笑ってしまった。 「幸運を掴め 金のうんこ」
これを飾っておけば、開運・金運。幸運招来 ・・・ かもしれない。粟津温泉のゆのくにの森で見つけた金のうんこだ。 さぁ? "うんを掴め !!"
雑談 一覧
こんにちは 卑弥呼です。
いつも楽しい旅日記や美味しい情報、すばらしい生け花など 楽しく拝見させて頂いています。
私もと思い立ち、デジカメとPCを駆使して我が家の 座敷童子たちを紹介しようと思います。
彼等はフェレットといういたちの仲間です。大きさも手触りもまるで大きくならない子猫です。
専用のハンモックで1日のうちの22時間は寝ています。元来は夜行性のようですが、人にも良く懐きます。
彼等は声帯を持たないので、哭く事ができません。マンション住まいや日中働いている人にはうってつけのペットです。
寿命は5?6年と言われているのに、我が家に来てから5年目になるので、実はもうすっかりおじいちゃんとおばあちゃんなのですが、なぜか話しかける時に赤ちゃん言葉になってしまい、ハッと気付いて苦笑いです。
いつも2匹でおっかけっこをしていてじっとしていることがありません。文字どおりのいたちごっこですね。このように2匹一緒に撮れたのは本当に珍しい事です。
なんとか(?)外来動物に指定されているので繁殖はできません。
我が家の座敷童子達でした。
ゴールデンウィーク最終日、宵のつれづれにコメントいたします。
毎年のゴールデンウィークは前半か後半のどちらかを東京の弟家族の家事を処理するため出かけます。衣類の季節の入れ替え、ゴミの片付け、台所風呂周りの大掃除などをこなすためです。(義妹が死去してから6年間続いています)が、半日は時間を作って美術館巡りをさせてもらっている。
今回は六本木に出来た「国立新美術館」へ足を運びました。
地下鉄大江戸線を六本木で降り、ミッドタウンへ、・・・・
そこで驚いたこと!何と、私と一緒のお上りさんらしき人、人、人・・・
六本木ミッドタウンのなか、どこのショップでも、レストランでも長蛇の列(富山の中心街に人がいないはず。ここにいたのか!・・・冗談ではなくほんと、そう思いました!)
一路、雨の中「国立新美術館」へ、ここでも、人でいっぱい!
国立新美術館は、コレクションを持たず、国内最大級の展示スペース(1万4000平方m)を持つ美術館とか ・・・HPより
黒川紀章デザインの美術館、それ自体が作品と思った。飽きることなく歩き回り観察、鑑賞した私。なんと、3Fには、あの世界的シェフ、フランス料理の伝道師として知られる、ポール・ボキューズ氏(現在80歳程のシェフ)のレストランがある!・・・、日本ではここにのみ出店しているそうだ。¥2500のランチを待つ人の列が30人から40人ほど(これにもまた驚き!)・・・・。是非、賞味したいと思ったが、時間がないので諦めて、お腹ぺこぺこ、をこらえて「異邦人(エトランジェ)たちのパリ 1900?2005 ポンピドー・センター所蔵作品展」の会場へいく。これもまた素敵な展示会場。広い!明るい!人が邪魔にならない!
藤田嗣治の「私のアトリエ」2枚、と「カフェ」の作品が私を迎えてくれた。感激!(私は藤田嗣治に最近はまっています。惹かれるところ大なのです!)
教科書で、よく目にしたピカソの作品、ミロやシャガール等々ゆっくり鑑賞。
やっぱり東京はいと思う。本物が手近あるからだ。充実の時間を得て、帰ってきた。
「国立新美術館」をネット検索すると情報満載である。
一つ分からないことがある。ミッドタウンは防衛庁跡の土地利用とか・・・・
新美術館は何の跡なのでしょう?あの狭い東京によくもあんなに広いスペースが・・・と感心させられたのだ。
kokoさん今度、上京したとき、一緒に行きましょう。(潤)
富山を懐かしむ、富山のあれこれを誇りに思う。これは年のせいでしょうか?
富山の街を歩きながらあちこち懐かしい思い出に浸っていた母を笑えなくなりました。連休中は半分上京、後半は母を連れ立って買い物やドライブで過ごしました。
年老いた母は外出を全て、私に頼るようになってしまい大和や総曲輪へも久しく出かけていませんでした。人通りのまばらな西町・総曲輪、西武デパートの跡を見て嘆き、新しい大和の完成を楽しみに、駅裏の発展ぶりに驚き、車に乗っている間中、昔の街並みを懐かしんで一人で説明していました。この私も思い出を共有できるところがある。年を重ねたんだなあと妙な納得!!
ところで、昨年12月「総曲輪物語ー繁華街の記憶」堀江節子著が出版されました。著者と知己であることから即、手にしましたが、富山を知る戦前世代にも我々世代にも共感しながら読める1冊です。
富山の繁華街と言えば総曲輪通り。2005年、創業110周年を迎えた。昨今の商業環境の急激な変化のなか、再開発が行われ、まちの風景も刻々と変わる。店舗も人も変わる中で、変わらないのは「商いの心」と「進取の気性」。中略・・・・・歴史をひもとこうと古い新聞を繰った。大火、戦災、水害、近隣商店街との競合、大型店進出など、常に危機感を持って果敢に挑戦する商店の姿があった。読み進んでいくと私たち高校時代の総曲輪が懐かしく思い出されます。東高校の帰り、泥で汚れた長靴のままで歩くのが恥ずかしかったあのころ、人混みの中で「あなたに会ったよ!」と言われても気がつかなかったあのころ、いつか、かっこいい彼と総ブラを夢見たあのころ、懐かし?い・・・です。そんな時の経過が嘘のようでもあります。今回の総ブラの目的は初孫の晴れ着を買うためでした(潤)
「総曲輪物語」より・・・・・。
イッテミア・ミッション「頑張れ!! 総曲輪」
みなさんは、今年のゴールデンウイークはどうお過ごしだろうか。
私は、東京で働いている息子が帰省しているということもあって、近場を散策して過ごしている。そんな息子ではあるが、友達と会うのに忙しくて、殆ど家にはいない。思い起こせば、昔の自分もそうだった。
今日は、息子が出かけた後、家で昼食をとって、車で東茶屋街に出かけた。多分、東茶屋街近辺の駐車場は満杯だろうと思い車を止めておく秘密の場所に向かった。そこに車を置いて、ゆっくりと東山界隈の街並みを見ながら東茶屋街に出る。
東茶屋街がこんなに混んでいるのを見たのは久しぶりである。さすがにゴールデンウイークである。東茶屋街には、ここ最近ワインバーとか、いろいろ楽しめるお店ができている。実は、連休前も横浜からの友人と、夜の茶屋街でワインを楽しんだのだ。
そんな東茶屋街を早々後にして、主計町(かずえまち)に出る。最近亡くなった植木等の最後に出演した映画として紹介されていたロケ地が主計町だった。私もニュースでその映像を見たのだが、映画では京都の街並みの設定だったようだ。
この街は、東茶屋街から浅野川と道路を渡らないといけないこともあってか、人通りが少なかったのだが、泉鏡花の作品を朗読して聞かせてくれるお店もできたという事もあってか、人通りも多くなってきている。
そんな主計町から、彦三緑地に抜けて、ツツジを見る。
今年、彦三緑地は整備されたせいか、ツツジのトンネルは味わえなかった。しかし、ゴヨウツツジの葉と白い花が印象的であった。それに、ツツジと一緒に植えられている牡丹が丁度見頃だった。
彦三緑地から尾張町の通りを渡った和菓子の森八の丁度向かえに、昭和初期に建てられたギラリーミタのビルがある。骨董品などを扱うお店である。そのビルに、カフェフレールという喫茶店がある。そこで、コーヒーで一服することにした。
マスターの話しによれば、このお店は、骨董品屋さんの倉庫になっていたところを、二年程前に借り受けて喫茶店にしたそうである。この店には、三枚のステンドグラスがある。このビルが出来た頃からのステンドグラスということである。日本のステンドグラス百選にも選ばれているようである。
マスターは観光客だと思ったのだろう。どこからかと尋ねなれた。近くに住んでいると答えたところ、先ほどのご夫婦も金沢の人だとのことだ。最近、近場の人が増えているそうである。ちょうど喫茶店が全盛期の頃に青春時代を過ごした茶店族が、喫茶店に戻り始めているようである。
ステンドグラスから射す柔らかな光と、マスターとの会話を楽しんで、店を後にした。
この記事のタイトル「富山になぜか富がある」は、今朝の日経新聞の一面にあったの記事のタイトルだ。
「日本一豊かな家計」はどこにある? 北陸のとある県に飛んだ??。と紹介して、記事は続く。
北緯三十六度、東経一三七度。「日本の真ん中」に位置する富山市。平均から突出した統計が満載だ。
▼「平均月収」七十一万円。=日本一 ▼「消費支出」四十万円=全国二位 ▼「こづかい月額」四万五千円=日本一 ▼「平均貯蓄残高」五百六十九万円(富山県)=全国七位
富山の特徴は総働き家族にある。一家で多財布、時間とお金をおおらかに融通しあう富山の家族。さようなら大黒柱、大家族の中でもお互いが経済的に自立して、家長に頼らない家計。最後に、「総働き型のイエコノミーは強靭(きょうじん)だ。」と結んでいる。
団塊の世代の大量退職が始まっている。世の中、少子化時代になって、日本経済の活力減退が心配されている。この記事を読みながら思ったのだが、富山の家族のありようの中に、日本の活力復活のヒントがあるように思える。
記事の中で、富山市の施策もあって、市街地の人口が四十年ぶりに増えたとも紹介されている。総曲輪通りの賑わいも戻ってきそうで、楽しみである。
「戸隠の熱い夏」 |
私は8年ほど前からジャム作りに凝っています。
きっかけは、友人が遊びに来てイチゴジャムを一緒に作ったことからです。
市販のジャムしか食べたことのなかった私は、実の所あまりイチゴジャムが好きではありませんでした。
それが!なんとその美味しさに驚いたのです。
そしてもう一方で、20年前から眼科通いだった私は“眼に良いと言われるブルーベリー”に大変関心を持っていました。
けれど、そんなに沢山のブルーベリーを摂ることは難しく、市販のサプリメントに頼るしかありません。
しかも、市場に出回るのはほんの一時期だけです。
それで、ジャムにしよう!と思った訳です。
色々試行錯誤を繰り返しながら、今年からノンシュガーのレモン果汁入りコンフィチュールにしようと思っています。
コンフィチュールはゆるーい状態の物です。
レシピよりかなり砂糖は少なめにしているのですが、『砂糖を入れないで作ってほしい』とジャム作りを教えてくれた友人が去年提案してきたので挑戦してみたら、とっても美味しくてブルーベリーのみの甘みで充分だということを発見しました。
先日靖国通りの輸入食品のお店で、フランス製のノンシュガーのコンフィチュールを見つけました。
写真に写っている、細長い瓶のものです。甘さが優しいですね。
ブルーベリーにも色々種類があるようで、私は7月に入ったら伊勢丹の契約ファームからのオレゴンのブルーベリーを使っています。2週間くらいしか出荷しないのです。
ある年、無くなっていたのでカナダ産のものを購入したのですが、これがぜんぜん美味しくないし、皮もすぐぐしゃぐしゃになって色も汚いのです。
だから、7月に入ると両手で持てるだけ買って三往復します。それで1年分のブルーベリーコンフィチュールができます。
他にりんごは青森、岩手の農家から購入して作ります。他にはいちごはもちろん、かぼちゃ、にんじん、あんずを作ってみましたがーその他・・・私も作っているという方、教えてくださいね?
究極のところ、果樹園の中で暮らしたい♪のです。
駅前の文化センターでいけばな教室を主宰する友人が教室を閉鎖した。15年ほど前には20名前後いたお弟子さんが、阪神淡路大震災の後、減り始め、2年ほど前から2名になってしまったと言うのだ。
文化センターでは他の教室と合わせて定期的に新聞に折り込みチラシなどを入れて、生徒募集をしているのだが、見学すらないという。
彼女が文化センターから得る収入は月謝の40パーセント。5000円×2名の40パーセントだから1ヶ月4000円の収入である。勿論、経費は全て込み。お稽古のお花も、数が多ければ花屋さんが届けてくれるが、2セット位では届けては貰えない。お稽古は月3回、お稽古の日になると、少しでも安く、お稽古用の花を調達したくて、車を走らせ、花の卸業者まで買いに行く。そして、教室開催時間の3時間はお弟子さんがいなくても、ひとり、教室で待機していないといけない。収入目的でやっている訳でなくても「やってられないわ」となるだろう。
何事にも手の抜けない彼女は、たった二人のお弟子さんを全力でお世話していた。良く頑張ったと思う。
彼女と私は姉妹弟子。師匠が数年前に亡くなった後、他の師匠に乗り換える気にはなれず、彼女の教室の花を分けてもらって、いけばなを続けてきた。私としても寂しい。これからは、彼女が自宅で隔週開いているいけばな教室の花を分けてもらうことにしたが、花を生ける機会が減りそうである。
'いけばな'が趣味の対象として、誰からも振り向かれなくなりつつある。何が問題なのだろう。家元制度とか、師匠と弟子といった時代遅れの徒弟制度にも問題があると思うが、そんなことは中に入ってみないと分からないことであり、そもそも、それ以前に'いけばな'に習いたいと思わせる魅力がないのかも知れない。生活様式、価値観の変化について行っていない現状があるのだと思う。
実は昨日、あるイベントに飾られた花を大量に貰った。その花で、いつもとは少し違う雰囲気で生けてみた。多分、これからの世代に受けるのはこんな花だろうと思う。
富山市役所の広場の鯉のぼりが、気持ち良さそうに風に舞っていた。
親子元気に仲良く洋々と泳いでいる。暫し見入っていたが、飽きなかった。