日本を安倍晋三自民党が目論むような「戦争をする国」にしてはならない。
金森
富山県立富山東高等学校5回生親睦会
NHK NEWS WEB
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160525/k10010534891000.html
共産党の志位委員長と生活の党の小沢代表は金沢市で共同で記者会見し、安倍総理大臣が夏の参議院選挙に合わせて「衆参同日選挙」に踏み切る可能性もあるとして、野党間の連携を強化する必要があるという認識を示しました。
共産党の志位委員長と生活の党の小沢代表は25日、そろって金沢市を訪れ、初めて共同で記者会見しました。
この中で、共産党の志位委員長は、夏の参議院選挙について、「32の『1人区』で野党側の候補者を一本化できると思っている。『衆参同日選挙』は邪道だが、安倍総理大臣は邪道を邪道と考えない政治家だ。しっかりとした備えが必要で、小選挙区での野党共闘の態勢を作り上げたい」と述べました。
また、志位氏は、安倍内閣に対する不信任決議案について、「野党4党の党首会談で合意したのは、不信任決議案の共同提出に向けて検討するということまでで、それ以上でも、それ以下でもない。よく相談してやっていきたいということに尽きる」と述べました。
生活の党の小沢代表は「野党の立場としては『衆参同日選挙』あるべしという心構えが必要で、私は同日選挙の可能性はまだあるのではないかと思っている。不信任決議案については他党の皆さんに最終的には同調する」と述べました。
小沢一郎事務所のツイート
https://twitter.com/ozawa_jimusho/status/735384129865449476?lang=ja
本日、しばた未来さんの応援のため、金沢駅東口で4党合同街頭演説会を行いました。参院選一人区初の共同街宣です。この国の議会制民主主義を守るため、野党共闘に全力で取り組んで参ります。多くの方に足をお運びいただき、心より感謝申し上げます。
金沢で4野党共同街頭演説。民進近藤県連代表、社民盛本県連合代表、生活代表の小沢さんと一緒に、しばた未来さん必勝を訴えました。
「しばたコール」が起こり凄い熱気!
小沢さんと一緒に選挙で訴えるのは初めてですが、息がピッタリ合いました!
金森
わたしは共産党支持者ではない。政治的にはノンポリと言えるだろう。
共産党にはあまり良いイメージは持っていなかった。主張は理解できるが実現性に乏しいし、個人の考えを一方向(党の考え)で拘束し強制する党といったイメージで捉えていた。
選挙では当選するしないは関係なく、唯我独尊で候補を立てていた。結果的には権力政党への批判票を分散させるだけに終わっていたように思う。その意味からは、うがった言い方になるが、「自民党を勝たせる支援政党的存在」だったようにも思う。
ところが、夏の参議院選挙では、共産党は32選挙区で立候補するのは香川県選挙区だけである。他の選挙区では全て他の野党候補の応援に回るといっている。
日本を戦争する国にしないために。独裁者安倍晋三から日本を取り戻すために。共産党の本気度に目頭が熱くなる。
あの保守そのもの豪腕と言われていた小沢一郎は、以前から、自公政権を倒すには「オリーブの木」での野党共闘しかないとして動いていた。その呼びかけに応えてかどうかわからない。しかし、共産党が夏の参院選て小選挙区に候補を立てないと聞いて、驚きとともにその決断に頭がさがる思いでいた。
野党共闘を誰が先に言い出したかなどはどうでもいい。共産党の決断と、実行力には敬服する。
「小異を捨てて大道につく」。いや、自公政権、安倍晋三から日本を取り戻すために「大異を捨てて大道につく」だ。
■志位和夫・共産党委員長
32の参院選1人区での野党統一候補がすべてで実現する見通しがついた。正直に言うが、この方針を提案した際、ここまで(野党共闘が)前進できるとは想像していなかった。うれしい「想定外」だ。香川県では共産党の候補に一本化する方向になった。選挙共闘、いよいよ力が入る。32全部で自民党を打ち負かしたい。
最近、(行政の長である)安倍(晋三)さんが「私は立法府の長だ」と言っている。びっくりだ。この発言がもし勘違いなら、繰り返し言っているので、お粗末な総理大臣ということになる。もし本気で言っているのなら、気分は独裁者ということになる。(立法、行政、司法の三権がそれぞれ独立するという)三権分立の否定になる。自分が憲法によって縛られているという自覚がない人が、総理大臣をやっている。こんな恐ろしいことはない。このような救いがたい人物にはお引き取りいただくしかない。(22日、JR名古屋駅前での街頭演説で)
野党共闘の前進「うれしい想定外」 志位・共産委員長(朝日新聞DIGITAL)
http://www.asahi.com/articles/ASJ5Q5SQ2J5QUTFK009.html
金森
5月15日は、参加者30余名。朗読もあり、立体的な講演でした。参加者からは
「学童疎開について理解が深まり、二度と戦争を起こさないこと、
憲法9条を含め現憲法の大切さを感じたこと、
7月の参議院選挙が極めて大切であること、
若い世代に継承していくことの大切さ」
などの感想が出されました。
講演会資料(PDFファイル)は こちら からダウンロードできます。
田中
大野湊神社(おおのみなとじんじゃ)とは、猿田彦大神を祭神とする神社である。
大野湊神社の始まりは、神亀4年(727年)、陸奥の人、佐那(さな)が航海中に猿田彦大神を拾い上げ、大野庄真砂山竿林(おおのしょうまさごやまさおのはやし)に既にあった神明社(祭神・天照大神)の傍らに一祠を建立し勧請したのが始まりとされる。
また、大野湊神社には、加賀藩2代藩主前田利長が慶長5年(1600)関ヶ原の戦で戦勝し、その記念に同9年から現在に至るまで連綿と神事能が継承されており、今年は四百七回目とのことだった。
天気も良かったので、醤油の町として知られる大野地区にある大野緑地公園に散歩に出かけた。公園の隣りには大野湊神社があり、祭りのようだった。太鼓の音に引き寄せられるように神社の裏手から境内に入った。
丁度、神事能が始まるところだった。運良く舞台正面一番前の席が開いていたので腰掛けた。奉納される能「高砂(たかさご)」を鑑賞した。
阿蘇の神主友成が播磨の高砂の浦に立ち寄ると、松の木陰を清める老人夫婦に出会う。老人はこれが相生の松であると教え、自分は摂津の住吉の者で、この姥が当地の者だから詳しく知っているという。老夫婦は、妹背の仲は住む所などにかかわりがなく、高砂の松と住吉の松も、相生の松といって夫婦の松なのだという。
この二つの松は『万葉集』『古今和歌集』の二集にたとえられ、松の栄えは和歌の言の葉の栄えを意味し、天下泰平の象徴だといい、自分達は松の精であると正体を明かし姿を消します。〔中人]
友成は浦の男に舟を新造したので神職の方に乗りぞめをしてもらいたいと頼まれ、その舟で住吉へ行くと住吉の明神が現れて、壮快な舞〈神舞〉を舞い、天下泰平を祝福します。
長寿の夫婦の能なので、婚礼などの祝儀に小謡としてよく謡われます。
(第四百七回 大野湊神社神事能 チラシから引用)
金森
次の練習日にはやっと、手旗を教えてもらえると聞いて、今度こそと良夫は心待ちにしていた。
ところが、せっかくのその日に警戒警報が発令されてしまった。警報が出されればすべての行事は中止となってしまう。去年の初空襲の時、警報の発令が後手にまわってしまったのに懲りてか、このところ頻繁に警報が出される。
たいていは空襲警報までには至らず、警戒警報まで解除になるのだったが、そのとばっちりで海洋少年団の訓練はほとんど進まなくなった。相撲大会もやはりお流れになってしまった。
良夫たちが海洋少年団として公式の行事に参加できたのは、山本元帥の国葬だけだった。
連合艦隊司令長官の山本五十六が南方戦線で戦死したと伝えられたのは、良夫が六年生になって間もなくだった。
良夫は以前、山本元帥についての記事を少年雑誌で読んだことがある。元帥が病気のお母さんを見舞いに帰ったとき、茶筒を使って上手にアイスクリームを作り、食べさせました、と言うくだりが妙に良夫の心をひきつけた。
この頃はもうアイスクリームはめったに口に入らなくなっていたからだ。
その頃、中国戦線で戦死した指揮官の事を書いた「壮烈加納部隊長」などの戦記物がいくつも載せられていて、良夫はいつも読んでいたから、同じように山本元帥の戦死も華々しい討ち死にとして受け止め、感動していた。
むしろ良夫にとって衝撃的だったのは、ソロモン海域の海戦で、初めて日本の戦艦が沈められたニュースを聞いた時である。ラジオの報道は確かに「我が方、艦齢外の戦艦二隻、沈没せり」
と伝えた。良夫はさっそく彰に聞いてみた。
「兄ちゃん、艦齢外ってどういうことだろ」
「うん、たしか、建造してから二十年以上経ったということじゃないかな。もう古くなった物だよ」
「ふうん、それじゃ、扶桑とか、山城あたりのことかな。陸奥や長門のことじゃないよね」
「うーん、そうだろうなあ...」
巨大な戦艦が熾烈に撃ち合った末、火炎に包まれて沈んでいく光景を良夫は想像した。それは壮絶であると共に、戦慄すべき事実であった。
十隻の戦艦群は日本海軍の力の象徴であり、良夫たちの憧れの的だった。その二隻を失ったのである。
「まだ新しく造った戦艦だってあるんだよねえ。新聞の写真に出てたのがそうだよねえ」
「ああ、あれな、そうだと思うよ」
公表はされていないが新鋭の戦艦が造られていると言う噂は一般に広く信じられていた。
良夫はそれを頼りに何とか衝撃を和らげ、自分を納得させようとした。
提督山本五十六の死については、みずから陣頭に立って戦い、名誉の戦死を遂げた者として、むしろ爽やかに受け止めていた。
元帥の葬列は軍楽隊を先頭に、荘重な足取りで粛々と進んできた。良夫は制服制帽に身を固め、儀杖を手にして晴れがましい気持ちで沿道に直立していた。
葬列の中ほどに真っ黒な砲車が引かれ、その上に元帥の遺骨が置かれている。その前後を多数の海軍将兵が警衛し、さらに後尾に陸軍の歩兵部隊が付き従っている。
陸兵はいずれも弔意を表す意味で銃を担わず、帯革を肩にかけ、銃口を下に向けていた。かなりの数がゆっくり歩いていくから、通り過ぎるまでがずいぶん長く感じられた。
翌日の新聞によると、随従の歩兵は一個大隊とあった。
解散して帰る途中、明治神宮の参道入口でドングリを炒って売っている屋台があった。アラレを炒る金網のなかにドングリを入れてガラガラ廻している。
ドングリの弾ける音がして、香ばしい匂いが鼻を打つ。
小さい頃、ドングリの中身をほじくって口に入れてみたら、嫌に渋かった憶えがある。
「へえー、ドングリなんて食えるのかな...」
「一袋買ってみようか」
炒ったドングリは意外にうまかった。
あとがき
この小説は一九四二年から五〇年までの間、すなわち戦中戦後のはなしである。今から七十年近くも前の事であるから、若い人たちから見ればほとんど歴史小説と言ってよいかも知れない。しかしだからこそ、あの動乱激変の時代を体験した者の責務として書き残しておくべきだと考え、記憶のうすれないうちにと二十五年ほど前に同人誌「浮標」に連載したものである。言うまでもなく主人公は作者と等身大であるが、多少は脚色されているし、他の人物も同様といえる。それをこのたび一冊にまとめて出すことになった。
声をかけてくださった金森喜正氏に改めて謝意を表したい。
二〇〇七年 八月
市野倉 三郎
市野倉氏少年期の戦争体験を小説として出版したことがある。アマゾンを始めといて全国の書店で購入できる書籍として出版した。
ただ、現在は書店から返品された若干の在庫は手元にあるものの、販売はしていない。(アマゾンでは中古品がプレミアム価格で販売されているようだ。)
蛇足
先の記事「半世紀ぶりの聴講」に触発されてこの記事を書いた。
実は、市野倉氏は東京大空襲で「学童疎開」されていたことがある。後に教師となって学童を教えておられた。定年後に「学童疎開」のころのことを書き残して置きたいと相談され、上梓のお手伝をした。学童疎開での子どもたちが淡々と描かれている。
金森
東高校時代の恩師、須山先生の話を聴く機会があるということで思い切って出掛けてきた。我々5回生は昭和44年(1969年)卒業で47年の歳月が経過している。須山先生には地理の授業を受けており、それは1年時であったと思う。なんと半世紀が経過したことになる。
満81歳になられたとのこと、しかし髪も黒々穏やかで静かな語り口は50年前と全く変わらない。
定年退職されてから、ライフワークの一つとして10年間余り「学童疎開」を研究されているらしい。
先生の主張はズバリ、学童疎開させられた子供達が戦争の大きな犠牲者でなかっかたかということ。勿論230万人の軍人、80万人の一般国民の命が奪われ、そのうえ国富の3分の1が失われた事実は忘れてはならない。
終戦の直前約1年半の間に、東京の渋谷区・大田区・品川区の国民学校生約15000人が富山県に「学童疎開」してきたらしい。大きな理由は、激しくなった空襲を避けるためであった。しかし富山は東京より多少食糧事情は良かったものの、いわゆる「いじめ」や慣れない生活環境で多くの「疎開児童」は富山に良い印象を持っていないという。この辺の事情は柏原兵三の「長い道」や藤子不二雄Aの漫画「少年時代」に克明に描かれている。
結論、須山先生は憲法9条を遵守して二度と「学童疎開」が必要な状況を作り出してはいけない、そう主張しておられると思った。
最後に先生のまとめ上げられた「学童疎開」に関する書籍は現在アマゾンで電子書籍化が検討されているとのこと。先生は研究者としても有名で「須山盛彰」で検索すると詳しくしることができる。
私は28の時に滋賀県に引っ越しもう38年も滋賀県に住んでいま
それだけに催事も多く私はまだ全部知っているわけではありません
その中から今回は自宅から徒歩5分のところにある篠田神社で毎年
近江八幡市に住んで28年目になる。近江八幡市は近江商人発祥の地としても知られるが、やたらと祭りが多い。大小合わせると20近くはあるのではと思う。我が家の近くでも毎年5月4日に行われる「篠田の花火」は結構歴史があるが、今年も3連休の中日5月4日に「篠田の花火」が例年通り行われた。篠田神社は我が家から直線距離で約400m、徒歩5分くらいの至近距離だが、最近は人が多すぎてなかなか見に行く機会がない。最近ではいつも翌日の早朝に焼け跡を見に行くことが多い。
「篠田の花火」は国選択無形民俗文化財に選択されていて、3月に行われる「左義長まつり」、4月に行われる「八幡まつり」とともに「近江八幡の火まつり」のひとつとなっていて、700年以上の歴史を持っている。特徴は直前の比較的小さい仕掛け花火からナイアガラ花火に続く全国的に見て非常に珍しいロケット花火(と思う)で点火される仕掛け花火で、狭い境内は一時火花、炎、煙に包まれる。特に最後の仕掛け花火は、点火直後失敗したのかと思った瞬間に爆発音とともに回転する花火の迫力と爆音に圧倒される。回転花火が終わった後しばらくは静寂、またも失敗したかと思ったころ青紫色の絵が浮かび上がる。この絵柄は毎年変わりわずか数分しか続かないが、一時幻想的な気分にさせてくれる。この仕掛け花火の後、境内中央に立てられている大松明に点火される。この後も神事は続くのだが、ほとんどの観客(と言っていいのかどうかわからないが)は帰る。
実は今年も直前まで見に行くつもりだったが断念してしまったので、本日早朝散歩がてら写真を撮ってきた。かなりマイナーな祭りで観光目的でもないため情報は少ないがYOU TUBEで動画がいくつか見ることができるのでリンクを貼っておく。
2014年
2015年
その他
近江祭百選 篠田の花火
http://www.eonet.ne.jp/~oumimatsuri/504sinoda.html
広田
街の雑踏をBGMにクラッシックコンサートを聴くのもいいものだ。
フランス北西部の港町ナントで、1995年に誕生したクラシック音楽祭。
クラシック音楽の常識を覆すユニークなコンセプトに貫かれ、「ラ・フォル・ジュルネ」のネーミングそのまま、ヨーロッパの数ある音楽祭の中でもっともエキサイティングな展開を見せている。
毎年テーマとなる作曲家またはジャンルを設定し、会場となるナント市のコンベンションセンター「シテ・デ・コングレ」では、朝から晩まで9つの会場で同時併行的に45分間のコンサートが、5日間で約300公演繰り広げられる。
演奏者は、旬の若手やビッグネームがずらりと並び、しかも、アーティスティック・ディレクター、ルネ・マルタン氏の「一流の演奏を低料金で提供することによって、明日のクラシック音楽を支える新しい聴衆を開拓したい」という考えに基づき、入場料は5~22EURO(700円~3,000円)という驚きの低価格に抑えられている。来場者の6割はクラシックコンサート初体験者で、キッズプログラムも充実していることから子供たちも多数参加している。
2000年からポルトガル・リスボン、2002年からはスペイン・ビルバオでも開催され、いずれも大成功を収めている。2005年からは、東京国際フォーラムで開催され、クラシック音楽界にセンセーションを巻き起こしている。
リオデジャネイロに続き、2008年世界で6番目の開催都市として金沢が選ばれ、地方都市での開催成功を収めた。
(ラ・フォル・ジュルネ金沢2016のホームページから引用)
金沢駅のコンコースとホテル日航金沢のロビーでコンサートを楽しんだ。
金沢
今日5月3日は憲法記念日だった。
ごの会ブログでも、憲法に関していままで何回か取り上げてきた。特に、安倍晋三自民党が掲げる改憲案に反対する立場で記事を書いてきた。
自民党の改憲案は、お上(権力者)が国民を操るためのトンデモ憲法と断ずるしかない改悪案だ。
自民党は、憲法は国民が権力を縛るための法規であり、権力が守るべき法規だということを理解していない。このことを理解していないからだろうが、憲法には「国民の権利と義務を明確にしないといけない」などともっともらしく主張している。
憲法の本質は、権力に対して国民の権利を侵害してはならないとを示すところにある。
憲法に関して、国民に義務があるとすれば、権力が暴走しないように、国民の権利を権力に認識させるのが義務と言える。これが立憲主義だ。
憲法を、安倍晋三自民党が示すような改憲案にさせてはならない。そのためにも、夏の参院選では自民党議員や公明党議員を当選させてはないらない。
「日本国憲法」
http://www.ofours.com/higashi5/docs/
%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95.pdf
「自民党改憲案」
http://www.ofours.com/higashi5/docs/seisaku-109.pdf
LITERAに自民党改憲案に関して参考になる記事があったので、転載して紹介する。
http://lite-ra.com/2016/05/post-2210.html
人権否定、戦前回帰の自民党・改憲草案はなぜ生まれたのか? 憲法調査会に巣食うグロテスクな世襲議員たち
安倍首相は、先日4月29日放送の『news every.』(日本テレビ)で単独インタビューに応じ、憲法改正について熱弁を振るった。
「国民のみなさんが憲法はどうか、どう考えるかということについて、まだ一票を投じるチャンスが与えられていないんですね」
「まさに自衛隊のみなさんは日本人の命や幸せな暮らしを守るために命をかけてくれる組織なんですね。そのみなさんに対して憲法学者が7割違憲だと言っているという状況のままでよいのかどうかということに、真剣に向き合わなければいけないと思います」
「政治家には(改憲以外に)やらなければいけない仕事がたくさんあると言って、これからもずっと後回しにしてよいのか。いま、思考停止している政治家、政党のみなさんに真剣に考えてもらいたい」
......いや、いまは熊本大地震の復旧・復興や、国民から怒りが噴出している待機児童の解消など、改憲以外にやらなくてはいけない仕事が山ほどあるじゃないか、と言いたいが、安倍首相にとって改憲は悲願中の悲願。だからこそ今回、安倍の腹話術人形と化している日本テレビ報道局解説委員・政治部副部長である青山和弘氏の単独インタビューというかたちをとって、憲法改正の必要性を強調したのだろう。しかも、既報の通り、熊本大地震が起こったいま、安倍首相は改憲の入口として考えている緊急事態条項の新設を訴えるのに絶好のタイミングだと捉えているのは明白だ。
だが、緊急事態条項を含め、安倍首相が押し進めようとする改憲内容は、この国が一変して戦時体制に舞い戻るかのような、とんでもないものである。
安倍首相の改憲内容──それは自民党が2012年に発表した「日本国憲法改正草案」として発表されているが、そもそもこの改憲草案を、ある憲法学者はこう評する。
「この「自由民主党 日本国憲法改正草案」なるものは、明治憲法への回帰どころではない。慶安の御触書ですよ」
自民党改憲草案は憲法以前のもの。そう話すのは、憲法学の権威であり、"護憲派の泰斗"と呼ばれる樋口陽一・東京大学名誉教授だ。樋口氏は、改憲派として長く自民党のブレーンとして活動してきた小林節・慶應義塾大学名誉教授との対談本『「憲法改正」の真実』(集英社新書)で、改憲草案を「憲法とは呼べない」と断罪、小林氏もそれに同意している。
護憲派も改憲派も口を揃えて批判する改憲草案。ふたりがもっとも驚愕したというのは、「「個人」という概念がこの草案では消されてしまっている」(小林氏)という点だ。 たとえば、現行の日本国憲法の第13条は、《すべての国民は、個人として尊重される》と書いてある。しかし、改憲草案では、《全て国民は、人として尊重される》となっており、「個人」ではなく「人」に変更されている。いわば、それぞれがもつ「個性」を否定し、「犬・猫・猿・豚などとは種類の違う生物」程度の扱いになっているのだ。
憲法上で「個人」が「人」に置き換わることの意味。自民党は改憲草案のQ&Aのなかで、こう記している。
《人権規定も我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました》
天賦人権説とは、人は生まれながらにして人間としての権利、つまり「人権」をもっているとする考え方。自民党は改憲によって、この人類普遍の原理さえ奪おうとしているのだ。これでは北朝鮮と同じような国になるだろう。
ブレーンとして自民党の「改憲マニア」たちと付き合ってきた小林氏は、自民党の"言い分"をこのように解説する。
「国民が個々に好き勝手しているから、共同体が崩れ、モラル・ハザードが起きたんだ、というわけです。その主張には、一見、非常に説得力がある。彼らはこう言うんですね。最近、妙な殺人事件が多いでしょう、子が親を殺し親が子を殺すでしょう、それは「個人」などと言って、子供に勝手をさせるからです。家族がバラバラだからです、それは、「個人」を主張しすぎる憲法が悪いんですよと。
実際のところ、凶悪事件の件数は戦前より減っていますから、そこからしてなんの根拠もないんですがね」
詭弁を弄して個性ある存在としての「個人」や「人権」の考え方を排除しようとする自民党だが、恐ろしいのはこれだけではない。彼らは同時に、「国民に多くの義務を課そうと躍起」になっているのだ。
「自民党の勉強会では、こんな話を議員たちからたびたび聞きました。「国民は自分の権利ばかりを主張して、公のためを考える気持ちを忘れている」「日本国憲法のなかには『権利』という言葉が二十数回、出てくるのに、国民に課せられる義務は三つだけじゃないか」「国会議員には、憲法擁護義務などという面倒なものもある」」(小林氏)
事実、改憲草案12条には、《自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し》という文言が追加されている。だが、憲法における「権利と義務」というものは、「権利があるなら義務もあるはずだ」というような代償的な関係にはない、と小林氏は指摘する。
たとえば、金銭の貸し借りでは、貸した人には返してもらう「権利」が生まれ、借りた人には返す「義務」が生まれる。「権利をもっている人と義務を負う人は別の人」となる。だが、自民党の主張では、権利をもつのも義務を負うのも国民。「どうして国民が権利を得るために、国民に義務が発生するのか。自民党の説明は説明になっていない」のだ。
そもそも、前述したように自民党は「人権」は生まれながらにあるものという考え方を否定している。このことと合わせて平たく言えば、「お前らには生まれつきの権利なんかないのだ。国家様に尽くした奴にだけ権利を渡してやっているんだ、勘違いするな」(小林氏)と自民党の改憲草案は言っているのである。
まさに"オレ様"憲法と呼ぶべき横暴なものだが、〈戦争の放棄〉を捨て、〈国防軍の保持〉を明記した改憲草案の9条は、まさにその危険を予感させるにふさわしいものだ。とくに9条の3「領土等の保全等」の項目には、こうある。
《国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。》
ポイントは「国民と協力して」という部分。この「協力」は、単に「義務」に置き換えられる、と樋口氏は言う。「国民の防衛協力の延長線上に、じゃあ、兵隊足りないよ、お前らなんで協力しないんだ、と。過去の政府見解は知らんが、現政権はこれを理不尽な苦役だとは解釈しないよ、などと言えてしまう余地がある」のだ。
緊急事態条項では緊急時には基本的人権を制限することを明記し、一方、前文では《国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り》《和を尊び、家族や社会全体が助け合って国家を形成する》などと全体主義を煽る。その上、《活力ある経済活動を通じて国を成長させる》という一文が唐突に登場するのだが、これは「いわゆる新自由主義が国是になってしまう」(樋口氏)ことを意味する。事実、改憲草案ではさまざまな権利に制限をかけるわりに、なぜか経済的領域にかかわる22条や29条だけは「自由を拡大」している。この点は「まさに財界向けの草案」(小林氏)となるのだ。
「新自由主義と復古主義をつなぐものは、個人の自由を否定する権威主義です。この三つが同居する改正草案前文は、キメラのように不気味です」(小林氏)
だいたい憲法というのは、権力の暴走を防ぐために国家を縛るもの。そうした立憲主義をこの自民党の改憲草案は根底から覆している。到底、21世紀の憲法とは思えない、世界から見たらトチ狂ったトンデモ憲法でしかない代物だ。こんな粗悪なものを胸を張って発表する時点で自民党の政治レベルを疑わざるを得ないが、逆にいえば、現在の自民党からこの改憲案が出てくることは必然でもあった。
というのも、自民党内で憲法議論を進めてきた族議員の多くは、「地盤の強さだけで勝てる世襲議員」(小林氏)。それは「憲法というのは、他の分野と違って、利権が絡まないので、票にも金にもな」らないからだ。さらに、2009年の選挙で大敗を喫したことで自民党の憲法調査会は「二世どころか、三世、四世といった世襲議員と不勉強なくせに憲法改正に固執する改憲マニアだけが残ってしまった」という。
「これがなにを意味するかと言えば、現在、自民党内で憲法について集中的に考えている議員たちのほとんどが、戦前日本のエスタブリッシュメント層、保守支配層の子孫とその取り巻きであるという事実です」
「彼らの共通した思いは、明治維新以降、日本がもっとも素晴らしかった時期は、国家が一丸となった、終戦までの一〇年ほどのあいだだった、ということなのです。普通の感覚で言えば、この時代こそがファシズム期なんですがね」(小林氏)
現行憲法は、多くの犠牲を生む戦争を放棄し、人としての権利、一人ひとりが幸福を追求する権利を保障した。この国に生きる人びとは、新たに生まれた憲法によって、さまざまな自由を手にしたのだ。だが、"生涯政治家"一家に生まれた世襲議員たちにしてみれば、自分たちの手足を縛る現行憲法は疎ましい。そうして自分たちにとって都合の良い憲法を追求した結果、このグロテスクな改憲草案を生んだのだろう。ほとんどの憲法学者たちから"憲法の体も成していない"と指摘されるのも当然の話だ。だってこれは、たんなる"私利私欲"の塊なのだから。
しかし、熊本大地震を利用して菅義偉官房長官がすかさず緊急事態条項新設の必要性をもち出したように、安倍政権は今後、グロテスクな本質をオブラートに包んで改憲を訴えていくだろう。そんな詐欺的行為に騙されないためにも、ぜひ護憲派・改憲派の立場を越えて改憲草案の危険性を問う樋口氏と小林氏の言葉に目を通してみてほしい。同書を読めば、これから安倍首相が吐きつづけるだろう嘘を、簡単に見破れるはずだ。
(水井多賀子)
金森
世話人への連絡 higashi5@ofours.com へ
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