広田くんから「東岩瀬」に寄せてメールを貰った。
ご無沙汰しています。
2/18日付の「東岩瀬」拝見しました。
高校を卒業してから関西に移りもう45年以上も関西に住んでいて富山に帰ることも少なくなってきましたが、東岩瀬は高校卒業まで住んでいたので非常に懐かしく思うと同時に、その変化に少し驚いています。まあ変化とはいっても街並みがきれいに整備され美しくなっていることだけで街の形が全く変わっているわけではないので帰った時に戸惑うほどのことではありません。自分の周りに歴史的に価値がある建物が存在しているというのは住んでいる時にはわからないものなのかもしれませんが、私の記憶には現在の観光案内に記載されている「北前船回船問屋街」というイメージはありません。
東岩瀬「東岩瀬町鳥瞰図」 昭和11(1936)年
漁港というイメージもあるのですが、富山にいた頃は魚が嫌いであまり食べなかったので、重化学工業原料の入り口というイメージの方が強く残っているようです。私の実家から港までは100m程度で、陸揚げされた石炭、岩塩、カーバイド、木材などが山積みされていて格好の遊び場だったという記憶があります。
私はまだ現役続行中ですが、今上述原料がどこで使用されていたのだろうと考えてみると私が働いている業界に関わりがあることがわかり少々驚いています。以下、私が思い出せる範囲で当時存在していた企業名とどう関わっているかを書いてみます。
昭和電工: 現在は昭和電工セラミックス(株)となっているようです。1960年代は多分肥料を作っていたのではないでしょうか。また私の仕事関連でいえば直接取引をしたことはありませんが、高純度酸化チタン(光触媒として利用されます)の製造メーカとして知られています。
倉敷レーヨン: 昭和電工のすぐ近くに大きな工場がありました。横を通るとすごい悪臭がしていたのを思い出します。現在は富山化学の工場になっているようです。クラレは私の仕事関係でいえば医薬品中間の製造部門があるので、直接ではありませんが、間接的に研究用の化学品で関わりがあります。
富山化学は顧客です。
東ソー富山工場: 現在は分社化されて別会社のなっているようです。山口の東ソーは間接的に販売しています。
日本曹達岩瀬工場: 現在は太平洋ランダムに社名変更しているようです。私が子供のころは合金鉄を作っていたと思います。旧関連グループ企業は一部競合しています。
興国人絹パルプ: 正確に言えば岩瀬ではなく冨岩運河の上流にあったと記憶している。興人は1975年(だったと思う)に一旦倒産していますが、富山工場がいつ閉鎖されたかは知りません。私が働き始めた時は大企業で大学の先輩が入社できたと自慢していたのを思い出しますが倒産したのはその2年後でした。私の仕事関連でいえば私が働き始めた頃現在のバイオ研究には欠かせない核酸のメーカとして知られていました。
今思い出せるのはこれくらいでしょうか。もう少しあったような気もします。化学工業以外でいえば火力発電所、日本海重工業(?造船)もありました。
今冨岩運河はずいぶんきれいに整備されているようですので、次に富山に帰る機会があれば見て回りたい気もしますが、富山出身でありながら黒部ダムを見たことがないので、娘と一緒に見学に行きたい気もあり悩ましいところです。
富山港展望台から見る富山港
富山港展望台から見る立山連峰
以上、思いつくままにまとまりのない話で申し訳ありません。
広田知紀
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