介護で一番つらいのは先が見えないことだと思う。
平成7年に母を亡くした。直ぐに呉羽の父を野々市に呼び一緒に暮らし始めた。父は何年も立たない内にデーサービスに通い始め、帯状疱疹になったのをキッカケに寝たきりになった。家に介護用ベットを入れて介護の日々が続いた。寝たきりになって二年ほどで他界した。約10年一緒に暮した。勤めていた会社を辞めたのも父の介護が理由の一つでもある。
やっと父の介護から開放され、静かな生活に戻ったと思った矢先に、富山でひとり人暮らしをしていた義母が病気になり、富山日赤に入院した。入退院を二度繰り返した。二度目の退院でひとり暮らしは無理と思い、野々市で一緒に暮らすことにした。そろそろ10年になる。四六時中、妻と家で世話をするのは無理だ。父の時もそうだったが、一番困るのは入浴だ。入浴のためにデーサービスを利用し始めてもらった。そしてショートステイ・サービスと、介護サービスを利用しながら、父や義母の介護を続けてきた。
仕事での出張や、旅行なども、介護サービスのスケジュールと調整しながらやってきた。
義母の認知も歳を追うごとに進んできている。いまでは、下の始末もなかなかうまくいかなくなって来ている。ただ本人はまだまだシャキッとしていて、自分で上手くやっている積りでいるので、介護する方は辛い思いをする。
そのして今、ひとつの節目を迎えた。
妻は精神的にも体力的にも限界を感じていた。ケアマネージャーさんの勧めもあり、義母にはグループホームに入所してもらうことにした。妻も気持ちの整理が着いたようだ。
ただ、グループホームは空きが少なく、入所を待っている人も多いようで、なかなか直ぐには入れない。また、本人の様子を見たいと面接のようなものがあった。多分、その施設に馴染めるかどうかを見たのだろう。加えて、本人だけではなく家族との面談もあった。
申し込んでから約六か月、やっと順番が巡ってきた。8月の始めに入所できる運びとなった。施設も見学してきた。暮らしている人たちからも待っていると笑顔で言葉を掛けてもらった。本人は新しいショートステイの施設にきたと思って暮らし始めてくれるだろう。きっと家にいるよりも楽しく暮らしてくれると思っている。
暗く長いトンネルを抜け、少し光が差してきたような気持ちになっている。
金森
コメントする