富山には「Good Luck」というタウン誌がある。これの2012年9月号に「出雲勢による支配から大和王権による支配へ 越中古代史を探る 姉倉姫事件の鎮圧は出雲勢による越中統一を表現?」という記事が載っている。
富山の古代の歴史に触れることができ大変興味深く読んだ。詳細はこちら(PDF)を読んでもらいたい。特に興味を引かれた冒頭部分を引用した。(ただし、写真は私が追加した)
姉倉姫事件の鎮圧は出雲勢による越中統一を表現?
先月号の『富山の風景』で、『神通川と呉羽丘陵ふるさとの風土』(廣瀬誠著・桂書房)をもとに、姉倉姫の神話を紹介した。簡単に振り返ると、船嶮山(富山市舟倉の一帯)を本居とした姉倉姫という女神は、能登石動山の伊須流伎彦(いするぎひこ)と夫婦だったが、伊須流伎彦が近くの柚木山(そまぎ)の能登姫と通じたため、姉倉姫は激怒し、この三角関係のもつれから越中・能登は戦乱となった。この騒動を聞いて、出雲から大国主神(おおくにぬしのみこと)(別名・大己貴命(おおなむちのみこと))がやってきて戦乱を鎮め、関係者を処罰した。姉倉姫は小竹野〈呉羽〉に謹慎させられ、機織の仕事で罪を償わされ、伊須流伎彦と能登姫は海浜にさらされたーという神話である。
ちなみに能登石動山は「のとせきどうざん」と呼ぶ、一方、富山県小矢部市にある「石動」は「いするぎ」と呼ぶ。石動をなぜ「いするぎ」と呼ぶのか理由が分からなかったのだが、ひょっとしたら「伊須流伎彦(いするぎひこ)」と関係があるのかも知れないと、ふと思った。
今回、この神話の意味と越中の古代史について、とても参考になる資料を見つけることができた。
『「喚起泉達録」(かんきせんだつろく)に見る越中古代史』(棚元理一著・桂書房)である。
棚元氏は、「喚起泉達録」にある「大己貴命(大国主ノ神)が国作りをした時」がこの事件を解明する手掛かりの一つになるという。2世紀は「魏志倭人伝」にいう争乱の時代で、越ノ国でも豪族が勢力争いを繰り広げ、能登の豪族・能登姫等が国境の伊須流伎彦を誘い込み、強引に越中への勢力拡張(領地横領)を企てたことから姉倉姫事件が起こったと分析する。そして、出雲の大己貴命(大国主神)が、この機会を利用して越ノ国へ下向し、越中を平定したのだという。越中を統一した大己貴命は、呉羽丘陵に越中統治の拠点を置いて農耕地の開拓や絹織物の生産を奨励したという。
金森
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