昨日の記事のコメント欄で紹介のあった「シャルダン・ド・サンス」ですが、荒町の交差点から中央病院の方向へ、日出町交差点を右に折れて白銀公園の隣。荒町の交差点から歩いて5,6分の所にあるレストランですね。「富山市白銀町6-23 パークサイド白銀1F Tel/Fax 076-422-2244」
今度の打合せは、金沢でという話もありましたが、「シャルダン・ド・サンス」でやると言うのも一考ですね。
ところで、東京の丸の内ビルディング35Fにある「シャルダン・ド・サンス」の方が有名なようですが、高い所にある分、料金も高そうです。わざわざ東京に行かなくても富山で手頃な値段で、フランスの三ツ星レストランの味を楽しめるというのは嬉しいですね。
土地があって素材がある
素材があって料理がある
料理を楽しむ空間がある
五感で楽しむフレンチの小宇宙
五感の庭
(シャルダン・ド・サンスのホームページから引用)
厚労省研究班が「糖尿病にかかるとがんリスク3割増」といった調査結果をまとめたと26日の各紙で報道している。
糖尿病になっていた人ががんを発症するリスクを糖尿病でない人と比べると、がん全体では男性で27%、女性でも21%上回っていた。男性では、糖尿病の人はそうでない人と比べて肝臓がんで2.24倍、腎臓がんで1.92倍、膵臓(すいぞう)がんで1.85倍とリスクが高まっていた。女性では肝臓がんで1.94倍、胃がんで1.61倍だった。
また、糖尿病にならないように、「糖尿病につながる肥満や運動不足、喫煙といった生活習慣を改めることが、がんの予防にも役立つ」と言った専門家の話も伝えている。
一方、24日の時事通信で、モンペリエ(フランス)で開かれた国際コーヒー科学協会の会議では、「コーヒーは、パーキンソン病や糖尿病などの病気にかかりにくくなる効果があることなどが報告された。」と報じている。
この記事の中に
ヘルシンキ大学の糖尿病専門家は、食事習慣や運動不足が関係する2型糖尿病にかかる危険性は、毎日5、6杯のコーヒーを飲むことによって半減すると語った。さらに、ウィーン医科大学の専門家は、コーヒーは特にがんなどの一連の重大な病気の原因となるDNAの酸化の防止に、果物や野菜よりも一層効果があると指摘した。
とあった。
同期会に参加している者を見渡してみると、年相応に恰幅がよくなっている者も多かったように思う。
また、転がりそうな腹をして、「4年はもたない。次の同期会は2年後にしよう」という者もいた。
そんな弱気にならないで、こういった報道も参考にして、各人身体を自愛して、元気な姿で、次回の同期会で再会しようではありませんか。
話が変わりますが、
私は、81歳の母を連れて、立山黒部(立山駅→扇沢)アルペンルートをまわる1泊2日のたびに出ていました。
2日間、晴天で最高の山歩きでした。
「剣の峰ぞ我が鏡・・・」あの校歌にもある剣岳が間近に雄々しくそびえるさまは、ただただ感動でした。
久々に山の空気のすがすがしさを味わい、立山連邦の山々は「富山の誇り」とあらためて実感しました。
天狗平で撮った剣岳の写真を添付します。(併せて「黒四ダムの放水と虹」の写真も)
HPの更新いつも感心しています。校章の時計には驚きでしたが、校章くんが痛そうです・・・・(感想まで)
デジタルデバイドと言う言葉を耳にしたことがあると思う。
情報技術を使いこなせる「もの」と、使いこなせない「もの」との格差を表した言葉であり、「もの」とは、個人間であったり、国家間であったり、地域間であったりする。
今回の同期会での案内状作りや発送作業といった実作業を、殆ど私一人でできたのも、このブログで同期のみんなと情報交換できるのも、情報技術がなければ出来なかったし、出来ないと思う。
かくかように、インターネットを筆頭にした情報技術は、好むと好まざるとに係わらず、意識するしないに係わらず、我々の生活の中で、なくてはならないものになってきている。
そうこう思っている中で、INTERNET Watch に、行動特性や世代ごと利用動向を分析した「ネットユーザー白書2006」の紹介記事があった。世代別に分析しているところに、特に興味が引かれたので、引用して紹介します。
さらに白書では、インターネットユーザーをメディアとの接触タイミングから、「電脳生活世代」「ネット娯楽世代」「つながり世代」「ネットコンビニ世代」「メディア乗継世代」「ネット格闘世代」「ネット手ほどき世代」「スローメディア世代」といった8つの世代に区分し、各世代ごとにインターネットを利用する際の特徴などを挙げている。
電脳生活世代は、1985?1991年生まれで、高校時代までにブロードバンドと接触した世代。ネット娯楽世代は、1980?1984年生まれで、高校時代にインターネットと接触した世代。つながり世代は、1975?1979年生まれで、大学時代にネットと接触した世代。ネットコンビニ世代は、1968?1974年生まれで、就職期にPCと接触した世代。
またメディア乗継世代は、1959?1967年生まれで、就職期および20代でワープロ、30代でPC・ネットと接触した世代。ネット格闘世代は、1950?1958年生まれで、40代でPC・ネットと接触した世代。ネット手ほどき世代は、1942?1949年生まれで、50代でPC・ネットと接触した世代。スローメディア世代は、1937?1941年生まれで、60代でネットと接触した世代となる。
主な特徴として、つながり世代までは、ブログやサイトの閲覧、チャットや掲示板などを多く利用しており、インターネットをコミュニケーションツールとして活用する傾向がある。一方、ネットコンビニ世代以降は、ネットショッピングやネットバンキング、オンライントレードを多く利用する傾向がある。
「ネットユーザー白書2006」での分析によれば、我々の世代は、「ネット格闘世代」になる。当たっているようにも思うし、当たっていないようにも思う。みなさんはどう感じただろうか。
カレンダと天気予報を掲載した。時計は自分で作ったが、カレンダと天気予報はKinari&Mayさんが無料で配布してくれているブログ用FLASH素材を利用させてもらいました。
ご覧のようにシンプルでセンスが良くて、同期会のブログにすんなりと馴染んでいます。Kinari&Mayさんに感謝です。
なお、天気予報は10箇所まで登録できます。追加登録したい地域があったら連絡画面から連絡して下さい。後2箇所余裕があります。
みなさんお気付きでしょうか。同期会の記念時計を作って、ブログの各ページに貼り付けました。
時計そのものがボタンになっていて、時計をクリックすると同期会のブログが表示されるようになっています。
この時計だけが欲しい方は、連絡画面からその旨メール下さい。折り返しメールに添付して、Windowsで動くプログラム(.exe)にした記念時計をお送りします。
なお、ホームページなどに貼り付けるFlash形式のファイル(.swf)が必要であれば、一言書いてくれれば、そちらをお送りします。
この記念時計を、今お使いのパソコンのデスクトップ上に表示して置いて、ちょっと思い付いた時にクリックして、同期会のブログを見るという使い方はいかがでしょうか。
同期会の会場は2階にあった。 階段を上ったら直に、「東高校3年7組」という案内板があった。
一瞬、「ひょっとして・・・。」と、思ったのだが、我々の同期生ではなかった。事情に詳しい世話人の話によれば、一学年に7組まであった期間は、そんなに長くはなかったとのことである。だから、我々に近い年代のはずだと解説してくれていた。
なんでこんな話をするかと言えば・・・
今日たまたま、同期会が終わった後、会場のトイレで隣に並んで用足ししていた人物を、インターネット上で見つけた。名前は「柳家さん生」さん。写真もあったが、確かにこの顔だった。
浴衣を着ていたので、宿泊客かと思いながら用を足していた。しかし、トイレにいた浴衣姿の人物の友人らしき人達が、「隣の同窓生がどうしたこうした」とガヤガヤと話していた。 そんな話を聞きながら、トイレを出るときに、なにはともあれと思い、握手して別れた。その人である。
ホームページのプロフィールには「昭和50年 富山県立富山東高校卒業」と書いてあった。我々とも年代の近い後輩ということになる。名前の通り落語家として活躍されているようである。
これからも、益々活躍されることをお祈りし、応援したいと思う。
トイレで握手したのも何かの縁。今度は、ちがった香りの洒落た所で、お会いしたいものである。
(そういえば、横浜の思いもかけない場所のトイレで、私の隣で用足ししている人の顔を見たら、同期生だったという経験もある。トイレはめぐり合いの場所なのかも知れない!? )
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佐伯どうしてる? と、カウンターの中を覗き込んだのだが・・・ |
昨夜、ビーフ館での反省会。佐伯夫妻が笑顔で迎えてくれることを楽しみにしながら、店の扉をくぐった。しかし、佐伯君が亡くなっていた。
胃癌で2年半の闘病生活。最後は点滴もせず栄養失調のような状態で亡くなったと紀子夫人が寂しそうに話をしてくれた。もう10年ほど前に彼の所へ焼肉を食べに行って、紀子夫人と急がしそうに働いていた彼の姿が脳裏を掠めた。
高校時代は、写真部に属し、運動会では抜群の瞬発力を生かし、スタートを切ったら、あっという間に後続との距離をとっていた。それがまた懐かしく思い出されていた。
一緒に高校を卒業した仲間の約1割が既に物故者となっているらしいが、残った我々は、若くして先に逝ってしまった友の分まで長生きをしなければいけないと思った。朝から暗い話題になったけど、佐伯君の冥福を祈りたいと思う。あと昨日の議事録は、担当者からのブログ書き込みを待つ。
最初に目に入るのが、校舎の中央にある青いひし形だ。そう確かに、中庭に校章をかたどった池があった。噴水だったかも知れない。鯉は泳いでいなかったと思う。
目を左手に移すと、丁度私たちが在学中に完成した食堂がある。二階に生徒会室があって、私が最初の住人だったんじゃなかったかと思う。
校舎にもいろんな建物が追加されている。周りも随分と変わったようだ。コンビニもある。当時はなかったのではないかと思うバス停も見える。
地図一枚だけど、ちょっとした切欠で、いろんな事が思い出される。明日は、これを肴に・・・。反省会にならなくなるかも知れないけど。
(誰か、校舎や付近の写真を送ってくれないだろうか。このブログにも掲載するのだが・・・)
イッテミア・ミッション「東高思い出の通学路」