義母が亡くなって、妻の実家が跡絶えることになる。妻の実家の仏壇と墓を仕舞わないといけない。
我が家は仏教徒で浄土真宗大谷派(お東)だ。ただ、宗派には関係なく、仏教の教えは「家」にはこだわらないようだ。だからか戒名にも「姓」に当たるものはない。また、「人は土に帰るもの」と考えているようだ。
お東の位牌は戒名が書かれた小さな掛け軸で、この掛け軸を仏壇に吊るす。
妻の実家の仏壇を仕舞うに当たり、位牌だけをを我が家の仏壇に吊るそうと思っている。父母の位牌は仏壇に向かって右側に、妻の家の位牌は左側に吊るす。50年前の位牌は巻いて仏壇の引き出しに仕舞う。
妻の実家の墓は崩す。遺骨は全て粉にして、一つの骨壷に入れて、我が家の墓に納めることにした。入らない遺骨は、墓を崩す時に墓石屋さんに頼んで土に返すことにしようと思う。
お寺さんと相談して、位牌や遺骨を移した時は、私がお経をあげるか、お坊さんに頼んでお経をあげてもらおうと思っている。
ちなみに、金沢の骨壷と富山の骨壷の大きさは随分と違う。富山では焼骨を全て骨壷に収骨する。入りづらくなったら、すりこぎ棒のようなもので焼骨を砕いて入れる。一方、金沢では収骨するのは焼骨の3分の1以下と少なく、後は斎場近くで土に返す。だからか、金沢の骨壷の大きさは、富山の3分の1以下だし、墓の大きさも随分と小さい。
また、富山では斎場で遺体を火葬炉入れている間に中陰の法要を済ませるが、金沢では焼骨を骨壷に収骨した後に中陰となる。遺体が火葬炉にある間は、ただ斎場で待って、葬儀場に戻って中陰の法要となる。
東京も全て骨壷に収骨するようだ。骨壷も箱型で大きいと聞く。どうも宗派の違いというよりは地域の風習の違いによるもののようだ。
風習は時代とともに変わっていく。盲目的に風習に従う必要はない。風習は時代に合わせて変えていけばいい。
ただ、いままで話したことは、仏教の場合であって、神道やキリスト教など他の宗教では、まったく異なっているようである。
金森
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