ミステリーの舞台にも
おわらの季節が近づくと、山間(やまあい)の静かな町の辻々から三味線や胡弓(こきゅう)の音色が聞こえてくる。その物悲しい音色は、祭の華やかさとは裏腹に、生きることの哀(かな)しみを切々と訴えて、多くの優れた文学作品を生み出した。
おわらの踊り手の大方は、男は股引に法被(はっぴ)、女は浴衣に太鼓結びの黒帯の装いだが、男女ともども深々と編みがさを被(かぶ)る。その編みがさには、ある物語が彩りを添える。
水戸街道は取手宿。一文無しで空腹の相撲取りが、宿で働く接客係の女性に故郷の母の墓前で横綱の土俵入りをしたいと嘆く。その言葉で女性は望郷に駆られて唄いだし、相撲取りに小金を与える。唄は「おわら節」、女性はお蔦(つた)、相撲取りが茂兵衛で、後に渡世人になってお蔦の窮地を救う。
長谷川伸の「一本刀土俵入」(昭和六年)である。お蔦の故郷は八尾で「?取手を立ち去ったお蔦は夫と女の子と三人で八尾におちつき、年々の九月一日風の盆に親子夫婦三人で小原節を楽しむ?。お蔦あみ笠(かさ)背に投げかけて越中八尾の風の盆。長谷川伸」と八尾町の観光会館前の碑に記してある。
そのことからか、踊る女性の被る菅笠(すげがさ)を「お蔦笠」という。長谷川伸は川崎順二(おわら中興の祖・医師)に招かれて何度も八尾を訪れた。野口雨情、佐藤惣之助、藤原義江、高階哲夫などの文人、音楽家も川崎に招かれて八尾を訪れている。
風の盆がさほど知られていないころ、テレビ取材(「遠くへ行きたい」)で八尾を訪れた作家が、祭の印象を小説にまとめた。五木寛之の「風の柩(ひつぎ)」(昭和四十六年)である。
東京のテレビ局関係の男が八尾を訪れる。取材は名目で、八尾出身の昔の恋人の消息を確かめるためだった。だが、娘は自殺していて、娘の妹は男のせいだと責める。おわらの哀愁帯びる調べの中で男は娘を想(おも)って佇(たたず)む。逸(いち)早く風の盆の素晴らしさを見出し、小説に取り入れた五木の先見性と感性の鋭さには舌を巻く。
全国に風の盆は知られるようになり、その名をさらに高めたのが、高橋治の「風の盆恋歌」(昭和六十年)である。
若いころに心を通わせながら離ればなれになった男女が風の盆の八尾の夜に忍び逢(あ)う。罪の意識に戦(おのの)きながら一夜限りの愛に身を燃やす男女の姿を切々と描いている。石川さゆりが歌い、多くの女優が演じてテレビ、映画の不倫物の定番となった。だが、高橋は「不倫を書いたのではない」と怒り、老いを迎えた男の未練に似た悔いを書いたのだという。また、八尾には自らが登場人物のモデルだと称する人が多い。高橋は「モデルはいない。人物は創作だ」とまた怒る。小説で多くの読者に自分がモデルだと思わせるならば、それこそ紛れもなく傑作の証(あかし)だろう。
風の盆はミステリーにも描かれた。前夜祭の夜、八尾の街並みを見下ろす城ケ山で老舗旅館の若旦那が殺される。その死の謎を追うのが探偵・浅見光彦だが、謎解きばかりでなく、踊りに関わる現在の人脈までが分かる。
内田康夫の「風の盆幻想」(平成十七年)である。ほかに、和久峻三「越中おわら風の盆殺人事件」、西村京太郎「風の殺意・おわら風の盆」などもある。風の盆に関わる物語は話が尽きない。おわらばかりではない。八尾にはまだまだ優れた作品がある。それは次回にまわそう。
哀調を帯びた胡弓や三味線の音色に合わせ、街を踊り流す「おわら風の盆」=富山市八尾町諏訪町で(昨年9月撮影の写真を画像処理)
立野幸雄
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