順調にスリムになってきていると思っている。顔も一回り小さくなってきたようなので、床屋で髪を刈り上げてもらった。 ところが、これを見た友人に、顔がふっくらしてきたのではと言われてしまった。髪型のせいだろうとは思ったのだが、まだまだ努力が足りないということだろう。
ダイエットには運動が一番と思い、朝一番にスポーツセンタで走る機械に乗っている。スポーツセンタのインストラクタが、ダイエットについて、いろいろと教えてくれた。
運動には有酸素運動と、無酸素運動があり、これらをうまく組み合わせるのが良いとのことである。有酸素運動は、酸素を消費して脂肪を燃やす運動であり、ジョギングとか水泳といった運動である。一方、無酸素運動は、筋肉を鍛え基礎代謝量を増やす、腹筋運動とかのストレッチング運動である。
どこまで本当なのか定かではないが、インストラクの言うには、朝、有酸素運動をすると、身体がエネルギを消費する時に、脂肪燃焼を優先させるという道筋がついて、身体に蓄えられている脂肪が燃焼され易くなるとのことである。そして、晩酌を控えることで、夜に脂肪が蓄えるのを減らせるといった、好循環が生まれたのではないかと説明してくれた。
なる程、私が多少痩せてきたのにも、それなりの科学的根拠があるようである。
今までは、有酸素運動で、一定のカロリーを消費することに心がけていたが、これからは、有酸素運動の前に、基礎代謝量を増やす無酸素運動を取り入れて、体脂肪率の減少にチャレンジしてみようと思う。
札幌厚生病院循環器科の「無酸素運動と有酸素運動」や、おか製剤薬局の説明が分りやすかったので、参考にしてもらえればと思う。
この写真は、今から28年前(1979年)の、丁度今頃の昇仙峡の写真である。
昇仙峡は、みなさんもご存知と思うが、甲府市にある渓谷で、渓谷美は日本一と有名である。
写真中央にある昇仙峡の主峰は、その昔、覚円が畳が数畳敷ける広さの頂上で修行したと言い伝えられていることから『覚円峰』と言われている。
昇仙峡観光協会のホームページに、昇仙峡の写真が掲載されている。季節は秋のようだが、似たような場所から撮影したもののようである。木の生え具合など、28年前とあまり変わっていないように見える。(実際に見比べてみたら面白いと思う)
28年前は何をしていただろうか。二枚の写真を見比べていると、当時のことが、少しづつ断片的ではあるが思い出されてくるのが不思議である。
昨日(火曜日)はレディースデイ、何が何でも映画を観るぞ! と固い決心をして学校を出た。(PM6:00)
要領が悪いというか何というか、勤務時間をいつも超える生活を続けること30数年。
「要領よく仕事を済ませ、学校を出る」・・・・今年はそれを実践しようと決意。(できないかも・・笑い)
予定では「硫黄島からの手紙」を観るつもりだったが、今日から時間が変わって20:00からになっていた(あっ要領悪い!)
せっかく来た映画館!!・・・帰るのも悔しいぃ!
山田洋次監督はいいけれど主役がキムタクではと、侮っていた「武士の一分」を観て帰ることに急遽変更。この選択は是か非か?迷った! が、1000円で十二分の満足を得た!
「あんな、整い過ぎの美男子は嫌!(キムタク!は軽い!)」と決めていた自分を恥ずかしく思った。ともかく「よかった!!」キムタクは演技がうまいとは言えないが、一生懸命が伝わってくる。
日本人のなかにある(あった)慎ましやかで、潔く、美しい物腰。(今はもう失われている!)ほのぼのとした夫婦愛etc・・・。四季の移ろい、陽、陰、風で表現されるシーンが実に美しい!
「ユートピアだ」とその昔、鎖国の日本人の生活を表現した欧米人がいたと言うが、まさにそれだ。
江戸時代の侍、とある名もない地方(鶴岡と設定)の下級武士の生活(衣、食、住)の細やかな演出にも感動!・・・麻の裃にアイロンを当てるシーン、素朴な煮物、みそ汁を箱御膳でいただく食事、箸や椀の扱い、手洗い(水の扱い方)、畳み目・床の間の柱等々。何一つ無駄のない生活がなんと美しく映像化されていることか!
まだ、鑑賞しておられない殿方、是非ご夫婦で(恋人デモ可!!きけん?)、女性にはきっと喜んでもらえる映画だと思う。
女房役の女優「檀れい」の演技もいいが、年甲斐もなく木村拓哉のファンになった2007年1月9日でした。終わり。
昔、町内の子ども会や、勤め先の独身寮などのバス旅行で、バスガイドさんのマイクを回してもらって、みんなで歌を歌うことがよくあった。その頃は、今のようなカラオケなどはなく、手製のガリ版刷りの歌詞カードを見ながら、みんなの手拍子に乗せられて歌ったものである。今でも、「高校三年生」とか、「青い山脈」といった歌が、なにかの拍子に、口をついて出てくる。
お正月だ、お盆だと、何かと親戚が集まって宴会になった。小学生の頃までは、訪れる叔父などからお小遣いがもらえて、楽しみでもあった。祖父や叔父、父などが、自慢の謡曲を謡うのが恒例で、「高砂」「鶴亀」、宴の締めは、いつも「千秋楽」だった。そんな謡曲の一節もまた耳に残っている。
金沢21世紀美術館の隣に、新しく「金沢能楽美術館」が開館した。能面のポスタを見ていると、祖父や叔父、父の謡の一節が思い出される。
あけましておめでとうございます。
とてもダイナミックな、お正月の生け花、楽しませてもらいました。作品を見て、あなたらしい情熱を感じました。 北陸には、珍しい快晴のお正月でした。今年も元気で、お互いに、佳き年にいたしましょう。
ところで、昨日から成人の日を含め「3連休」ですね。 私は昨日、「めぐみ」という映画を観てきました。
アカデミー賞ドキメンタリー部門最有力候補と言われている作品だそうです。
拉致被害者の横田めぐみさんのことを描いた作品ですが、両親の子を思う情に突き動かされ、日本、世界が、大きく動き始めたことが切々と描かれているように思いました。
レディースデイの火曜日には、「硫黄島からの手紙」を観に行こうと思っています。
今年のお正月は、観たい映画がたくさんあります。
では、また
1月5日の日経の報道によれば、
<日経>◇大量のCO2、地下に封じ込め――地球環境技術研究機構
官民共同研究機関の地球環境産業技術研究機構は、地球温暖化の原因となる二酸化炭素(CO2)を地中に大量に封じ込める新技術を開発した。地下の岩石と反応させる手法で、従来に比べて安定状態で貯蔵可能。日本の年間排出量の約2倍に当たる約27億トンのCO2を処理できるとみて、今後、産業界と大規模実験を始める計画だ。
新技術では、日本の地下に広く分布している「蛇紋岩」を利用する。自然界では、無数にある岩石の亀裂にCO2が溶け込んだ水が染み込み、岩の表面と反応して塩のようなかたまりとして固定される。このため、排ガスに含まれるCO2を回収して地下に吹き込めば、大量のCO2を封じ込めることができる。
(中略)
蛇紋岩は北海道から九州に至る各地に散在するありふれた岩石。地下約2000平方キロメートル、厚さ約2000メートルにわたって広がっているとされ、地中に貯蔵する場所もたくさんありそうだ。
とのことである。
工場の煙突は空に向かって立っているのが我々の常識だが、近い将来、地下に向かって立つのが常識になっているかも知れない。
仕事初めの日にと、昨日、正月の花を生けた。年末に事務所用にと頼んでおいたのだが、取りに行ってみると、1メートル50センチはあるだろう松の枝が1本用意されていた。一瞬引いたが、その場でのこぎりで切って、解体し、車に積んで運んできた。事務所に着いてからも、手を松脂だらけにしながら、松を生けられる形に仕立てた。私は決してマメなほうでは無いので、こういった作業は苦手である。何度も何度も嫌になりながら、何とか、形にしたが、もう、いつもの集中力が切れてきた。後は千両、シンビジューム、極楽鳥花、菊。適当に放り込んだ。松と千両があればなんとなく、お正月らしくなる。
事務所は広いので、もう一杯生けたかったが、松との戦いに疲れてしまって、昨日はそこでやめた。そして、今朝、2杯目を生けた。ほとんど同じ材料で、入れたのだが、全然、違う雰囲気になった。やはり、松と千両があればお正月らしくなる。
こんな訳で、私の初仕事は花を生ける事だった。
後になりましたが、皆様、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。
けあらしに浮かぶ唐島の向こうに、うっすらと立山連峰がそびえる。富山湾の冬景色のひとコマだ。
JR金沢駅東口の前の道を白山市方面に少し走って、片町からの道路と交差する辺りに、昨年架け替えられたばかりの御影橋がある。その御影橋のちょっと手前に、「煎りたて珈房ディーズ」がある。
この店には、煎る前の生のコーヒ豆が置いてある。喫茶コーナでは、その日の朝に煎った豆でコーヒを出してくれる。
今日は、メニューの先頭に書いてあったエクアドル産のグレートマウンテンという豆のコーヒと、木の実のタルトを頼んだ。
「癖のないあっさりした味だねぇ。」とカウンタ越しに、店の女性に声を掛けた。豆の煎り具合で、コーヒの苦味や酸味、コクも変るのだと教えてくれた。この店では、8段階の煎り方があって、今日はレベル4、ちょっと軽めに煎って出しているそうだ。だから余計にあっさりとした感じになっているとのことだった。
今度は、どのコーヒ豆にしようかと、楽しみを残しながら、店を後にした。
これは、我々が高校を卒業して何年か後、富山市の大和デパート近くにある日枝神社の初詣の様子をスナップしたものだ。
日枝神社は、ホームページの「御由来」によれば、明治三十二年に富山城から、現在の山王町に移されたとある。東京にある日枝神社も山王さんと呼ばれていることから、富山城の場所にあった日枝神社をこの地に移したことで、町名を山王町としたのではないかとも思う。
私もこの頃は、初詣は山王さんにお参りしていた。友達と初詣の後、バスが動くまでの間、みんなで西町のオールナイトでやっていた映画館で映画を見るのを楽しみにしていた。
また、山王さんの絵馬には、日枝神社の桜の紋と、梅の紋が並んでいる。この梅の紋は、学問の神様である天神様の紋ではないかと思う。
この天神様は北陸地方の風習と言うが、不思議なことに、富山県と福井県にはあって、石川県にはない風習である。富山県と福井県は、加賀前田藩の支配藩であった。一方、前田藩の他の支配地域や隣接地域でも天神様の風習があったとも言われている。
また、加賀前田家の紋は梅鉢であり、天神様である菅原道真公の紋と同じようである。ちなみに菅原道真公は39歳の時に加賀権守(石川県)を任されている。この辺にもなにか秘密があるのかも知れない。