富山県では見慣れた世界地図を回転させたユニークな発想の地図を作っている。この地図を見ていると今まで見えていなかった日本や歴史が見えてくるようで面白いし見飽きない。
環日本海・東アジア諸国図
以下、「富山の今を伝える トヤマジャストナウ」から一部を転載した。
逆さ地図を眺めていると、日本列島は大陸と連なり、日本海を囲む大きな輪の一部のようだ。一方、日本海は大きな湖のようにも見える。富山県は日本海側のほぼ中央に位置し、対岸諸国との交流・交易の歴史を生かして、早くから経済や文化などさまざまな分野で国際交流などに取り組んできた。近年では、日本海とその周辺及び関連地域全体を、生命の源である海を共有する一つのまとまりとしてとらえ、海との関わりを軸にその自然・文化・歴史・経済などを総合的に研究し、地域間の交流を促進し生命の輝きが増す未来を構想する「日本海学」の推進にも取り組んでいる。
平成23年11月には、伏木富山港(伏木港、富山新港、富山港)が日本海側の各港湾を牽引する「総合的拠点港」の5港の1つに選定されたほか、国際海上コンテナ、国際フェリー・国際RORO船(貨物をトラックやトレーラーで搬出・搬入するため、船尾などにゲートを有する船舶)、外航クルーズ(背後観光地クルーズ)の3つの「機能別拠点港」としても選定された。環日本海・アジア新時代のゲートウェイ、日本海側の物流・交流拠点として、さらなる発展が期待されている。
「環日本海・東アジア諸国図」は、富山県刊行物センター(富山県民会館1階ロビー内)で販売中。税込みで1枚300円。送料別途で、郵送も可能となっており、希望の方は、同センターへ(TEL.076-432-3111)
富山県土木部 建設技術企画課では、「環日本海・東アジア諸国図は、見慣れた世界地図の北と南を逆さにしたユニークな発想の地図。柔軟な発想で、環日本海地域の可能性を探ってほしい」と話している。
金森
広田くんから「東岩瀬」に寄せてメールを貰った。
ご無沙汰しています。
2/18日付の「東岩瀬」拝見しました。
高校を卒業してから関西に移りもう45年以上も関西に住んでいて富山に帰ることも少なくなってきましたが、東岩瀬は高校卒業まで住んでいたので非常に懐かしく思うと同時に、その変化に少し驚いています。まあ変化とはいっても街並みがきれいに整備され美しくなっていることだけで街の形が全く変わっているわけではないので帰った時に戸惑うほどのことではありません。自分の周りに歴史的に価値がある建物が存在しているというのは住んでいる時にはわからないものなのかもしれませんが、私の記憶には現在の観光案内に記載されている「北前船回船問屋街」というイメージはありません。
東岩瀬「東岩瀬町鳥瞰図」 昭和11(1936)年
漁港というイメージもあるのですが、富山にいた頃は魚が嫌いであまり食べなかったので、重化学工業原料の入り口というイメージの方が強く残っているようです。私の実家から港までは100m程度で、陸揚げされた石炭、岩塩、カーバイド、木材などが山積みされていて格好の遊び場だったという記憶があります。
私はまだ現役続行中ですが、今上述原料がどこで使用されていたのだろうと考えてみると私が働いている業界に関わりがあることがわかり少々驚いています。以下、私が思い出せる範囲で当時存在していた企業名とどう関わっているかを書いてみます。
昭和電工: 現在は昭和電工セラミックス(株)となっているようです。1960年代は多分肥料を作っていたのではないでしょうか。また私の仕事関連でいえば直接取引をしたことはありませんが、高純度酸化チタン(光触媒として利用されます)の製造メーカとして知られています。
倉敷レーヨン: 昭和電工のすぐ近くに大きな工場がありました。横を通るとすごい悪臭がしていたのを思い出します。現在は富山化学の工場になっているようです。クラレは私の仕事関係でいえば医薬品中間の製造部門があるので、直接ではありませんが、間接的に研究用の化学品で関わりがあります。
富山化学は顧客です。
東ソー富山工場: 現在は分社化されて別会社のなっているようです。山口の東ソーは間接的に販売しています。
日本曹達岩瀬工場: 現在は太平洋ランダムに社名変更しているようです。私が子供のころは合金鉄を作っていたと思います。旧関連グループ企業は一部競合しています。
興国人絹パルプ: 正確に言えば岩瀬ではなく冨岩運河の上流にあったと記憶している。興人は1975年(だったと思う)に一旦倒産していますが、富山工場がいつ閉鎖されたかは知りません。私が働き始めた時は大企業で大学の先輩が入社できたと自慢していたのを思い出しますが倒産したのはその2年後でした。私の仕事関連でいえば私が働き始めた頃現在のバイオ研究には欠かせない核酸のメーカとして知られていました。
今思い出せるのはこれくらいでしょうか。もう少しあったような気もします。化学工業以外でいえば火力発電所、日本海重工業(?造船)もありました。
今冨岩運河はずいぶんきれいに整備されているようですので、次に富山に帰る機会があれば見て回りたい気もしますが、富山出身でありながら黒部ダムを見たことがないので、娘と一緒に見学に行きたい気もあり悩ましいところです。
富山港展望台から見る富山港
富山港展望台から見る立山連峰
以上、思いつくままにまとまりのない話で申し訳ありません。
広田知紀
大喜根塚店でらーめんを食べて、北陸道を金沢へと向かう。北陸道を金沢森本ICで下りて、山側環状のもりの里でやまやに寄った。
日本酒の冷蔵ショーケースにあった満寿泉しぼりたて新酒を買い晩酌にした。日本酒でありながらボトルはワインボトル。確かにワインのようにフルーティな味わいだった。なかなかいける。肴は、途中のスーパーで買った小イワシを煮付けた。トレーのラップに貼ってあったラベルには産地は黒部とあった。富山づくしの一日になった。
しぼりたて新酒 満寿泉うすにごり 枡田酒造店 富山岩瀬
富山黒部のイワシを煮た。
金森
思いの外、富山市役所で時間を取られてしまった。
市役所の駐車場を出た時には午後2時を回っていた。お腹がなるのも無理はない。市役所から国道41号を昼飯をどこにしようかと考えながら市民病院方向に車を走らせた。久しぶりにらーめんにしようと思い付いて、市民病院辺りで右折して大喜根塚店に向かった。時間も時間だったので駐車場には車は一台しかなく、定休日かと思ったが幸いやっていた。
定番の小を頼んだ。最近では金沢にも富山ブラックだということで、ここのラーメンと似たラーメンを食べさせるところがある。ただ、一度は食べてみようとは思っているのだが、未だに食べたことはない。
らーめん(小) 大喜根塚店
金森
岩瀬浜駅からライトレール沿いに富山へと向かった。
所要で富山市役所に寄った。受付で券を貰ったが、混んでいて受付まで四十分待たないといけなかった。そこで、市役所の展望台に上った。しばしの間、冠雪の立山連峰に見入った。
富山市役所玄関
富山市役所展望台からの立山連峰
金森
魚津の道の駅蜃気楼からナビを頼りに、海沿いの細い道を滑川、水橋と車を進め、岩瀬浜駅に着いた。
岩瀬浜駅はポートラムの終着駅だ。
富山県のホームページでは、東岩瀬を次のように紹介している。
東岩瀬に加賀藩のお蔵が置かれ新川郡一帯の米が集まり、東岩瀬港は大阪への積み出し港として栄えました。さらに江戸時代後期には北海道交易を中心に廻船問屋(北前船主)が成長し、活況を呈するようになりました。
しかし、北前船のにぎわいは明治中期までで、汽船の進出や鉄道の開通により、北前船は衰退していったのでした。(富山県HPから引用)
定かではないが、幕政時代東岩瀬辺りも富山藩ではなく加賀藩だったような気がする。
近くにある富山港展望台の駐車場に車を止めて、東岩瀬の古い町並みを歩いた。
北前船廻船問屋 森家
北前船 北前船廻船問屋 森家
茶室に置かれていた東京大倉製金庫 北前船廻船問屋 森家
旧岩瀬銀行(北陸銀行)
満寿泉の桝田酒造店
白海老団子で有名な料理屋松月
金森
北山鉱泉を出て8号線に出た後、右折して魚津の街に向かって車を走らせ、道の駅蜃気楼で休憩にした。天気も良かったので、富山へは、滑川、岩瀬と海沿いの道を走ろうと考えたからだ。
真っ青な富山湾は綺麗だったが、残念ながら蜃気楼は見えなかった。蜃気楼は、(3月下旬~)4月~5月(~6月上旬)によく見えるようだ。ホタルイカの美味しい季節に重ねっている。
魚津埋没林博物館のHPに蜃気楼について解説が載っていたので転載した。
◯蜃気楼を引き起こす空気層のでき方
上位蜃気楼は、下が冷たく上が暖かい空気層によって引き起こされます。
通常、地表から高度が上がるにつれて気温は下がりますが、上位蜃気楼が起きる空気層ではこの関係が逆転しています。高度と気温の関係が逆転するので、このような空気層を逆転層といいます。実際の観測値などから、魚津で上位蜃気楼が見られるときの逆転層の高さはおおむね10m以下、上下の温度差は1~5℃程度と考えられます。
では、富山湾にどのようにして逆転層ができるのでしょうか。これについてはいろいろな説がありますが、次の2つが代表的なものです。
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- 富山湾に冷たい雪解け水が流れ込み、それによって大気の下部が冷やされる
- 海上にある低温の空気の上に、日中の陸地で暖められた空気が流れ込む
現在は、後者の説が有力と考えられています。今後の研究によって解明が進められれば、また新たな説が生まれる可能性もあります。いずれにしてもその機構は複雑でいろいろなパターンがあると思われるので、一つの説で蜃気楼のすべてを説明することはできないかもしれません。「謎が残されている方がロマンがある」という意見もあります。
◯蜃気楼の出やすい条件
富山湾で上位蜃気楼の出やすい条件には、次のようにある程度の目安があります。
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- 時期:(3月下旬~)4月~5月(~6月上旬)
- 時間:午前11時ごろ~午後4時ごろ(それ以前、それ以後の例外もある)
- 気温:18度以上の場合が多い(朝の冷え込みがあって日中の気温が上がるのがよい)
- 風 :魚津の海岸で北北東の微風(おおむね風速3m以下)
- 天候:移動性高気圧の中心が本州の東の海上に抜けて当日は晴れ、翌日頃から天候が崩れそうな日。等圧線の間隔が開き、強い風が吹かない状態。
もちろんこれらに当てはまらない例外もありますが、この条件がそろえば可能性が高いと考えてよいでしょう。
富山湾では、上位蜃気楼は、例年ならば上記の時期の間に10~15回程度発生します。ただし、その中には双眼鏡でようやく識別できる程度のものも多く、実際に肉眼でも蜃気楼を楽しめるのは5回もあるかないかです。
上位蜃気楼の回数はその年によってかなり変動があります。微妙なものを含めトータルで5回ぐらいしか発生しない年もあれば、20回以上発生した年もあります。(過去の記録はこちら)
また、持続時間もその日の条件によりまちまちです。数分で終わってしまうことも多い一方、出たり消えたりしながら半日以上も続くこともまれにあります。
道の駅蜃気楼から望む富山湾
道の駅蜃気楼から望む立山連峰 右寄りに剣岳と雄山
黒部から国道8号線を富山に向かって魚津辺りを左手に折れる。少し走ったところに北山鉱泉という慶応3年に開湯したという湯治場がある。
慶応元年春、松倉村北山 仁右衛門夫婦に玉のような男の子が生まれました。しかし妻まつは産後の肥立ち悪く、床に伏しておりました。
月日は流れ、慶応三年八月、まつの夢枕に薬壺を抱えた薬師如来が現れ、霊泉へと案内、「これを沸かし薬とせよ」とのお告げを授かりました。
仁右衛門夫婦は仏力に導かれお告げの通り霊泉を掘り当て湯を用い治療に励んだところ、腰が立ち歩行ができやがて別人のように全快しました。
この霊験は四方に響き渡り、近国・遠国より湯治を求めて人々が訪れるようになり、その薬効は、子宝、産後だけでなく、リュウマチ、神経痛、中風、脊髄等の成人病、胃腸病、脚気、病後の養生など、さまざまな病に効き、湯小屋として賑わいました。
また、一粒種の男の子はこの湯水ですくすくと大きく育ち、やがて「力岩」の襲名を称し相撲界で活躍、明治相撲にその名を残しました。
その後、力岩は自分の出生が不思議な霊験に由来することから仏神を尊崇、仏の道へと入り、寺を開山すると湯治客の宿泊を受け努めました。その後も諸病平癒の湯として宿泊湯治の客足は絶えることなく、やがて旅館へと栄え今日のいけがみに至っております。(いけがみHPから引用)
この北山鉱泉に「いけがみ」という三姉妹の家族でやっている温泉旅館がある。料理は美味いと評判だったが、狭い部屋にコタツがあってトイレは共同という湯治場そのものといった旅館だった。そんな湯治場旅館だったので二の足を踏んでいた。
ところが最近改装したようで随分と綺麗になっていた。そこで、「ふるさとわり」を使って三姉妹に会いに行くことにした。
「いけがみ」は評判通りで、料理も美味しく、富山湾の幸、山の幸、魚津米のご飯やお吸い物、味噌汁と富山の幸を堪能した。知らなかった富山の地酒をいろいろと飲み比べることもできた。石川の酒も美味しいけど、富山の酒も格別に美味かった。
そういえば、帰りに三姉妹の連れ合いの一人が駐車場まで送ってくれた。彼はニ・三年前までは野々市の近くで、能美市にある白山カントリー倶楽部の隣りの東芝の工場に勤めていたそうだ。嫁が旅館を継ぐのに一緒にやろうと頼まれて北山に来たとのことだった。予約のときに野々市とあったので嬉しくなったと話してくれた。世の中は狭いものだ。
金森
宇奈月温泉を出て、北陸道黒部ICに向かって走る。国道8号線に出たが、左折はせずに生地の方向に真っ直ぐ走った。予想通りナビにはない新しい道に出た。こを左折して魚津方向に車を走らせた。
冬には珍しい青空だ。魚津辺りで右折して海沿いの道を走ることにした。左手には立山連峰がくっきりと見えている。車を止めて立山連峰を眺めた。この辺りからは剣岳が正面に見えるが雄山は2時方向に斜めになって見える。
富山辺りから望む立山連峰とは少し違っているようだったが、素晴らしい眺めだった。
剣岳(正面) 立山連峰
剣岳(正面) 立山連峰
金森
白えび亭で白えび天丼を食べて、国道8号を黒部へと車を走らせた。
目的地は宇奈月温泉だ。宇奈月温泉は大正生まれの温泉地で「現在の宇奈月温泉の地は、かつては「桃原」と呼ばれた無人の台地でした。大正時代になって黒部川の電源開発が始まったとき、この地に黒薙温泉からお湯を引き、温泉を開こうとする計画も進められました。その後何度かの失敗を重ね、大正12年にようやく熱い湯を引くことに成功。宇奈月温泉が誕生しました。平成15年には開湯80周年を迎え、今日に至ります。」(宇奈月温泉HPから引用)とのことである。
いまでは富山県を代表する温泉地になっている。
国道8号を魚津を出たころからカーナビが空を飛び始めた。左手に見えたと思ったパチンコ店が、右手遠くに見えていた。海側にバイパスが整備されたようだ。北陸道の黒部ICへ右折して真っ直ぐ走れば宇奈月温泉に行けると思っていたのだが、北陸新幹線の黒部宇奈月温泉駅への標識のところで右折して、新幹線駅を見て宇奈月温泉へと向かった。
無色透明のアルカリ性単純泉に浸かり、食べ放題の料理でお腹いっぱいなした。そろそろ終了となる「ふるさとわり」を利用して少しだけだけど税金を取り戻した。
やはり富山のとろろ昆布のおにぎりは格別だ
金森