グループホームは、精神病患者向けにイギリスで提唱されたのが始まりで、日本では2000年に介護保険の一つの制度として制定されている。介護保険制度では、グループホームといえば認知症高齢者型を指す。
グループホームは認知症の高齢者が住み慣れた地域で安心して生活できるようにといった目的があり、グループホームは立地している市町村以外からは入居できない仕組みになっているようだ。グループホームへの入居条件は、要介護認定に加え、認知症と認められること(医師の診断書)が入居条件の一つになっている。
義母が入所したのがこの介護保険制度の介護サービス給付が利用できる民間の企業が運営するグループホームであり、看取りまで面倒を見てくれる。
入所後、週に一度は様子を見に行っていたが、三週間目に入る頃、施設の所長さんから電話があった。グループホームでの生活環境になかなか馴染めないようで、黙って施設の外に出て徘徊していたとのことだ。ついては落ち着くまでしばらくの間、様子を見に来るのは控えた方が良い。近日中に入居者で片山津温泉に温泉旅行に行く。旅行が終わった後に様子を知らせるとの事だった。
所長さんの話では、入所の初期にはよくあることのようだ。義母も早く今の生活に馴染んでくれるよう願っている。
金森
禊(みそぎ)
神道で自分自身の身に穢れ(けがれ)のある時や重大な神事などに従う前、又は最中に、自分自身の身を氷水、滝、川や海で洗い清めること。類似した水垢離(みずごり)と呼ばれるものがある。
用例は万葉集より「君により言の繁きを 故郷の明日香の河に禊しにゆく」 (巻4-626)
駐車場を出て宇治橋を渡り砂利道を歩く。参道途中右手ゆるやかな斜面を下りると石畳を敷き詰めた五十鈴川岸に出る。心身ともに清めてから参宮する御手洗場だ。
勤めていた会社に入社してまもなく、会社の研修会でこの御手洗場で五十鈴川に入って禊したことがある。季節は冬、暗くなってからの夕食前、川の水は想像以上に冷たく、川から上がった時には草履が凍っていた記憶がある。当時も正宮に参宮したとは思うが覚えてはいない。凍えるほど寒かった禊だけを覚えている。
金森
午前3時、枕元のスマートフォンがけたたましく鳴り始めた。4時までに高速道に乗れば通行料が3割引になる。昨夜の内に荷物は準備して置いたので余裕で白山ICから北陸道に乗ることができた。
もちろん車は軽自動車のホンダNワゴン。遠出は軽自動車にしている。軽自動車だと高速料金も安い。最近の軽は燃費も良く、高速道路でもリッター22kmは走る。乗り心地も普通車と遜色はない。時たまレクサスなどの高級車に乗せてもらうことがある。レクサスなどの高級車は自分で運転するというより、運転は人に任せて、後部座席でゆったりとした気分で乗る車だ。自分で運転して旅をするのなら断然軽自動車がいい。小回りは効くし、車も停めやすい。旅行先では実に重宝する。
南城SAで、家から持ってきたカップラーメンにポットに入れてきたお湯を注いで朝飯にした。
そうこうしながら、家を出てから約6時間後、伊勢神宮内宮の駐車場に車を停めることができた。
金森
芦峅寺の雄山神社を出た後、立山ICから北陸道で帰ろうと車を進めた。
右折すれば立山ICという交差点が目に入ったところで国道8号線へと右折した。岩瀬に行って海を見ようと思い立ったからだ。
東岩瀬町のランドマーク「富山港展望台」の駐車場に車を止めて富山湾を眺めた。それから古い町並みが残る岩瀬大町新川通りを歩いた。一服したいと思い御休所政太郎の案内板を見ていたのが午後3時40分頃。
そんな時、街を案内しているのだろうおじさんに声を掛けられた。
この通りは戦災で焼けていないとか、三大旧家の本家はどこで分家はどこだとか、親切にもいろいろと話しかられた。ただ、入ろうとしていた政太郎の案内板には午後4時までとなっていた。せっかくの話も気が気ではなく、うわの空で聞いていた。大変に申し訳ないことをした。でも4時前には店に入れた。
チョコレートパフェを食べて店を出たのは午後4時半を回っていた。
金森
雄山神社について、ウィキペディアには次のように書かれている。
霊峰立山を神体とし、立山の神として伊邪那岐神(立山権現雄山神・本地阿弥陀如来)・天手力雄神(太刀尾天神剱岳神・本地不動明王)の二神を祀る。神仏習合の時代には仏教色の強い神社であり、立山修験の源であった。また、元明天皇や後醍醐天皇の勅願所でもあった。
峰本社(みねほんしゃ)、中宮祈願殿(ちゅうぐうきがんでん)、前立社壇(まえだてしゃだん)の三社をもって雄山神社とする。所在は富山県中新川郡立山町芦峅寺(あしくらじ)から岩峅寺(いわくらじ)にかけた一帯、広くは地獄谷や弥陀ケ原を含む立山連峰全域である。
岩峅寺及び芦峅寺の「峅」と言う文字には「神様の降り立つ場所」の意味がある。
称名滝からの帰り芦峅寺にある雄山神社に寄った。鳥居から立山大宮へ立山杉が林立する参道を歩く。参道の途中にある祈願殿でもお参りしだ。祈願殿では若い夫婦が神主さんにお祓いを受けていた。
金森
ミステリーの舞台にも
おわらの季節が近づくと、山間(やまあい)の静かな町の辻々から三味線や胡弓(こきゅう)の音色が聞こえてくる。その物悲しい音色は、祭の華やかさとは裏腹に、生きることの哀(かな)しみを切々と訴えて、多くの優れた文学作品を生み出した。
おわらの踊り手の大方は、男は股引に法被(はっぴ)、女は浴衣に太鼓結びの黒帯の装いだが、男女ともども深々と編みがさを被(かぶ)る。その編みがさには、ある物語が彩りを添える。
水戸街道は取手宿。一文無しで空腹の相撲取りが、宿で働く接客係の女性に故郷の母の墓前で横綱の土俵入りをしたいと嘆く。その言葉で女性は望郷に駆られて唄いだし、相撲取りに小金を与える。唄は「おわら節」、女性はお蔦(つた)、相撲取りが茂兵衛で、後に渡世人になってお蔦の窮地を救う。
長谷川伸の「一本刀土俵入」(昭和六年)である。お蔦の故郷は八尾で「?取手を立ち去ったお蔦は夫と女の子と三人で八尾におちつき、年々の九月一日風の盆に親子夫婦三人で小原節を楽しむ?。お蔦あみ笠(かさ)背に投げかけて越中八尾の風の盆。長谷川伸」と八尾町の観光会館前の碑に記してある。
そのことからか、踊る女性の被る菅笠(すげがさ)を「お蔦笠」という。長谷川伸は川崎順二(おわら中興の祖・医師)に招かれて何度も八尾を訪れた。野口雨情、佐藤惣之助、藤原義江、高階哲夫などの文人、音楽家も川崎に招かれて八尾を訪れている。
風の盆がさほど知られていないころ、テレビ取材(「遠くへ行きたい」)で八尾を訪れた作家が、祭の印象を小説にまとめた。五木寛之の「風の柩(ひつぎ)」(昭和四十六年)である。
東京のテレビ局関係の男が八尾を訪れる。取材は名目で、八尾出身の昔の恋人の消息を確かめるためだった。だが、娘は自殺していて、娘の妹は男のせいだと責める。おわらの哀愁帯びる調べの中で男は娘を想(おも)って佇(たたず)む。逸(いち)早く風の盆の素晴らしさを見出し、小説に取り入れた五木の先見性と感性の鋭さには舌を巻く。
全国に風の盆は知られるようになり、その名をさらに高めたのが、高橋治の「風の盆恋歌」(昭和六十年)である。
若いころに心を通わせながら離ればなれになった男女が風の盆の八尾の夜に忍び逢(あ)う。罪の意識に戦(おのの)きながら一夜限りの愛に身を燃やす男女の姿を切々と描いている。石川さゆりが歌い、多くの女優が演じてテレビ、映画の不倫物の定番となった。だが、高橋は「不倫を書いたのではない」と怒り、老いを迎えた男の未練に似た悔いを書いたのだという。また、八尾には自らが登場人物のモデルだと称する人が多い。高橋は「モデルはいない。人物は創作だ」とまた怒る。小説で多くの読者に自分がモデルだと思わせるならば、それこそ紛れもなく傑作の証(あかし)だろう。
風の盆はミステリーにも描かれた。前夜祭の夜、八尾の街並みを見下ろす城ケ山で老舗旅館の若旦那が殺される。その死の謎を追うのが探偵・浅見光彦だが、謎解きばかりでなく、踊りに関わる現在の人脈までが分かる。
内田康夫の「風の盆幻想」(平成十七年)である。ほかに、和久峻三「越中おわら風の盆殺人事件」、西村京太郎「風の殺意・おわら風の盆」などもある。風の盆に関わる物語は話が尽きない。おわらばかりではない。八尾にはまだまだ優れた作品がある。それは次回にまわそう。
哀調を帯びた胡弓や三味線の音色に合わせ、街を踊り流す「おわら風の盆」=富山市八尾町諏訪町で(昨年9月撮影の写真を画像処理)
立野幸雄
ご案内いただいた11月の例会東京からの参加となります。
よろしくお願いします。
私の近況は、
今年の8月の夏は、毎日暑いので、ほとんど家の中に閉じこもっていました。
8/16と20の両日、読売交響楽団の演奏会を聴きに、溜池のサントリーホールに足を運びました。
シューベルト「未完成」、ベートーヴェン「運命」、ドヴォルザーク「新世界」、メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」、ドブォルザーク「チエロ協奏曲」、チャイコフスキー「ピアノ協奏曲」。これら全部の交響曲は、馴染みのある曲ですが、圧巻でした。
至福のひとときでした。
こんどは、上野公園にある東京藝術大学の奏楽堂で開催される藝大の学生が演奏する定期コンサートに通うかなあと思っています。
また、8/22に、絵の題材にしようと、夜景が素晴らしくて、最近人気の「川崎工場運河探検夕涼みクルージング」にひとり参加しました。
結局、絵の題材にはならなかったのですが、多摩川、運河からの羽田空港、離着陸する飛行機、川崎の京浜地区の石油コンビナート、大中小のタンカー、貨物船の眺め良いものでした。
ということで、人生いろいろ楽しんでいます。
9/4、上野の藝大に、藝大主催のチケットを購入しにいきました。そうしたら、キャンパス内がなんだか学園祭の準備モードでした。
9/5?9/8まで、「藝大祭」が開催されるとのいうことで、美術と音楽の両方(?)のアートを愛する私としては、藝大祭は興味津々でした。
9/7に行って、藝大の学生の絵と音楽のアートを楽しんできました。
ということで、東京で、芸術・文化のかおりの人生を楽しんでいます。
竹沢
北陸道立山ICを降りて、県道6号を南へと車を走らせる。立山あるぺん村を左手に見ながら地鉄立山線の立山駅へ。立山駅を右手に見てのドン突きに称名滝への駐車場がある。車を駐車場に止めてしばらく歩くと称名滝に出る。
称名滝に着いたのは昼ごろ。山の天気は概ね午後には崩れはじめる。この日も下界は晴れているが山にはガスがかかり始めていた。
金森
北陸新幹線は来年(2015年)3月に開業となる。開業に向けて着々と準備が進んでいる。
金沢港では神戸港から運ばれていきた車両が陸揚げされていた。蛇腹のようななった船倉の蓋が巻き取られていくと、車両が縦二列に格納されている。これをクレーンで引き上げて陸揚げする。トレーラーに繋げて白山総合車両基地に運んで整備後、試運転して開業に備える。
警備の人に聞いたところ、神戸港と広島港からの船が運んでくるそうだ。今日の船は神戸港からとのことだった。
金森
参加予定者(11月17日現在)敬称略
金森、太田、竹沢、立野、中新、山下、舘田、大作、野口、松原、田中(11名)
富山例会を企画しました。
会場は昨年8月の例会会場 SUMMER KNIGHT です。みなさんで、懐かしくも楽しく、大いに語り合いましょう。
前回のように太田くんバントが懐かしい曲を演奏してくれます。加えて今回は、中新くんと野口くんもギターと歌で参加してくれる予定です。
彼らの演奏を生オケにして、みんなでハリキッて歌いましょう。
40名ほど(送付費用の事情だけでの40名で他意はありません)のみなさんには別途案内状を送りますが、案内状が送付されてくるこないに関係なく、ぜひ参加してください。また、案内状を送りたいという同期生があれば教えて下さい。無条件で送ります。
みなさん誘い合わせて参加表明してください。楽しみにしています
1.日時
2014年11月21日(金曜日) 受付開始 18:00、開宴 18:30
2.場所
SUMMER KNIGHT
http://summerknight.jp/
富山市中央通り1-3-13 石黒ビルB1 (中央通り北銀本店前のビル)
TEL 076-492-0999
3.参加費
6000円(ドリンク、フード フリー)
当日会場で集金します。申し訳ないけどお釣りが必要ないよう準備してください
4.参加表明方法
5.参加表明締め切り日
11月19日(水曜日)中
金森