富山を懐かしむ、富山のあれこれを誇りに思う。これは年のせいでしょうか?
富山の街を歩きながらあちこち懐かしい思い出に浸っていた母を笑えなくなりました。連休中は半分上京、後半は母を連れ立って買い物やドライブで過ごしました。
年老いた母は外出を全て、私に頼るようになってしまい大和や総曲輪へも久しく出かけていませんでした。人通りのまばらな西町・総曲輪、西武デパートの跡を見て嘆き、新しい大和の完成を楽しみに、駅裏の発展ぶりに驚き、車に乗っている間中、昔の街並みを懐かしんで一人で説明していました。この私も思い出を共有できるところがある。年を重ねたんだなあと妙な納得!!
ところで、昨年12月「総曲輪物語ー繁華街の記憶」堀江節子著が出版されました。著者と知己であることから即、手にしましたが、富山を知る戦前世代にも我々世代にも共感しながら読める1冊です。
富山の繁華街と言えば総曲輪通り。2005年、創業110周年を迎えた。昨今の商業環境の急激な変化のなか、再開発が行われ、まちの風景も刻々と変わる。店舗も人も変わる中で、変わらないのは「商いの心」と「進取の気性」。中略・・・・・歴史をひもとこうと古い新聞を繰った。大火、戦災、水害、近隣商店街との競合、大型店進出など、常に危機感を持って果敢に挑戦する商店の姿があった。
「総曲輪物語」より・・・・・。
読み進んでいくと私たち高校時代の総曲輪が懐かしく思い出されます。東高校の帰り、泥で汚れた長靴のままで歩くのが恥ずかしかったあのころ、人混みの中で「あなたに会ったよ!」と言われても気がつかなかったあのころ、いつか、かっこいい彼と総ブラを夢見たあのころ、懐かし?い・・・です。そんな時の経過が嘘のようでもあります。今回の総ブラの目的は初孫の晴れ着を買うためでした(潤)
イッテミア・ミッション「頑張れ!! 総曲輪」
富山の名物と言えば、「鱒の寿し」だ。そして、「鱒の寿し」と言えば、源の鱒の寿しが全国的にも知られている。源の鱒の寿しは、駅弁として売られ、甘みのある味付けがされていることもあってか、全国的に有名になったのだろう。
しかし、富山では、いろんなお店で、お店毎の伝統の味付けを自慢に「鱒の寿し」が作られている。富山駅前の近く、新富町の市電通りにある「青山総本舗」(写真では玄関のガラス戸に市電が写ってしまったが)もその一つである。「幼いころの記憶がよみがえるような、なつかしい味。何の飾り気もないけれど、しあわせを感じる素朴な味」の鱒の寿しとして、このお店のファンも多いと聞く。
この記事のタイトル「富山になぜか富がある」は、今朝の日経新聞の一面にあったの記事のタイトルだ。
「日本一豊かな家計」はどこにある? 北陸のとある県に飛んだ??。
北緯三十六度、東経一三七度。「日本の真ん中」に位置する富山市。平均から突出した統計が満載だ。
▼「平均月収」七十一万円。=日本一 ▼「消費支出」四十万円=全国二位 ▼「こづかい月額」四万五千円=日本一 ▼「平均貯蓄残高」五百六十九万円(富山県)=全国七位
と紹介して、記事は続く。
富山の特徴は総働き家族にある。一家で多財布、時間とお金をおおらかに融通しあう富山の家族。さようなら大黒柱、大家族の中でもお互いが経済的に自立して、家長に頼らない家計。最後に、「総働き型のイエコノミーは強靭(きょうじん)だ。」と結んでいる。
団塊の世代の大量退職が始まっている。世の中、少子化時代になって、日本経済の活力減退が心配されている。この記事を読みながら思ったのだが、富山の家族のありようの中に、日本の活力復活のヒントがあるように思える。
記事の中で、富山市の施策もあって、市街地の人口が四十年ぶりに増えたとも紹介されている。総曲輪通りの賑わいも戻ってきそうで、楽しみである。
ちょっと思い付いて、お店を一つ作った。お店と言っても、総曲輪通りや大和デパートに出店したというわけではない。インターネット上のお店だ。いままで出版してきた書籍や法律電卓、かみの松茸も、この
ネットショップで販売することにした。
実際のお店を開店するとなると、地代とかテナント料、お店の内装、店員さんを雇わないといけないだろうし、お店を作って運営していくのに何千万円も掛かってしまう。その点、インターネット上であれば、そんな経費も必要ないし気軽に作れる。
このお店も自前でトンカチと作った。お陰で、かなり安価に出来た。デザインは今一つだが、ボチボチとかっこよくしていこうと思う。
ちなみに、同期生が出版している「
戸隠の熱い夏」も、下のボタンを押せば、ショッピングカートが出てきて注文できる仕掛けになっている。この注文ボタンは、どのホームページにも貼り付けることができる。貼り付けたホームページがお店の支店になってしまうということだ。
この仕組み、いろんな所で使えるような気がしているのだが、どんなもんだろう。
ところで、開店して早速、
このお店から注文があった。ただし、「戸隠の熱い夏」ではなかったのが残念。
私は8年ほど前からジャム作りに凝っています。
きっかけは、友人が遊びに来てイチゴジャムを一緒に作ったことからです。
市販のジャムしか食べたことのなかった私は、実の所あまりイチゴジャムが好きではありませんでした。
それが!なんとその美味しさに驚いたのです。
そしてもう一方で、20年前から眼科通いだった私は“眼に良いと言われるブルーベリー”に大変関心を持っていました。
けれど、そんなに沢山のブルーベリーを摂ることは難しく、市販のサプリメントに頼るしかありません。
しかも、市場に出回るのはほんの一時期だけです。
それで、ジャムにしよう!と思った訳です。
色々試行錯誤を繰り返しながら、今年からノンシュガーのレモン果汁入りコンフィチュールにしようと思っています。
コンフィチュールはゆるーい状態の物です。
レシピよりかなり砂糖は少なめにしているのですが、『砂糖を入れないで作ってほしい』とジャム作りを教えてくれた友人が去年提案してきたので挑戦してみたら、とっても美味しくてブルーベリーのみの甘みで充分だということを発見しました。
先日靖国通りの輸入食品のお店で、フランス製のノンシュガーのコンフィチュールを見つけました。
写真に写っている、細長い瓶のものです。甘さが優しいですね。
ブルーベリーにも色々種類があるようで、私は7月に入ったら伊勢丹の契約ファームからのオレゴンのブルーベリーを使っています。2週間くらいしか出荷しないのです。
ある年、無くなっていたのでカナダ産のものを購入したのですが、これがぜんぜん美味しくないし、皮もすぐぐしゃぐしゃになって色も汚いのです。
だから、7月に入ると両手で持てるだけ買って三往復します。それで1年分のブルーベリーコンフィチュールができます。
他にりんごは青森、岩手の農家から購入して作ります。他にはいちごはもちろん、かぼちゃ、にんじん、あんずを作ってみましたがーその他・・・私も作っているという方、教えてくださいね?
究極のところ、果樹園の中で暮らしたい♪のです。
kokkoくにこ
駅前の文化センターでいけばな教室を主宰する友人が教室を閉鎖した。15年ほど前には20名前後いたお弟子さんが、阪神淡路大震災の後、減り始め、2年ほど前から2名になってしまったと言うのだ。
文化センターでは他の教室と合わせて定期的に新聞に折り込みチラシなどを入れて、生徒募集をしているのだが、見学すらないという。
彼女が文化センターから得る収入は月謝の40パーセント。5000円×2名の40パーセントだから1ヶ月4000円の収入である。勿論、経費は全て込み。お稽古のお花も、数が多ければ花屋さんが届けてくれるが、2セット位では届けては貰えない。お稽古は月3回、お稽古の日になると、少しでも安く、お稽古用の花を調達したくて、車を走らせ、花の卸業者まで買いに行く。そして、教室開催時間の3時間はお弟子さんがいなくても、ひとり、教室で待機していないといけない。収入目的でやっている訳でなくても「やってられないわ」となるだろう。
何事にも手の抜けない彼女は、たった二人のお弟子さんを全力でお世話していた。良く頑張ったと思う。
彼女と私は姉妹弟子。師匠が数年前に亡くなった後、他の師匠に乗り換える気にはなれず、彼女の教室の花を分けてもらって、いけばなを続けてきた。私としても寂しい。これからは、彼女が自宅で隔週開いているいけばな教室の花を分けてもらうことにしたが、花を生ける機会が減りそうである。
'いけばな'が趣味の対象として、誰からも振り向かれなくなりつつある。何が問題なのだろう。家元制度とか、師匠と弟子といった時代遅れの徒弟制度にも問題があると思うが、そんなことは中に入ってみないと分からないことであり、そもそも、それ以前に'いけばな'に習いたいと思わせる魅力がないのかも知れない。生活様式、価値観の変化について行っていない現状があるのだと思う。
実は昨日、あるイベントに飾られた花を大量に貰った。その花で、いつもとは少し違う雰囲気で生けてみた。多分、これからの世代に受けるのはこんな花だろうと思う。
富山市役所の広場の鯉のぼりが、気持ち良さそうに風に舞っていた。
親子元気に仲良く洋々と泳いでいる。暫し見入っていたが、飽きなかった。