を亡くした年だからかも知れない。あるいは、世の中の一線から去る年になってきたからかも知れない。
(なお、葉書を頂いた父の戦友には、父が2月に他界したことをお知らせしていなかった非礼をお詫びした手紙をお送りした。)
蛇足
第二次大戦時の日本海軍の調理実習テキストを思い出したのでご紹介しておきます。「舞鶴要港部兵食献立調理講習記録」途中で作るのを挫折してしまっていますが・・・
こんにちは 生島です。同窓会後もいろいろお世話になります。ありがとう。今日猪谷希美江さんの命日で花を送りました。店員さんに花の色などを聞かれているうちに、涙が出そうになり困りました。十年前、人生まだまだというときの突然の訃報でした。その時彼女の分まで一生懸命生きようと思いました。これからも忘れないでいたい。 _江里
テレビから懐かしい旋律の胡弓の調べが聞こえた。富山県外に住むものにとって、めったに耳にする事のない‘越中おわら節’だった。
テレビの前に行ってみると、八尾の風の盆の中継の最中で、アナウンサーがおわら節の振り付けの説明をしながら、自らも踊り始めていた。私もつられて、手足を動かしてみる。なんと!!完璧。身体が振り付けを覚えている。高校の運動会(中学だったかも知れない)で、演目として教わり、大きな輪になって、踊った思い出がよみがえる。
娘が驚いた顔で、「お母さん!!何しているの?!!」と尋ねる。
「越中おわら節。教えてあげようか」と答える私。
「遠慮しとくワ」と冷ややかな答えが返ってきた。
もう少し、懐かしい調べを聞いていたいと思ったのに、ニュースは次の番組に変わっていた。
9月に入り、風が秋色を運んでくる。
8月13日の同期会から3週間が過ぎようとして、あの夜の出来事は " 夢か、幻か " 。騒々しい日常。
懐かしい顔に出会えた感動は、秋風と共に現実のものから、 " 思い出 " という引き出しの中にしまいこまれていくのを感じる。沢山ある " 思い出 " の引き出しの一つに、東高校同期会というインデックスをつけよう。その引き出しはこれからも時々使いたいから。
同期会に出席する為に乗った特急サンダーバードが神通川に差し掛かると、なんとも言えない懐かしい感覚がよみがえってきました。大学時代を関西で過ごした私は帰省の度に特急雷鳥が神通川を渡ると、「やれやれ、帰ってきた!」と安堵したものでした。
大学を卒業後、一家で富山を離れた私にとって、今は同期会でもなければ、訪れる機会もなくなりましたが、富山は‘ふるさと’、神通川は‘ふるさとの入り口’。鉄橋の上を走る特急サンダーバードの車窓から、草深い川原を眺めながら、35年余りの時空をトリップして、富山駅構内に入ったときは「おかえりなさい!!」という声が聞こえた気がしました。