日本海沿いを、美川、根上と小松に出て、小松空港を横手に見ながら片山津カントリー倶楽部と北陸自動車道の間を並走する。片山津温泉への交差点を、海側へ行くと、そこはもう橋立である。
今日の昼飯は、橋立港の近くにある食事処「やしま」とだけ覚えてきた。地図で詳しく調べてきたわけでもないので、橋立に入ってから、道路の両側の看板に注意しながら走った。
幸い橋立に入ったら直に「やしま」の看板が目に入った。玄関の脇に「やってるよ」と看板が立て掛けてある。早々に店に入って、海鮮丼を頼んだ。
甘エビ、ズワイガニ、鯛、ぶりトロ、バイ貝、イカなどの刺身が、彩りもよく所狭しと乗っている。カニ味噌も隠れていた。思わず携帯電話のカメラで写した。
さすがに漁港の近くにある食事処だ。味は申し分ない。どの刺身も身が締まり、プリプリと歯ごたえがある。そして、甘い。甘いと言っても、新鮮な魚の身の甘さである。もちろん、生臭さなどは微塵も感じさせない。なかなか街では味わえない海鮮丼である。
「やしま」で腹ごしらいをした後、雪の晴れ間に、車を止めて、荒れる日本海を見ながら、海沿いの道を車を走らせた。
雪が降る時、日本海は翡翠の表情を表す。波は荒く、雲はどんよりと水平線に垂れ込める。翡翠色の波が弾けて、白い波となって、海岸に押し寄せる。晴れた日には見ることができない日本海の表情である。寒いけど、こんな日本海の表情も好きである。
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明石大橋を神戸側から渡ってスグの所に、淡路パーキングエリアがある。明石大橋の絶好の観光スポットであるが、ここに観覧車が出来たと少し前、耳にしたような気がする。日曜日、癒し(?)の一泊旅行に鳴門まで出掛け、途中その観覧車が目に入った。
近場に住む者として、一応は乗っておかなくてはと車を止め、一周してきた。ゴンドラは床と椅子以外の部分はほとんどガラス張り、雨上がりの澄んだ空気の下、播磨灘から明石海峡、大阪湾が一望だった。
金沢の街を歩いていると、割竹を円弧状に曲げて壁際に並べてあるのを時たま見かける。
金沢の犀川大橋の近く清川町にある老舗料亭「山錦楼」の道路側の壁際にも並べてある。建物とあいまって、風情を感じる。
この割竹で作った円弧状のものを、京都などでは「犬矢来」と呼ぶようである。犬の放尿を防ぐ目的で置かれたことからこう呼ぶようになったとのことである。
しかし、何時だったか、何処で聞いたか思い出せないが、金沢の矢来は、雨宿りできなくする目的で置いていると聞いたことがある。
写真を見ると分るが、矢来の上には窓がある。窓の内側では、客達が胚を交わしながら、いろんな会話をすることだろう。こういった席でしか話せない微妙な話もある。阿吽の呼吸の一言で話が決まる時もある。
客室の窓の下に矢来を置いて、雨宿りできないようにして、そんな会話が外に漏れないようにする、料亭の配慮だという。
老舗のお茶屋さんや料亭には、昔の人の知恵の仕掛けが多い。客達のための、いろんな工夫、配慮がされている。そんな事も考え合わせれば、金沢でよく見かける矢来は、雨宿りお断りといった目的で置かれるようになったと考えるのが良さそうである。
昌徳宮をひと回りして、元に戻る。敦化門の西側にある小さな門が出口だった。門を出ると駐車場がある。一緒のツアーに参加していた日本人観光客のほとんどが、この駐車場で待機していた旅行社のマイクロバスで、次の観光地に出発して行った。
さて、私達は北村へ。と言っても道案内がいる訳でもない。地図を頼りに、細い坂道を北へ上がり、北村ギルと名のついた通りを西に歩く。この通りにはさまざまな韓国料理の店が並んでいた。そろそろ、お昼時だし、何処かに入ろうと思っているうちに大きめの交差点にさしかかった。
目的地はこの交差点を北に上がるはず。私達は道路を渡って、北に歩き始めた。少し行くと、立派なお屋敷風のレストランが現れた。駐車場には高級車が止まり、いかにも高そうな店構えである。中を覗き込みながら前を通り過ぎようとしたその時、レストランの門の脇にある管理人小屋みたいな所から一人の男性が声を掛けて来た。何を言っているのか解らない。
『関わり合いになるのも面倒。ここは聞こえない振りして行こう。』
私たちは歩く速度を速めた。すると、彼は小屋から飛び出し、雑誌を手に持って追いかけてきた。私たちに追いつくと、中年の女性とレストランの写真が載っているページを開いて、早口で何か言った。何を言っているのかさっぱり解らないが、雑誌のページのレストランがここだと、言っているようである。
雑誌に載っている女性の方に見覚えがあった。私はバッグから、例の夫に買ってもらった旅行雑誌を取り出した。表紙に彼女が載っている。そして、最初のページに彼女の事が特集で紹介されていた。彼女は韓福麗先生。韓国宮廷料理の第一人者であり、昨年、日本でも放映された韓国の人気ドラマ'宮廷女官チャングムの誓い'の料理監修者としても知られている。
私が旅行雑誌をひらいて、彼に見せると、彼は思いっきり嬉しそうな顔で何か言った。やはり言葉は良く解らないが、ここが、この先生のレストランで、とても、美味しいから寄って行くようにと言っているようである。韓国語の中に英語と日本語が混ざっているのが少しだけ聞き取れた。好奇心が疼き出す。だが、問題は値段。
「What is the price for lunch ? 」
英語で聞いてみた。英語で返ってきた。
「Thirty thousand won」
3万ウォンなら妥協できる。だが、それだけで済むのかしらと少し心配だったが、韓福麗先生のレストランと聞いて、俄然、興味が湧いてきた。よし、昼食はここに決めた。
レストランの名前は「宮宴」それにしても、韓国ではこんな高級店でも客引きするのだろうか。
立山の登山口で、立山連峰を見ても、岩しか見えないように、天橋立で、股覗きをしても、なんの変哲もない風景が見えるだけである。やはり見る場所というものがある。
知恵の輪灯篭を三回くぐった後、天橋立を股覗きで見ることができる天橋立ビューランドの上り口へと向かった。天橋立ビューランドへは、スキー場によくあるリフトと、モノレールが並行して動いている。リフトは待ち時間がほとんどないとのことだったので、昇りはリフトを使った。
スキーを履かずに乗るリフトは初めての経験だったが、なんとかうまく乗れた。また、リフトを降りるとき、スキー板を履かずに、手を離すタイミングが不安だったが、補助員がうまくリフトを外してくれて、これもなんとかうまくいった。
リフトの終点にあるビューポイントから見る景観は、案内パンフレットに載っている写真そのものである。雲と海と、天橋立の曲線美、海岸の白い砂浜、行き交う船の波の跡など、全てが一体となった景観は、なんとも絶妙なバランスで、美しかった。
股覗き推奨の場所というのがあったので、お約束通り股覗きしてみた。頭に血が昇ってクラクラするのを覚えたが、特段変わったようには見えなかった。
看板の説明書を読むと、「頭に血が昇ってクラクラした感じで見ると、天橋立が幻想的に見える」といった趣旨のことが書いてあった。そう言うことだったのかと、改めて股から覗いた。確かに、前と比べて、幻想的に見える気がした。
イッテミア・ミッション「天橋立を股覗きで見る」
昌徳宮は、1405年に朝鮮王朝の離宮として建てられたが、1592年、豊臣秀吉による朝鮮出兵、壬辰倭乱(文禄の役)でほとんどが焼失、敦化門だけが残った。その後、1611年に再建されて、15代国王・光海君から26代国王・高宗まで正宮として使われていたという事である。
1997年には、全人類のために、保護すべき価値が顕著な文化遺産として認められ、ユネスコの世界文化遺産に登録された。
敦化門から昌徳宮に入場すると、小柄な女性のガイドさんから、昌徳宮ツアーの簡単なコース説明があった。分かり易い日本語の説明で、これから始まるツアーが楽しみになってくる。
先ずは、昌徳宮の中心的建物の仁政殿に案内された。その荘厳な佇まい、、殿内の玉座や装飾などを見学し、仁政殿前の役人たちが整列したといわれる石畳に立つと、朝鮮王朝の宮廷内の様子がしのばれる。
続いて、宣政殿、大造殿とガイドさんの後について見学して行く。どの建物も、始めて本格的な朝鮮の宮殿を見る私には感動的であった。
やがて、秘苑と名づけられた庭園に案内された。秘苑は韓国を代表する庭園だそうで、芙蓉池という四角の池が印象的で、日本庭園と似た雰囲気を持ちながら、ぜんぜん違う世界を作っていた。
次に案内された演慶堂は、それまでに見学した建物とは少し違って、飾りのない質素な様子で、日本の寺院に似ていると思った。
ガイドさんの話はどれも興味深かったが、何の予備知識も入れて来なかった私は「へぇ?」と思っているうちに、次へと行ってしまう。ツアーは1時間20分。あっと言う間であった。もし、もう一度、韓国に来ることがあったら、今度はもっとじっくり見学したい。
今年は暖冬だと妻と話をしているときに、天気の良い日に天橋立に行ってみようということになった。なぜ、天橋立なのか、理由は良く思い出せないが、二人とも行ったことがないという単純な理由だったと思う。早速、泊まる宿を決めて、どこをどう観光するかの道順を決めることにした。折角だから、宿は、料理が美味しところが良い。もちろん、料金が手頃であるにこしたことはない。
大変便利な世の中になったものである。妻が、インターネットで宿探しを始めた。探し当てたのが「ペンション自給自足」というペンションである。
ズワイガニが美味しいペンションで、料理も美味しく、量も多くて食べきれないと評判とのことである。
インターネットの地図検索サイトで場所を調べてみた。すごい山奥である。おまけに、ペンションの近くで道が途絶えているではないか。確かに距離的には海は近い。でも、なんでこんな山奥でズワイガニ料理がお薦めなのか不思議な気もする。しかし、口コミ情報の評判が良いのも確かだ。
なにはともあれ、このペンションで宿を取ることにして、観光する場所と道順を決めた。
韓国旅行二日目、天気は曇り、ホテルからタクシーを使って昌徳宮に着いたのは午前十時少し前であった。昌徳宮の敦化門前には、午前十時から韓国語のツアーが始まるので、韓国人の旅行客が大勢並んでいた。 昌徳宮はツアーでしか見学が許されていない。午前十時になり、韓国語ツアーの参加者が敦化門から入って行ってしまうと、門の前が空いた。私と娘はこの時とばかり記念撮影を始めた。
敦化門は西暦1412年に立てられた韓国に現存する最古の門ということだが、独特の模様がカラフルにペイントされている様子を眺めていると、これから始まる朝鮮王朝の文化に触れるツアーが楽しみでワクワクしてくる。
その時、一人の韓国人男性が近づいて来た。
「写真を撮ってあげます。」
彼は流暢な日本語で話しかけてきた。旅行先でこんな話に乗って、後でお金を要求された話を思い出した。
私はさらっと断ってその場を離れようとした。すると彼は私の心を見透かしたように言った。
「お金取ったりしませんから、折角だから二人で撮ったら記念になりますよ。」
そこまで言われると断りきれず、持っていたデジカメを渡した。私と娘が並んで入った写真を2、3枚撮ると彼は私にデジカメを返しながら、娘の横に行き、彼女の肩に手を回して言った。
「私と娘さん一緒に写真を撮ってください。娘さんとてもきれいです。私、一緒に写真を撮りたい。」
これまでの経緯から嫌とは言えず、迷惑そうな顔の娘と彼をツーショットにしてシャッターを切った。
それにしてもこの男、何を企んでいるのだろう。第一、娘はわざわざ写真に撮りたい程の美人ではない。自分が東京に二年余り住んでいた事など、にこやかに話しかけてくる彼に生返事していると、彼はポケットから、名刺と、布切れとチラシの入った透明の袋を取り出し、私に渡しながら言った。
「日本に帰ったら、写真を送ってください。」
私は笑顔を作りながら、いい加減に返事をした。すると、彼は透明の袋の方を指して言った。
「それはめがね拭きです。私は眼鏡屋さんで、私が社長です。そのチラシは私のお店です。是非、店に来てください。安くしてあげるから。」
な?んだ。めがね屋さんの客引きだったのだ。少しほっとしたが、異国での事、警戒するに越したことはない。ツアーが始まるまでもう少し時間があった。私達はお礼を言ってその場を離れようと歩きかけた。
すると、彼は私達に付いて来て、今日の予定を聞いてきた。私達が北村へ行くつもりだと答えると、案内してあげようときた。ここは曖昧にしているといつまでも付きまとわれそうで、鬱陶しい気がした。
「ありがとう。でも、これを見ながら行ってみます。」
私は夫に買ってもらった旅行雑誌をバッグから取り出して見せた。彼は、少し寂しそうな表情をしながら頷いた。・・・案外、良い人だったのかも知れない。
ツアーが始まろうとしていた。私達は敦化門前に並んだ。敦化門前は、いつの間にか日本人観光客でいっぱいになっていた。時間が来るとガイドが現われ、入場が始まった。
今回の韓国旅行に特別目的はなかった。強いて言えば、正月休みをアウェイで過ごしたかったと言うことだろうか。家にいると休みが休みにならない。だから、事前に何の予定も立てて来なかった。
一日目を迷子になりながらも、それなりに楽しんだ私はその夜、明日はどうしようかと思案していた。日本を発つ前、今回、別口で済洲島のカジノへ行った夫が買って来てくれた旅行雑誌、事前に開くこともなく旅行バッグに押し込んできた。それを開いてみる。ソウルは三度目だが、前回までは買い物好きの夫が一緒の買い物ツアーだった。今回、行くなら韓国の歴史に触れることの出来る場所へ行きたいと思った。
よし、明日は韓国歴史探訪の一日にしよう。そう思って見ると、景福宮、昌徳宮、宗廟、北村韓屋・・・旅行雑誌には行ってみたいと思う場所がいくつも紹介されていた。ここと、ここと、・・・自分なりにコースを組み立てながら、旅行雑誌をめくっていくと‘アドバイス'というコーナーに次のような行があるのが目に入った。
「月曜日、火曜日は休館のところが多いので行くなら、水曜日?日曜日に」
なに?っ・・・明日は火曜日。そう思って、もう一度、旅行雑誌を見直すと、ほとんどの施設が火曜日休館であった。火曜日、開いているところを探す。幸い世界遺産に登録されている昌徳宮が開館している。ここへ行こう。それから、韓国の伝統的家屋、韓屋が保存されている北村に行こう。町並みを散策するなら休みは関係ない。
昌徳宮では日本語ガイドツアーがあるということなので、午前十時半のツアーに参加することに決めた。
日本のジニ係数が、0.4983まで上昇しています。0.5はかなりの不平等とされ、日本も米国並みに中間層がくずれ、(金)と(貧)に分かれつつあるようです。
大手スーパーの苦戦もこの中間層の崩壊によるもので、イトーヨーカ堂でさえも、スーパー部門は減益です。
今まで通りの、大衆中間層をターゲットとしたマーケティング戦略では、たち行かなくなる可能性が高まっています。マーケティングを見直し、自社のビジネスモデルを再構築する必要があります。