来る3月の北陸新幹線開業は楽しみだ。
全国から新幹線に乗ってたくさんの人達が、金沢に訪れてくれるだろう。ぜひ、兼六園などの名勝地や加賀料理など、金沢を始めとして、能登や富山など北陸地方を楽しんでもらえると嬉しい。
でも、ちょっとだけ心配なことがある。と、言うのも・・・
昨年末の兼六園のライトアップ時に思いもかけない光景に出会った。兼六園といえば「徽軫灯籠」が有名で、その灯籠の前で記念写真を撮る人達が多い。多いと言っても普段休日のときでも、灯籠の前の石橋を渡るのに多少の順番待ちがある程度である。
その日は、ライトアップされた徽軫灯籠を撮ろうと思った。徽軫灯籠付近に近づくと、「ここが最後」という行列の最後尾を示す看板を持つ人がいて、徽軫灯籠に行く人達を行列の後部へ誘導していた。行列の進みは止まることなく、ゆっくりゆっくりと進んでいる。多分、徽軫灯籠をバックに記念写真などは撮らせてもらえないだろう。目に焼き付けてゆっくりと進むのが精一杯のように思えた。
また、この時間であれば、客は少ないだろうと高をくくって入ったよく行くおでん屋、戸を開けたら、カウンターはほぼ満席でやっと座れた。他の客はどうも観光客のようだった。
金沢はコンパクトな街だ。金沢を訪れる人が多くなると、こういったことになるのだろう。覚悟しておかなくてはと・・・
金森
能登半島の付け根辺り羽咋に気多大社がある。
気多大社にお参りしていると、スピーカーから「気多大社は越中の一宮でした。」という案内が流れていた。越中と言えば富山県のことだ。
能登国一宮 気多大社 能登羽咋
以前、「なぜ、越前と越中の間に加賀があるのか」を調べ、このブログでも記事を書いたことがある。(越前と越中の間になぜ「越」が付かない加賀があるのか 参照)
このとき、越国が分かれて「越前、越中、越後」となり、越前が大きすぎるので、越前と加賀に分割されたことを知った。能登もこういった歴史の中で越中の一部だったことがあるのではないかと思い、帰ってから調べてみた。
能登国が越中国の一部であった時代、越中国の一宮は現在の気多大社であったが、能登国を分立する際に二宮であった射水神社が越中国一宮とされた。白山比咩神社の社伝『白山記』には、「二神(射水神社)が元々の一宮であったが、新気多(気多神社)に一宮を取られた」とあり、気多大社から分祀して国府の近くに新たに創建された気多神社(新気多)が力をつけ、二上と新気多とが勢力争いをした結果、新気多が勝って一宮を名乗るようになったということになる。延喜式の写本における名神大社の異同もこの勢力争いの結果によるものとみられる。ただし、気多神社は新しく作られた神社ということで、名神大社でありながら射水郡の最後に書かれている。
後に気多神社の社勢が衰え、また、平安時代末の一時、国府が礪波郡に移された関係から、礪波郡の高瀬神社(南砺市高瀬)が一宮を名乗るようになった。一宮について各国一社のみを記す書籍では、越中国の一宮は高瀬神社と記しているものが多いが、だからと言って高瀬神社のみが一宮であるということでもない。江戸時代に全国の一宮を巡拝した橘三喜は、「越中の一宮は礪波郡にあるらしいが、それらしき社は見えず」とし、射水と気多にのみ参って高瀬には参っていない。
中世に書かれた『神道集』では、越中一宮は立山権現(雄山神社(立山町))であると記されている。これは中世以降の立山信仰の普及に伴い、その中心地である立山権現が一宮とみなされたものとみられる。
現在では射水・気多・高瀬・雄山の4社ともが「越中国一宮」とされるが、射水神社・雄山神社は一宮の称を積極的には使用していない。(ウィキペディア越中国から引用)
氣が集まる入らずの森(原生林) 気多大社
能登の人の気質や味付けなど、どことなく富山(特に高岡)に似ていると感じることがある。こうみてみるとなんとなく納得できる。
金森
内灘に住む友人と金沢駅で一杯やってきた。
どこで一杯やろうかとウジウジと妻に相談したら、いろいろ調べてくれた。都ホテルの地下に「白山茶屋」という居酒屋があって、「金沢の新橋」と言われいるいるようだ。と教えてくれた。人気の店のようなので予約した。
最近の都ホテルは閑散としていると思っていたが、白山茶屋はすごい活気だった。カウンターに座ったのだが、後ろの席ではサラリーマンと思しき男女が入り乱れてワイワイとうるさくやっいいる。正に「新橋の呑み屋」だ。
金沢に来る機会があったら声を掛けて欲しい。人生語り合うにはもってこいの店だと思う。
金森
今月11月のはじめに香箱ガニが解禁になった。
11月にもなるとさすがに寒くおでんが恋しくなる。今日は金沢の友人と香林坊大和で待ち合わせて、よし坊でおでんで一杯やった。
よし坊の名物おでんはカニ面だ。
午後6時に待ち合わせていた。妻に買い物帰りに待ち合わせ場所に車で送ってもらったのだが、30分位早めに着いてしまった。ベンチで時間を潰そうと思ったところ、待ち合わせていた彼もそのベンチに座っていた。雨が降りそうで道も混雑しそうだったので早めに来たとことだった。
よし坊のカニ面おでんは美味い。今日のお薦めの酒はなにかと奥さんに聞いたら立山を出してくれた。
金森
金沢の街に出かけたのは午後3時を回っていた。いしかわ四高記念公園やしいのき迎賓館ではいろいろとイベントをやっていたようだが、公園に着いた頃にはイベントの後始末が始まっていた。足元には落ち葉、冬を迎える景色になっている。
帰りに今夜の肴を買おうと香林坊大和の地下に行った。この時間帯は刺身の盛り合わせなどには割引シールが張ってあるので、それを目当てに行く。しかし、刺身売り場には人だかりで中国からの観光客と思われる人達が、割引シールの貼ってある刺身パックを買い物カゴにドンドン入れていて残り少ない状態になっていた。多分、ホテルの部屋でみなさんでワイワイとやるのだろう。残念ながら刺身パックにはありつけなかったが、特売していたハムのセットを買ってきた。
わたしも京都に行った時などは、錦市場にある大丸デパート地下で、京都の地酒や肴を買ってきて、ホテルの部屋で一杯やることが多い。ただ、中国の観光客のみなさんは半端ない行動力だと関心してしまう。
秋 いしかわ四高記念公園 金沢広坂
イベントをやっていた いしかわ四高記念公園 金沢広坂
宵の頃 石川県立美術館 金沢出羽町
宵の頃 金沢21世紀美術館 金沢広坂
金森
金沢尾張町のNHK近くに「むさし」という居酒屋がある。
金沢城公園を歩いた帰りなど、ときたま妻と昼ごはんに寄る。近くには法律事務所などもあり、ビジネスマンも多い。
以前は近江町市場近くにあるNTT近くのビルの1階にあったのだが、半年程前に500メートル程離れた今の場所に町家風の店を新築した。
新築してから初めて、金沢の友人達と「むさし」で一献やった。
金沢の友人が描いた「むさし」の鉛筆絵
下にあるのがお通しで出た金沢の名物「かぶら寿し」・そんな季節になってきた
中央にあるのが甘エビよりも甘いガス海老、金沢の味
金森
性に目覚める頃(大正八年十月)
室生犀星
この犀川の上流は、大日山という白山の峰つづきで、水は四季とともに澄み透って、瀬にはことに美しい音があると言われていた。私は手桶を澄んだ瀬につき込んで、いつも、朝の一番水を汲むのであった。上流の山々の峰のうしろに、どっしりと聳(そび)えているひだの連峰を靄(もや)の中に眺めなら、新しい手桶の水を幾度となく汲み換えたりした。
金沢の西、野々市方向に犀川大橋を渡ったたもとに高野山真言宗のお寺、雨宝院がある。この雨宝院前にある案内板に冒頭の文章が記されている。
室生犀星は雨宝院の住職の養子として、幼少期はこのお寺で過ごした。雨宝院には室生犀星に関連した品々が展示されている。
金森
金沢の街には、無料で休憩に利用できる施設がいろいろある。
よく利用する施設に金沢21世紀美術館がある。「雲を測る男」が見える前にある椅子に座って一休みすることが多い。
そういった施設の中で、今日紹介するのは、片町にある「金沢学生のまち市民交流館」だ。「金沢学生のまち市民交流館」は、大正時代の金澤町家を改修した「学生の家」と、 旧料亭大広間の部材を用いて新設した「交流ホール」の二つの建物からなっている。
そもそもは、学生と市民との交流、情報交換等を通じて学生とまちとの関係を深めるとともに、自主的なまちづくり活動を支援することで、協働による市政の推進を図るのを目的とした施設だ。
ただ、「学生の家」には市民でなくても自由に入れる。有料で会議室などを借りることもできるが、飲食物を持ち込めるフリースペースもある。金沢の街を歩くときなど、大和デパートの地下などで、弁当とお茶を買ってきて、ここでランチするという使い方もあると思い紹介した。毎週月曜日は休館日。
金森
鈴木大拙は金沢が生んだ仏教哲学者である。彼の足跡や考え方を伝えているのが金沢本多町にある鈴木大拙館だ。
鈴木大拙は明治3年(1870年)に本多町で生まれ本名は本田真太郎という。「大拙」は居士号(いしごう)である。居士とは「家に居する士」のことだ。また居士号は、知識・実践において僧侶に準ずる、或いは匹敵する程の力量を持っている人に対して与えるられる称号とのことだ。彼は明治27年(1984年)24歳で「大拙」という居士号を受けている。
彼は大正10年(1921年)51歳から真宗大谷大学(現 大谷大学)教授となり、昭和35年(1960年)89歳まで務めた。
石川県立図書館の脇道を歩くと中村記念美術館がある。その脇に「緑の小径」がある。その木道を歩くと鈴木大拙館に出る。鈴木大拙館脇にあるベンチに腰掛け、鈴木大拙館を眺めながらしばし思索するのが私の金沢散歩のコースでもある。
金森
石川には全国に名の知れた温泉がいくつかある。加賀温泉郷としての片山津温泉、山中温泉、山代温泉、粟津温泉、能登の和倉温泉がメジャーなところだ。そしてこれら温泉街にはいずれも「総湯」がある。「総湯」とは旅館の外にある共同浴場だ。「総湯」という呼び方は、どうも北陸、特に石川での独特の呼び方のようで、市町村が整備している。温泉街の顔にもなっており、銭湯と同じくらいの料金で利用することができる。
片山津温泉では総湯を「街湯」と名づけて柴山潟の湖畔にある。私もよく利用する総湯の一つだ。
金森