今年の立山には雪が少ないように見える。
雑談 一覧
今年のお正月は元旦から3日間、韓国、ソウルで過ごした。初日の出を眺めながら、関西国際空港に入り、午前9時40分発の大韓航空でインチョン空港に向けて飛びたった。インチョン空港までは約一時間半の空の旅である。
インチョン空港からソウルまでは車で約一時間。普段は交通渋滞でその倍はかかってしまうが、元旦は休日と言うことで道路は空いていた。ソウルの宿泊先ロッテホテルに着いたのは午後1時頃だった。
チェックインは午後3時というので、隣接のロッテ免税店を覗いて時間を潰す事にした。円安で、免税店も魅力が無い。一回りしたが手の出るものは無かった。日本のアウトレットモールの方が面白い。道理で最近、アウトレットモールに行くと韓国や中国からの団体が目に付くはずである。
チェックインまでの時間が潰しきれなくて、ホテルに戻り、地下にあるカフェで紅茶を飲んで過ごした。暖房の効いた店内で暖かい紅茶を飲むと急に疲労感を感じた。大晦日は除夜の鐘を聞きながら、大掃除をしていた。ほとんど眠る間もなく、自宅を出て、今ここにいる。睡魔が襲ってくる。
チェックインして、部屋に入った。荷物を置き、靴を脱いで、ベットに横になった。疲労感が心地よい。そのまま寝入ってしまった。
気が付くと、午後6時を過ぎていた。同行していた娘も同じように眠っている。彼女を起こし、ホテル内のレストランで夕食済ませたのは午後8時頃、散歩がてら南大門市場にでも行ってみようということになった。南大門市場までは歩いて十五分ほどである。
地図を片手にホテルを出て、歩き始める。ソウルの夜の電飾は凄い。どちらを向いてもキラキラ、光の世界が広がっていた。少し行くと電飾の壁のようなものが現われた。神戸のルミナリエそっくりである。まさかソウルでルミナリエに出会うとは思わなかった。友達に教えようと携帯電話で写真に撮った。
そのまま、暫らく歩くと、南大門市場に着いた。随分寂れた様子である。お昼ならもう少し活気があるのだろうか。今は東大門市場が主流と聞いていたが、なる程と思わせる。市場の中を一回りしたが買いたいと思うものは何も無かった。
帰ろうと市場を出た。来た道と違う。えっ・・こっちで良いのかな。なんとなく車が流れている方向に歩き始めた。店がだんだん少なくなる。オフィス街のような高いビルが現われ、高速道路が走っている。
地図を広げた。高速道路と今歩いてきた南大門市場の位置から自分のいる場所を推測する。
こっちだ。こっちだろう。夜は東西南北も分からない。いざとなれば今歩いてきた道を市場まで戻って、タクシーにでも乗れば良い。私も娘も脳天気。道は広いし車もいっぱい走っている。大丈夫、大丈夫・・・と言いながら、少し不安になってきた。
このまま冬のソウルの夜をさ迷う羽目になったらどうしよう。そこ此処ある道案内はハングル文字。せめて英語の道案内が欲しい。歩く速度が自然と早くなる。雨が降り始めた。今夜は雨の予定は無かったはず。傘は無い。ちょっと‘泣き顔に蜂’かもしれない・・・と思い始めたその時、Seoul.Sta.と書いた道案内板が目に付いた。走るように道案内板の示す方向に向かう。ソウル駅が見える。‘よっしゃ!’と言葉が出た。
ソウル駅の前まで行く。ここからならあちらの方向のはずと顔を向けた先に美しく光る竜宮城のようなものが見えた。
もしかしたら南大門?・・引き寄せられるように近づくと、まさに南大門であった チャコールグレイの霧雨の夜空に浮かび上がる、ライトアップされた姿は、太陽の下で見るものとは別物に見えた。私達は迷子になっている事も忘れ、暫らくの間、その雄姿を見上げていた。
気が付くと、雨が止んでいた。地図を広げ、南大門をマークする、今歩いてきた道、ソウル駅、高速道路、南大門市場・・・よし、あっちと見上げた彼方に明るい光が見えた。
市庁前広場の光だ。確信に満ちた気持ちで歩き出す。明るい光が近づいて来るにつれ、人も車も増えてくる。韓国は旧正月とは言え今日は休日、たどり着いた市庁前広場は又しても、神戸のルミナリエそっくりのアーチに囲まれ、若者や家族連れで溢れ、屋台も出て、ちょっとしたお祭りだった。
此処まで来れば、ホテルはスグそこ。頭の中に出来ていた不安のしこりが一気に消えた。
ホテルに戻ると午後10時半を過ぎていた。少なくとも1時間は迷っていたようだ。
こうして私の今年は'迷子'で始まった。今年はちょっと心配かも知れない。
広坂の交差点にある真弓坂口から兼六園に入る。坂を少し上がったところに瓢池(ひさごいけ)がある。この瓢池を端から左手に折れながら道なりに歩くと噴水がある。
この噴水は、噴水の裏手というか上にある霞ヶ池(かすみがいけ)を水源としている。この噴水は、池の水面との高低差からくる水圧であがっている。このため、池の水面が低くなると、噴水の高さも低くなる関係にあるが、絶えず概ね3.5m位の高さであがっている。
藩政末期に金沢城内の二ノ丸に水を引くため試作されたようである。日本で最古の噴水とも言われている。
冬の噴水をスナップした。
越前海岸の岸壁には、野生の水仙が群生している。北陸の冬に咲く花はめずらしい。海から容赦なく吹き寄せる冷たい風にもめげることなく花を咲かせる。質素であくまで控えめな水仙には可憐が似合う。
昨年は 年頭に名前を変えた
といっても 「子」を付けただけの事
雪深き頃 故郷の農業家のHPを訪問
そこに集う人々と出会い シニアの会にも入った
紅葉の中 三十八年ぶりに高校時代の友人に再会し
上野の杜にて ダリを満喫
同期会のブログが開始し 旧友との懐かしい交流
中学時代のクラス会の幹事を受け
落葉踏みしめ 丸の内オアゾにて 十年ぶりに親交を暖めた
余韻に浸っている間も無く ?失明騒動?
藁をもすがる思いで 鍼灸治療を仰ぎ 大学病院で再診
今 少し落ち着いている・・・
まだ再会できぬ人々の顔が思い浮かび
もう会うことが叶わぬ人が しみじみ偲ばれる・・・
不安なままに 二〇〇六年も終わろうとしていたー
四十数年ぶりに 幼馴染から便りが届く
『今 東京に居ます 是非お会いしたい・・・』
平成 十九年 元旦
ご無沙汰しています。
今日2月2日、大学病院で再診『顕著な変化はみられない』と診察されて、一安心なところです。
私は緑内障で、10年前にレーザー手術も受けています。
昨年の12月に入って眼圧が高くなり、急きょ日赤の名医に手術をという話になったのですが・・・すったもんだしてその後順天堂の教授に診てもらうことになりました。
せっかくの皆さんの投稿、写真もあまり拝見できなくなり、書き込みもしたいのに残念でなりません。
これからは、時々おじゃまします。
みんさんにも宜しくお伝え下さい。
正月に湯治に行った、八幡平の麓を走っていたバスを贈ります。
先週の27日からロード・ショー公開されているウイル・スミス主演の映画「幸せのちから」は、いままで観たサクセス・ストーリと一味違っていた。
主人公は、実在の人物で、名前はクリス・ガートナーさん。現在は、ガートナー・アンド・リッチ証券会社のオーナーである。また、現在のガートナーさんは高級ブランドのスーツに身をくるみ、マイルス・デイビスのレコードであふれる三軒の豪邸のオーナーであるともいう。
彼は、若い頃、路上駐車違反の罰金(千二百ドル=約十二万八千円)未納で刑務所に十日間服役。出所後は、株式ブローカーの見習いとして子供と一緒にホームレス生活を送る。貧困者用の給食施設で食事を貰いながら、夜は息子と地下鉄や空港のトイレで寝泊まりしていた。
そのようなギリギリの生活の中での株式ブローカーの見習いであったが、一つのチャンスを活かして実績をあげる。その実績が、大手証券会社のトップに認められ、キャリア・アップすることになる。
今まで観てきたサスセス・ストーリは、成功する過程を描き、見ている者を痛快にさせるものが多かったが、この映画は、大手証券会社のトップに認められるまでの苦労の時代だけを描いている。
後に彼は、当時のことを振り返り「私はホームレスだったが、ホープレス(希望がない)ではなかった」と語っているのが印象深い。この言葉を聞いて、映画の中に描かれる彼の生き様を振り返ってみると、なる程と思える。
主人公が、ホテルでテレビを見るシーンがあった。そのテレビ画面の中で、レーガン大統領が経済状況を説明していた。丁度、1980年代の始めころではないだろうか。当時のアメリカの経済状況は、スタブレーションで苦しんでいた時代である。あれから米国はレーガノミックスでスタブレーションから脱却して復活する。まさに、米国の夜明け前の時代である。逆に、日本はバブルの時代へと突き進み、パブル崩壊となって、現在に至る。
映画を見ながら、あの頃はどうしていただろうかと、自分の生き様とダブらせてしまう。映画で描かれる出来事を見ながら、あの時代を懐かしく思うと同時に、感慨深かった。
昨日は、今年一番の快晴となった。こんな快晴は、冬の北陸地方ではめったにない。晴れたときでも山頂に雲が掛かっていることが多く、なかなか思うように立山連峰は見えない。
実は、氷見市のホームページにある遠隔操作ができるカメラで、リアルタイムに立山連峰を見ることができる。
早速、そのページにアクセスした。案の定、朝の内は、立山連峰には雲が掛かっていて、よく見えないようだった。しかし、昼近くになると、その雲も取れて、薄っすらと立山連峰が見えていた。
天気予報では、明日からまた天気は崩れるとのことである。今しかないと思い、カメラを取ってラパンを走らせた。山側環状道路で金沢森本ICに出て、北陸道を富山に向かう。
倶利伽羅峠 (くりからとうげ)を過ぎ、小矢部インターへのカーブを右に曲がったところで、立山連峰が目の前に迫ってきた。この分では、日本海越しの立山連峰も期待できるとワクワクしてくる。
小矢部ジャンクションから立山連峰を右手に見ながら、能越道を終点まで走って、氷見に向かった。
最初の写真は、「虻が島(あぶがしま)」越しに見る立山連峰、真ん中が「唐島」越しに見た立山連峰である。
虻が島越しの写真は、同じく写真を撮りにきていた老夫婦と、どちらからともなく、にっこりと挨拶をしながら、シャッタを押した。
唐島越しの写真を撮った帰りに、幼稚園児を引率する先生と「こんには。良い天気ですねぇ?」と挨拶を交わしながら車に戻った。園児たちは、「わぁ?、きれいだぁ?」とワイワイと私の傍を通り過ぎていった。
最後の写真は、雨晴(あまばらし)から見た立山連峰である。ここでも、地元のおじいさんに、「どう。よい写真撮れた?」「こんなに良く見える日は、めったに無いからねぇ?」と声を掛けられ、挨拶しながら、海越しの立山連峰にしばし見入った。
氷見から高岡に出て、能越道から北陸道を通って家路に着いた。車のステレオからずっと流れていた「一青窈(ひととよう)」の歌が、なぜか似合っていた。
私の勤務する学校は、一般に、あまり知られていませんがこぢんまりと「プロの調理人を育てる機関」(養成期間2年制)として15年の歴史を重ねています。高卒者のための公立の調理師養成所は全国に類を見ない学校です。
先週実施された今年度の卒業実技試験についてPRしたいと思います。
卒業学生は48人。23日に22人が日本料理、24日に10人が中国料理、25日に16人が西洋料理を、それぞれ、自分の得意とする分野で腕をふるいました。
作品は校内に終了後、丸1日、展示公開しました。展示が目的ですので、料理は食べません。
試験官であるホテルなどの講師調理長は、できあがった料理ばかりでなく、作業過程も厳しく採点します。
まず日本料理の完成度の高かった学生の作品を紹介します。
日本料理では天然物の鯛の姿造りと、より人参3つ以上が課題です。
鯛の皮がうまく引けていること。濃いピンク色に雲がかかったようにうっすらと白い皮目が残っているのがよい引き方です。造りの角がしっかり立っていることなどがポイント。
中国料理は伊勢エビの冷凍のものクリーム煮と、トマトの花切りが課題。
ぷりぷりとした伊勢エビに仕上げること、クリームの艶、トマトの繊細な切り具合と花形、伊勢エビを豪華に盛り付ける工夫など、これもなかなか奥深い料理です。
西洋料理は鴨ステーキオレンジソース・人参のシャトーのグラッセが課題。鴨の内部の焼き具合がほんのり「レア」であること、オレンジソースの煮詰め方や、色が適切であること。人参のシャトーの形がきれいになっていて、グラッセの艶、柔らかさなどが評価されます。
それぞれ課題に対して、他に2品献立を自分で考え、片付けもすべて含んで100分で仕上げなければなりません。課題料理と自由献立のバランスももちろん大切です。なお、この献立は、事前に試験官に提出しなければなりません。
2年間調理を学んだとしても、なかなかここまでたどり着くのには大変です。
生徒たちが無事作り終えたとき、2年前の幼い姿と重ね合わせ感慨ひとしおです。教師の醍醐味でもあります。
マジメな学生は冬休みに何度も何度も練習して頑張り、試験に臨んでいます。
さて料理が美味しく仕上がっても器やテーブルコーディネートがうまくいっていないと料理は完全とは言えません。
間際まで食器、ナイフフォーク、箸、テーブルクロスやマット選びに余念がない48人の卒業予定者たちでした。でも実は、彼らはまだ筆記による卒業試験が残っています。
私にとって、彼らのテーブルセッティング作業を手伝うのも、また、楽しいひとときでした。
東京や大阪にも調理師養成の専門学校が多々ありますが定員200人とか120人では、すべての学生がこれほどまで時間をかけて卒業実技試験はできないでしょう。
その点、少人数であれば、卒業まで行き届いた指導が可能です。しかし、施設設備は都会や私立の専門学校にはかなわないのが実情です。でも、日本で一番、費用をかけずに「調理師免許取得可能」な学校なのです。
関心のある方どうぞ、2次入試に、まだ間に合いますので知人にお知らせください。
大学卒もいれば、やり直し組の社会人、定年退職後入学した人も学んでいるユニークな機関です。
最後の写真は西洋料理の評価委員であるレストラン小西オーナーシェフから講評を受けている学生の写真です。
この季節はやはり「おでん」だ。だいこん、がんも、つくね、ばくだん、ロールキャベツと言うのも良い。でも、なんと言っても「かに面」である。
金沢の香林坊にあるティファニーの前の信号を渡って、ちょっと下ったところに「よし坊」というおでん屋がある。何年か前に、某国営テレビで、金沢のおでんとして「かに面」を紹介していたけど、金沢で、「かに面」を食べさせてくれるのは、私の知っている限りでは「よし坊」だけである。「かに面」は、金沢の郷土料理のような誤解を与えるような紹介はまずいと思っている。
まぁ?、理屈っぽい話は別にして、よし坊の奥さんの受け売りだけど、おでんの具には、味を吸う具と、味を出す具があって、この具のバランスが、その店の味。多分、そうだろうと思う。だから、奥さんに教えてもらった店の秘伝の作り方で、自分の家で「かに面」だけを作ってみたところで、やっぱり「よし坊」の味にはかなわない。
そういえば、店の奥さんが、先週、ミスター阪神タイガース掛布さんが、久し振りに店に寄ったとか。富山の高岡で講演会があったが、よし坊のおでんが食べたくて、金沢に宿を取った。ところが、よし坊の名前が思い出せなくて、太洋の加藤さんに電話して、店の名前を思い出したと、嬉しい話をしてくれたと。現役の頃、地方での試合の時に、二人でよくよし坊に来ていたようである。
携帯電話のストラップにするような、KAKEFUと書いてある小さい野球ボールをくれたので、サインをして頂戴と頼んだら、ペン先が太いのどうのと言いながらも、心よくサインしてくれたと言って、そのサインボールを見せてくれた。
その内、掛布さんの経営する店で、かに面を出すようになるかも知れない。でもやっぱり、かに面は「よし坊」。まねはできないと思う。
香箱カニで作る「かに面」が美味しいのだけど・・・。まぁ?、細かい事情は別にして、この時期でないと「かに面」は作れない。冬のこの時期に、来沢あれ。