午前3時、枕元のスマートフォンがけたたましく鳴り始めた。4時までに高速道に乗れば通行料が3割引になる。昨夜の内に荷物は準備して置いたので余裕で白山ICから北陸道に乗ることができた。
もちろん車は軽自動車のホンダNワゴン。遠出は軽自動車にしている。軽自動車だと高速料金も安い。最近の軽は燃費も良く、高速道路でもリッター22kmは走る。乗り心地も普通車と遜色はない。時たまレクサスなどの高級車に乗せてもらうことがある。レクサスなどの高級車は自分で運転するというより、運転は人に任せて、後部座席でゆったりとした気分で乗る車だ。自分で運転して旅をするのなら断然軽自動車がいい。小回りは効くし、車も停めやすい。旅行先では実に重宝する。
南城SAで、家から持ってきたカップラーメンにポットに入れてきたお湯を注いで朝飯にした。
そうこうしながら、家を出てから約6時間後、伊勢神宮内宮の駐車場に車を停めることができた。
金森
ご案内いただいた11月の例会東京からの参加となります。
よろしくお願いします。
私の近況は、
今年の8月の夏は、毎日暑いので、ほとんど家の中に閉じこもっていました。
8/16と20の両日、読売交響楽団の演奏会を聴きに、溜池のサントリーホールに足を運びました。
シューベルト「未完成」、ベートーヴェン「運命」、ドヴォルザーク「新世界」、メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」、ドブォルザーク「チエロ協奏曲」、チャイコフスキー「ピアノ協奏曲」。これら全部の交響曲は、馴染みのある曲ですが、圧巻でした。
至福のひとときでした。
こんどは、上野公園にある東京藝術大学の奏楽堂で開催される藝大の学生が演奏する定期コンサートに通うかなあと思っています。
また、8/22に、絵の題材にしようと、夜景が素晴らしくて、最近人気の「川崎工場運河探検夕涼みクルージング」にひとり参加しました。
結局、絵の題材にはならなかったのですが、多摩川、運河からの羽田空港、離着陸する飛行機、川崎の京浜地区の石油コンビナート、大中小のタンカー、貨物船の眺め良いものでした。
ということで、人生いろいろ楽しんでいます。
9/4、上野の藝大に、藝大主催のチケットを購入しにいきました。そうしたら、キャンパス内がなんだか学園祭の準備モードでした。
9/5?9/8まで、「藝大祭」が開催されるとのいうことで、美術と音楽の両方(?)のアートを愛する私としては、藝大祭は興味津々でした。
9/7に行って、藝大の学生の絵と音楽のアートを楽しんできました。
ということで、東京で、芸術・文化のかおりの人生を楽しんでいます。
竹沢
北陸新幹線は来年(2015年)3月に開業となる。開業に向けて着々と準備が進んでいる。
金沢港では神戸港から運ばれていきた車両が陸揚げされていた。蛇腹のようななった船倉の蓋が巻き取られていくと、車両が縦二列に格納されている。これをクレーンで引き上げて陸揚げする。トレーラーに繋げて白山総合車両基地に運んで整備後、試運転して開業に備える。
警備の人に聞いたところ、神戸港と広島港からの船が運んでくるそうだ。今日の船は神戸港からとのことだった。
金森
孫崎享さんが自身のメルマガ「孫崎享のつぶやき」で次のように語っている。
最後の一文、確かにそうだと思ったので紹介したい。
WSJ「米国人が不幸な5つの理由」を考えてみる。日本人も幸せと感じていない
8 月 22 日報道をみてみたい。
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・ニューヨーク、やや意外かも知れないが、この華やかな国際都市が全米で住民が最も不幸だと感じる都市だという。国勢調査局と疾病管理予防センターのデータを使ってバーバード大学等のリポートで明らかになった。
・不幸と感じる一因は、賃金が上がらず不況時の境遇から脱し切れていないこと。
ある調査では、米国人の36%が退職後の生活のための蓄えがないという。
・マーケット・ウォッチが、米国人がなぜ不幸なのか専門家に聞いたところ、大きな原因が5つ。
・最新電子端末で無駄に時間を過ごしているため
コンピューターは使っていると人間の感情が失われやすい。
・国民の50%がストレスを感じている。
若い人は重い責任を負わされている一方、年配者も健康問題を抱えており、ストレスのかかり具合はあまり変わりない。
・金持ちと有名人のライフスタイル
リアリティテレビや雑誌、フェイスブックなどで有名人の豪華なバケーションを知ることができる。しかし、それを見て気分がよくなる国民はいない
・米国にはシエスタがない。
「米国人は世界有数の働きバチだ」
米国の有給休暇消化率は約50%という。
・多くの米国人は不健康
本来なら肥満を抑制する適度な運動をすれば健康は保てるわけだが、人々は食べ物で自分を落ちつかせようとする。
ギャラップなどが算出している健康度指数では米国人の4分の1以上が自らを肥満と考えている。実際の肥満率は3分の1に近いとみられている。
砂糖の過剰摂取も2型糖尿病の主因とされる。
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これ等の諸条件は日本人にも当てはまる。
生き方を、「自らのモデルを確立せずに、他に依存する」、それが基本ではなかろうか。
わたしもそうだが、多くの人は「会社のため」「学校のため」「国のため」と、自らの思いを所属する組織にすり替えてあやふやにして誤魔化しているように思う。自立していない自分を感じる。日本人には全体主義を許す心情的土壌があるのだろう。
少なくとも「ごの会」は「会のため」「同期会のため」とか「同窓会のため」などといったことは考えないでワイワイやれたらと思っている。ぜひ「それぞれが自分のために同期生と語り合う」、それぞれの思いでごの会に参加して利用して貰えればと思う。「来る者は拒まず、去る者は追わず」
ちょっと理屈っぽいことを言ってしまった。ゴメン
金森
旅先などで何処から来たのかと聞かれて「野々市からです」と答えても、どこにあるのかを説明するのが面倒である。そこで、まずは「金沢からです」と答え、会話が進めば折を見て「実は、金沢の近く野々市からです」と答えることにしている。もっとも「金沢」と言って横浜の「金沢八景」と勘違いされたこともあるのだが。
そんな「野々市」ではあるが、東洋経済が発行する「都市データパック2014年版」の「住みよさランキング2014」で、野々市市は全国で3位の住みよい街と評価されている。(昨年2013年は2位)
□ 3位の野々市市はワンランクダウン
3位の野々市市(石川)は、2011年11月に旧野々市町が単独で市制施行して誕生した、新しい市。2012年ランキングから評価の対象となり、昨年の2位からは順位を1つ下げた。市内に石川県立大学、金沢工業大学が立地していることもあり、平均年齢39.7歳と人口構成は若い。
野々市市は金沢市のベッドタウンとして都市化が進み、幹線道路沿いには大型商業施設が多数建ち並ぶ。金沢市をはじめ近隣から多くの買い物客等が集まるため、「利便度」では全国1位。また、住民基本台帳ベースの人口増加率(2013年/2010年)では全国2位と人口の流入が続いており、住宅戸数の増加と相まって「快適度」でも全国7位の高水準にある。
金沢市の近郊という至便さから介護施設等も充実。さらに、金沢市の20%通勤圏であるため、「人口当たり病院・一般診療所病床数」の指標で同市の数値を採用したこともあり、「安心度」でも2位と、3部門で全国トップ10の好位置を誇る。ただ、学生や若年層世帯が多いため、持ち家世帯比率は低く、「住居水準充実度」では763位とワースト・レベルになっている。
「住みよさランキング2014」トップ50 から引用
ちなみに富山県でランクインしているのは13位の砺波が先頭で、富山は35位。金沢はランク外だ。
金沢
パソコンの前に座っていたらなぜか東高校の校歌を思い出して口ずさんだ。
山中湖で撮った空と雲の上に、北陸道呉羽PA(下り)で撮った剣岳を置いた。左上には前の同期会の時に作った校章を配置した。
黒田 千代美です。ご無沙汰しています。
いつも楽しく懐かしく ごの会を見させて頂いています。
先日 銀座へ出かけて 小さな発見をしたので メールをしました。
首都東京のど真ん中、松坂屋銀座店の裏通りに 小さなお稲荷さんの祠をみつけました。 写真の取り方が悪くてすみません。さすがに正面から 写真を撮るのを はばかれました。
銀座には 並木通りや みゆき通りといった 有名な通りと通りをつなぐように 細い路地が いたるところにあります。 うっかりすると見逃してしまいそうな ビルとビルの谷間を通ってみると、まるで 時代に取り残されたかのような 昔からの呉服屋や 焼き鳥屋が今も 営業を続けています。
路地の入り口に三原小路と書かれた小さな看板がありました。 祠の前では まだ仕事中であろう 初老の男性が 二拍二礼 ちょっと長めにお辞儀をして立ち去りました。
銀座の通りは 夏休みのせいでしょうか、家族連れや 外国から来た人達が やたら目につきました。田舎で のんびりと 歩き慣れた私には 人通りが多いと 歩きづらさを感じます。
銀座にいらっしゃった時には 華やかな銀座とは違う顔の銀座の"路地"を散策してみませんか。
介護で一番つらいのは先が見えないことだと思う。
平成7年に母を亡くした。直ぐに呉羽の父を野々市に呼び一緒に暮らし始めた。父は何年も立たない内にデーサービスに通い始め、帯状疱疹になったのをキッカケに寝たきりになった。家に介護用ベットを入れて介護の日々が続いた。寝たきりになって二年ほどで他界した。約10年一緒に暮した。勤めていた会社を辞めたのも父の介護が理由の一つでもある。
やっと父の介護から開放され、静かな生活に戻ったと思った矢先に、富山でひとり人暮らしをしていた義母が病気になり、富山日赤に入院した。入退院を二度繰り返した。二度目の退院でひとり暮らしは無理と思い、野々市で一緒に暮らすことにした。そろそろ10年になる。四六時中、妻と家で世話をするのは無理だ。父の時もそうだったが、一番困るのは入浴だ。入浴のためにデーサービスを利用し始めてもらった。そしてショートステイ・サービスと、介護サービスを利用しながら、父や義母の介護を続けてきた。
仕事での出張や、旅行なども、介護サービスのスケジュールと調整しながらやってきた。
義母の認知も歳を追うごとに進んできている。いまでは、下の始末もなかなかうまくいかなくなって来ている。ただ本人はまだまだシャキッとしていて、自分で上手くやっている積りでいるので、介護する方は辛い思いをする。
そのして今、ひとつの節目を迎えた。
妻は精神的にも体力的にも限界を感じていた。ケアマネージャーさんの勧めもあり、義母にはグループホームに入所してもらうことにした。妻も気持ちの整理が着いたようだ。
ただ、グループホームは空きが少なく、入所を待っている人も多いようで、なかなか直ぐには入れない。また、本人の様子を見たいと面接のようなものがあった。多分、その施設に馴染めるかどうかを見たのだろう。加えて、本人だけではなく家族との面談もあった。
申し込んでから約六か月、やっと順番が巡ってきた。8月の始めに入所できる運びとなった。施設も見学してきた。暮らしている人たちからも待っていると笑顔で言葉を掛けてもらった。本人は新しいショートステイの施設にきたと思って暮らし始めてくれるだろう。きっと家にいるよりも楽しく暮らしてくれると思っている。
暗く長いトンネルを抜け、少し光が差してきたような気持ちになっている。
金森
長野佐久出身の友人が故郷近くの軽井沢に別荘を買った。近年夏の季節に、この別荘に泊めてもらってゴルフをやるのが恒例となっている。最近は妻も一緒に軽井沢には行が、ゴルフはやらないので別行動ではある。
別荘からゴルフ場のセブンツーへは10分もあれば行くことができる。そんなわけで、始めの一、二年はセブンツーゴルフクラブや静山ゴルフ場でゴルフをやっていた。しかし軽井沢の物価は高い。ゴルフ場も例外ではない。一方、軽井沢から車で30分も走ればお手頃なゴルフ場が散在している。最近ではこれらお手頃なゴルフ場に行くことが多い。
二、三年前にこのメンバーの中にリタイア後の趣味に料理作りを選んだ友人が入った。以来、この友人が作る料理で前夜祭をやることになっている。
ゴルフバックと一緒に、包丁、まな板、中華鍋、食器などなど料理作りに必要なもの一式を東京から運んでくる。包丁も肉きり、出刃、野菜用やベティーなど用途に合わせた包丁だ。この包丁がまたよく切れる。料理で使う魚や肉、野菜なども男買いで仕入れてくる。もちろん費用は割り勘。時間がかかる出汁などは事前に家で仕込んで持ち込む。
何時も午後6時頃からパーティーになる。その準備に午後1時頃から魚をおろしたり、野菜をきざんだりと、仕込み作業が始まる。それを手伝うのが私の役目になっている。シェフから手本を見せてもらって、その通りやるのだが、なかなか上手くいかない。立ちっぱなしの作業で腰が痛くなってしまうが、楽しみの一つにもなっている。
年々メニューが増えて、今年は10品目だった。
そしてもう一つ、驚きのイメバーがいる。三、四年前から参加している。参加時に、92、3歳と聞いていたから、今年は95歳を超えていることになる。現役の社長で会社のホームページにも写真が載っているバリバリの現役だ。その会社の専務が同行する。まるで釣りバカ日誌のハマちゃん、スーさんといった感じだ。
ただ、このスーさんは好奇心満々で、直ぐに新しいものにチャレンジする。メンバーの中でアイホーンやアイパッドを使い始めたのもスーさんが最初だ。みんなが楽しむようにと、アイパッドをテレビに繋げてカラオケ装置にしてくれた。年々このカラオケ装置はグレードアップしていく。
別れる時は
「生きてたら来年もやりましょう」
わたし達も
「生きてらっしたら、また・・・」と応える。
album 軽井沢パーティー2014 https://flic.kr/s/aHsjZkGUWq
金森
金沢から四阿山に行くには、北陸道の上越JCから上信越道を走り須坂ICで下りて行くのが時間的には一番早い。
しかし急ぐ旅でもないので、福光ICから東海北陸道に乗って、高山、安房峠から松本、上田を通って四阿山に入った。時間は少しかかるが距離が短くガソリン代の節約にもなる。
一緒に登山する東京や横浜、黒姫山やら野尻湖などからの友人達とは、あずまや高原ホテルで待ち合わせた。明日は登山ということで前夜祭はほどほどにとは思っていたが、久々の再会ということもあってカラオケ大会など大いに盛り上がった。
翌朝は朝8時頃にホテル横の登山口から入山して往復7時間半の山歩きとなった。歳からすればわたしが一番若く元気なはずだったけれども、下山して記念写真を撮る頃には、膝がガクガクと笑って、立っているのもやっといった情けない状態だった。
しかし緑の中、レンゲツツジや山野草を愛でなからひたすら歩いた時の汗と疲れは気持ちのいいものだ。
金森