いつものように寒く殺風景な地下道を富山駅まで歩く。実にもったいない。せっかくの駅前の賑わいが萎んでしまっている。
暗い地下道を通って南口に出て、昼飯は白えび亭で白えび天丼定食にした。席につくまでには少し並ばなくてはいけなかったが、富山に来たらどうしても食べたくなる。白えびの天麩羅が多く乗っており、ご飯になかなか到達しない。金沢の白えび天丼などはこうはいかない。
実は、以前宿泊した北山鉱泉で宿の姉妹に薦められて「苗加屋」という酒を利酒したことがある。利酒した銘柄の中で一番フルーティで私の口にあっていた。買いたいと思っていたのだが、売っている店もなく、いまだに買うことができないでいた。その「苗加屋」が白えび亭前の地酒販売コーナーで売っていた。そして、この地酒販売コーナーは若鶴酒造のアンテナショップだということを初めて知った。
たなみに、「苗加屋」とは若鶴酒造の屋号とのことだ。富山から金沢に帰る途中、砺波IC近くで福光に向かって走ると「苗加」という地名を目にする。いみじくも、若鶴酒造の蔵が苗加にあったことから屋号を「苗加屋」としているとのことだ。地酒販売コーナーのおばさんに色々と話しを聞かせてもらった。帰りにおまけだと「酒粕」をくれた。焼いて酒の肴にしたが、実に美味かった。
白えび天丼定食 白えび亭 富山駅
りんのあか 苗加屋・のうかや(若鶴酒造) 富山砺波三郎丸
肴に、貰ってきた苗加屋の酒粕を焼いた
肴にもう一品。福光の道の駅で買ってきた五箇山の豆腐の燻製
金森
朝の3時に目覚ましを鳴らし、4時前には白山ICで北陸道に乗った。高野山に着いたのは10時半頃だ。朝食や休憩で何度か車を止めたが、約6時間半かかった。やはり高野山までは遠い。
政府が地方創生でバラまいた「ふるさと割」2万5千円をゲットして宿泊費に当てた。(蛇足だけれども、今年度はふるさと割で観光地が賑わったと思う。でも、ふるさと割が無くなったら人出は落ち込むと思う。こういった政策を、その場限りのバラマキ政策というのだろう。そもそも、なんで「ふるさと割」が地方創生に繋がるのか、そのロジックが良くわからない。)
宿は宿坊にした。高野山には宿坊が多い、と云うより、宿坊しかないと言ってよさそうだ。今回の宿は、鎌倉時代の雰囲気のある金剛三昧院にした。
金剛三昧院は、尼将軍 北条政子が、夫・源頼朝と息子・実朝の菩提を弔うために建立しました。高野山のメインストリート「小田原通り」から、ひと筋奥まった、静かな環境にある宿坊寺院です。本尊の愛染明王(あいぜんみょうおう)は、恋愛成就の仏様として、様々な縁を結んでくれるといわれています。また、国宝・多宝塔をはじめ、重要文化財の経蔵、四所明神社など、数々の歴史的文化財を擁しており、高野山の世界遺産登録にあたっては、根幹となる寺院として重要な役割を果たしました。高野山の中でも、いにしえの面影を色濃く残した名刹であり、鎌倉時代の風雅をそのままに伝える格別な雰囲気をたたえています。(金剛三昧院のHPから)
夕食は17時半からと少し早めで、精進料理だ。ビールと日本酒の熱燗を付けてもらった。翌朝は6時に起きて6時半からの30分間の朝のおつとめにも参加した。金剛三昧院は真言宗と我が家と宗派は違うが気にしない。焼香も浄土真宗大谷派の作法でした。
金剛三昧院のご本尊は愛染明王で、ご本尊の両脇に源頼朝と北条政子の位牌が置かれていた。鎌倉時代からのものとのことだった。
愛染明王
当院の本尊、愛染明王(あいぜんみょうおう)像は、鎌倉幕府を開いた源頼朝公が亡くなった際、正室の北条政子が、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏(ざぞうねんじぶつ・今日の愛染明王像)として作成された、当院建立の原点となるものです。(金剛三昧院のHPから引用)
山門 金剛三昧院 高野山
本坊・位牌堂 金剛三昧院 高野山
多宝塔 金剛三昧院 高野山
金森
金沢工業大学の近くにサンニコラというケーキ屋がある。
サンニコラは香林坊にもあるが、野々市扇が丘が本店のケーキ屋さんだ。ホームページに店名の由来が書かれている。
『サンニコラ』は、「サンタクロース」の起源である、聖ニコラスに由来しています。
ヨーロッパでは12月6日を「セント・ニコラスの日」として、聖ニコラスに扮装した大人たちが子どもたちにお菓子を配って歩きます。
「どれどれ、美味しいお菓子をあげようね」 そんな優しい聖人とほほえましい子どもたちの様子をイメージして、『サンニコラ』は誕生しました。
金沢の街を散歩した後、サンニコラに寄ってケーキを買って帰った。
アプリコットタルト
ベカンナッツのブラウニー
金森
現役の頃、人工知能関連製品の開発に従事していたことがある。当時勤めていた会社の研究所では地下鉄の制御システムの一環として推論システムを開発していた。当時、本社の製品企画部署から、この推論システムをビジネス向けにしたシステムを開発して欲しいとの要請を受けた。ひょんなことから、私がその製品の開発担当となった。
一般的なコンピュータシステムは、人間がコンピュータに与えたロジック通りに計算し結論を出す。一方、推論システムは、「風が吹けば桶やが儲かる」的な断片的な知識に確信度といういい加減さを加味する。断片的知識を蓄えていき、それら知識の連鎖で結論を出していく。だから、作ったシステムが正しく動いているかどうか分からないという笑えない話で悩んだこともある。
新しい製品を開発するには、製品の基本仕様も含めた販売計画書を作り、工場幹部の審査でGOが出てから開発ということになる。先ずは開発計画書を作らないといけないのだが、推論システムなど右も左も分からない。制御用推論システムを作っている研究所に通い詰めて、基本仕様をまとめ開発計画書を必死になって書いた。はっきりとした仕様も決めていない内に、研究所に訪れる大手自動車メーカーに推論システムを説明しないといけないとか、大変な思いをした。そうこうしてまとめた推論方式だが、社内論文誌に論文を投稿したら銅賞を受賞し、賞状やメダルを貰った。これには少し驚いた。関連して国内外の特許も取った。
開発した製品は、晴海で開催されていたデーターショーやビジネスショーなどにも出展した。この製品を皮切りに、専門家の知識を獲得する仕組みの製品開発部門として、所属していた部もAI部と名称が変更されもした。当時は他社も同じようなシステムを開発していた。人工知能(AI)は世の中のトレンドでもあった。30年程前の話である。
そして、先日3月11日にGoogleの人工知能「AlphaGo」が世界の囲碁チャンピオンを破ったとのニュースを目にした。人工知能という言葉に、当時のことが思い浮かんだりと、感慨深いものがある。
囲碁チャンピオンを打ち破ったGoogleの人工知能「AlphaGo」を作った天才デミス・ハサビスが人工知能を語る
http://gigazine.net/news/20160311-demis-hassabis-talk-ai/
金森
3時に目覚ましをセットした積りでいた。でも、目を覚ましたのが3時15分、目覚ましは鳴らなかった。最近はスマホの時計アプリを目覚まし代りに使っいる。普段スマホは自動的に深夜に電源が切れ、朝の6時に電源が入るように設定している。スマホの電源が入っていない時は目覚ましアプリも動かないらしい。一つ賢くなった。
4時までに高速道に入れば高速料金が割引になる。慌てて着替えて車に乗ろうとしたが、昨夜からの雪で、車には雪が積もっている。急いで雪かきをして車を出しだ。北陸道白山ICにギリギリで間に合った。
ただ、外は-4℃とかなり冷えていた。加えて吹雪で殆ど前が見えないホワイトアウト状態だった。路肩に車を止めようと思ったが、暗闇の中で雪が光ってフロントガラスに吹き付けてくる。路肩がどこかも判断できない。こんな状態で車を止めれば追突されてしまいそうだった。極力スピードを落として走った。
そんな中、後ろから突如とヘッドライトの明かりが迫ってきて、私の軽自動車を追い越していく。トラックだ。すごく怖かった。追い越したトラックの後を付いて行けば運転しやすいだろうと思ったが、そのスピードには付いて行けなかった。こんな状態が丸岡IC辺りまで続いた。福井ICを過ぎた頃から雪も止んでホットした。
南條SAで一休みし、用意してきたどん兵衛で腹ごしらえをした頃には、空も白けてきた。
奈良に着いたのは8時を回っていた。奈良は北陸とは違い良い天気だった。オランダ屋奈良店でモーニングセットとコーヒーで朝食にした。
金森
義母の四十九日法要は私と妻の二人で済ませた。一つの区切りということもあって、お寺さんにお経をあげてもらい、喪服を着てお参りした。
次の日、幸いにも晴れた。お骨は二人で富山八ケ山の御廟にある妻方の墓に納骨した。お経は自分であげた。
納骨の後、近くの石材店に来てもらい墓じまいの方法や費用などを見積もってもらった。場所的に大型クレーンが必要ということで費用は20万円程とのことだった。自分たちが元気なうちに墓じまいしたいと思っている。
金森
富山県では見慣れた世界地図を回転させたユニークな発想の地図を作っている。この地図を見ていると今まで見えていなかった日本や歴史が見えてくるようで面白いし見飽きない。
環日本海・東アジア諸国図
以下、「富山の今を伝える トヤマジャストナウ」から一部を転載した。
逆さ地図を眺めていると、日本列島は大陸と連なり、日本海を囲む大きな輪の一部のようだ。一方、日本海は大きな湖のようにも見える。富山県は日本海側のほぼ中央に位置し、対岸諸国との交流・交易の歴史を生かして、早くから経済や文化などさまざまな分野で国際交流などに取り組んできた。近年では、日本海とその周辺及び関連地域全体を、生命の源である海を共有する一つのまとまりとしてとらえ、海との関わりを軸にその自然・文化・歴史・経済などを総合的に研究し、地域間の交流を促進し生命の輝きが増す未来を構想する「日本海学」の推進にも取り組んでいる。
平成23年11月には、伏木富山港(伏木港、富山新港、富山港)が日本海側の各港湾を牽引する「総合的拠点港」の5港の1つに選定されたほか、国際海上コンテナ、国際フェリー・国際RORO船(貨物をトラックやトレーラーで搬出・搬入するため、船尾などにゲートを有する船舶)、外航クルーズ(背後観光地クルーズ)の3つの「機能別拠点港」としても選定された。環日本海・アジア新時代のゲートウェイ、日本海側の物流・交流拠点として、さらなる発展が期待されている。
「環日本海・東アジア諸国図」は、富山県刊行物センター(富山県民会館1階ロビー内)で販売中。税込みで1枚300円。送料別途で、郵送も可能となっており、希望の方は、同センターへ(TEL.076-432-3111)
富山県土木部 建設技術企画課では、「環日本海・東アジア諸国図は、見慣れた世界地図の北と南を逆さにしたユニークな発想の地図。柔軟な発想で、環日本海地域の可能性を探ってほしい」と話している。
金森
義母が亡くなって、妻の実家が跡絶えることになる。妻の実家の仏壇と墓を仕舞わないといけない。
我が家は仏教徒で浄土真宗大谷派(お東)だ。ただ、宗派には関係なく、仏教の教えは「家」にはこだわらないようだ。だからか戒名にも「姓」に当たるものはない。また、「人は土に帰るもの」と考えているようだ。
お東の位牌は戒名が書かれた小さな掛け軸で、この掛け軸を仏壇に吊るす。
妻の実家の仏壇を仕舞うに当たり、位牌だけをを我が家の仏壇に吊るそうと思っている。父母の位牌は仏壇に向かって右側に、妻の家の位牌は左側に吊るす。50年前の位牌は巻いて仏壇の引き出しに仕舞う。
妻の実家の墓は崩す。遺骨は全て粉にして、一つの骨壷に入れて、我が家の墓に納めることにした。入らない遺骨は、墓を崩す時に墓石屋さんに頼んで土に返すことにしようと思う。
お寺さんと相談して、位牌や遺骨を移した時は、私がお経をあげるか、お坊さんに頼んでお経をあげてもらおうと思っている。
ちなみに、金沢の骨壷と富山の骨壷の大きさは随分と違う。富山では焼骨を全て骨壷に収骨する。入りづらくなったら、すりこぎ棒のようなもので焼骨を砕いて入れる。一方、金沢では収骨するのは焼骨の3分の1以下と少なく、後は斎場近くで土に返す。だからか、金沢の骨壷の大きさは、富山の3分の1以下だし、墓の大きさも随分と小さい。
また、富山では斎場で遺体を火葬炉入れている間に中陰の法要を済ませるが、金沢では焼骨を骨壷に収骨した後に中陰となる。遺体が火葬炉にある間は、ただ斎場で待って、葬儀場に戻って中陰の法要となる。
東京も全て骨壷に収骨するようだ。骨壷も箱型で大きいと聞く。どうも宗派の違いというよりは地域の風習の違いによるもののようだ。
風習は時代とともに変わっていく。盲目的に風習に従う必要はない。風習は時代に合わせて変えていけばいい。
ただ、いままで話したことは、仏教の場合であって、神道やキリスト教など他の宗教では、まったく異なっているようである。
金森
「スマホの利用料金が高すぎるので、わたしが国民のために安くさせる」と息巻いている一国の宰相がいる。
日本は政治は三流でも経済は一流と言われてきていた。しかし、最近は三流政治家が株式市場に介入し、賃金を上げろだとか、設備投資でお金を使えとか、民間の会社経営までに口を挟む。お陰で、一流と言われてきた日本経済は三流になり下がりつつある。
三流政治家の宰相に言われなくても、スマホの料金は安くなってきている。多分、ドコモ、AU、ソフトバンクなどのキャリアは、このままいけば、通信の土管屋になってしまう。キャリア各社は、道を歩けば携帯ショップに出会うと言われるほど多くなった携帯ショップを、近い将来整理せざるを得なくなると、危機感を持っているはずだ。
世の中の流れは早い。少し前までは、電話番号は契約したキャリアのガラゲーやスマホ本体にくくり付いていた。最近では、番号を持ち運べるようになり、同じ番号でキャリアを変えることもできるようになった。
一方、e-mailアドレスはキャリアにくくり付いており、キャリアを変えれば必ず変更しなくてはいけない。このため、長く使っているメールアドレスを変えるのは大変ということから、キャリアを変えることを躊躇している人も多いと思う。
このスマホで使うメールアドレスの問題は、スマホを他のキャリアのスマホや格安スマホに乗り換える時にも問題になる。また、最近ではスマホなどをカメラ代りに使っている人も多く、スマホの中に蓄えられている写真などの財産の移行が面倒と考えている人も多いのではないだろうか。これが格安スマホに乗り換える阻害要因にもなっている。
しかし、スマホを取り巻く環境は日々変化している。ちょっと工夫すれば、メールやアドレス帳、写真などの財産の移行も苦にならなくなる。そのキーワードはクラウドだ。
私のスマホ環境を簡単に紹介する。
メールはスマホなどにくくり付いているメールアドレスを使うのを止めた。グーグルのGmail(の仕組み)を使っている。Gmailは複数のメールアドレスでメールを受発信できる。もちろんパソコンでもスマホでも使える。アドレス帳もGmailのアドレス帳にしている。これもパソコンとスマホでシンクロするので、パソコンで登録した連絡先はスマホやタブレットでも利用できるし、その逆も可能だ。ちなみに、私が日頃使っているメールアドレスはパソコンからも、出先のスマホやタブレットでもアクセスしている。
また、スマホで撮った写真は、wifiでドロップボックスに転送して置く。一眼レフで撮った写真も一眼レフとスマホをwifi接続して、wifiを使いドロップボックスに送ることもある。ドロップボックスにある写真はパソコンでも見るとこができるし、フォルダを共有している人であれば、自分のパソコンにコピーしたりなど自由に操作できるようにしている。アマゾンで買った楽曲は、常にインターネット経由で聞ける状態になっている。家でパソコンで聞いたりもするし、電車やバスの中でスマホで聞いたりもする。
このGmailやアドレス帳、ドロップボックスやアマゾンで買った楽曲がある場所、あるいは、その仕組みをクラウドと言う。
このように、自分の財産がガラゲーやスマホに縛られなくて済む世の中になっている。お陰で、キャリア以外のスマホ端末やサービスを自由に組み合わせることができる。
スマホ関連費用は・・・
(1) スマホ端末: FLEETEL SAMURAI MIYABI 19800円(税別)
(2) 音声/データ通信 OCNモバイルONE 1600円(税別)月額
(3) 音声通話 FLEETELの通話料いきなり半額 今までの実績600円前後 月額
(ドコモ回線を使っての通話なので音質等はドコモと同じ)
(4) 特別なことがなければ、維持費は月額2200円前後(税別)
(時たまスマホでメールをチェクしたりwebを見て、携帯電話で電話、長電話はスカイプ)
これを安いと思うか、高いと思うかはみなさん次第だ。
三流政治家は通信料をいくらにする積もりだろうか。バートで月額25万円という感覚だから期待はできない。アベ過ぎる
金森
義母の初七日を無事に済ませた。
七日前の6日の夜、床についた時、妻の携帯電話が鳴った。義母が入院していた兼六園近くの病院から、義母の容体が急変したので直ぐに来てくれとのことだった。
着替えて車に乗る。私は晩酌でウイスキーを飲んでいたので、妻が運転して病院に向かった。夜間受付口から病室に入った。心拍計がビッビッと鳴っていた。
先生が「ご愁傷様でした」と言う。確かに、ビッビッとい鳴る心拍計に表示される数字は「0」であった。家族が到着するのを待っていたようである。看護師さんが心拍計を外した。
「蝋燭の火が消えるように、五分前に静かに息をひきとられました。大往生でした」と、先生が話してくれた。
しばし義母と別れを告げた。病室から出て、会員になっている紫雲閣に電話して、遺体を自宅に運んでもらった。遺体を自宅に安置して、これからのことを打ち合わせた。
葬儀社に市役所への死亡届などの手続きをしてもらうのに印鑑を預けた。家族葬にするので、「忌中」は玄関に貼らないし、新聞にも一切掲載しないよう頼んだ。死亡届を提出すれば、義母の銀行口座は凍結されるので、明日の朝一で義母の口座から当面の費用を引き出して置く。明朝一番でやらないといけない事を確認した。通夜や会葬の段取りについては明朝打ち合わせることにした。
我が家は浄土真宗東本願寺大谷派、通称「お東さん」。葬儀社の担当にお寺さんを手配してくれるように依頼した。葬儀会場、お寺さん、火葬場の都合で、通夜、会葬、中陰の日程が決まる。明朝9時頃までにはハッキリさせるとのことだった。親戚にはそれを待って知らせることにした。
葬儀社の担当の話では、お坊さんは三人。ただ、「お東さん」は二人でも一人でもやってくれる。お布施は導師が10万円から15万円で、他のお坊さんは一人5万円。お寺さんと交渉しずらいのであれば、葬儀社でお願いしてみるとのことだった。お坊さんは一人でお布施は15万円で話してもらうことにした。
夜が明けて、通夜や会葬の段取りを打ち合わせる。近所には知らせないことにしたが、直葬にはできない。妻方の親戚だけには知らせることした。妻とは事あるごとに、どうするかを話し合っていた。
祭壇も質素なものを選んだ。お坊さんも一人でやってもらう。故人を偲ぶ中陰の料理は、精進料理ではなくて、お刺身などの入った混合料理にした。久しぶりに合う従兄弟たちと楽しく義母を偲びたいと思ったからだ。
供物は飾らない積りでいたが、親戚から供物をと言われ、せっかくの気持ちを断るのも失礼と思い花かごや果物を飾ってもらうことにした。
通夜には家族を含めて6人。会葬は13人、中陰は12人と小ぢんまりとした葬儀になった。
祭壇は質素なものにした積りでいたが、両脇に供物が飾られて、予想以上のものになっていた。
葬儀費用は中陰まで全部合わせて約130万円。香典はざっくりと50万円。80万円負担となる。これが安いか高いか、私には判断できない。葬儀の費用は、義母の貯金で賄おうと思っている。
世間がどう思おうと、自分なりに滞り無く義母を送れたとに満足している。
いままで、母、父の葬儀と、3回目の葬儀である。今回が一番落ち着いて葬儀に望めた。そして、息子や娘に手伝って貰いながらも葬儀の手順をOJTすることができた。家の宗派の焼香の作法なども伝えることができた。
子どもたちは、今回の葬儀を参考にして、私や妻の葬儀をやってくれることだろう。
金森