総曲輪通りの書店と言えば、直に清明堂書店と中田書店を思い出す。
しかし、今は清明堂書店しかない。中田書店もそうだが、総曲輪通りのお店はどんどんと郊外に出ているようだ。
今の総曲輪通りは人通りもマバラで、あの頃の活気は感じられない。この人通りであれば、郊外に出て行かざるを得ないのかも知れない。しかし、工事中の大和デパートが完成して、人通りも戻って、少しでも活気が蘇るのではないかと期待している。
この歳になってくると、車に乗って郊外に行くのは面倒だ。安いとか、効率が良いとかという事にはあまり興味が沸かない。
公園、図書館、美術館や画廊など洒落たお店がコンパクトにまとまっている街中を、喫茶店やレストランにでも寄りながら、散策して歩けるという、そんな街の方が好きだ。総曲輪通りや中央通り、西町がそんな街になってくれたらと思う。
雑談 一覧
富山県庁舎は包帯で包まれてるようになっていた。昭和10年に竣工した格調高い建物で、思い出深い建物でもある。
読売新聞の北陸の造景「役所の威厳誇る“面構え”」の中で、次のように紹介されている。
「帝冠様式」は、昭和初期のナショナリズム台頭を背景に、無国籍、または国際的な様式の近代主義建築に対抗して主張された。最大の特徴は、伝統的な屋根を載せること。だが、白山さんは「県庁舎にはこれが欠けている」というのだ。
富山県庁前の公園には噴水があって、花時計がある。今その花時計は、富山県の花でもあるチューリップの花時計になっている。
「人生に一度だけ、誰にでも運命の休暇がある」が、「ホリデイ」のキャチコピーだ。
シャドウ・ロウ、キャメロン・ディアス。ケイト・ウインスレット、ジャック・ブラック。二つのカップルが織り成すラブ・ストーリー。
ロンドンの女性記者アイリス(ケイト・ウインスレット)は失恋し、ハリウッドに住む女社長のアマンダ(キャメロン・ディアス)も一つの恋を失う。
そんな時、インターネットの<ホーム・エクスチェンジ>サイトを通じて、お互いが住む家を交換して、心の傷を癒そうと冬の休暇を過ごすことになる。
ロンドン郊外とハリウッドで、それぞれに思いがけない新たな出会いがある。その中で、大人のぎこちない恋が始まる。ナンシー・メイヤーズ監督の脚本が洒落ている。
こんな出会いがあったら、こんな恋がしてみたいと思ったり、思わなかったりと・・・。
我が仕事場の近くに流れるイタチ川沿いの「さくら」です。
もう今日辺りが最後の「お花見」でしょうか・・・・・・
今年の桜はふっくらとしていて、例年にないいい咲き方をしています。
この数日間、満開を楽しみました。
川面に白い細かな桜の花びらが流れています。これもまた風流です。
桜を背に走るライトレールの写真を撮りたいと思いつつ、なかなかチャンスがありません。(潤)
国道305号線で越前海岸に差し掛かったのが夕方の五時を少し過ぎた頃だったと思う。夕食には少し早いが小腹も空いてきていた。お腹の足しになるものをと思いながら車を走らせていた。
弁慶の洗濯岩を少し走ったところで、「Cafe」という文字をチラッと目にした。一旦は通り過ぎてしまったのだが、直に車を止め、Uターンした。「Café MARE」というお店だった。
店に入ると日本海に沈む夕日を見ながら語らう若いカップルで席はほぼ一杯だった。
夕方六時頃になると、夕日が雲に隠れ始めた。お店のスタッフも椅子などを片付け始めた。何時が閉店かと尋ねたところ、決まっていないとのことだった。日が落ちたらクローズということのようだ。レジにあった案内にも営業時間はAM10:00?落日と書かれていた。
夕日が日本海を赤く染めていた。店の駐車場には、青いラパンだけがあった。
31日土曜日、千葉の“21世紀の森”“八柱霊園”“市川霊園”と桜さくらの一日を過しました。
中学時代のクラスメイト(高岡の中学です)が今は千葉に住んでいて、その友人が車を走らせてくれました。
クイーンズ伊勢丹で美味しい弁当をゲットして、出かけました。
午前中は本八幡近辺の川沿いの桜を、スニーカーで中学時代に戻ってサイクリング、あいにく曇り空だったけど人手が少なくて思いっきり自転車をこぐことが出来ました。
21世紀の森では鷺、鴨など野鳥もゆったりと生息しています。オシドリも見ることが出来ました。
近距離なのに街中に比べかなり寒く、厚手のセーターが役に立ちました。
その後も車で走る所すべて桜さくら・・・桜街道を車で走るその様はまるでそのまま天国に行く道のようでした。
翌日1日は靖国神社の近く、千鳥が渕にある病院にお見舞いに出かけ、市ヶ谷から歩いたのですが、ヒトヒト人で桜を愛でる気にもならない状態でした。でも人のあまり歩いていない夜の靖国通りの桜並木を歩くのは、気持ちがいいですよ。
友人のデジカメで私が撮った写真を添付します。
北鎌倉の駅から鎌倉に向けて少し歩く。横須賀線の踏み切りを渡って、もう少し歩いたところに建長寺があったと思う。メモには、1977年建長寺と書かれてあった。30年程前、季節は今頃、建長寺の桜である。(当時は、カラーで写真を撮ることは少なかったのかも知れない。)
この風景はどこかで見たことがあるとか、以前体験したことがあると感じることがないだろうか。こういった感覚を既視感(きしかん)と言い、フランス語でデジャヴと言う。
最近観た映画は、監督トニー・スコット、主演デンゼル・ワシントンの「デジャヴ」だ。素早いカットでテンポよく話が進む。奇抜な展開に幻惑されながら、ひとコマひとコマのショット。点と点が、ラストシーンに向かって線となって繋がっていく。ラストでそれらのカットが伏線であったことに気付く。その伏線が「デジャヴ」だ。
沢山の乗船客と多くの幸せを乗せて走るフェリーが爆破される。デンゼル・ワシントンが演じる捜査官が、犯人を追い詰めていく。今と四日前が時空を越えて交錯しながら捜査が進む。SF的感覚の中で、アクション・サスペンスが展開される。文句なく楽しめるエンターテイメント作品に仕上がっている。