2015年12月の記事一覧

リストラ アベノミクス不況

  • 時事

先日、横浜の会社で一緒だった友人が金沢に遊びにきた。一人は今でもその事業所で働いている。もう一人は関連会社に出ている。彼らは、私が金沢の子会社に移ってからも、仕事を出してくれていた。お陰で金沢や富山での仕事がなくても横浜からの仕事で食っていけた。

私は、横浜の会社では、コンピュータの基本ソフトウェアを開発していた。当時は、神奈川県下に、スーパーコンピュータなどのメインフレームのハードを開発する工場やハードディスクなどの周辺機器を開発する工場、通信機器を開発する工場が点在していた。わたしが働いていた工場だけでも関連会社の人たちも含めて4000人近くの従業員が働いていた。工場といってもソフトウェアの開発(プログラムの作成)であり、主にデスクワークである。

これら事業所は、リーマンショックやITバブル崩壊での不況を乗り切るために、リストラで他社に売却されたり併合されたりしている。今では昔の面影はなく、事業所も一つになっているようである。そんな中でも、私がいたソフトウェア開発部門はリストラによる人員整理、希望退職者の募集などはしてこなかった。

しかし、今回のアベノミクス不況では、とうとう希望退職者を募るリストラに踏み切ったようだ。横浜から遊びに来た彼の話しでは、800人超えの中間管理職が退職者募集に応じているようである。新聞やテレビなどでは報道されていないが。

関連会社に出た彼の会社にも退職者を引き取らないかと打診されているそうだ。しかしそんな余裕はないので、断ろうと思っているとのことだった。

中間管理職が800人退職するということは、それにぶら下がっている関連会社の仕事もなくなる事を意味している。

確かに、私が働いていた金沢の子会社も、子会社の子会社、孫会社になり、ビルも移って資本関係も無くなっている。

そんな折、興味深い3つの記事を目にした。一部を転載して紹介する。

「問題なのは中流以上のポジションにいて危機感の希薄な人たちだ。『ふーん、世の中にはこんな貧乏人がいるのか』『こんな稼ぎで恥ずかしくないのかね』『自分の毛並み、経歴は一級品。間違ってもこんな惨めな人間に落ちぶれることはない』『ただ文句を言っているだけ、自己責任でしょ』。こんな感想を持つ人が多いのではないかと思うが、実はこういう人がデッドラインにいることがある」

 しかも彼らはそのことに気づかないばかりか、消費増税、法人減税、社会保障や生活保護の削減といった、自分たちのセーフティネットを断ち切るような安倍政権の格差助長政策を積極的に支持し続けている。

 彼らに、自分たちこそが将来、強者の餌食になってしまうということをわからせるためには、いったいどうすればいいのだろうか。

年収600万円以上の大企業正社員が突然、貧困に! 低所得者を「自己責任」と突き放している中流クラスが危ない

http://lite-ra.com/2015/12/post-1783.html


「今後、社内であなたに与えられる仕事はありません」

会社から突然こう言われてしまったら、途方に暮れてしまう人も多いだろう。仕事がなくても出社するだけで給料がもらえる、「働かないオジサン」としてのポジションを残してくれるなら、ある意味、素晴らしい優良企業だ。しかし、グローバル市場での競争が激しい昨今、そんな砂糖にハチミツをかけるような話はレアと言える。

日本IBM「社外秘リストラマニュアル」の全貌

http://toyokeizai.net/articles/-/97715


アベノミクス・まさかの消費底割れ/3か月で合わせて-4.0という落ち幅も大きく、東日本大震災時の2011年2~3月にかけての-3.9を超える


自分が勤める会社は大丈夫、勤めていた会社は大丈夫、企業年金の支給も問題ない。ワーキンングプアは自己責任、自分には関係ないと高をくくって安倍政権を支持していると、アベノミクス不況に足をすくわれることになるだろう。

金森

介護離職者ゼロ

  • 時事

安倍首相はアベノミクス第二ステージで介護離職者をゼロにすると宣言している。

最初に聞いた時、介護離職者とは職業として介護に携わる人たちが離職するのをゼロにすることかと思った。しかし、介護で離職する人をゼロにするという意味だった。

先の記事で書いた私のような理由で離職となった人もいるだろう。身近な者の中には、離職に加えて離婚をして富山の実家に帰った者もいた。介護で離職せざるを得なくなる人の事情はいろいろである。

軽々しく「介護離職者をゼロにする」などと言って欲しくない。安倍首相の言うような口先だけの政策で介護離職者をゼロにはできない。

そもそも、アベノミクス第二ステージの「三本の矢」は、いろんな人から指摘されているように、矢ではなく「的」だ。それでもあえて「矢」と言うのであれば、「的」を隠して誤魔化していると言えるだろう。

「介護で離職する人を安価な労働力として使う」と言うのが、安倍首相の本音だろう。それなら「矢」になる。

「介護離職者をゼロ」にするための特効薬はない。あるとすれば、本当の意味の地方分権を進め、地産地消の社会になるよう社会の仕組みを変え、家族が生まれ育った土地で生き生きと暮らしていける社会にすることではないかと、私は考えている。

金森

老々介護

  • 時事

今まで、父や義母の介護をしてきた。そして、これからも義母を介護する生活が続くだろう。そう、介護は先が見えないのが不安のタネでもある。

わたしの誕生日は1月だ。先日、市から「介護保険被保険者証」が送られてきた。介護保険を受給する立場になるというこで、介護される立場になったというだろう。他人事と思っていたが、我が家も老人が老人を介護する老々介護世帯になったと気付かされた。

振り返れば、親の介護が私の人生の節目になってきたようにも思う。横浜で勤めていた頃、妻の父親が難病で長期入院となった。そんな折、勤めていた会社の子会社が金沢で工場(事務所)を開設した。たまたま子会社に仕事をお願いしていたこともあって、所属の上長に頼んで子会社に転属させてもらった。富山への∪ターンではなく、金沢へのJターンになった。両親4人を横浜に呼ぶより、妻と二人で金沢へ行く方が、何かと都合が良いだろうと考えたからだ。

その後、母が亡くなったのを切っ掛けに、父を野々市の我が家に呼んだ。父の介護が必要になり、父の介護度も高くなってきた頃、仕事の関係で、東京や横浜、あるいは、九州や東北などへ転勤といったことも考えないといけない状況になってきた。

このままいけば、父の介護を妻に押し付けて単身赴任ということになる。当時は、まだ義母は元気ではあったが、介護が必要になるのはそう遠くはないと思われた。

根が単純な性格ということもあって、後先のことはあまり考えず、会社を辞めて、今の会社を作った。いままで、なんとか細々と生活を続けている。

これから老々介護をどれ位やっていかなといけないのか見通しは付かない。いままでなんとかやって来たんだから、これからもなんとかやって行けるだろうと考えてやっている今日このごろである。

金森

2020年の東京オリンピックを楽しみにしている人も多いだろう。前回1964年東京オリンピックの時は、わたしは中学生だった。学校から東京オリンピック観戦に行った。国立競技場でサッカーを観戦した。当時はサッカーという競技がどういったものか知らなかったし、高いところから選手が豆のように動いているのを眺めていただけだが、わくわくと興奮した記憶がある。この時の感動を今の世代に味わって貰いたいとも思う。

ただ、素直にそう思えない現実がある。福島原発事故が未だ収束しておらず、放射能被害が未だ拡大し続けている。2020年頃には、世界中が安倍晋三首相の嘘を問題にするようになるのではないかと思っている。

月刊日本1月号掲載のインタビュー記事で、村田光平元駐スイス大使も次のように警告している。

■再び言う、オリンピックからの名誉ある撤退を

―― 福島原発事故により拡散を続ける放射能被害に対する海外の懸念が高まる中、何事もなかったかの如く東京オリンピックを開催できるとは思えません。

村田 私はIOCのバッハ会長に福島の現状について書簡を送り続けています。先日、バッハ会長から返信もいただきました。彼らもこの問題に関心を持っていると思います。

 というのも、IOCに対しては、各方面から福島原発事故が本当に「アンダーコントロール」されているのか確認してほしいという要請が出ているからです。ヘレン・カルディコットさんという医学博士は、1年半前からIOCに対して日本へ中立的な科学者を送り確認することを求めています。

 それ故、もしIOCがこのまま何も動かなければ、非難の矛先がIOCに向かう可能性があります。そのため、IOCとしても、保身のために何らかの行動を取らざるを得ないと思います。

 しかし、IOCにとり一番好都合なのは日本による自主的返上です。その実現を狙って全ての公約を反故にした日本に対し失格の判定を下す可能性をほのめかすことが考えられます。

こんな屈辱的な仕打ちを受けるくらいなら、日本は自らオリンピックから撤退した方がいいことは自明です。私が「オリンピックからの名誉ある撤退」を訴えているのはそのためです。

事故対応に全力投球をしない地球環境加害国という汚名を返上するために、また、被災地の人たちのためにも、日本はオリンピックを返上し、事故の収束の解決に最大限の力を注ぐべきです。

金森

例会20151215

  • 例会

12月15日、富山新富町の居酒屋「ひよこ」の例会に参加したのは

太田、金森、羽黒、高畑、柴田、布目(悟)、竹澤、舘田、山下、田中、大作、長澤(12名、敬称略)

中新も参加予定だったが、前日に腹の具合が悪くなって、残念ながら参加できなかった。

いつものごとく、時間の経つのも忘れて、いろんな話で盛り上がった。隣で飲んでいた人たちには、若干迷惑を掛けたかもしれない。

リタイアして家で悠々自適に過ごしている者もいれば、まだまだ現役で勤めに励んでいる者もいる。物事に対する考えも千差万別で、右寄りの者もいれば、左寄りの考えの者もいる。話題も入り乱れてワイワイとかしましい。

ただ、他の人を自分の考えで染めようと思っている者はいないようだ。それぞれがソレゾレの考えを尊重し、分かり合っているようにも思えた。だからだろう。みんなと話していると心地よい気分になる。

いろんな人生に触れることができ、幅広く、懐が深い。「ごの会」がそんな集まりになればと思う。いろんな人生、思いが行き交う場。だから、ごの会には「世話人」は居るが、「会長」はいないし置くつもりもない。「会のためにならない」とか、「集う人を多くするには」「会としてなにかやろう」といったことは考える必要もなく、そんな考えとは無縁の会だと思っている。「来るものは拒まず、去る者は追わず」だ。

これからも、例会では自分の人生を、思いを、大いに語ろう。このブログにもそんなそんみんなの思いを掲載していければと思っている。遠慮無く、いろんな思いを、ドシドシと投稿してくれることを楽しみにしている。

午後6時から始めて、店を出たのは9時を少し回っていたと思う。高速バス金沢行きの最終は富山駅発9時だったのだが、これには間に合わなかった。高畑たちと富山駅まで一緒に歩いた。高畑は新幹線の改札口で見送ってくれた。金沢まで約20分。流石に早い。金沢駅には小松行きの電車が止まっていた。これに乗って野々市駅へ。後は徒歩で家に帰った。新幹線の料金は高いと思っていたが、いままで、金沢駅からタクシーで家に帰っていたことを考えれば、安いくらいだ。

ところで、新年会をやろうという話が出ていた。富山で同期生がやっている温泉旅館(温泉施設?)でやりたいといった話だったように記憶している。施設名など、何回もしつこく布目に聞き直して覚えた積もりでいたが、スッキリと忘れてしまっている。近いうちに確認して新年会を考えようと思う。

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金森

原爆と原発。放射能被害

  • 時事

若いころ仕事で広島大学に一ヶ月程出張していたことがある。当時は大学とホテルとの行き来だけで観光などといったことはしなかった。原爆ドームを遠目に見ていただけで、原爆資料館も見学したこともなかった。

先日、一度行きたいと思い、心残りでもあった原爆資料館を見学してきた。

広島に投下された原爆は地上600mのところで爆発し、広島を破壊した。その威力は凄まじかった。原爆資料館には投下された後の街の様子を示す資料が展示されている。どれも悲惨なものである。

原爆投下で、全身焼けだだれ、さまよう人々や、瓦礫の山となった市街地の写真には目を覆いたくなった。

ただ、そういった被害もさることながら、広島の人たちを長きに渡り苦しめ続ける白血病など、放射能による健康被害が深く印象に残った。

原発事故での福島の人たちにも同じような健康被害が襲うのではないかと危惧される。福島原発事故による健康被害は、これから顕著になってくるだろう。原爆の放射能被害のように、これからが本番と言っていい。

「食べて応援」などと呑気なことを言って、放射能を軽んじる政府や安倍晋三自民党や公明党の口車に乗っていては後で後悔することになる。自分の身は自分で守っていくしかないと強く思った次第だ。

原爆資料館には白血病で亡くなった「佐々木禎子」さんのことが展示してあった。同じ内容が次のブログに記されている。一部転載して紹介する。

広島原子爆弾による黒い雨により被爆した2才の少女。10年後、急性リンパ性白血病で12年の短い生涯を閉じた

http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/be816448ce07c1c35a73f12370254419

http://friendly756.blog111.fc2.com/blog-entry-129.html より(引用開始)
原爆・原発 2011.08.07

『佐々木禎子物語』
1945年8月6日
2歳のときに広島市に投下された原子爆弾によって、
爆心地から1.7kmの自宅で黒い雨により被爆した。

同時に被爆した母親は体の不調を訴えたが、
禎子は不調を訴えることなく元気に成長した。

1954年8月の検査では異常なかった。
また小学6年生の秋の運動会ではチームを1位に導き
その日付は1954年10月25日と記録されており、
偶然にも自身の命日となるちょうど1年前であった。
しかし、
11月頃より首のまわりにシコリができはじめ、
1955年1月にシコリがおたふく風邪のように顔が腫れ上がり始める。

病院で調べるが原因が分からず、2月に大きい病院で調べたところ、
白血病であることが判明。

長くても1年の命と診断され、
広島赤十字病院(現在の広島赤十字・原爆病院)に入院。

千羽鶴を1000羽折ると願いが叶うと聞き、折り始める。
当時、折り紙は高価だったので、薬包紙を使った。
小さな折り紙は、針を使って丁寧に折った。
しかし、
1000羽折ったものの病気が回復することはなく、
1955年10月25日に亜急性リンパ性白血病で死亡。


原爆は地上600mで爆発 原爆資料館 広島

水をください 原爆資料館 広島

生死の境をさまよう 原爆資料館 広島

黒い雨 原爆資料館 広島


金森

誰しも何らかのコンプレックスを持ちながら人生を生きている。また、コンプレックスを跳ね返すことを、人生を生き抜く原動力にしている人も多いだろう。

ここに、コンプレックスに立ち向かった二人の著名人を紹介する。一人は安倍晋三、もう一人は、松下幸之助だ。

安倍晋三は、コンプレックスを感じる相手を権力でねじ伏せて自分に従わせる。その為には、平然と嘘を言う。コンプレックスを嘘で塗り固める。

方や松下幸之助は、コンプレックスを感じる相手に積極的に教えを請う。知識と知恵を引き出し、それを参考にしながら事を進める。自身のコンプレックスを隠すことはせず、ありのままの自分で生きようと努める。

わたしは、松下幸之助のようにコンプレックスに対峙していきたいと思う。

国のリーダーは国としてのコンプレックスを抱くことがあるだろう。しかし、日本国のリーダーは、安倍晋三のような方法でコンプレックスを解消して欲しくない。安倍晋三は日本国のリーダーには相応しくないと、わたしは思っている。


安倍首相の根深い学歴コンプレックスを父親の番記者と大学の恩師が暴露! 何の勉強もせず保守主義を叫んで...

http://lite-ra.com/2015/12/post-1742.html  (一部引用)
LITETA

『安倍晋三 沈黙の仮面』(小学館)

 それは大学に入っても変わらなかった。大学時代の恩師の興味深い証言が本書には紹介されている。

「安倍君は保守主義を主張している。それはそれでいい。ただ、思想史でも勉強してから言うならまだいいが、大学時代、そんな勉強はしていなかった」

 安倍首相に政治家としての思想などないことはわかっていたが、本書では、ただ幼い頃刷り込まれた祖父・岸の「教え」を盲信したまま、なんの成長さえしていないと批判されているのだ。

 さらに、である。この恩師は「ましてや経済、財政、金融などは最初から受け付けなかった」とまで語っている。また、学友も安倍首相の大学時代を「政治家になる気はなかったのではないか」と証言している。

「本当に後を継ぐ気であれば、もっといろいろな知識を吸収して、"将来、日本はこうあるべきだ"といったモチベーションがあってもよかった。でも当時の安倍君には、そういうビジョンは感じなかったし、その片鱗を語ることもなかった」

 憲法改正やアベノミクスを高らかに謳う安倍首相のビジョンなき"底の浅さ"が証明された形だが、しかし問題は勉強が苦手で、努力もしなかった安倍首相が、現在でもそのコンプレックスを引きずり、その歪んだ思いを首相として現実に政治へ投影していることだ。

 本書では安倍内閣に東大出身者が歴代内閣の中でも極端に少ないことを指摘した上で、安倍首相と付き合いの長い議員の証言を紹介している。

「晋ちゃんは東大出身者とエリート官僚が嫌い。議員でも東大出身者とは肌が合わないのか敬遠する傾向がある」

 自らの学歴コンプレックスに加え、好き嫌い、敵か味方かで政治を執り行う安倍首相だが、最終学歴を経歴から"カットする"という驚くべきこともやってのけている。それは2006年に上梓した『美しい国へ』(文藝春秋)には存在した「成蹊大学法学部卒業、神戸製鉄所勤務を経て、82年に父・晋太郎外務大臣の秘書官に」という略歴が、13年にリニューアル刊行された『新しい国へ』(美しい国へ 完全版)ではそっくり削られてしまっているという。


幸之助は弱みを強みに変えることができた

見せかけの強さから出発してはならない

http://toyokeizai.net/articles/-/94110 (一部引用)
東洋経済online


幸之助が成功した理由とは?(写真:読売新聞/アフロ)

弱さに徹したところが強さになった

こうした厳しさ、強さはどこから出てきたのだろうか。

その強さは、奇妙な言い方かもしれないが、自分の弱さを認識し、その弱さに徹したところから生まれてきたのではないかと思う。

たいていの人間であれば、なるべく自分の弱さを隠そうとする。隠さないまでも、どこかで自分の「優位性」を表現しようとする。弱い自分をどこかで「強く」見せたいと考える。その無理が、逆にその人本来の魅力を失わせる。しかしほんとうの自分を素直にさらけだす者には、魅力が生まれる。そばにいる人の心を開かせ、かえって存在と迫力を感じさせるようになる。

と同時にもうひとつ、松下はその弱さから出発しながら、弱さを現実において「強さ」に変える意思を持っていた。

弱さを強さに変えるためには、どうすればいいのか。日々、一歩一歩を積み重ねていくことである。人に尋ねたほうがいいと思うならば、素直に尋ねる。その日なすべき仕事に、誠実を尽くす。恵まれた能力がないというのであれば、人一倍の熱意でことにあたる。そのような小さなことの積み重ねが、平凡を非凡に変え、弱さを強さに変えてくれる。

このように考えてくると、成功を目指す者が心すべきことは、中途半端に自分ひとりを高きところに置き、見せかけの強さから出発してはならないということである。成功を目指す者が心すべきことは、自分の弱さを直視し、認識し、それを出発点にして、なおかつその弱さを徹底して貫き通し、平凡なことを誠実に熱意をもって積み重ねることによって、本当の強さを生み出していこうとすることである。


金森

今時のお墓事情

  • 雑談

最近、金沢の友人と飲むと、お墓をどうするかといった話題になる。そんなことを考えないといけない歳になってきたということだろう。

私と妻は長男長女で、それぞれの家の墓を守って行かないといけない立場にある。私の父は四男坊で墓は持っていなかったが、檀家の寺に墓地を買っていた。母が亡くなった時に、父と私で墓を建てた。父も今はその墓に入っている。妻方の墓は長岡御廟にある。江戸時代からの墓とのことで、お骨を納める空きが無くなっているとのことだ。

墓参りは、いつもこの二つの墓に参る。

お墓の草むしりなどの維持費も必要だが、これからもお墓を守っていきたいと思っている。

ただ、妻方のお墓の維持は難しいと思っている。義母が亡くなったら一旦このお墓に入ってもらい、しかる後に、墓に納まっている全てのお骨を土に返して、納骨堂で永代供養墓しようと思っている。長岡御廟にある真国寺に相談してみた。50万円位かかるとのことだった。

その友人が、東京の知人が亡くなったとき、葬儀に出れなかったので、お墓にお参りしたときの話しをしてくれた。そのお墓はビルの中にあったそうだ。時代だなぁと感慨深く話してくれたことがあった。

そして今日、次のような記事を目にした。いろいろと考えさせられる。

都心の納骨堂、宗教かビジネスか 想定外の課税で裁判に
http://digital.asahi.com/articles/ASHCV4VSJHCVULFA01H.html?rm=1067 (朝日新聞)から転載


 東京都港区。赤坂見附駅から徒歩数分という都心の一等地に、5階建てのモダンな建物がある。金沢市に本院がある宗教法人「伝燈(でんとう)院」が2年前に開いた「赤坂浄苑」だ。広さ400平方メートル超の敷地に、本堂や、約3700基を収容できる納骨堂を備えている。

 納骨した遺族は、ホテルのロビーのようなラウンジを抜け、2~3階の参拝室へ向かう。参拝ブースは計12あり、ICカードをかざすと奥の納骨庫から骨つぼが入った「厨子(ずし)」が出てくる。生花は供えてあり、掃除もいらない。夜9時までお参りでき、都会のサラリーマンが仕事帰りに手ぶらで立ち寄れる。

 永代使用料は一基150万円、毎年の護持会費は1万8千円だ。将来、護持会費が払えなくなっても、合祀(ごうし)して永代にわたり供養するという。区画の販売は仏壇・仏具大手のはせがわに委託している。売れると手数料がはせがわに入り、残りは伝燈院が建設費の借金返済に充てる。返済が滞らないよう、はせがわは一定数の販売を保証する。赤坂浄苑では、すでに区画の約3割が売れたという。

 ところが、赤坂浄苑の固定資産税をめぐり、宗教法人側が想定しなかった事態が起きている。今年3月、納骨堂として使う敷地と建物の昨年度分の固定資産税などとして、計400万円余りを納めるよう東京都から求められたのだ。

 地方税法は、宗教法人が宗教目的で使う土地や建物は固定資産税などを非課税にすると定めている。寺や神社のほか、墓地も非課税扱いとされてきた。伝燈院は、納骨堂も墓地と同じ非課税扱いと考えていた。しかし都は、赤坂浄苑が宗派を問わず遺骨を受け入れたり、はせがわに建物内で営業を認めたりしていると指摘し、課税に踏み切った。

 これに対し伝燈院は7月、都に課税取り消しを求める訴えを東京地裁に起こした。角田徳明住職は「ほかで課税された例は聞いておらず、我々だけ課税されるのは納得いかない」と話す。「他の宗派の方も受け入れて布教するのは当然。故人のために毎日読経するなど宗教活動に使っている」という。

 宗教法人が運営する納骨堂は2013年度末で約8千あり、5年前より700以上増えた。大都市圏への人口流入と高齢化を背景に、狭い敷地で多くの遺骨を収容できるビル型の納骨堂の新設が相次ぐ。

 こうした新しいタイプの納骨堂が固定資産税の課税対象になるのかどうか、法律に明確な規定はない。都も「課税するかどうかは実態に応じて個々に判断している」という。伝燈院をめぐる判決が確定すれば、ほかの納骨堂への課税に影響する可能性もある。

ログイン前の続き■宗教法人の全役員が葬儀社関係者

 14年に日本で亡くなった人は127万人余。10年間で2割超増えた。墓地や納骨堂の「需要」もそれだけ増えている。

 厚生労働省は、民間が墓地や納骨堂を運営する場合、運営主体を宗教法人などと指針で定めている。営利に走らず、永続的な運営が望ましいとの観点からだ。そこで増えているのが、葬儀業者や墓石業者などが宗教法人と「一体化」するケースだ。

 千葉市内で9月、5千基収容できる納骨堂の建設計画が持ち上がった。来年末の完成をめざす市内の宗教法人は14年春、予定地の一角に古い一軒家を購入した。だが、宗教的な外観の建物はなく、近所の男性によれば、納骨堂計画の案内板が立つまで人の出入りもほとんどなかったという。

 この宗教法人は40年近く前に千葉県八千代市で設立されたが、2年前、県内にある葬儀社の社長が代表役員に就いた。今年10月時点で、宗教法人のすべての役員に葬儀社の関係者が就いている。納骨堂の予定地も、宗教法人が葬儀社から買ったものだ。

 納骨堂の計画に対しては、地元の住民らから「宗教法人の実態が不透明で、十分な説明もない」として反対運動が起きている。住民側の弁護士は「活動実態がほとんどない法人を葬儀社が支配している可能性が高い。宗教法人の収入は多くが非課税になるメリットも大きいのでは」と話す。

 法人の代表役員は朝日新聞の取材に、「土地、建物の取得手続きや支出は適切に対処している」などと文書で回答した。

■各地で税制優遇に着目

 宗教活動へのさまざまな税制優遇に着目した動きは各地にある。

 西日本の建設会社は05年、20億円近い借金を抱えて倒産した。この会社は1980年代に約1ヘクタールの霊園を開発した実績があり、その際、必要となる宗教法人を縁故を頼って取得していた。この霊園が、経営者一族を窮地から救った。

 銀行は、手堅い霊園事業で融資を回収しようと、建設会社の元社長の長男が住職を務めていた寺の宗教法人に借金を負わせた。宗教法人は地元の石材業者に任せていた墓石の販売も自らやるようにして、永代使用料(1基50万~100万円程度)のほかに、墓石代(1基数十万~100万円以上)も入るようになった。

 いま、この宗教法人は、墓石販売や法要など税金がかかる収益事業の売上高が年2千万~3千万円ある。加えて、永代使用料など非課税の収入が約3千万円あり、ここから借金の返済や利子の支払いをしているという。長男の住職は「霊園は建設業ほど競争がない。一生懸命に拝む姿を見せることで信頼され、墓が売れます。宗教活動に力を入れてよかった」と話す。

 関西のある寺では、税制優遇を檀家(だんか)への「便益」に生かしている。寺の敷地には車50台がとめられる場所がある。駐車場なら固定資産税や駐車場代収入への税金がかかるが、税務署には、檀家らが交通安全を祈願する「境内地」だと報告している。敷地には地蔵1体とさい銭箱があり、檀家は車1台につき月1500円の「さい銭」を納める。

 60代の住職は「収入は個人的には使わず、すべて将来の本堂の修繕などに備えて蓄えている。税務署は何も言いません」と話す。(佐藤秀男、松浦新)

■記者の解説 時代に合った「線引き」を

 亡くなる人が増えれば、葬儀や墓にまつわるビジネスも盛んになる。経済産業省の13年の調査によると、葬儀関連市場の売上高は年間2兆円を超えた。一方で、死者を弔う行為は宗教と不可分でもある。信教の自由は守りつつ、課税に際しては、どこかで宗教とビジネスの「線引き」をしなくてはならない。

 宗教法人は、信ずる教義を広め、信者を教化・育成することを主な目的とする団体と規定されている。教義や儀式を通じて社会貢献している「公益性」が税優遇の根拠のひとつだ。

 だが、時代とともに「弔いのかたち」が変化していることが、宗教とビジネスの線引きを難しくしている。核家族化や家族観の多様化で、葬儀はより簡素に、墓も代々の継承を前提としないものが増え、地方では廃寺などが相次ぐ。一方、都会では伝統にとらわれない葬儀のスタイルが広がりつつある。

 寺の経営に詳しい慶応大の中島隆信教授は「宗教法人を公益性の高いものとそうでないものに分け、営利型の法人には民間企業と同じ税率を課す改革が必要」と話す。収益事業の比率や、経営をチェックする外部評議員の有無などが公益性を判断する指標になりうるという。


金森

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ごの会

「ごの会」は富山東高校5回生を中心にした親睦会です。

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