氷見・朝日山公園から見渡す日本海は洋々として、左手に能登半島、右手・海越しに立山連峰が望め、まさに絶景の一言に尽きる。桜や紅葉の折りの素晴らしさは筆舌に尽しがたいだろう。この南麓に真言宗の古刹・上日寺がある。大イチョウで有名だが、この寺には、ある人物の話が伝わっていて、それを短篇にまとめ、作家としてデビューした高名な女性小説家がいる。その伝説の人物とは面打・氷見宗忠で、小説家は杉本苑子、作品は『燐の譜』(昭和二六年)である。当時二六歳の杉本は、この作品で第四二回サンデー毎日大衆文芸賞に入選し、その選考委員だった吉川英治に師事し、順調に作家としての道を歩むことになる。後年、『孤愁の岸』(昭和四七年)で直木賞を受賞し、その後も多くの文学賞を受賞し、我が国の代表的な女性歴史小説家となった。
彼女が主人公にした氷見宗忠とは「越中氷見村朝日山の観音堂に住んでいた僧侶で、つねに能面を打って観音に奉納していたといわれた。すべて痩せたる面を得意とした人で、老女、痩男、痩女、蛙などの作物では、もっとも古いばかりでなく、後世にその類を見ない名工である」(『能の話』野上豊一郎)という室町期の半ば伝説上の人物で、杉本は『燐の譜』で次のように描いた。
狂気じみた仕事ぶりで面を打っていた宗忠は、ある日、面打ちに行き詰まり、全てを投げ捨てて京都から出奔する。越前で老僧と出会い、その縁で出家し、観音堂の堂守りとして越中氷見に赴く。観音堂で次第に安らぎを覚えてきたが、雪で御堂が埋もれると、激しい焦りに襲われるようになる。忘れたはずの面への執着だった。そこへ越前で忘れた面打ちの道具が届く。そんな折り、狩人の葬式に呼ばれ、その死顔に惹かれ、それを面に打とうと思い立つ。吹雪の夜、狩人の墓をあばき、死骸を盗み出して観音堂に運び、腐りゆく死骸を見ながら夢中で面を打ち続ける。面は完成し、宗忠はそれを持ち、一路京都へと向かう。だが、途中で力尽きて倒れ、知り合った旅人にその面を託す。面は旅人によって観世広元の手元に届き、「痩男」の面として能舞台に使われるようになる。
この作品について杉本は「陰惨な一個の面は、それを打った人の性格から風貌、小さな吐息まで私達に雄弁に物語っている様な気がしてなりません。しかし、それを勝手な受け取りでこんな風に仕上げたのは、作者である私の無鉄砲な「若さ」のせいで冥界の宗忠はさぞ腹を立てている事であろう」と言っているが、この言からも、この作品は宗忠の事蹟を詳細に調べて書いたのではなくて、杉本の頭の中で創られたものだろう。そのせいか、ストーリー性に富んで各場面の描写は精緻ではあるが、人物の心の奥底にまで入り込んだ深みがなく、時代は中世ではあるが、平安の説話物語風で、宗忠の芸に対する狂気も、芥川龍之介『地獄変』の絵師・良秀の地獄図を描く為の偏狂振りや、谷崎潤一郎『少将滋幹の母』の腐乱死骸から悟りを開く摩訶止観の場面などが髣髴と思い浮かび、観念性の強い小説になっている。だが、小説を書いて二、三作目で弱冠二六歳の小説としては、後の重厚で円熟した作風へと大成していく才能の煌めきが十分に見出せる好作品である。この小説を読み終えた後、上日寺の観音堂の前に立つと、宗忠の面打つ音が久遠の昔から聞こえてくるかもしれない。そんな余韻を残す小説である。
上日寺の大イチョウ
立野幸雄
コメントする