今年は暖冬だと妻と話をしているときに、天気の良い日に天橋立に行ってみようということになった。なぜ、天橋立なのか、理由は良く思い出せないが、二人とも行ったことがないという単純な理由だったと思う。早速、泊まる宿を決めて、どこをどう観光するかの道順を決めることにした。折角だから、宿は、料理が美味しところが良い。もちろん、料金が手頃であるにこしたことはない。
大変便利な世の中になったものである。妻が、インターネットで宿探しを始めた。探し当てたのが「ペンション自給自足」というペンションである。
ズワイガニが美味しいペンションで、料理も美味しく、量も多くて食べきれないと評判とのことである。
インターネットの地図検索サイトで場所を調べてみた。すごい山奥である。おまけに、ペンションの近くで道が途絶えているではないか。確かに距離的には海は近い。でも、なんでこんな山奥でズワイガニ料理がお薦めなのか不思議な気もする。しかし、口コミ情報の評判が良いのも確かだ。
なにはともあれ、このペンションで宿を取ることにして、観光する場所と道順を決めた。
2007年2月の記事一覧
韓国旅行二日目、天気は曇り、ホテルからタクシーを使って昌徳宮に着いたのは午前十時少し前であった。昌徳宮の敦化門前には、午前十時から韓国語のツアーが始まるので、韓国人の旅行客が大勢並んでいた。 昌徳宮はツアーでしか見学が許されていない。午前十時になり、韓国語ツアーの参加者が敦化門から入って行ってしまうと、門の前が空いた。私と娘はこの時とばかり記念撮影を始めた。
敦化門は西暦1412年に立てられた韓国に現存する最古の門ということだが、独特の模様がカラフルにペイントされている様子を眺めていると、これから始まる朝鮮王朝の文化に触れるツアーが楽しみでワクワクしてくる。
その時、一人の韓国人男性が近づいて来た。
「写真を撮ってあげます。」
彼は流暢な日本語で話しかけてきた。旅行先でこんな話に乗って、後でお金を要求された話を思い出した。
私はさらっと断ってその場を離れようとした。すると彼は私の心を見透かしたように言った。
「お金取ったりしませんから、折角だから二人で撮ったら記念になりますよ。」
そこまで言われると断りきれず、持っていたデジカメを渡した。私と娘が並んで入った写真を2、3枚撮ると彼は私にデジカメを返しながら、娘の横に行き、彼女の肩に手を回して言った。
「私と娘さん一緒に写真を撮ってください。娘さんとてもきれいです。私、一緒に写真を撮りたい。」
これまでの経緯から嫌とは言えず、迷惑そうな顔の娘と彼をツーショットにしてシャッターを切った。
それにしてもこの男、何を企んでいるのだろう。第一、娘はわざわざ写真に撮りたい程の美人ではない。自分が東京に二年余り住んでいた事など、にこやかに話しかけてくる彼に生返事していると、彼はポケットから、名刺と、布切れとチラシの入った透明の袋を取り出し、私に渡しながら言った。
「日本に帰ったら、写真を送ってください。」
私は笑顔を作りながら、いい加減に返事をした。すると、彼は透明の袋の方を指して言った。
「それはめがね拭きです。私は眼鏡屋さんで、私が社長です。そのチラシは私のお店です。是非、店に来てください。安くしてあげるから。」
な?んだ。めがね屋さんの客引きだったのだ。少しほっとしたが、異国での事、警戒するに越したことはない。ツアーが始まるまでもう少し時間があった。私達はお礼を言ってその場を離れようと歩きかけた。
すると、彼は私達に付いて来て、今日の予定を聞いてきた。私達が北村へ行くつもりだと答えると、案内してあげようときた。ここは曖昧にしているといつまでも付きまとわれそうで、鬱陶しい気がした。
「ありがとう。でも、これを見ながら行ってみます。」
私は夫に買ってもらった旅行雑誌をバッグから取り出して見せた。彼は、少し寂しそうな表情をしながら頷いた。・・・案外、良い人だったのかも知れない。
ツアーが始まろうとしていた。私達は敦化門前に並んだ。敦化門前は、いつの間にか日本人観光客でいっぱいになっていた。時間が来るとガイドが現われ、入場が始まった。
今回の韓国旅行に特別目的はなかった。強いて言えば、正月休みをアウェイで過ごしたかったと言うことだろうか。家にいると休みが休みにならない。だから、事前に何の予定も立てて来なかった。
一日目を迷子になりながらも、それなりに楽しんだ私はその夜、明日はどうしようかと思案していた。日本を発つ前、今回、別口で済洲島のカジノへ行った夫が買って来てくれた旅行雑誌、事前に開くこともなく旅行バッグに押し込んできた。それを開いてみる。ソウルは三度目だが、前回までは買い物好きの夫が一緒の買い物ツアーだった。今回、行くなら韓国の歴史に触れることの出来る場所へ行きたいと思った。
よし、明日は韓国歴史探訪の一日にしよう。そう思って見ると、景福宮、昌徳宮、宗廟、北村韓屋・・・旅行雑誌には行ってみたいと思う場所がいくつも紹介されていた。ここと、ここと、・・・自分なりにコースを組み立てながら、旅行雑誌をめくっていくと‘アドバイス'というコーナーに次のような行があるのが目に入った。
「月曜日、火曜日は休館のところが多いので行くなら、水曜日?日曜日に」
なに?っ・・・明日は火曜日。そう思って、もう一度、旅行雑誌を見直すと、ほとんどの施設が火曜日休館であった。火曜日、開いているところを探す。幸い世界遺産に登録されている昌徳宮が開館している。ここへ行こう。それから、韓国の伝統的家屋、韓屋が保存されている北村に行こう。町並みを散策するなら休みは関係ない。
昌徳宮では日本語ガイドツアーがあるということなので、午前十時半のツアーに参加することに決めた。
日本のジニ係数が、0.4983まで上昇しています。0.5はかなりの不平等とされ、日本も米国並みに中間層がくずれ、(金)と(貧)に分かれつつあるようです。
大手スーパーの苦戦もこの中間層の崩壊によるもので、イトーヨーカ堂でさえも、スーパー部門は減益です。
今まで通りの、大衆中間層をターゲットとしたマーケティング戦略では、たち行かなくなる可能性が高まっています。マーケティングを見直し、自社のビジネスモデルを再構築する必要があります。
今年のお正月は元旦から3日間、韓国、ソウルで過ごした。初日の出を眺めながら、関西国際空港に入り、午前9時40分発の大韓航空でインチョン空港に向けて飛びたった。インチョン空港までは約一時間半の空の旅である。
インチョン空港からソウルまでは車で約一時間。普段は交通渋滞でその倍はかかってしまうが、元旦は休日と言うことで道路は空いていた。ソウルの宿泊先ロッテホテルに着いたのは午後1時頃だった。
チェックインは午後3時というので、隣接のロッテ免税店を覗いて時間を潰す事にした。円安で、免税店も魅力が無い。一回りしたが手の出るものは無かった。日本のアウトレットモールの方が面白い。道理で最近、アウトレットモールに行くと韓国や中国からの団体が目に付くはずである。
チェックインまでの時間が潰しきれなくて、ホテルに戻り、地下にあるカフェで紅茶を飲んで過ごした。暖房の効いた店内で暖かい紅茶を飲むと急に疲労感を感じた。大晦日は除夜の鐘を聞きながら、大掃除をしていた。ほとんど眠る間もなく、自宅を出て、今ここにいる。睡魔が襲ってくる。
チェックインして、部屋に入った。荷物を置き、靴を脱いで、ベットに横になった。疲労感が心地よい。そのまま寝入ってしまった。
気が付くと、午後6時を過ぎていた。同行していた娘も同じように眠っている。彼女を起こし、ホテル内のレストランで夕食済ませたのは午後8時頃、散歩がてら南大門市場にでも行ってみようということになった。南大門市場までは歩いて十五分ほどである。
地図を片手にホテルを出て、歩き始める。ソウルの夜の電飾は凄い。どちらを向いてもキラキラ、光の世界が広がっていた。少し行くと電飾の壁のようなものが現われた。神戸のルミナリエそっくりである。まさかソウルでルミナリエに出会うとは思わなかった。友達に教えようと携帯電話で写真に撮った。
そのまま、暫らく歩くと、南大門市場に着いた。随分寂れた様子である。お昼ならもう少し活気があるのだろうか。今は東大門市場が主流と聞いていたが、なる程と思わせる。市場の中を一回りしたが買いたいと思うものは何も無かった。
帰ろうと市場を出た。来た道と違う。えっ・・こっちで良いのかな。なんとなく車が流れている方向に歩き始めた。店がだんだん少なくなる。オフィス街のような高いビルが現われ、高速道路が走っている。
地図を広げた。高速道路と今歩いてきた南大門市場の位置から自分のいる場所を推測する。
こっちだ。こっちだろう。夜は東西南北も分からない。いざとなれば今歩いてきた道を市場まで戻って、タクシーにでも乗れば良い。私も娘も脳天気。道は広いし車もいっぱい走っている。大丈夫、大丈夫・・・と言いながら、少し不安になってきた。
このまま冬のソウルの夜をさ迷う羽目になったらどうしよう。そこ此処ある道案内はハングル文字。せめて英語の道案内が欲しい。歩く速度が自然と早くなる。雨が降り始めた。今夜は雨の予定は無かったはず。傘は無い。ちょっと‘泣き顔に蜂’かもしれない・・・と思い始めたその時、Seoul.Sta.と書いた道案内板が目に付いた。走るように道案内板の示す方向に向かう。ソウル駅が見える。‘よっしゃ!’と言葉が出た。
ソウル駅の前まで行く。ここからならあちらの方向のはずと顔を向けた先に美しく光る竜宮城のようなものが見えた。
もしかしたら南大門?・・引き寄せられるように近づくと、まさに南大門であった チャコールグレイの霧雨の夜空に浮かび上がる、ライトアップされた姿は、太陽の下で見るものとは別物に見えた。私達は迷子になっている事も忘れ、暫らくの間、その雄姿を見上げていた。
気が付くと、雨が止んでいた。地図を広げ、南大門をマークする、今歩いてきた道、ソウル駅、高速道路、南大門市場・・・よし、あっちと見上げた彼方に明るい光が見えた。
市庁前広場の光だ。確信に満ちた気持ちで歩き出す。明るい光が近づいて来るにつれ、人も車も増えてくる。韓国は旧正月とは言え今日は休日、たどり着いた市庁前広場は又しても、神戸のルミナリエそっくりのアーチに囲まれ、若者や家族連れで溢れ、屋台も出て、ちょっとしたお祭りだった。
此処まで来れば、ホテルはスグそこ。頭の中に出来ていた不安のしこりが一気に消えた。
ホテルに戻ると午後10時半を過ぎていた。少なくとも1時間は迷っていたようだ。
こうして私の今年は'迷子'で始まった。今年はちょっと心配かも知れない。
広坂の交差点にある真弓坂口から兼六園に入る。坂を少し上がったところに瓢池(ひさごいけ)がある。この瓢池を端から左手に折れながら道なりに歩くと噴水がある。
この噴水は、噴水の裏手というか上にある霞ヶ池(かすみがいけ)を水源としている。この噴水は、池の水面との高低差からくる水圧であがっている。このため、池の水面が低くなると、噴水の高さも低くなる関係にあるが、絶えず概ね3.5m位の高さであがっている。
藩政末期に金沢城内の二ノ丸に水を引くため試作されたようである。日本で最古の噴水とも言われている。
冬の噴水をスナップした。
越前海岸の岸壁には、野生の水仙が群生している。北陸の冬に咲く花はめずらしい。海から容赦なく吹き寄せる冷たい風にもめげることなく花を咲かせる。質素であくまで控えめな水仙には可憐が似合う。