今まで、父や義母の介護をしてきた。そして、これからも義母を介護する生活が続くだろう。そう、介護は先が見えないのが不安のタネでもある。
わたしの誕生日は1月だ。先日、市から「介護保険被保険者証」が送られてきた。介護保険を受給する立場になるというこで、介護される立場になったというだろう。他人事と思っていたが、我が家も老人が老人を介護する老々介護世帯になったと気付かされた。
振り返れば、親の介護が私の人生の節目になってきたようにも思う。横浜で勤めていた頃、妻の父親が難病で長期入院となった。そんな折、勤めていた会社の子会社が金沢で工場(事務所)を開設した。たまたま子会社に仕事をお願いしていたこともあって、所属の上長に頼んで子会社に転属させてもらった。富山への∪ターンではなく、金沢へのJターンになった。両親4人を横浜に呼ぶより、妻と二人で金沢へ行く方が、何かと都合が良いだろうと考えたからだ。
その後、母が亡くなったのを切っ掛けに、父を野々市の我が家に呼んだ。父の介護が必要になり、父の介護度も高くなってきた頃、仕事の関係で、東京や横浜、あるいは、九州や東北などへ転勤といったことも考えないといけない状況になってきた。
このままいけば、父の介護を妻に押し付けて単身赴任ということになる。当時は、まだ義母は元気ではあったが、介護が必要になるのはそう遠くはないと思われた。
根が単純な性格ということもあって、後先のことはあまり考えず、会社を辞めて、今の会社を作った。いままで、なんとか細々と生活を続けている。
これから老々介護をどれ位やっていかなといけないのか見通しは付かない。いままでなんとかやって来たんだから、これからもなんとかやって行けるだろうと考えてやっている今日このごろである。
金森
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