認知的不協和(にんちてきふきょうわ、英: cognitive dissonance)とは、人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。人はこれを解消するために、自身の態度や行動を変更すると考えられている。(ウィキペディア)
二つの要素の間に不協和が存在する場合、一方の要素を変化させることによって不協和な状態を低減または除去することができる。認知的不協和の度合いが大きければ、不協和を低減させる圧力はその度合いに応じて大きくなる。というのが、フェスティンガーによる認知的不協和の仮説(命題)である。
例えば、原発再稼動に際して、「いつ地震が起きるかわからないし、地震で福一のような事故があっても不思議でない。そんな不安な原発はできれば再稼働して欲しくない。でも、仕事の関係もあって再稼働に反対するわけにも行かない」と考える。自民党や公明党の安保法制についても、集団的自衛権で他国の戦争に巻き込まれるのは嫌だが、アベノミクスへの期待と幻想で、安保法制を支持してしまう。
ウィキペディアでは「認知的不調和」を次の例で解説している。
よく挙げられる例として、「喫煙者」の不協和がある。
喫煙者が喫煙の肺ガンの危険性(認知2)を知る | |
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認知1 | 私、喫煙者Aは煙草を吸う |
認知2 | 煙草を吸うと肺ガンになりやすい |
このとき、認知1と認知2は矛盾する。「肺ガンになりやすい」(認知2)ことを知りながら、「煙草を吸う」(認知1)という行為のため、喫煙者Aは自分自身に矛盾を感じる。そのため喫煙者Aは、認知1と認知2の矛盾を解消しようとする。
自分の行動(認知1)の変更 | |
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認知3(認知1の変更) | 私、喫煙者Aは禁煙する |
認知2 | 煙草を吸うと肺ガンになりやすい |
一番論理的なのは認知1を変更することだ。「喫煙」(認知1)を「禁煙」(認知3)に変更すれば、「煙草を吸うと肺ガンになりやすい」(認知2)と全く矛盾しない。
これが小さなことならば、自分の行動を修正または変更することで足りる(例えば、漢字を間違って覚えていたならば、正しい漢字を覚えなおせばよい)。しかし、喫煙の多くはニコチンに依存する傾向が強いため、禁煙行為は苦痛を伴う。したがって、「喫煙」(認知1)から「禁煙」(認知3)へ行動を修正することは多大な困難が伴い、結局は「禁煙」できない人も多い。その場合は、認知2に修正を加える必要が生じてくる。
新たな認知(認知4または認知5)の追加 | |||
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認知1 | 私、喫煙者Aは煙草を吸う | ||
認知2 | 煙草を吸うと肺ガンになりやすい | ||
認知4 | 喫煙者で長寿の人もいる | 認知5 | 交通事故で死亡する確率の方が高い |
「喫煙者で長寿の人もいる」(認知4)を加えれば、「煙草を吸う」(認知1)と「肺ガンになりやすい」(認知2)との間の矛盾を弱めることができる。そして「交通事故で死亡する確率の方が高い」(認知5)をつけ加えれば、肺ガンで死亡することへの恐怖をさらに低減することができる。
なお、アメリカの煙草会社はキャンペーンで以下のように主張する[要出典]。
煙草を吸う人が肺ガンになりやすいのは、煙草が肺ガンを誘引するのではない。ストレスを抱えている人がストレスを和らげるために煙草を吸うだけであり、ストレスが要因となって肺ガンを引き起こすだけで、煙草と肺ガンの間に因果関係はない。
この主張は「煙草を吸うと肺ガンになりやすい」(認知2)を変化させることで、認知的不協和状態を解消させようというものである。
原発事故被害に関して「原発事故で亡くなる人より、交通事故で亡くなる人の方が多い」といった主張も「認知的不調和」による詭弁だと思う。放射能被害と交通事故には何ら因果関係もないのだが、これを関係あるかのごとく並列に語る。
こういった「認知的不調和」に陥ってしまう人は、企業や役所の中枢(そこそこの肩書)で仕事をしている人や仕事をしてきた人の中に多いように思う。また、組織の上長(権力)の考えを斟酌(しんしゃく)することに長ける人に多いのではないだろうか。
ただ、組織は自分が思っている程、部下のことは気にしていないし、片思いということが多いのも現実だろう。リタイアしてからそのことに気付く人が、意外と多いようにも思う。
いま一度、「認知的不調和」について、自分を見つめ直しても良さそうである。
金森
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