「大きいことは良いことだ!!」 つい口ずさんでしまうCMソングのフレーズだ。
昭和39年(1964)10月にアジアで初めて開催された東京オリンピックは、昭和40年代の日本の高度経済成長を世界中に知らしめるには絶好の幕開けとなる出来事だった。国民所得の急激な上昇による国民生活の変化は、西洋菓子市場では華やかなチョコレート合戦となって現れ、大手メーカーがヒット商品を競った。
森永は昭和39年1月、ハイクラウンチョコレートを発売し、業界にいち早く「質の時代」を開いたが、昭和40年代に入り、カカオ豆の輸入価格が下がってきたタイミングをとらえ、昭和42年の目玉商品として大型の板チョコ「エールチョコレート」の発売を決めた。
広告企画会議では、商品コンセプトである「従来の板チョコより一まわりほど大きくて値段は50円のお徳用」を、どのようにインパクトのある広告に展開するかが検討された。さまざまな議論の末、「今までの日本は、小さな幸せ、慎ましやかな幸せが美徳とされてきた。これまでにない速さで経済大国の道を歩みつつあるこれからは、もっとのびのびと胸を張って、大きいことはいいことだと主張しよう」という方向が決まった。
そうして誕生したコマーシャルが、当時、型破りでひょうきんな指揮者として人気を博しつつあった山本直純を起用した「大きいことはいいことだ」のテレビCMだった。
経済の上昇気流に乗った日本を象徴するように、気球の上から1300人もの大群衆を指揮する山本センセイ...。ヒットするCMの裏には、キャラクターの魅力とともに、時代を的確にとらえた視点とメッセージがある。
http://www.morinaga.co.jp/museum/history/show03/choco_03.html
森永ミュージアムから転載
政府はなにかにつけ「今は低成長時代であり、それに対応した政策が必要だ。」という。しかし、アベノミクスをはじめ政府がやっている政策は、高度成長時代の成功体験を脱することができていない旧態然としたその場限りのものばかりだ。
アベノミクスと言われ始めたころから、お菓子のパッケージは二回りは小さくなっただろう。実質的に値上げしていることになる。ただ、国民総生産から見れば減少となる。簡単に言えば、同じ個数を二回り分少ない原材料で作っているということだ。一方、消費者は容量が少なくなったからといって二袋は買わない。内容量が減量されても、一袋で我慢しているというわけだ。あるいは、わたしのように一袋も買わずに我慢する。
大量消費時代は、地方の産物を東京などの中央に集めて地方に分配する。新潟寺泊の料理屋は、料理に出す魚を近くの寺泊の魚市場からではなく、東京築地から仕入れると聞いたことがある。安く大量に効率よく売るといった経済構造といえる。地方は大量消費地東京への安価な労働力と農産水産物の供給地ということだ。
一方、地方都市の郊外には大型商業施設が造られ、安価な商品を大量に売りさばいている。あおりを食って、昔からの商店街はシャッター街となる。
日本中どこの街に行っても、全国展開した大型スーパーや洋服専門店、大型家電販売店、コンビニ、ファミリーレストラン、廻る寿司、牛丼店などが目につく。地方都市の独自性が削がれ、日本中同じ景色で味気ないことになっている。
そんな昨今ではあるが、徐々に流れが変わってきているように思う。全国展開の大型商業施設、特に大型スーパーが閑散とし始めたように感じている。わたし自身、大型店で買い物をしなくなっている。
家電や衣料、スポーツ用品などは、欲しいと思う商品の実物は大型店で確認する。必要なら試着したりもする。ただ、実際には価格の安いネットショップで購入する。
経済の流れは確実に変化してきている。東京中心の集中型経済から、地方分散、地産地消で都会と地方の共存共栄経済への変化だ。そしてこの流れは止まらないだろう。東京のために地方があるというアベノミクス経済の対極への流れとも言える。
「大きいことは良いことだ」の時代はとっくに終わっている。経済は上昇すれば下降する。景気は循環するのが自然の姿だろう。いつまでも上昇することなどあり得ないのだ。
具体的なわたしの考えは、機会を見ながらボチボチ書いていこうと思う。
金森
コメントする