これは、我々が高校を卒業して何年か後、富山市の大和デパート近くにある日枝神社の初詣の様子をスナップしたものだ。
日枝神社は、ホームページの「御由来」によれば、明治三十二年に富山城から、現在の山王町に移されたとある。東京にある日枝神社も山王さんと呼ばれていることから、富山城の場所にあった日枝神社をこの地に移したことで、町名を山王町としたのではないかとも思う。
私もこの頃は、初詣は山王さんにお参りしていた。友達と初詣の後、バスが動くまでの間、みんなで西町のオールナイトでやっていた映画館で映画を見るのを楽しみにしていた。
また、山王さんの絵馬には、日枝神社の桜の紋と、梅の紋が並んでいる。この梅の紋は、学問の神様である天神様の紋ではないかと思う。
この天神様は北陸地方の風習と言うが、不思議なことに、富山県と福井県にはあって、石川県にはない風習である。富山県と福井県は、加賀前田藩の支配藩であった。一方、前田藩の他の支配地域や隣接地域でも天神様の風習があったとも言われている。
また、加賀前田家の紋は梅鉢であり、天神様である菅原道真公の紋と同じようである。ちなみに菅原道真公は39歳の時に加賀権守(石川県)を任されている。この辺にもなにか秘密があるのかも知れない。
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