富山の公会堂には、いろんな思い出があったが、今はその場所はANAホテルになっている。その横は国際会議場だ。そして、その向かいに富山城がある。
富山城は昔と同じように建っている。そんなに大きくもなく、有名な城でもない。しかし、お城を見ていると、今までの出来事が、いろいろと思い起こされる。私たちにとっては、そんなお城ではないだろうか。
富山城の前には、何時のころからかモニメントがある。立山と水をイメージしているように感じた。
2006年12月の記事一覧
昨夜、インターネットテレビGYAOの「ドキュメンタリー」で放送している「戦争特集」の「日本百年」という番組を見た。「明治から始まる日本百年の歴史、当時の文化である書籍、絵画等を知る貴重なドキュメンタリー。」と紹介されている。
もともとこういった歴史に関するドキュメンタリーを見るのは好き方だ。しかし、高校の時の日本史とか世界史の成績は良くなかった。もっとも、歴史に限らず他の科目の成績もよくなかったのだが。
念仏を唱えるようにして、コツコツと年号を覚えないといけないのが性分に合っていなかったからだという事にして置く。
高校の歴史の授業というのはどういった授業だっただろうか。日本史の先生は特異な感じの先生だったので、おぼろげに覚えてはいる。しかし、授業の内容となると、あまり印象に残っていない。こういったドキュメンタリーを見ながら歴史を考える授業だったら、授業ももっと印象に残っていたと思う。年号や事件や人物の名前なども自然と頭に入っていったかも知れない。
「長い歴史の中で百年は短い。しかし、現に生きている人間にとっては長い一生である。」と最後にナレータが言っていた。確かにそうだと思いながらも、このドキュメンタリーを見ながら、これから起こることを見ているような不思議を感じた。
ところで実は、私はこのGYAOの株主様だ。今年の初めに、娘にGYAOの株主になると、優待でDVDが貰えると言われた。それではと株を買ったとたんに、あれよあれよと株価は下がり、挙句にはUSENに吸収されてしまった。そのUSENの株価も、どんどんと下がって、ひどいことになっている。
せっせとGYAOの番組を見て、株価が上がるのを祈るしかない。
金沢21世紀美術館には幾つか椅子が置いてある。
もちろん、美術品ではなくて、来館者が休憩する時に座る椅子である。
この椅子達も、休憩用の椅子だが、何時きても座る気になれない。綺麗だからと言うわけでもない。座られるのを拒否していると感じるからでもない。
無機質で、周りに溶け込んで、座るための椅子に思えないからかも知れない。ついついシャッタを押してしまう。
イッテミア・ミッション「金沢21世紀美術館で椅子に腰掛けろ!!」
昨日、横浜の山下公園に係留されていた「北太平洋の女王」と呼ばれた氷川丸が、営業を終了した。
私にとって氷川丸は青春の思い出の一つであり、今年亡くなった父もまた青春を過ごした船である。
「横浜マリンタワーと氷川丸の営業終了のおしらせ」の「氷川丸のおいたち」の中で、氷川丸が、次のように紹介されている。
・・・
戦前、戦後を通じ北太平洋を238回横断し、延べ25,000人余の乗客を運んだ氷川丸は、1960年(昭和35年)10月、現役生活を引退し、横浜市の「横浜港開港100周年記念事業」の一環として、1961年(昭和36年)生まれ故郷の横浜港・山下公園に係留されました。
その時、氷川丸にも行った。懐かしそうにしていたが、黙して多くを語ろうとはしなかった。そんな父の姿が思い浮かぶ。
以前、話題にしたことのある同窓会誌であるが、一カ月程前だったか手元に届いていた。今日、たまたま、会費の振込み用紙を見つけて、あわてて郵便局で振り込んできた。
同窓会誌は、創立以来40余年間で、2回目の発行とのことだったので、冊子かなにかだろうと思っていた。しかし、A3二枚両面刷りを半分に折った、町内会報をもっと簡単にしたようなものだった。
なぜか兵庫県の姫路市で、印刷されていた。同窓生が姫路市で印刷業をやっているのかも知れない。
記事の中で、我々5回生の同期会の様子が、先にみなさんに送った写真と一緒に掲載されている。後は8期生の同期会と、18年度の同窓会の様子が掲載されている。
この内容とボリュームで40年間に2回の発行というのには、いろいろと考えさせられる。あまり同窓生の協力がなくて、原稿が集まらないということかも知れない。
そんな中で発行しないといけない事務局のみなさんのご苦労と、ご努力に感謝するしかない。
同窓会員数は、平成18年3月現在で、男子:8,234名、女子:5,539名、合計:13,773名とのことである。
もし、手元に届いていないようであれば、同窓会事務局に問い合わせてみて欲しい。
同窓会事務局:富山県立富山東高等学校内
〒931-8502 富山市下飯野荒田6-1
TEL 076-437-9018 FAX 076-437-6008
(ホームページ) http://www.tym.ed.jp/sc337/
(E-mail) mail1@higashi-h.tym.ed.jp
共同通信社が19日に配信したニュースで、
ひるがえって、自分はどうだろうと考えてみると、できれば、収入を目的としたことではなくて、自分の興味のあること、楽しいと思うことに時間を使いたいと思う。傍目から仕事と捉えられるかどうかは別である。そして、大前提として経済的にも許されるのであればである。
今回の記事の中でも厚労省の社会統計課では「年金生活に不安があるのか、体力に自信があるのか、背景を見極めたい」と言っている。しかし、どちからかと言うものでもないように思う。ただ、経済的な不安があれば、体力に自信がなくても働かざるを得ないということだろう。
自分自身、悠々自適に暮らせると胸を張って言えるだけの蓄えがある訳でもない。おまけに年金もどうなるのか定かではない。悩ましい限りである。
グロブの投稿記事ご苦労様です。開いて懐かしく見ています。東高校へわざわざ出かけて、写真を撮られたのですか?
今年の富山の12月は雪もなく、暖かな日が続いています。
師走とは思えません!!
今日は曇り空なのですが、立山連峰がくっきりと見えます。学校の4階の窓から撮ってみました。
雪化粧の剣岳です。とてもいい景色です。
毎度の立山連峰ですが、是非、ブログに掲載してください。
12月も後、10日、もうすぐ2007年です。団塊世代の定年が始まり、いよいよ私たちは職場でも最年長へと登っていくのでしょうか・・・・
皆さん!、お元気で・・・・良いお年を!
学校の門柱も風雪に耐えてきたようである。 当時は出来たばかりで、真新しく輝いていたように思う。
門の前には、バス停があって、雑貨店があった。昼時や帰り際に、コッペパンとかウエハスパンとかを買って、ワイワイと食べていた記憶がある。
しかし、今はもう無い。月日は流れているのだ。記憶の中に残る店先のざわめきが蘇り、懐かしくもあり、少し寂しい気持ちになった。
イッテミア・ミッション「東高思い出の通学路」
東富山の駅から線路脇の道を線路に沿って歩くと踏み切りがある。
通いなれた道である。道幅の細さは昔と同じだった。当時は砂利道だったが、もちろん今は舗装されている。写真の右下に見えるのが、東富山駅への道である。
ここから学校まで、多少曲がりながらの道を歩く。これからの季節、雨、みぞれ、そして雪と、砂利道もぬかるんで、時たま通るトラックが跳ね上げる泥水に悩まされながら歩いた。
写真の右手先に家影が見えるが、当時は家などはなく、道端から一段低い田圃ではなかっただろうか。左手には工場があって、工場のブロック塀が、なぜか思い出された。今もその塀は、当時のものかどうか定かではないが、一部残っていたように思う。
イッテミア・ミッション「東高思い出の通学路」
東富山の駅は、私の記憶の駅とあまり変わっていなかった。駅前の小さな広場は舗装され、駅舎の屋根の瓦は新しく、外壁は白く小奇麗になっている。しかし、雰囲気は当時のままだった。
卒業後、始めて訪れたように思う。もう、何十年になるだろうか。
私の横を通って駅舎に入って行く学生達を見ていると、自分とだぶって見えてくる。目を閉じ、耳を澄ますと、あの時の、友達とあれこれ話しながら砂利道を歩く足音や、列車の汽笛が聞こえてくるようでもあった。
イッテミア・ミッション「東高思い出の通学路」