山間(やまあい)の終着駅という言葉にはロマンが漂う。そこに祭りと華やかな文化の町が加われば旅情が募る。その想いに駆られ、城端駅へと向かう。駅に近づくにつれ、山々が迫り、やがて進行前面が高い塀のような山波に遮(さえぎ)られると電車は止まった。ホームに降り立ち、辺りを見回すと懐かしさに包まれた。昔に帰ったような、過去の一時点で止まったような木造瓦(かわら)葺(ぶ)きの小さな駅舎が目に入る。相対式ホーム2面2線なのだが、構内の境が駅舎側にあるだけで、レールは草の生える空き地で尽き、構内踏切で繋がる向かいのホーム裏は数本の桜の木と青々とした田が広がり、境界の代わりに赤や白、ピンクの大輪の芙蓉の花が咲き乱れている。レールは錆(さび)に塗(まみ)れ、枕木は朽ち、道床の砂利(じゃり)の間からは雑草が我が者顔に伸びている。構内は自然の為(な)すがままで素朴で飾り気がなく、駅は真夏の暑さの中で深い眠りに陥っているようだ。
蝉の鳴き声に追われて駅舎に入る。その狭さに驚いたが、それが古めかしい造りと相まって心がひどく安らぐ。壁に曳山(ひきやま)祭、むぎや祭、五箇山等のポスターが貼られ、観光駅の一面も窺(うかが)われ、城端をモデルにしたアニメ『トゥルー・ティアーズ』の放映後に置かれたコミュニケーションノートもあり、城端の新しい顔を覗(のぞ)かせている。
駅前に出て駅舎を見る。風雪で屋根の棟(むね)が歪(ひず)み、色あせた柱や板材には亀裂が走り、力尽きて今にも倒れそうに見えながら、明治30年から変わらぬ姿を保ってきた凜(りん)とした気迫が宿っている。屋根の駅銘板も厳(いか)めしく、「越中の小京都」に似つかわしくて風格がある。平成14,年「第4回中部の駅百選」に認定されたが、さすがと感嘆する。
駅前の高岡寄りに大駐輪場、反対側に離れて便所があり、真向かいの看板に「城端は機(はた)の声の町なり/寺々は本堂の扉を開き/聴聞の男女傘を連ね/市に立ちて甘藷(かんしょ)の苗売る者多し/麻の暖簾(のれん)京めきたり」と、民俗学者・柳田國男の紀行文の一節が書き留めてある。城端は絹と善徳寺の町だ。そして、裕福な絹問屋は贅(ぜい)を尽くして曳山祭を支援した。華麗豪華な曳山と庵(いおり)屋台。三味線の音色に粋な庵(いおり)唄(端唄)の唄声。曳山祭は目で見て耳で聞く祭りだという。ふと「忍ぶ恋路はさてはかなさよ/今度逢ふのが命がけ/よごす涙の白粉(おしろい)も/その顔かくす無理な酒」と、若い頃に好んだ端唄(はうた)が頭をよぎる。今も曳山祭で唄われている。すると、認知症の老人が引きこもりの青年に初恋の人を探してくれと頼み、その人を探しに城端に来た青年が事件に巻き込まれるという小杉健治の『もう一度会いたい』(平成19年)が頭に浮かんだ。小杉は、殺人事件の調査で城端に来た刑事が、その地で自らの出生の秘密を知るという『曳かれ者』(平成9年)も書いている。いずれも端唄が物語の要(かなめ)になっている。秋山ちえ子も嫁姑が労(いたわ)り合いながら曳山祭の夜に夫・息子を探し回る『二人静(ふたりしずか)』(昭和55年)を書いている。いずれも華やかな祭の影に潜む人の生の哀しみを切々と描いている。
城端の文化は底知れぬほどに様々な物語を生み出す。
観光客擦(す)れした京都より、小京都・城端は日本の真の文化を日々の生活の中で慎ましく伝えている。むぎや祭が間もなく始まる。その時、駅は再び息を吹き返し、優しい眼差(まなざ)しで多くの人達を迎えてくれるだろう。
城端駅は明治30年開業。1日平均乗車人員は230人前後。駅前からは五箇山行きのバスが発着している。
城端駅
立野幸雄
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