泉鏡花は山に住む怪しげな美女の話を好んで描く。その代表作が「高野聖」(明治35年2月)である。飛騨の山中で道に迷った僧が妖艶な美女のいる一軒家に辿り着き、一夜の宿を頼む。その夜は何事もなく早朝に出立するが、後にその女は怪しい力で旅人の男を弄んでは獣に変える魔女だと知る。この作品を書いた三カ月後に鏡花は朝日町・小川温泉を舞台にして女に関わる同じような怪異な物語を書いた。「湯女の魂」である。
旅の途中、泊の町で男は東京の友人の言葉を思い出し、友人と深い仲だった湯女に会おうと小川温泉を訪れる。温泉宿では湯女がその友人への恋煩(わずら)いから寝込んでいて、その上、何かに取り憑かれて毎晩うなされていた。宿の主の頼みで男は一晩湯女の世話をすることになる。その女が言うには、夜毎に怪しげな女が現れ、戸外の孤家に連れ出し、男への想いを断ち切るようにと折檻(せっかん)するという。その夜、女の枕元に大きな蝙蝠(こうもり)が現れ、女を連れ出し、荒野の一軒家へと導く。男は女の後を追い、その家に入ると、怪しげな女が待ち構えていて湯女をいたぶり、男を金縛りにする。そして、湯女が男への想いを捨てないのでその魂を抜き、それを男に預けるから東京の友人に届けるようにと言って、蝙蝠に変じて男の懐へと入り込む。男は不気味になり、早々に宿を立ち、東京の友人宅へと向かう。友人に会うと彼は今までいた湯女が急に消えたと言って不思議がる。その後、温泉から湯女の死の知らせと形見の品が届く。
実に奇妙な話である。だが、怖い話なのだが、その怖さがすっきりとしない。鏡花はこの話で〈湯女に取り憑いた怪異〉を描きたかったのか、または〈湯女の魂を預かった奇怪な出来事〉を描きたかったのかが曖昧なのである。〈湯女の怪異〉なら取り憑いた蝙蝠(こうもり)の化物譚、〈魂を預かること〉ならば人の霊魂に関わる幽霊譚である。原因不明の化物譚の怖さと因果応報の幽霊譚の怖さとでは本来質が違う。鏡花は原因不明の怖さを描くのを得意としたが、この作品で異質の怖さを結び付けた処に違和感が生じたのだろう。元々「湯女の魂」は作家の川上眉山宅での硯友社文士講談会(明治33年)で、鏡花が口演、速記したものに手を加え、改稿したものである。会場の聴客にあわせた即興的な怖さづくりが曖昧なものにしたのかもしれない。
山の化物蝙蝠を題材にした鏡花の作品に「蝙蝠物語」(明治29年)がある。山の宿に恋人がいる男がいて、その恋人が魔神に拐(かどわ)かされる。ある夜、男は化物蝙蝠に導かれて山奥の一軒家を訪れる。そこには男を想い切るようにと魔女によって折檻(せっかん)されている恋人がいた。魔女は蝙蝠の化身で、嫉妬から女を苛(さいな)んでいるらしいのである。「湯女の魂」とよく似ている。おそらく「蝙蝠物語」に魂を預かる話を付け加えたのが「湯女の魂」であろう。このように鏡花の作品には様々な材源を換骨(かんこつ)脱(だっ)胎(たい)して膨らませたものが多い。小川温泉には「啄木鳥」(昭和3年1月)から鏡花は実際に訪れたことがあるようだが、訪れたのが「湯女の魂」の構想の前なのか後なのかが判明しない。江戸の妖怪図鑑「桃山人夜話」では、山中に「山地乳(ぢち)」という化物蝙蝠や「飛(ひ)縁魔(えんま)」という美女の姿で男の血を吸って殺す化物もいる。お化け好きの鏡花のことだから案外こんな処から山の化物と女を絡ませたのかもしれない。また、朝日町の近辺、境川の上流の上路は謡曲「山姥」の舞台で、その山姥からヒントを得たのかも知れない。ともあれ、小川の湯に浸かり、山の化物に思いを巡らせるのも一興だろう。
立野 幸雄
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