2016年1月の記事一覧

富山駅と金沢駅

富山湊入船町にある環水公園のスターバックス横の無料駐車場に車を止めて富山駅へ歩いた。

呉羽から東高校へ、晴れた日は自転車で通っていた。体育館や北日本放送の横を通って走った記憶がある。しかし、何処がどうだったのかサッパリ分からなくなっている。でも、環水公園は富山の自慢できる公園になっていると思う。

お昼に、駅にある白えび亭で「白えび天丼」を食べようと環水公園に車を留めたのだ。最近では金沢でも白えび天丼を食べさせる処があるが、やはり白えび亭の天丼が一番だ。ただ、800円台だったのが、今では1200円を超えている。これも新幹線効果なんだろう。

ところで、白えび亭へは駅の地下道を歩いた。そこそこの人が行き来している。しかし、行き来する人の割には、金沢駅での「にぎわい」を感じることがなかった。

白えび天丼 白えび亭 富山駅

白えび亭 富山駅

どうも、金沢駅と富山駅の構造の違いが原因のように思える。

端的に言って、富山駅の構造はチグハグだ。人の動線が途切れ途切れになっていて、施設の繋がりがなく袋小路になっている。

金沢駅は、新幹線、あるいは、在来線の改札を出て、右に進めば兼六園口(東口)、左へ進めば金沢港口(西口)へとなるエントランスで東西の出口が繋がっている。また、新幹線から改札を出ることなく在来線に行けるし、在来線からも新幹線に行ける。

そして、エントランスの両側には高架下の百番街という商業施設への入り口がある。

東西の出口には人が足を止めて駅を見ることができる空間がある。東口の「もてなしドーム」や「鼓門」。ちょっと腰掛ける場所もある。

今はもてなしドームの天井から「金沢に来るなら、春か夏か秋か冬がいいと思います。」という垂れ幕が吊るされている。

金沢に来るなら、春か夏か秋か冬がいいと思います。 もてなしドーム 金沢駅

立ち止まって振り返って駅を眺めることもできる。無駄と言われれば無駄かも知れない空間だが、いろんな人が思い思いにカメラを向けている。地元のテレビニュースの天気予報なども、もてなしドームの中で中継している。

金沢に着いて、これから街を散策する人は、この垂れ幕を見て、ザワザワとしたにぎわいを肌で感じながら、街への期待を膨らませて鼓門を出て街中へと歩く。街から帰って来た人は、金沢の思い出にもてなしドームで記念写真を撮っているてるのをよく見かける。記念写真に写り込んでいた垂れ幕に気付いて、次の季節にも訪れてくれるかも知れない。

鼓門を出て、真っ直ぐ歩けば武蔵ヶ辻の近江町市場へひがし茶屋街、武蔵ヶ辻を右に歩けば、香林坊から兼六園へとなる。

動線が途切れることなく続いている。歩く人の意思で途中下車(寄り道)できる構造になっている。

だだ、金沢の街(金沢駅)も、もともとは、富山駅と同じように東西の出口は北陸線で分断されていた。多分20年程前からだろうか、東西の出口を結ぶエントランスを作るための工事が始まっていた。金沢駅を高架にするため、駅横の金石街道の踏切を高架にする工事を進めた。

金沢駅から武蔵ヶ辻へは六枚交差点を通って迂回する構造になっていたが、駅から真っ直ぐの道を整備した。もてなしドームや鼓門を作ったのはその後だ。北陸新幹線金沢開業の20年以上前から準備を進めていたことになる。

金沢21世紀美術館や石川県立美術館も袋小路にならないように配慮されている。両美術館とも街歩きで休憩でるスペースを提供しているし、通り抜けることができる構造になっている。わたしも街歩きの休憩に、よく利用している。

兼六園から金沢城へも通り抜けることができる。今は金沢城の玉泉院丸庭園から尾山神社へ歩けるように鼠門を整備している。

富山の箱物は一つ一つは立派だが、それぞれが終着駅で動線が袋小路になってて人の流れがそこで途切れてしまう構造になっている。富山市の街自転車は一台何十万円もする素敵な自転車だ。一方、金沢市の街自転車は中古品に宣伝カバーを付けた安価なモノだが、乗り捨てられた自転車を不足している自転車溜に軽トラックで運んだりと、利用者が使いやすくすることにお金を掛けている。富山市と金沢市ではお金をかけるところに違いがあるようだ。

金沢は富山に比べて兼六園などの観光スポットが多いのは確かだ。ただ、金沢駅と富山駅の「にぎわい」の違いは、そこだけにあるようには思えなかった。

富山駅を利用する人たちはそこそこ居ると思う。富山駅の動線が途切れ途切れでバラバラになっているので、駅のいぎわいに結びついていないのように思えてならない。富山駅を取り巻く環水公園や市電なども含めた箱物が立派なだけに、動線が途切れ途切れで、にぎわいを作り出せていないのがもったいないと思うし、それら箱物が上手く利用されず朽ちていきそうで不安な思いにもなった。

金森

アベノミクス恐慌

  • 時事

今年の最初の記事「コンドラチェフの波動」で「今年から来年にかけての何処かで、日本の株価は7000円台にタッチするかも知れない」と書いた。予想通りの展開になってきた。しかし、年初来、株価の動きを見ていると、ひょっとすると株価は7000円を割るかもしれないと思い始めている。

安倍晋三首相は、日本の景気は回復し良くなってきている。これはアベノミクスの成果だと胸を張る。しかし、多くの国民には景気が良くなってきているとの実感はないだろう。

安倍晋三首相の言う景気とは「株価」だけである。国民の年金基金や日銀が印刷したお金で、日銀自ら株を買って株価を釣り上げてきた。無理矢理株価を上げて景気が良くなったと言っているに過ぎない。

残念ながら世界の多くの投資家は、アベノミクスは失敗したと見ている。これから日本売りが激しくなるだろう。

一方、当然ながら日本の景気は世界経済に大きく左右される。

では、世界の景気の現状はどうか。世界の実体経済に目を転じてみる。実態経済を写すと言われる幾つかの指数を見てみよう。

◯バルチック海運指数

バルチック海運指数(バルチックかいうんしすう、Baltic Dry Index)、通称BDIは、ロンドンのバルチック海運取引所が発表する外航不定期船の運賃指数。バルチック海運取引所は海運会社やブローカーなどから鉄鉱石・石炭・穀物といった乾貨物(ドライカーゴ)を運搬する外航不定期船の運賃を聞き取り、結果を取りまとめて同指数を算出、発表する。基準となる1985年1月4日を1000として算定している。(ウィキペディアから引用)

バルチック海運指数は経済の糧となるモノの動きを示すと言われている。指数が大きくなれば経済活動が活発で好景気、その逆は不景気ということだ。

見ての通り、現在は不景気のどん底で、まだまだ下りそうな気配すらある。

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◯銅価格の推移

銅は様々な場で使用されており、鉄に次いで重要な金属材料と言われている。銅の主要な用途は電線 (60%)、屋根ふき材および配管 (20%)、産業機械 (15%)だ。 経済が活発化すると銅の需要が増し、経済が鈍化すると銅需要が減る。

このことから、銅は景気に敏感で、銅価格が暴落すると連動して近いうちに株価も暴落すると言われている。株価の先行指数として利用されることも多い。

銅価格も見ての通り下降局面にあり反転の兆しはない。こちらも、まだまだ下がりそうである。(下図はLME(ロンドン金属取引所)で取引されるスポット価格の月次推移)

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◯WTI原油先物

WTI原油先物は、取引量と市場参加者が圧倒的に多く、市場の流動性や透明性が高いため、原油価格の指標にとどまらず、世界経済の動向を占う重要な経済指標の1つにもなっている。リーマン・ショック、ITバブル崩壊時の株価の動きと重ねあわせて見てみると相関関係を実感できると思う。

見ての通り、30ドル/バレルを割ってきている。多分、1998年の水準へと向かうのではないだろうか。

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こういった世界の実体経済の中にあって、日本だけが好景気であるわけがない。「山高ければ谷深し」だ。無理矢理に高くした山の谷は深くなると覚悟して置く必要がある。

アベノミクスというトンチンカンな政策は早く止めないといけない。安倍晋三はどんなことになっても、決して責任は取らないだろう。安倍晋三を選んだ国民の自己責任と云うことだろうか。後で「じくじたる思い」と言っても、時既に遅しだ。

ただ、そうなりつつある。アベノミクス恐慌

金森

仏壇と墓

  • 雑談

義母が亡くなって、妻の実家が跡絶えることになる。妻の実家の仏壇と墓を仕舞わないといけない。

我が家は仏教徒で浄土真宗大谷派(お東)だ。ただ、宗派には関係なく、仏教の教えは「家」にはこだわらないようだ。だからか戒名にも「姓」に当たるものはない。また、「人は土に帰るもの」と考えているようだ。

お東の位牌は戒名が書かれた小さな掛け軸で、この掛け軸を仏壇に吊るす。

妻の実家の仏壇を仕舞うに当たり、位牌だけをを我が家の仏壇に吊るそうと思っている。父母の位牌は仏壇に向かって右側に、妻の家の位牌は左側に吊るす。50年前の位牌は巻いて仏壇の引き出しに仕舞う。

妻の実家の墓は崩す。遺骨は全て粉にして、一つの骨壷に入れて、我が家の墓に納めることにした。入らない遺骨は、墓を崩す時に墓石屋さんに頼んで土に返すことにしようと思う。

お寺さんと相談して、位牌や遺骨を移した時は、私がお経をあげるか、お坊さんに頼んでお経をあげてもらおうと思っている。

ちなみに、金沢の骨壷と富山の骨壷の大きさは随分と違う。富山では焼骨を全て骨壷に収骨する。入りづらくなったら、すりこぎ棒のようなもので焼骨を砕いて入れる。一方、金沢では収骨するのは焼骨の3分の1以下と少なく、後は斎場近くで土に返す。だからか、金沢の骨壷の大きさは、富山の3分の1以下だし、墓の大きさも随分と小さい。

また、富山では斎場で遺体を火葬炉入れている間に中陰の法要を済ませるが、金沢では焼骨を骨壷に収骨した後に中陰となる。遺体が火葬炉にある間は、ただ斎場で待って、葬儀場に戻って中陰の法要となる。

東京も全て骨壷に収骨するようだ。骨壷も箱型で大きいと聞く。どうも宗派の違いというよりは地域の風習の違いによるもののようだ。

風習は時代とともに変わっていく。盲目的に風習に従う必要はない。風習は時代に合わせて変えていけばいい。

ただ、いままで話したことは、仏教の場合であって、神道やキリスト教など他の宗教では、まったく異なっているようである。

金森

スマホとクラウド

  • 雑談

「スマホの利用料金が高すぎるので、わたしが国民のために安くさせる」と息巻いている一国の宰相がいる。

日本は政治は三流でも経済は一流と言われてきていた。しかし、最近は三流政治家が株式市場に介入し、賃金を上げろだとか、設備投資でお金を使えとか、民間の会社経営までに口を挟む。お陰で、一流と言われてきた日本経済は三流になり下がりつつある。

三流政治家の宰相に言われなくても、スマホの料金は安くなってきている。多分、ドコモ、AU、ソフトバンクなどのキャリアは、このままいけば、通信の土管屋になってしまう。キャリア各社は、道を歩けば携帯ショップに出会うと言われるほど多くなった携帯ショップを、近い将来整理せざるを得なくなると、危機感を持っているはずだ。

世の中の流れは早い。少し前までは、電話番号は契約したキャリアのガラゲーやスマホ本体にくくり付いていた。最近では、番号を持ち運べるようになり、同じ番号でキャリアを変えることもできるようになった。

一方、e-mailアドレスはキャリアにくくり付いており、キャリアを変えれば必ず変更しなくてはいけない。このため、長く使っているメールアドレスを変えるのは大変ということから、キャリアを変えることを躊躇している人も多いと思う。
このスマホで使うメールアドレスの問題は、スマホを他のキャリアのスマホや格安スマホに乗り換える時にも問題になる。また、最近ではスマホなどをカメラ代りに使っている人も多く、スマホの中に蓄えられている写真などの財産の移行が面倒と考えている人も多いのではないだろうか。これが格安スマホに乗り換える阻害要因にもなっている。

しかし、スマホを取り巻く環境は日々変化している。ちょっと工夫すれば、メールやアドレス帳、写真などの財産の移行も苦にならなくなる。そのキーワードはクラウドだ。

私のスマホ環境を簡単に紹介する。

メールはスマホなどにくくり付いているメールアドレスを使うのを止めた。グーグルのGmail(の仕組み)を使っている。Gmailは複数のメールアドレスでメールを受発信できる。もちろんパソコンでもスマホでも使える。アドレス帳もGmailのアドレス帳にしている。これもパソコンとスマホでシンクロするので、パソコンで登録した連絡先はスマホやタブレットでも利用できるし、その逆も可能だ。ちなみに、私が日頃使っているメールアドレスはパソコンからも、出先のスマホやタブレットでもアクセスしている。

また、スマホで撮った写真は、wifiでドロップボックスに転送して置く。一眼レフで撮った写真も一眼レフとスマホをwifi接続して、wifiを使いドロップボックスに送ることもある。ドロップボックスにある写真はパソコンでも見るとこができるし、フォルダを共有している人であれば、自分のパソコンにコピーしたりなど自由に操作できるようにしている。アマゾンで買った楽曲は、常にインターネット経由で聞ける状態になっている。家でパソコンで聞いたりもするし、電車やバスの中でスマホで聞いたりもする。

このGmailやアドレス帳、ドロップボックスやアマゾンで買った楽曲がある場所、あるいは、その仕組みをクラウドと言う。

このように、自分の財産がガラゲーやスマホに縛られなくて済む世の中になっている。お陰で、キャリア以外のスマホ端末やサービスを自由に組み合わせることができる。

スマホ関連費用は・・・

(1) スマホ端末: FLEETEL SAMURAI MIYABI 19800円(税別)

(2) 音声/データ通信 OCNモバイルONE 1600円(税別)月額

(3) 音声通話 FLEETELの通話料いきなり半額 今までの実績600円前後 月額
 (ドコモ回線を使っての通話なので音質等はドコモと同じ)

(4) 特別なことがなければ、維持費は月額2200円前後(税別)
  (時たまスマホでメールをチェクしたりwebを見て、携帯電話で電話、長電話はスカイプ)

これを安いと思うか、高いと思うかはみなさん次第だ。

三流政治家は通信料をいくらにする積もりだろうか。バートで月額25万円という感覚だから期待はできない。アベ過ぎる

金森

アベ過ぎる

  • 時事

誰しも多かれ少なかれ嘘をつく。なぜあんな嘘をついてしまったかと、辛い思いをしている事の一つや二つは持っているものだ。

だが、今まで安倍晋三ほどの嘘つきには出会ったことがない。

アベ過ぎる」実に分かりやすい。

意味は複雑らしいが、女子高生たちは次のような意味で使っているようだ。

・馬鹿すぎる
・他人の話が聞けない
・聞かれたことに答えない&ごまかす

今時の若者(JK 女子高校生)は本質を端的に表現する。今年も始まったばかりだが、2018年流行語大賞にふさわしい迷言だ。

アベ過ぎる・女子高生に見抜かれた裸の王様のお話

金森

葬儀

義母の初七日を無事に済ませた。

七日前の6日の夜、床についた時、妻の携帯電話が鳴った。義母が入院していた兼六園近くの病院から、義母の容体が急変したので直ぐに来てくれとのことだった。

着替えて車に乗る。私は晩酌でウイスキーを飲んでいたので、妻が運転して病院に向かった。夜間受付口から病室に入った。心拍計がビッビッと鳴っていた。

先生が「ご愁傷様でした」と言う。確かに、ビッビッとい鳴る心拍計に表示される数字は「0」であった。家族が到着するのを待っていたようである。看護師さんが心拍計を外した。

「蝋燭の火が消えるように、五分前に静かに息をひきとられました。大往生でした」と、先生が話してくれた。

しばし義母と別れを告げた。病室から出て、会員になっている紫雲閣に電話して、遺体を自宅に運んでもらった。遺体を自宅に安置して、これからのことを打ち合わせた。

葬儀社に市役所への死亡届などの手続きをしてもらうのに印鑑を預けた。家族葬にするので、「忌中」は玄関に貼らないし、新聞にも一切掲載しないよう頼んだ。死亡届を提出すれば、義母の銀行口座は凍結されるので、明日の朝一で義母の口座から当面の費用を引き出して置く。明朝一番でやらないといけない事を確認した。通夜や会葬の段取りについては明朝打ち合わせることにした。

我が家は浄土真宗東本願寺大谷派、通称「お東さん」。葬儀社の担当にお寺さんを手配してくれるように依頼した。葬儀会場、お寺さん、火葬場の都合で、通夜、会葬、中陰の日程が決まる。明朝9時頃までにはハッキリさせるとのことだった。親戚にはそれを待って知らせることにした。

葬儀社の担当の話では、お坊さんは三人。ただ、「お東さん」は二人でも一人でもやってくれる。お布施は導師が10万円から15万円で、他のお坊さんは一人5万円。お寺さんと交渉しずらいのであれば、葬儀社でお願いしてみるとのことだった。お坊さんは一人でお布施は15万円で話してもらうことにした。

夜が明けて、通夜や会葬の段取りを打ち合わせる。近所には知らせないことにしたが、直葬にはできない。妻方の親戚だけには知らせることした。妻とは事あるごとに、どうするかを話し合っていた。

祭壇も質素なものを選んだ。お坊さんも一人でやってもらう。故人を偲ぶ中陰の料理は、精進料理ではなくて、お刺身などの入った混合料理にした。久しぶりに合う従兄弟たちと楽しく義母を偲びたいと思ったからだ。

供物は飾らない積りでいたが、親戚から供物をと言われ、せっかくの気持ちを断るのも失礼と思い花かごや果物を飾ってもらうことにした。

通夜には家族を含めて6人。会葬は13人、中陰は12人と小ぢんまりとした葬儀になった。

祭壇は質素なものにした積りでいたが、両脇に供物が飾られて、予想以上のものになっていた。

葬儀費用は中陰まで全部合わせて約130万円。香典はざっくりと50万円。80万円負担となる。これが安いか高いか、私には判断できない。葬儀の費用は、義母の貯金で賄おうと思っている。

世間がどう思おうと、自分なりに滞り無く義母を送れたとに満足している。

いままで、母、父の葬儀と、3回目の葬儀である。今回が一番落ち着いて葬儀に望めた。そして、息子や娘に手伝って貰いながらも葬儀の手順をOJTすることができた。家の宗派の焼香の作法なども伝えることができた。

子どもたちは、今回の葬儀を参考にして、私や妻の葬儀をやってくれることだろう。

金森

富山藩と富山県(富山県立図書館「十万石富山御領図」より作製)

左図の青線で囲われた部分が概ね越中国で、幕政時代の富山藩は赤線で囲まれた部分である。婦負郡と新川郡の一部が富山藩である。富山藩の石高は10万石であり、他は加賀藩だ。青線で囲まれた古代から越中国と呼ばれていた地域が、明治16年の廃藩置県でほぼ全域が富山県となった。

だから幕政時代の加賀百万石は現在の石川県だけではなく、富山県のほぼ全域も加賀藩だったわけだ。加賀藩の石高が石川県と富山県を合わせたものだったと考えれば、百万石というのも納得できる。

他県の人に富山県を語る時は、幕政時代の富山藩を富山県として語るのではなく、できるだけ古代からの越中国を富山県として語る方が分かりやすいと思う。幕政時代の加賀百万石に絡んで、石川県と富山県の話題になったら、富山県も加賀百万石の一部だったと説明すれば事足りる。

強いて石川県と富山県を対比するのであれば、加賀国、能登国、越中国の区分けで語る方が語りやすいし、聞いている人も理解しやすいのではないだろうか。

富山県が幕政時代の富山藩と誤解されている原因の一つに富山の売薬がある。富山藩は本家の加賀藩に依存しない経済基盤をつくるために産業を奨励した。富山藩第2代藩主・前田正甫(まさとし)が薬に興味を持ち合薬の研究をし、富山では最も有名な合薬富山反魂丹(はんごんたん)が開発された。これが富山売薬の創業とされる。「越中富山の反魂丹」として全国に広がった。こういった呼称が越中国と富山藩は同じと誤認されることになったのではないだろうか。

もう一つ紛らわしいのが「越中守(えっちゅうのかみ)」という呼称である。九州の旧熊本藩主・細川家は細川越中守忠興(ただおき)など、代々「越中守」と名乗っている。細川家と富山(越中国)とのつながりはあるのかとの疑問が湧き、漠然としてスッキリとしていない人も多いのではないだろうか。そして他県の人に質問されても、口ごもる事が多いと思う。

結論は「繋がりはない」だ。「守(かみ)」は、もともとは奈良・平安時代の法律である律令格式で定められた制度(律令制)のもとでの官位の呼称である。

徳川家康が江戸幕府を開いた時に武士を統制するのに官位を利用した。18世紀になると全ての大名が武家官位を授けられるようになった。

宝永6年3月7日(1709年4月16日)に将軍徳川家宣(いえのぶ)は「今より万石以下の人々、みな叙爵(じょしゃく)あるべし」と宣言(『徳川実紀』(『文昭院殿御実紀』巻1))して官位のなかった27名の大名が一斉に叙爵されて以後、全ての大名が家督継承時(家格によってはそれ以前の段階)に武家官位が授けられることになったのである。これにより名目上となった武家の家格は余り重要視されなくなる。

武家官位について、YAHOO! JAPAN 知恵袋に分かりやすい解説があったので転載した。

【○○(国名)+守、介】などは、もともとは律令制で定めれた国司の官名ですね。

国司とは朝廷から各国に派遣される、今で言う知事にあたり、守(かみ)はその長官、介(すけ)は次官にあたります。
ちなみに三等官を掾(じょう)、四等官が目(さかん)と言い、朝廷では役所によって字は異なるものの、すべて「かみ・すけ・じょう・さかん」の順になっています。
ちなみに軍事部門では「かみ・すけ・じょう・さかん」を「将・佐・尉・曹」と書いたので、明治期以降の軍隊でもこの字に大中少をつけて階級の呼称にしたんですね。

さて、国司は始めのうちは天皇から任命されて任地に赴いて政治を行っていましたが、時代が下るにつれて任地へ行かなくなったり(遙任)し、だんだんと有名無実化します。
やがて、武士が権力を握るようになってくると国司の地位はまったく意味をなさなくなってしまい、名目上の地位だけになってしまします。

そのうち、武士がその国の支配権を確立すると、「自分は武力だけで支配しているのではなく、きちんとしたお墨付きをもらっている」という名目をほしがるようになります。
徳川家康が三河地方の豪族を統率し、三河国の支配権を確立した際には朝廷に申請して三河守の官位をもらっています。

やがて、この官位はさらに名目上だけのものになっていき、もはや国名はまったく関係なくなってしまいます。
ある程度の地位へ上った武将に与えられる「武家官位」と呼ばれるようになり、主君が功績のあった家臣や、伝統ある家の者に与えるようになっていきます
織田信長は上総介、羽柴秀吉は筑前守、明智光秀は日向守などの官位を名乗っていますが、領地とはまったく関係ありませんね。
この頃は、形式上は朝廷に献金とともに申請して認めてもらってはいるものの、勝手に名乗るものなども大勢いました。
ちなみに、上総国、常陸国、上野国の3国だけは親王任国と言って、天皇の皇子が名目上の守になることになっており、介が長官でした。
織田上総介や吉良上野介はこのパターンです。

さて、江戸時代になると、幕府は禁中並公家諸法度を制定して武家の官位を朝廷の官位から切り離して、ごちゃごちゃになっていた官名(武家名乗り)を整理します。
こうして、江戸期以降は本人が申請して名乗るようになり、国の名前とはまったく関係なくなってしまいます。
同じ伊豆守でも何人もいたりしますし、そもそも、領地が細分化されてその国を丸ごと実際に支配している大名が外様大名以外にはいなくなってしまいます。
また、大名ではなく旗本であっても申請が認められると名乗ることができます。

それでも一定のルールはあり

・そのときの大老や老中と同じものは名乗らない
・朝廷のある山城国、幕府のある武蔵国の守は名乗らない
・常陸介は紀州徳川家初代の官名だったので名乗らない
・筑前守は、実際に筑前国を丸ごと領地にしている黒田家と秀吉から「羽柴筑前守」の称号をもらった加賀前田家以外は名乗らない
・薩摩守・大隈守は島津家、陸奥守は伊達家、土佐守は山内家がその国を実際に領地にしているので他の大名は名乗らない
・三河守・越後守は2代将軍秀忠の兄の家系である美作松平家が名乗っているので他の者は使わない
・尾張守は、主君を裏切り不幸な末路を辿った陶隆房や松田憲秀が名乗っていたので使わない
などの暗黙のルールができました。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1013988425
YAHOO! JAPAN 知恵袋から転載


6日に義母が亡くなったことは、新聞にも載せず近所や町内にも知らせず、親戚にだけに知らせた。亡くなった義母は90歳だった。義母の兄弟といっても既に亡くなっていたり、寝たきりになっている。親戚も義理の従兄弟たちに代替わりしている。家族以外、通夜にお参りしてくれたのは二人。葬儀に会葬してくれたのは、富山、高岡、東京からかけつてくれた7人と小ぢんまりとした家族葬になった。

それでも、葬儀が終わってからの中陰での会食では、北陸新幹線の話から、金沢、富山、高岡の話題で盛り上がり、かなりの時間延長となってしまった。その時にうろ覚えの事も多く、あやあやにしか話せなかったことも多かった。申し訳ないと思った。それで、説明できなかったことを忘れないうちに調べてハッキリさせておこうと思い、備忘録としてこの記事を書いた。

今日は亡くなった義母の初七日だ。

金森

日本社会の耐性

  • 時事

世界の株価が活きよいよく下がり始めている。私が前の記事で書いたことが現実味を帯びてきたようだ。

そんな中、気がかりなことがある。それは日本社会の耐性だ。日本を牽引してきた大企業に逆境を跳ね返すだけの力がなくなっているのではないかと云うことだ。

日本の建設業や製造業、小売業やサービス業まで、少数の大企業を頂点にし、下請け企業が大企業から仕事をもらうビラミット構造になっている。このピラミッド構造も既得権益で膠着化し、硬直化している。

その構造も政官業が一体となって、マスコミまでもが「広告」利権で、その構造の中に取り込まれている。

政府は、世界の動きに取り残されつつある大企業を税金で救済し、ゾンビ化させている。技術の日本を代表してきたパナソニック、シャーブ、ソニー、そして東芝も国民の税金を頼りに生き延びている。造船日本の旗頭三菱重工ですら、受注した船を納期までに造れなくて、損害金を払って延期している始末だ。

横浜のマンションの杭打ちの問題は、元請けのゼネコンに責任があるはずだ。しかし、なぜか下請け会社に責任があるかのごとく、問題をすり替えている。政府やマスコミは下請けの責任をとやかく言って、ゼネコンの責任には触れない。

技術の日本を標榜してきた大企業には、その技術力が無くなってきている。大企業には、いまやモノを造れる技術者、職人は居ないということだ。現場でモノ作りの苦労をしたことがなく、「下請けに作れ」としか言えない技術者しかいなくなっている。大企業の技術者は、いかに安い部品を集めてきて、組み立てることができるかで、力(技術力?)が評価されているのだろう。そういった大企業には本当の技術は蓄積されないだけでなく、枯渇していく。

「下町ロケット」でも、そんな様が描かれていたように思う。

これからの大不況、ゾンビ化した大企業は潰れていくしかないだろう。これから日本の逆境を乗り越えるには、小さくても本当の技術者や職人を大切にする中小零細企業に期待するしかない。

その徴候はある。ソニーや日電、日立やパナソニックなどの大企業のリストラで飛び出した、はじき出された技術者たちが集まって作るスマホや、家電製品にいいものがある。もちろん価格も、中国や台湾、東南アジア製品にも対抗できる。

わたしは、技術者魂を持った技術者や職人を大切にする中小零細企業に期待している。そういった会社の製品を買って応援していきたいと思っている。勤めていた会社が潰れれば、企業年金も貰えなくなるのだが・・・。

(蛇足)

実は、前の記事を書いたその日の夜に義母が他界した。こっちも予感が的中してしまった。

金森

コンドラチェフの波動

  • 時事

昨年末から年始と慌ただしかった。

年も押し迫った年末28日に高岡の叔父の訃報が入った。通夜、葬式で年末が過ぎた。年が明け年賀状で、世話になった横浜の知人が、ガンで胃とひ臓の摘出手術を受けて闘病中ということを知った。

実は、昨年末には東京の知人の奥さんがくも膜下出血で意識不明になっているとの連絡を受けている。その後の容体はどうなのか心配しているのだが連絡はない。

そして、昨日、従兄弟が喉頭がんで金沢大学病院に入院していることを知った。今日、顔を見に見舞いに行ってきた。昨年から兼六園近くの病院に入院している義母の容体も芳しくない。

話は変わるが、「コンドラチェフの波動」をご存知たろうか。

ウィキペディアの「景気循環」で次のように解説されている。

約50年の周期の循環。長期波動とも呼ばれる。ロシアの経済学者ニコライ・ドミートリエヴィチ・コンドラチエフによる1925年の研究でその存在が主張されたことから、シュンペーターによって「コンドラチェフの波」と呼ばれ、その要因としてシュンペーターは技術革新を挙げた。第1波の1780 - 1840年代は、紡績機、蒸気機関などの発明による産業革命、第2波の1840 - 1890年代は鉄道建設、1890年代以降の第3波は電気、化学、自動車の発達によると考えた。この循環の要因として、戦争の存在を挙げる説もある。

その景気循環の底が今年になるのではないかと感じている。

一方、1日の産経ニュースで経団連・榊原定征会長の認識を次のように報じている。

「日本経済の基本的なファンダメンタルは強い。アベノミクスの経済政策は徐々に効果をあげ、着実な回復をとげている。28年度は安倍首相が打ち出した32年にGDP600兆円を目指す初年度だ。政府は実質で1・7%、名目で3・1%という成長率見通しを掲げた。民間予測より高い水準だが、是が非でも達成しなくてはならない」

要するに「希望」「願望」である。日本の大企業経営者が願望を語り始めた時が景気の頂点であることは、ITバブル崩壊で学んだ。

今年は個人としても世界中でも申年らしく荒れた一年になりそうである。冷静に世界を見渡せば、安倍首相が言うように日本だけが特別とはならないだろう。もっとも、いままで安倍首相の口らかは嘘しか聞いてこなかった。そのことから考えても、安倍首相や自民党、公明党の言うことの反対の方向に進むことは確実と考えて良さそうである。今年から来年にかけての何処かで、日本の株価は7000円台にタッチするかも知れない。

嘘で塗り固めて、詭弁で人を誤魔化す自民党、公明党は許せない。その仲間になろうとしているおおさか維新の会も情けない。当然わたしは、そんな嘘と詭弁で塗り固めた人たちは支持しない。

新年そうそう少し熱くなってしまった。

金森

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