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雑談 一覧

ゆう木・軽井沢追分

  • 雑談

ここのところ、軽井沢の知人の別荘に泊めてもらってのゴルフ会には、妻が同行するようになった。同行するといっても妻はゴルフはやらないし、別荘に泊めてもらうこともない。東京に住む妻の友人が高速バスで軽井沢にやってくる。妻は彼女とペンションとかホテルに泊まって旧交を温める。

そんなわけで、今年はゴルフ会の前日、東京からの彼女との待合せの前日、追分宿のペンションに泊った。ふるさと割とかいろんな割引を利用して夫婦で四千円で宿泊できた。(少しは納税した税金を回収した気分になった)

朝の七時頃に北陸道に乗り、追分宿に着いたのは昼時。追分宿近くのレストラン「ゆう木」を予約しておいた。

ゆう木 軽井沢追分
ゆう木 軽井沢追分

前菜 ゆう木 軽井沢追分
前菜 ゆう木 軽井沢追分

スープ ゆう木 軽井沢追分
スープ ゆう木 軽井沢追分

信州ポークのソテー ゆう木 軽井沢追分
信州ポークのソテー ゆう木 軽井沢追分

プチデザート ゆう木 軽井沢追分
プチデザート ゆう木 軽井沢追分

金森

旧碓氷峠見晴台・軽井沢

  • 雑談

旧碓氷峠の見晴台に登った。

何年か前に、軽井沢に行った時には、何時も泊めてもらう別荘の持ち主が、見晴台を案内してくれることになった。歩いて直ぐだからと、旧軽の知り合いの駐車場に車を留めて、見晴台へと歩いたことがあった。足元は革靴、ブレザーを着て、軽い気持ちで見晴台へと向かった。

しかし、登山というかトレッキングをしているのに気づくには、そんなに時間は掛からなかった。やたらシンドい思いをして4キロを登った。おまけに、折角登ったのに、下界はガスで何も見れなかった。

二度と同じ過ちは繰り返さないと、今回は妻と車で見晴台へと向かった。途中かなり細い道や一方通行の道があったが、なんとか見晴台にたどり着けた。

見晴台 旧碓氷峠 軽井沢峠町
見晴台 旧碓氷峠 軽井沢峠町
浅間山と小浅間山 見晴台 旧碓氷峠 軽井沢峠町
浅間山と小浅間山 見晴台 旧碓氷峠 軽井沢峠町
妙義山方向 見晴台 旧碓氷峠 軽井沢峠町
妙義山方向 見晴台 旧碓氷峠 軽井沢峠町

白えび丼

  • 雑談

昼飯は富山駅の白えび亭で白えび丼にした。

美味かったが、値段がかなり上がっていたように思う。900円前後と思っていたが、1260円になっていた。平日で昼前に入ったので直ぐに入れたが、店を出る頃には列が出来ていた。これも新幹線効果と思う。でも、ちょっと複雑な気分になった。

白えび天丼 白えび亭 富山駅

認知的不調和

  • 雑談

認知的不協和(にんちてきふきょうわ、英: cognitive dissonance)とは、人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。人はこれを解消するために、自身の態度や行動を変更すると考えられている。(ウィキペディア)

二つの要素の間に不協和が存在する場合、一方の要素を変化させることによって不協和な状態を低減または除去することができる。認知的不協和の度合いが大きければ、不協和を低減させる圧力はその度合いに応じて大きくなる。というのが、フェスティンガーによる認知的不協和の仮説(命題)である。

例えば、原発再稼動に際して、「いつ地震が起きるかわからないし、地震で福一のような事故があっても不思議でない。そんな不安な原発はできれば再稼働して欲しくない。でも、仕事の関係もあって再稼働に反対するわけにも行かない」と考える。自民党や公明党の安保法制についても、集団的自衛権で他国の戦争に巻き込まれるのは嫌だが、アベノミクスへの期待と幻想で、安保法制を支持してしまう。

ウィキペディアでは「認知的不調和」を次の例で解説している。

よく挙げられる例として、「喫煙者」の不協和がある。

喫煙者が喫煙の肺ガンの危険性(認知2)を知る
認知1 私、喫煙者Aは煙草を吸う
認知2 煙草を吸うと肺ガンになりやすい

このとき、認知1と認知2は矛盾する。「肺ガンになりやすい」(認知2)ことを知りながら、「煙草を吸う」(認知1)という行為のため、喫煙者Aは自分自身に矛盾を感じる。そのため喫煙者Aは、認知1と認知2の矛盾を解消しようとする。

自分の行動(認知1)の変更
認知3(認知1の変更) 私、喫煙者Aは禁煙する
認知2 煙草を吸うと肺ガンになりやすい

一番論理的なのは認知1を変更することだ。「喫煙」(認知1)を「禁煙」(認知3)に変更すれば、「煙草を吸うと肺ガンになりやすい」(認知2)と全く矛盾しない。

これが小さなことならば、自分の行動を修正または変更することで足りる(例えば、漢字を間違って覚えていたならば、正しい漢字を覚えなおせばよい)。しかし、喫煙の多くはニコチンに依存する傾向が強いため、禁煙行為は苦痛を伴う。したがって、「喫煙」(認知1)から「禁煙」(認知3)へ行動を修正することは多大な困難が伴い、結局は「禁煙」できない人も多い。その場合は、認知2に修正を加える必要が生じてくる。

新たな認知(認知4または認知5)の追加
認知1 私、喫煙者Aは煙草を吸う
認知2 煙草を吸うと肺ガンになりやすい
認知4 喫煙者で長寿の人もいる 認知5 交通事故で死亡する確率の方が高い

「喫煙者で長寿の人もいる」(認知4)を加えれば、「煙草を吸う」(認知1)と「肺ガンになりやすい」(認知2)との間の矛盾を弱めることができる。そして「交通事故で死亡する確率の方が高い」(認知5)をつけ加えれば、肺ガンで死亡することへの恐怖をさらに低減することができる。

なお、アメリカの煙草会社はキャンペーンで以下のように主張する[要出典]

煙草を吸う人が肺ガンになりやすいのは、煙草が肺ガンを誘引するのではない。ストレスを抱えている人がストレスを和らげるために煙草を吸うだけであり、ストレスが要因となって肺ガンを引き起こすだけで、煙草と肺ガンの間に因果関係はない。

この主張は「煙草を吸うと肺ガンになりやすい」(認知2)を変化させることで、認知的不協和状態を解消させようというものである。

原発事故被害に関して「原発事故で亡くなる人より、交通事故で亡くなる人の方が多い」といった主張も「認知的不調和」による詭弁だと思う。放射能被害と交通事故には何ら因果関係もないのだが、これを関係あるかのごとく並列に語る。

こういった「認知的不調和」に陥ってしまう人は、企業や役所の中枢(そこそこの肩書)で仕事をしている人や仕事をしてきた人の中に多いように思う。また、組織の上長(権力)の考えを斟酌(しんしゃく)することに長ける人に多いのではないだろうか。

ただ、組織は自分が思っている程、部下のことは気にしていないし、片思いということが多いのも現実だろう。リタイアしてからそのことに気付く人が、意外と多いようにも思う。

いま一度、「認知的不調和」について、自分を見つめ直しても良さそうである。

金森

ココアの鍼治療

  • 雑談

ココア.JPG私は11歳8カ月になる雌犬のラブラドールレトリーバーを飼っている。名前はココア。この子が一年少し前から後ろ脚を引きずり出した。獣医さんの診断では加齢による関節炎で完治は難しいとの事。ドックフードを関節によいものに変え、サプリメントを与えて、あまりに痛そうな時には鎮痛剤で過ごしてきたが、症状は少しずつ悪いほうに向かっている。

話は飛ぶ。私自身のことである。4月の終わりごろだったと思う。庭で草抜きをしていて腰が痛くなった。そんなことはいつもの事なので少し休めば治ると高を括っていたが今回はそうはいかなかった。1ヶ月以上経っても治ることはなく、整形外科、外科、内科、接骨院と渡り歩いたが特別な原因は見当たらず治療も効果がなかった。「腰痛難民」という言葉が頭に浮かんでいたそんな時鍼治療を勧められた。自宅からは通院に2時間近くかかるが、腰痛では間違いなく名医だという鍼灸師を紹介され、施術を受けることになった。すると1回目の施術で痛みが三分の一になった。3日後の2回目でほぼ完治した。鍼は生まれて初めての経験だったが東洋医学の神秘に感動した。

それで話は戻る。犬の鍼治療と云うのを何かで聞いたことがあった。もしかしたらココアの関節炎にも鍼治療が効果的かもしれない。私はネットで検索してみた。すると、意外にも鍼治療を行っている動物病院はたくさんあった。いちばん近い動物病院に電話すると、先ずは診察して鍼治療が可能か判断すると言う。すぐにココアを車に乗せて診察に向かった。問診、触診の後、獣医さんが言った。

「効果があるかどうかはわかりませんがやってみましょう。全然効果が出ない場合もあるし、激的によくなることもあります。先ずはこの子が鍼を打たせてくれるかどうかが一番の問題なのですけど・・・」

思いの外後ろ向きのコメントに若干の不安が芽吹いたが、ココアの足が少しでも楽になる可能性があるということであればと施術の予約を入れた。

予約当日、ココアを連れてその動物病院に出掛けた。予想通りではあったが診察室に入るとココアはいつもと違う状況に興奮し、落ち着きをなくしてゴソゴソ動き回った。診察台の上は途中で暴れ出しでもしたら危ないので床に伏せさせて施術してもらうことにした。もともと大人しい子ではあるが体重32キロの大型犬であるココアを動かないように支える私は結構キツかった。

下半身、背骨の指一本両外側に6本、しっぽの付け根付近両側に2本、ひざ関節に4本全部で12本の鍼が打たれ電極がつながれて微電流を流す。そして、その状態で約20分待つ。これが一通りの手順だった。

治療が終わり解放されると、ココアは痛みのせいでいつも浮かせ気味だった左後ろ脚をしっかり床に着つけて立った。鍼治療の効果だと思って嬉しくなった。帰宅してからも1時間ほどは痛みを感じさせない動きをしていた。しかし、その状態はそれ以上長く続かなかった。

後で思えば、慣れないことに興奮状態で痛みを忘れていたのかもしれない。素人考えではあるが、微電流が流れたことによる鎮痛効果だったのかも、いずれにしろ1~2時間の効果なら残念な結果という事だろうと思う。結局ココアの鍼治療は私の腰痛の場合のような効果はなかった。

辰己(有本)

nakashin20150818先日、ウイングヒルズ白鳥リゾートでサマースキーをしてきました。
我が家から北陸道へ小矢部から東海北陸道で約2時間半のドライブでした。
このゲレンデは、全長約1kmでサマーゲレンデとしては世界最長でギネスにも認定されています。
人工スノーマットPIS・LABを敷き詰め、スプリンクラー散水システムを完備したもので夏でも限りなく
雪に近い滑走感が楽しめるというものです。
スキーの板は特殊な滑走面(エッジが通常より幅が広い)で、カービングターンも可能です。
2時間のレンタルとリフト券を購入し、8本滑ってきました。
滑りは、本物の雪に比べ滑りは良くないものの、それなりに楽しめます。
ただ、散水システムのため全身ずぶ濡れ状態と、雪に比べ、滑りが劣るため途中で止まると滑り出しがかなりきつく、1kmを一気に滑走したので疲れました。(年なのかも?)
周りは若い人が多く、私が最年長か?
冬まで待てない私でした。

ウイングヒルズ白鳥リゾート・サマーゲレンデ

中新

お墓参りと鮎の塩焼き

  • 雑談

金沢では7月にお盆のお墓参りをする人が多い。野田山にある前田家墓地の周りには多くの墓がある。富山の八ヶ山にある長岡御廟のような墓地だ。野田山墓地は金沢市街地から山側で市街地を見渡せる静かなところにあったのだが、金沢の道路整備で山側環状線が野田山墓地の入り口の横を通るようななった。

このため、7月14,15日のお盆の頃は野田山墓地辺りの道路は交通規制されるが、8月のお盆の頃には規制がない。

野田山墓地の入り口の曹洞宗の寺、大乗寺の横を通るようになっている。この大乗寺の門の隣に花屋があって、墓参りする多く人が花を求めていく。

我が家の墓は高岡戸出にあり、妻の実家の墓も長岡御廟にある。お盆には二箇所のお墓を参ることにしている。

今年のお墓参りは、山側環状線に乗って、大乗寺の前の花屋に寄って、お墓に供える花を買った。山側環状線から右手に折れて金沢大学角間キャンパスを福光に出て富山に向う。まずは高岡戸出の墓参りをと思い、昼は庄川で鮎を食べてからにしようと思ってのコースだった。

庄川には鮎を食べさせてくれる料理屋が何件もある。これまで、有名処を三軒巡ったが、「鮎や」の塩焼きが私の口に一番あっている。鮎の大きさが小さめなのが良い。焼き具合も実によく香ばしく、頭から骨も全てサクサクと食べれる。実に美味い。

墓参りに殺生は良くないという宗派もあるようだけど、うちの宗派は気にしないようだ。そんなわけで、まずは高岡戸出の墓から長岡御廟へ、帰りは北陸道でと、美味しく楽しく墓参りを続けた。

鮎塩焼き 鮎は小さめ、この大きさが実に美味しい。 鮎や 富山庄川
鮎塩焼き 鮎は小さめ、この大きさが実に美味しい。

鮎のお造り 昆布じめたたき風、富山の味 鮎や 富山庄川
鮎のお造り 昆布じめたたき風、富山の味

鮎や 富山庄川
鮎や

金森

「現行の偏差値教育の中で表面的なことだけを鵜呑みにすることを強要される今の時代、特に勉学途上にある若い人々には危険な傾向となるだろう。」

近代科学の基礎になっているアインシュタインの相対性理論が崩壊しているというのが、今や世界の常識になりつつある。この事実を受け入れようとしない権威重視の日本科学への、暗記重視の偏差値教育への警鐘となる記事を転載して紹介する。

祝 ホーキング「ビッグバン理論」崩壊!

http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-e578.html
zeraniumのブログ

現代宇宙論の最先端であったはずの「ビッグバン」理論は、すでに確証されたかのごとく日本の教科書にも載せられている。しかし実はビッグバン理論は今やその基本から大きく揺らいでおり、それだけではなく、近代物理学のバイブルとされてきた「アインシュタイン相対性理論」も同じく、崩壊の危機に立っている。

周知のように「アインシュタインの特殊相対論」とは、光の速さを超える存在は絶対に許さないというのがその基本である。つまり光よりも速いものはあり得ないとする理論である。しかし最新の実験結果では、超光速は自然界の普遍的な現象と確認されており、すでに光速の1・7倍という数値まで出されているのである。

いまや欧米の科学界では、「GO TO HELL BIG BANG―打倒ビッグバン」の声が挙がっているが、なぜか日本ではそうした議論はまったくない。本書はこうした日本の閉塞的ともいえる現状に危機感を覚え、今や世界の宇宙物理学の趨勢(すうせい)はどうなっているのかを、1人でも多くの人に知ってもらうために書いたものである。日本人は保守的性向が強いと言われているが、中でも日本の学術的な分野における閉鎖的で保守の姿勢は、世界においても比類ないものである。つまり外国ではすでに周知のことであるのに、日本では一般の人々に正しく伝えられていないケースがさまざまに存在するのである。

これから述べる世界的な概念変化の「うねり」は、いくら無視して拒否しようがそれができないまでに、極限にまで大きくなってから日本にも押し寄せてくることになる。その結果、その勢いは一挙に考え方の転換を求められることになるだろう。こうしたことは、現行の偏差値教育の中で表面的なことだけを鵜呑みにすることを強要される今の時代、特に勉学途上にある若い人々には危険な傾向となるだろう。

それでも欧米のビッグバンクラッシュ(大恐慌)の一端は、徐々にではあるが日本にも紹介されるようになってきた。それらの一つがアメリカの新鋭科学ジャーナリストのエリック・J・ラーナー著『THE BIG BANG NEVER HAPPENED』(邦訳『ビッグバンはなかった』河出書房)や、「ホーキングの宇宙」をベストセラーにしたアメリカの著名な科学評論家ジョン・ボスロウ著『ビッグバン危うし』(邦訳は講談社)などである。

イギリスの科学誌『ネイチャー』はすでに1989年8月号に、「くたばれビッグバン」(Down with the Big Bang)というタイトルで論説を掲載している。(略) また1991年1月のワシントン・ポスト紙の見出しには「ビッグバン論理は破産」とあり、宇宙が爆発して誕生したという概念にもとづくビッグバンは「死んだ」とはっきり述べている。etc・・・。

すでにかなり以前から、こうしたビッグバンや相対性理論への疑問が起きているが、しかし欧米と日本とではそうした実情にかなり差のあることがわかると思う。その一つの証拠として、いまだに日本の科学雑誌の見出しは、ホーキング、アインシュタイン、ビッグバン宇宙論のオンパレードなのである。こうした状態がなぜ未だに続いているのだろうか? マスコミが現状に無知なのか、それとも意識的にこうした情報を遮断して操作しているのか私は知らない。

要因として言えることは2つあるが、1つは日本のマスコミには、前述したラーナーやボスロウのような真の科学を知る評論家やジャーナリストが存在しないことである。しかもそこにあるのは、ただ与えられたものを「学ぶ」という姿勢だけのようである。日本人は「権威」と「科学的」という言葉に非常に弱く、それはたとえると「水戸黄門の印籠」のようである。それは主流から逸れているものを異端論として排斥する態度として表れ、そのゆえに少々偏向していても「科学者の言うこと」なら無批判に信じ込んでしまうという歪みとなって表れる。現在ほど真の科学ジャーナリストの出現が、マスコミに求められる時代はないだろう。

もう1つは、教科書をはじめNHK科学番組などの主要なマスコミのすべてが、学界の主流と言われる大学教授や科学者たちに牛耳られていることから、彼らが指導してきたことに反するような情報は遮断されてしまうことにある。当初、宇宙探査衛星COBE(コービー))によって発見された「ゆらぎ」は、ビッグバンを証明するものとCNNなどによって報道されたことがあった。しかしその直後、「それはとんでもない誇張であり、むしろCOBEの観測結果はビッグバン否定の証拠になりうる」と大きく報道された。しかし日本では完全に無視であった。

しかも驚くことにそれによって、「COBEの観測結果によってビッグバン理論がますます確固たるものになった」、と教科書に掲載される予定だというのだ。しかしある情報では、文部科学省も欧米におけるビッグバン理論崩壊の現状を無視できなくなり、ひそかに、「ビッグバンは宇宙論の仮説の一つ」としてランク下げの指導が行なわれたという確かな情報もある。それが教科書に掲載されるまでには5年のタイムラグがあることから、そうした態度はまことに心細い限りである。

すでに世界の趨勢は、「ビッグバンはなかった」に傾いており、ビッグバンは20世紀の天動説にも匹敵するほどの大錯誤のようだ、と欧米の科学者はパニックに見舞われている。1986年のその日、ハーバード大学教授でスミソニアン天体物理学センターの宇宙物理学者でもある、マーガレット・ゲラー女史の革命的ともいえる研究発表がプリンストン大学において行なわれた。ゲラー女史の講演テーマは、同僚のジョン・ハクラとの共同研究による「宇宙の大規模構造(のちにグレートウォールと呼ばれる)についてだった。

会場には大勢の物理学者が来ていたが、そのほとんどの人がゲラーたちの研究結果を頭から疑っている理論宇宙科学者で占められていた。なぜなら講演内容が、従来のビッグバン宇宙論からは考えられないようなことであったからだ。講演が始まってゲラーが順次掲げて見せる宇宙の銀河図には、彼らが見出した宇宙の大規模構造が明瞭に描き出されていた。それは浴槽に石鹸の泡が重なっているようでもあり、あるいは規則正しく配列された巨大な蜂の巣のような構造にも見えた。

それは今まで誰も予想していなかった、奇怪な宇宙の銀河構造マップともいえるものであった。そのときビデオモニターの音が会場に響き渡り、コンピューター処理された銀河集団の立体マップが大スクリーンに映し出された。画面には数多くの銀河が浮かび上がり、それらの銀河集団の全体は軸に沿って動き、回転し始めた。それを見ていた大勢の宇宙科学者たちは、まるで自分が広大な宇宙空間を宇宙船に乗って眺めているような気分になった。なにしろ1つの銀河だけであっても、我々の太陽と同じ恒星が1000億個?2000億個も存在しているという集団なのである。

このビデオを私も入手しているが、さすがによくできている。

見ていると泡状に集合した銀河が画面に現れては消えてゆき、その泡の内部には何もない巨大な空間が延々と広がっている。講演での上映は5分くらいの短い時間であったが、この光のショウが終わると会場は喝采に包まれ、それまではゲラーたちの研究を疑っていた人々の誰もが呆然として声も出なかったという。その大勢の聴衆の中には、宇宙について多くの著書のある著名なジム・ピープルズという理論家もいたが、後にそれについて述べている。

「マーガレットの研究発表は、我々のような疑い深い者たちを一網打尽にした。

宇宙の対極的な分布には、規則正しく配列された泡のような構造が確かに存在するということだ」

しかし問題は、ゲラーたちが調査した宇宙の領域は、宇宙全体のほんの0・001パーセントに過ぎないことだった。彼らも自分たちがごく小さな領域しか調べていないことを認めながらも、それでも予想しなかった宇宙の大規模構造が発見されたことを確信していた。

「現在の宇宙モデルには、基本的な何かが欠けています。

なぜならビッグバンのパラダイム(枠組み)では、こんな大きな構造ができないからです」と。

ビッグバン論者たちにとって幸いだったことは、ゲラーとハクラの科学者の2人ともが以前からビッグバン説を支持していたことである。しかも彼女たちは将来、自分たちの発見がビッグバン理論を根底から揺るがすことになるとは思ってもみなかったのである。ゲラーの発表はたちまち理論物理学者たちの間に広まっていった。特に宇宙理論家たちはこの発見に仰天した。なぜなら数学的な優美さで構築されていたビッグバン宇宙論に対する、公然の侮辱及び挑戦と受け取られたからである。

しかもビッグバン論者にとって都合が悪かったことは、ゲラーが発表した銀河マップは、径が4億光年ものボイド(泡)を持つ巨大な蜂の巣構造全体のほんの一部にすぎない、というのでなおさらであった。それに彼らの発表した宇宙図に延々と連なって集合する蜂の巣構造を見れば、ビッグバン理論のいう宇宙膨張どころの話ではなく、それも宇宙全体の一部分かどうかさえもわからないのである。

彼女たちの得た証拠はそれまでの宇宙論全体を大きく揺るがすことになり、特にビッグバン理論には致命的ともいえる打撃を与えることになった。ビッグバン説によれば、宇宙が誕生したのは今から150億年前とされている。しかしゲラーたちが見つけ出した宇宙の大規模構造が形成されるには、少なく計算しても600億?1000億年もかかることが分かったからである。(図1)

しかしこの巨大な矛盾に対し、無視の姿勢を貫こうとしている保守的な科学者たちを、エリック・J・ラーナーは著書『ビッグバンはなかった』で揶揄している。それは日本流にいえば、建築後1年という不動産屋の言葉を信じて買った家の屋根裏から、なんと死後10年も経た猫の死骸が出てきたわけで、これではびっくりするなというほうが無理である。この不動産屋が「ビッグバン理論」であり、死後10年を経た猫の死骸がゲラーたちが発見した「グレートウォール」である。こうなると我々は半世紀以上にわたり、ビッグバンを売り物にしてきた悪質な不動産屋に騙されていたことになるが。

   宇宙は3つのスケールに区分されよう。
       1 太陽系宇宙
       2 銀河系宇宙
       3 銀河系外宇宙

我々の太陽系は地球や火星などの惑星が太陽を中心に周回し、それらの惑星の多くは同じように月のような衛星を引き連れている。ゆえに太陽系とは、子どもである惑星や孫の衛星を引き連れた、太陽をゴッドファーザーとする一大ファミリーだといえる。そしてこのような太陽という恒星が1000億から2000億個集まり、渦状で回転しているのが2でいうところの銀河系宇宙であり、それは全体の形から渦状星雲とも呼ばれている。天文学用語には暗雲星雲と呼ばれるものもあるが、意味もスケールも異なるので注意が必要である。

我々の銀河系一つに1000億から2000億個の太陽が存在する!

いったい1000億個もの太陽が、どのくらいの割合で地球のような惑星を伴っているのかは現在のところはわからない。最近のNASAの発表によれば、我々の太陽系に近い7つの太陽(恒星ともいう)に惑星系が発見されたといっている。ちなみにわれわれにもっとも近い太陽系は、4・3光年先のアルファ・ケンタウリ星系である。

今世紀の始めにおいて、我々の宇宙への考え方は太陽系とその周辺くらいの範囲であり、それまでただ望遠鏡でボヤッと見えていた光が、実は膨大な星の密集した他の銀河系であると判明してから、宇宙の驚異的なスケールがしだいに顕わになってきた。今では1000億個から2000億個もの銀河の存在が確認されているのである。我々の銀河一つだけでも1000億個以上の太陽が存在する。しかもそのような銀河系が1000億?2000億個も存在するのである。

こうした膨大な数の銀河が存在するスケールを考えると、知的生命体の存在は地球だけであるといったような一部の科学者の考え方が、いかに閉鎖的で独断と偏見にきわまるものであるかがわかるというものである。

祝 相対性理論崩壊
『ビッグバン宇宙論は根幹が間違っていた』 コシノケンイチ著 ヒカルランド
抜粋


金森

「金沢独り勝ち」をどう克服するか

東洋ONLINEから転載 http://toyokeizai.net/articles/-/79364

3月14日に開業した北陸新幹線。すべての沿線がお祭りムードに沸いているわけではない(写真:尾形文繁)

3月14日に開業した北陸新幹線が快走を続けている。JR東日本が7月下旬に発表した、お盆の指定席予約状況によると、北陸新幹線を走る「かがやき」「はくたか」「あさま」の利用は前年比257%と大幅に増えた。開業3カ月間の乗客は延べ約246万人と在来線当時の3.3倍に達し、想定以上の走り出しとなった。

だが、過去の整備新幹線の開業と同様、沿線の表情は一様ではない。「金沢独り勝ち」を見出しにしたニュースが流れる一方、手放しで喜べない事情を抱えつつ、克服を試みる都市もある。地域づくりの課題とヒントを、沿線の光景から拾ってみた。

目指すは「滞在型観光の深化」

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開業翌日の金沢駅・鼓門

ホームとコンコースを埋め尽くす人と熱気。待望の北陸新幹線をぜひ一目、という市民の思いがあふれかえる。開業翌日、3月15日午前11時すぎの金沢駅。頭上には、10年前からこの日を待ちわびていた金沢駅のシンボル、鼓門と「もてなしドーム」が誇らしげにそびえる。近江町市場、金沢21世紀美術館といった観光スポットも人でごった返していた。

開業14カ月前の2013年12月、筆者が調査で金沢を訪れた時には、すでにまち全体がカウントダウン・モードに包まれていた。無理もない。東京以西で日本海側最大の都市へ高規格鉄道が乗り入れ、首都圏と直結する。上越新幹線・越後湯沢乗り換えで最短3時間51分だった東京―金沢間が、2時間28分に。時間短縮効果と地域社会へのインパクトは、1982年の東北新幹線・大宮開業時の仙台市に匹敵する。

ヒアリングに対応した金沢市プロモーション推進課の担当者は「私たちが目指すのは、まちのたたずまいや市民の暮らしを1?2カ月じっくり味わっていただく、滞在型観光の深化です」と力を込めた。開業に備えて市内の宿泊施設を調査したところ、ヨーロッパ系の外国人観光客には、分厚いガイドブックを携えて長期滞在している人々が少なくないことが分かった。彼らは金沢の文化や歴史の知識を蓄えて来訪し、まちを隅々まで堪能していたという。そんな観光スタイルを、国内からの旅人にも定着させたい――。建築物をめぐる「アーキテクチャー・ツーリズム」や、技芸・工芸を体験する「クラフト・ツーリズム」など、滞在型観光の受け皿として、多彩なメニューも整えている。

想定を超えた観光客が押し寄せるなか、手軽な旅を印象づける「ちょっと、金沢まで」というキャッチフレーズと、地元が目指す「滞在型観光の深化」は今後、どう調和していくのだろう。地方都市の姿や営みが持つ多様なポテンシャルを考えるうえでも、時間をかけてウォッチしていく必要性と意義を感じる。

金沢から東へ約58km、富山では、金沢ほどの喜びには染まっていない。背景には、北陸の歴史と文化に根ざす、地域の事情も横たわる。

「とにかく関西へ向かうのが不便になった」。多くの市民が口をそろえる。北陸新幹線開業に伴い、富山―東京間は最短3時間11分から2時間8分に短縮、上越新幹線・越後湯沢での乗り換えが解消された。その一方で、北陸と大阪を結ぶ特急「サンダーバード」は金沢―富山間の運行がなくなり、富山と関西を往来する旅客は金沢での乗り換えを余儀なくされることに。「大阪が遠くなった」不満が、「東京が近くなった」喜びを半ば打ち消している格好だ。

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富山駅に乗り入れる「セントラム」の路面電車。工事がまだ続く

市民の表情が冴えない理由のひとつは、金沢駅と異なり、富山駅一帯の整備がまだまだ続くことのようだ。公共交通の整備に力を入れる富山市は、市街地の大改造を進めている。まちを南北に分断する並行在来線「あいの風とやま鉄道」(旧北陸本線)と私鉄・富山地方鉄道を新幹線とともに高架化、さらに富山駅と富山港を結ぶLRT「ポートラム」と環状の路面電車「セントラム」を富山駅で直結させる。新幹線開業に合わせて、セントラムの富山駅乗り入れまでは実現した。しかし、高架化やポートラムとの直結が一段落するのは7年後という。

金沢への屈折した感情

7月初めに訪れた富山駅では、土産品の仮設販売所の撤去がようやく終わり、とやま鉄道の仮設ホームが新幹線ホーム隣で稼働していた。これらの光景が開業ムードに水を差すと感じた利用者は少なくないようだ。

しかし、市内でヒアリングを重ねるうち、富山のまちの成り立ち、そして金沢との「距離感」に由来する屈折した感情が、新幹線に対するやや冷めた視線の要因であるように感じられてきた。

城下町としての富山は戦国期にさかのぼる歴史を持ち、今も富山城趾公園が市中心部に残る。だが、歴史的街並みを大きな財産とする金沢とは対極の苦悩を味わった。太平洋戦争終結の直前、1945年8月2日に米軍の空襲を受け、市街地のほとんどが焦土と化した。一方で、インテックや不二越、日医工といった企業の本社が立地し、「ものづくりのまち」を強く自負する。新幹線開業の意義を否定しないまでも「金沢ほどには、新幹線で観光振興を図る必要はないのでは」という趣旨の言葉を市内で何度も耳にした。

それらの言葉の裏に、大きな果実を得つつあるように見える金沢への反発、おそれを感じることもあった。地元のメディア関係者は開業後の心境を「金沢に圧倒される思い」と口にする。2015年6月19日付朝日新聞記事(電子版)によると、あるホテルチェーンの同年3?5月の客数は、富山市内が前年比10?20%増なのに対し、金沢市内は25?40%増。東北新幹線・八戸開業時や新青森開業時に比べれば、富山の実績は十分にうらやむレベルだ。しかし、金沢が「その上」を行ってしまうため地元は喜ぶに喜べない――。

富山県には、新幹線開業前から有形無形の「新幹線効果」が現れていた。YKKグループは本社機能の一部を東京から富山県黒部市へ移し、川崎市のユースキン製薬は2016年、富山市に新工場を稼働させる。富山駅前の地価は2014年、前年より6.5%アップした。企業進出や地価のアップは、東北新幹線・新青森開業時などにはみられなかった現象だ。ただ、新工場の進出は金沢市でも事例があるうえ、金沢駅前の地価上昇率は商業地として全国トップの15.8%に達していた。

新幹線開業は失敗だった?

富山藩はもともと加賀藩の支藩として誕生、廃藩置県後もいったん富山県が成立したにもかかわらず、石川県に合併され、再び独立した経緯がある。北陸の中心的都市・金沢を強く意識しつつ、独自の歴史と文化、産業を築き上げてきた富山。新幹線をどう使いこなして、金沢との新たな関係をつくり上げていくのか。

北陸新幹線開業で最も大きな試練に直面している沿線都市のひとつが、金沢と富山に挟まれた富山県高岡市だろう。新幹線駅・新高岡はJR高岡駅の1.8km南方に位置する。中心市街地は高岡駅を挟んで北側に広がり、新高岡駅は水田と住宅地に囲まれている。目と鼻の先には巨大なイオンモール高岡が建つ。市は新幹線開業に備えて高岡駅をリニューアルし、利便性は大きく向上したが、新高岡駅の立地への不満は今もくすぶる。

加えて2014年8月、「かがやきショック」が市を揺すぶった。最速タイプの列車「かがやき」は新高岡に停車させないことをJR西日本が発表、市や経済界が猛反発した。「新高岡は能登や飛騨への玄関口。当然、最速タイプが停車するという想定で二次交通などの準備を進めていた」。高岡商工会議所の布村雅之企画調査役は振り返る。

JR時代、高岡駅には北陸本線の全特急列車が停車していた。高岡は、人口や都市機能では金沢、富山の両県庁所在地に及ばないながら、鉄路に関する限りは両都市と「同格」だった。だが、新幹線開業に伴い金沢以東の北陸本線はJR西日本から経営分離され、特急列車そのものが姿を消すことに。しかも、金沢駅、富山駅と異なり、高岡駅には新幹線が乗り入れない。そこへ追い打ちを掛けるように、最速タイプの通過が決まった。発表の直後、2014年9月に筆者が高岡市を訪れた際、乗り合わせたタクシーの運転手は「駅は離れた所にできるし、『かがやき』は停まらないし、新幹線開業はもう失敗に終わったようなもの」とうなだれた。市民の落胆は大きかった。

しかし、失意の底から高岡は新たな模索を始めた。「かがやき」停車を求めて市内の五十数団体が初めて結束し、周辺の市にも協力を呼びかけてJRへの要望活動を展開。一方では、各駅停車タイプの「はくたか」でつながる各都市との連携に着手した。活動が奏功する形で、JR西日本は同年12月、臨時の「かがやき」1往復を新高岡に停車させると発表し、市内の不安は底を打った。

2015年7月に高岡を訪れた時には、まちは自信や落ち着きを取り戻しているように見えた。「危機感を共有したことで地元が団結できた。関東や北陸新幹線沿線とつながりを深めている。この夏は長野商工会議所とも初めてゴルフコンペをする予定です」と布村調査役。「かがやき」の通過によって、高岡は「東京直結」「最短〇〇分」という呪縛を逃れ、沿線同士の連携に目を向ける機会を得たともいえる。

まちづくりの魅力をアピール

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「たかおかトートバッグ」と観光マップ

地道な努力も欠かさない。「伝統工芸のまち」という特色に加えて、国宝・瑞龍寺や加賀藩由来の歴史的建造物に恵まれた城下町としての横顔を生かし、いわば金沢と富山の間を行く形で、まち歩きの魅力をアピールしている。それを象徴するのは、観光名所・高岡大仏をあしらった100円の「たかおかトートバッグ」だ。新高岡の観光案内所で購入し、中に入った地図を手にまちを歩けば、商店街でいろいろな特典を受けられる。デザインしたのは富山大の学生たちだ。

北陸新幹線はまだ走り始めたばかりだが、長野―北陸間の新たな需要、中部・北陸一円の旅客流動、新潟県の立ち位置など、いくつもの着目点がある。長野市や新潟県上越市を含め、沿線の再編やまちづくりが今後どのように進むのか。興味は尽きない。


金森

このわたいくら丼

  • 雑談

ナマコの腸(はらわた)の塩辛が「このわた」。卵巣を「くちこ」。「くちこ」は干すときに水滴が早く落ちるように先端を指でまとめるためので、仕上がりは三味線のばちのうな平いい三角形状となる。「ばちこ」とも呼ばれる。一枚作るのに十数キロのナマコが必要のようで、一枚5000円はする。

一方、「このわた」は、尾張徳川家が師崎のこのわたを徳川将軍家に献上したことで知られ、ウニ、からすみ(ボラの卵巣)と並んで日本三大珍味の一つと言われている。

能登の和倉温泉への入り口、セブン-イレブンの隣に、マナコの専門店「なまこや」がある。隣がまなこやがやっている食事処「海ごちそう」だ。

お昼に「海ごちそう」で「このわたいくら丼」を食べるのが、能登に来た時の楽しみの一つにもなっている。ちなみに、「このわたいらくら丼」は1350円。珍味丼としてはお得価格と思う。

日本三大珍味のこのわたが入った「このわたいくらの丼」 ここでしか食べられない逸品 能登珍味なまこやがやっている海ごちそう 能登和倉温泉

金森

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