林の中で紅葉を集めてたき火をし。酒を温めて飲むという、秋の風流な楽 しみ方を述べた言葉。 「林間に酒を煖あたためて紅葉を焼たく」という詩中の一句の略。
●出典は、白居易(はくきょい)「王十八(おうじゅう)はちの山やまに帰かえ ると送おくり仙遊寺(せんゆうじ)に題だいす」(詩)
富山県立富山東高等学校5回生親睦会
11月21日の例会で、生オケでの伴奏とバックコーラスを担当してくれたのが、アダルトベンチャーズの面々だ。彼らは生オケ大会の前に生オケでの曲を演奏してくれていた。
今回、演奏してくれた曲を動画にしてYouTubeにアップし始めた。演奏を楽しんでもらえるようにMCは極力カットした。
また、生オケ大会の様子はURLを知っている人だけへの限定公開にしてあるが、こちらの動画は一般公開にして全世界の人達が自由に見れるようにした。
曲ごとに一本の動画に編集して収録してあります。
【10番街の殺人 / アダルトベンチャーズ】
【DVDビデオと音楽CD】
5本の動画を収録したDVDと、音声部分だけの5トラックの音楽CDを作りました。連絡もらえれば送ります。ただ、作成費や送料等、実費として、DVDビデオ、音楽CDについて、それぞれ1000円の負担をお願いします。両方あるいはどちらが必要かを知らせて下さい。郵便局やコンビニで振り込める振込手数料無料の振込用紙を同梱して送ります。
連絡先
メール: kanamori@ofours.com
金森
予定通り11月21日に富山中央通りの SUMMER KNIGHT で例会やりました。
参加者は次の11名で、パワフルにワイワイと語り合い歌いました。
金森、太田、竹沢、立野、中新、山下、舘田、大作、野口、松原、田中(敬称略)
少し前に京都にある永観堂で紅葉を楽しんできた。その時、御影堂で聞いた法話に『「人はそれぞれ色んな問題を抱えて生きている。その問題には、なんともならない問題と、なんとかなる問題がある。「歳を取れば死を迎える」これはなんともならない問題だ。一方、「何事にもチャレンジして生きれば歳を取っても若く生きることができる」これがなんとかなる問題だ』
みんなは若い。歌うみなんを見ていて、そう思った。
(注意: 画像、映像はURLを知っている人だけへの限定公開です)
曲間のMCは極力カットせず収録しました。生オケ大会の雰囲気もお楽しみ下さい。
【DVDビデオと音楽CD】
7本の動画を収録したDVDと、音声部分だけの7トラックの音楽CDを作りました。例会に参加していない方でも構いません。連絡もらえれば送ります。ただ、作成費や送料等、実費として、DVDビデオ、音楽CDについて、それぞれ1000円の負担をお願いします。両方あるいはどちらが必要かを知らせて下さい。郵便局やコンビニで振り込める振込手数料無料の振込用紙を同梱して送ります。
連絡先
メール: kanamori@ofours.com
金森
氷見・朝日山公園から見渡す日本海は洋々として、左手に能登半島、右手・海越しに立山連峰が望め、まさに絶景の一言に尽きる。桜や紅葉の折りの素晴らしさは筆舌に尽しがたいだろう。この南麓に真言宗の古刹・上日寺がある。大イチョウで有名だが、この寺には、ある人物の話が伝わっていて、それを短篇にまとめ、作家としてデビューした高名な女性小説家がいる。その伝説の人物とは面打・氷見宗忠で、小説家は杉本苑子、作品は『燐の譜』(昭和二六年)である。当時二六歳の杉本は、この作品で第四二回サンデー毎日大衆文芸賞に入選し、その選考委員だった吉川英治に師事し、順調に作家としての道を歩むことになる。後年、『孤愁の岸』(昭和四七年)で直木賞を受賞し、その後も多くの文学賞を受賞し、我が国の代表的な女性歴史小説家となった。
彼女が主人公にした氷見宗忠とは「越中氷見村朝日山の観音堂に住んでいた僧侶で、つねに能面を打って観音に奉納していたといわれた。すべて痩せたる面を得意とした人で、老女、痩男、痩女、蛙などの作物では、もっとも古いばかりでなく、後世にその類を見ない名工である」(『能の話』野上豊一郎)という室町期の半ば伝説上の人物で、杉本は『燐の譜』で次のように描いた。
狂気じみた仕事ぶりで面を打っていた宗忠は、ある日、面打ちに行き詰まり、全てを投げ捨てて京都から出奔する。越前で老僧と出会い、その縁で出家し、観音堂の堂守りとして越中氷見に赴く。観音堂で次第に安らぎを覚えてきたが、雪で御堂が埋もれると、激しい焦りに襲われるようになる。忘れたはずの面への執着だった。そこへ越前で忘れた面打ちの道具が届く。そんな折り、狩人の葬式に呼ばれ、その死顔に惹かれ、それを面に打とうと思い立つ。吹雪の夜、狩人の墓をあばき、死骸を盗み出して観音堂に運び、腐りゆく死骸を見ながら夢中で面を打ち続ける。面は完成し、宗忠はそれを持ち、一路京都へと向かう。だが、途中で力尽きて倒れ、知り合った旅人にその面を託す。面は旅人によって観世広元の手元に届き、「痩男」の面として能舞台に使われるようになる。
この作品について杉本は「陰惨な一個の面は、それを打った人の性格から風貌、小さな吐息まで私達に雄弁に物語っている様な気がしてなりません。しかし、それを勝手な受け取りでこんな風に仕上げたのは、作者である私の無鉄砲な「若さ」のせいで冥界の宗忠はさぞ腹を立てている事であろう」と言っているが、この言からも、この作品は宗忠の事蹟を詳細に調べて書いたのではなくて、杉本の頭の中で創られたものだろう。そのせいか、ストーリー性に富んで各場面の描写は精緻ではあるが、人物の心の奥底にまで入り込んだ深みがなく、時代は中世ではあるが、平安の説話物語風で、宗忠の芸に対する狂気も、芥川龍之介『地獄変』の絵師・良秀の地獄図を描く為の偏狂振りや、谷崎潤一郎『少将滋幹の母』の腐乱死骸から悟りを開く摩訶止観の場面などが髣髴と思い浮かび、観念性の強い小説になっている。だが、小説を書いて二、三作目で弱冠二六歳の小説としては、後の重厚で円熟した作風へと大成していく才能の煌めきが十分に見出せる好作品である。この小説を読み終えた後、上日寺の観音堂の前に立つと、宗忠の面打つ音が久遠の昔から聞こえてくるかもしれない。そんな余韻を残す小説である。
上日寺の大イチョウ
立野幸雄
キハ40系・忍者ハットリくんのラッピング車両一台が富山湾沿いにゆっくりと北西に進む。島尾の駅を過ぎ、車窓から浜辺の松林を眺め、海の雄大さに見とれていると、住宅地に入り、縦に細長いマンションの横で電車は停まった。氷見線の終着駅・氷見駅に着いた。
ホームに降りると、吹く風に潮の香がする。爽やかな空気だ。だが、漁業と観光で脚光を浴び、人口約5万5千人の県内でも有数の市の表玄関の駅としては意外に小さい。駅舎はコンビニを2店舗合わせた規模の平屋で外観は淡いクリーム色に綺麗に塗装されている。ホームは、切り欠けホーム(2番線)を持つ1面2線なのだが、実際は改札側の1番線しか使われていなく、1面1線である。また、客車列車が運行されていた頃の名残なのか、終着駅に見られる機関車を付け替えるための機回し線が残っている。魚の積出し用の数本の側線も以前はあったらしいが現在はない。駅構内は、平日の昼下がりのせいか、乗り降りする人が少なく、閑散としている。
委託の駅員が配置されている改札口を通り、駅舎に入る。出札窓口の横に観光案内所があり、真向かいに待合室がある。整然と椅子が並んでいるが、以前は売店があったらしい。現在は飲物の自販機と特産品の陳列棚があり、奥にも陳列窓がある。周辺の壁には氷見を舞台にした映画のポスターが何枚も貼られて、中を覗(のぞ)き込むと、映画「ほしのふるまち」(平成23年)の撮影の際に使われた衣装や小道具、サイン入りのパンプなどが展示されている。主演の中村蒼と山下リオの笑顔がまぶしい。
駅前に出る。駐輪場や便所が傍らにあり、ローカル色の濃い、落ち着いた駅前風情が広がっている。駅横に小さな映画館がある。言い様のないノスタルジアを覚える。氷見は地元出身の藤子不二雄A氏の関係から漫画と縁が深いが、最近はロケ地の関係から映画との結び付きも深まっているようだ。氷見絆国際映画祭が毎年開催され、「ほしのふるまち」以外にも「赤い橋の下にぬるい水」「死にゆく妻との旅路」「万年筆」「夢売る二人」「命」「九転十起の男」、まだあるのだろうが、この地でロケした映画の幾つかが思い浮かぶ。氷見の風景は映画を愛する全国の人達の胸に深く刻み込まれているに違いない。
駅前から415号線に出て、右にしばらく歩くと湊川の橋に着く。その橋の手前を川に沿って曲がると、忍者ハットリ君が現れる「からくり時計」がある。次に左に復興橋を渡り、郵便局を過ぎて少し歩くと藤子不二雄A氏の生家・光禅寺がある。復興橋を渡らず、そのまま川沿いを歩き、田町橋を渡って進むと大銀杏(いちょう)のある立派な寺が目に止まる。光照寺である。芥川賞作家の木崎さと子がこの寺をモデルに「沈める寺」を書き、芸術選奨新人賞を受賞した。寺の坊守の夫人、その息子の愛憎の煩悩(ぼんのう)を信仰と救いの問題を絡ませて描いている。ドビュッシーのピアノ曲で、フランスのブルターニュ地方に伝わるケルト伝説を基にした同名の曲がある。フランスに滞在経験のある木崎は、氷見を訪れてブルターニュ地方に似ていることから題名にしたと言う。氷見はフランスの海岸地方に似ているのだろう。だが、伝説では要(かなめ)の都市は水没するのだが...。そのまま朝日山へ進むと、我が国屈指の大銀杏(いちょう)で有名な上日寺がある。この寺を舞台に杉本苑子は「燐の譜」を書いて文壇にデビューした。氷見は野村尚吾「浮標灯」、横光利一「紋章」にも描かれている。
文化の豊かな土地だ。潮風に乗って到来する新鮮な香を育んで豊潤な文化とし、氷見は発展してきたのだろう。
氷見駅は大正元年に開業。1日の平均乗車人員は800人前後。
氷見駅
立野幸雄
金沢の街に出かけたのは午後3時を回っていた。いしかわ四高記念公園やしいのき迎賓館ではいろいろとイベントをやっていたようだが、公園に着いた頃にはイベントの後始末が始まっていた。足元には落ち葉、冬を迎える景色になっている。
帰りに今夜の肴を買おうと香林坊大和の地下に行った。この時間帯は刺身の盛り合わせなどには割引シールが張ってあるので、それを目当てに行く。しかし、刺身売り場には人だかりで中国からの観光客と思われる人達が、割引シールの貼ってある刺身パックを買い物カゴにドンドン入れていて残り少ない状態になっていた。多分、ホテルの部屋でみなさんでワイワイとやるのだろう。残念ながら刺身パックにはありつけなかったが、特売していたハムのセットを買ってきた。
わたしも京都に行った時などは、錦市場にある大丸デパート地下で、京都の地酒や肴を買ってきて、ホテルの部屋で一杯やることが多い。ただ、中国の観光客のみなさんは半端ない行動力だと関心してしまう。
金森
先に「泉涌寺」で、タイトル画像にした京都の御寺泉涌寺の紅葉を紹介した。
御座所庭園の紅葉には紹介した以外にいくつもの見どころがある。最初の写真は別院 雲龍院に入ったところで、障子戸から見る紅葉だ。次の写真は紅葉ではないが、別院 雲龍院悟りの窓。
訪れたのが平日であったからか、幸いにも人の流れに流されることもなく、座って庭を楽しむことができた。ただ、紅葉の季節の土日休日は人も多く落ち着いて庭を見ることは難しいように思えた。
(参考までに撮影したのは2013年11月22日)
金森
世話人への連絡 higashi5@ofours.com へ
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