私がまだ、娘と呼ばれていた頃、‘いけばな’は女性の嗜みの一つとして一般に認められていた。お稽古の花を抱えた若い女性をよく見かけたものだった。いつの頃からだろう、最近はそんな女性をほとんど見かけなくなってしまった。
そもそも、‘いけばな’が女性の嗜みの一つとして、花嫁修業の代表格だったのは何故だろう。花が上手く生けられたところで、結婚生活と何の関係があるのだろう。昔から、そんな疑問を持っていた。
‘いけばな’を習うことで、花を生けようとする心の豊かさを育てるということだろうか。単に、花を生ける技術を持つことが女性の値打ちだったのだろうか。
話を戻そう。‘いけばな’という日本の伝統的な花のアレンジの文化が廃れていっている。若い世代は西洋から入ってきたフラワーアレンジメントに目を奪われ、‘いけばな’を、過去のものとなってしまった伝統文化ぐらいにしか認識していない。おばさんのお稽古事とか、‘いけばな’という花のアレンジテクニックをそんな尺度で評価されるのは悲しい。
確かに、西洋のフラワーアレンジメントは華麗で、現実を忘れさせてくれる美しさがある。しかし、花一輪、一枝、一葉に込める思いを表現する‘いけばな’は西洋のフラワーアレンジメントとは別の美の世界を表現できるアレンジテクニックで、西洋のフラワーアレンジメントに勝るとも劣りはしないと思う。
独断と偏見を覚悟で、手前味噌になってしまうかも知れないけれど、折りにふれ、‘いけばな’の世界を紹介していきたい。
Comments [3]
No.1匿名さん
素敵に活けていらっしゃいますね?
先日の“菊”もそうですか?・・・?
ほんの微かに記憶が??高校時代も生けていませんでしたか?
私は残念ながら生け花は習ったことがありませんが・・・
焼き物(陶磁器)に関心があって、その時知り合った方、お花やお茶の先生が花を生けられるのを時々見せて戴きました。
庭に咲いていた切花を生けられるのですが、とても良いんですね。
“咲いていたままの姿で活ければいいのよ”と、その時教えてもらいました。
力が抜けて、花を生けることが好きになりましたよ。
これからの投稿、楽しみです。
No.2匿名さん
有難うございます。
恥ずかしながら、世話人さんに乗せられて記事を投稿しました。
いけばなは中学一年の時から習っています。
当時、習っていた流派と高校の華道部の流派が同じだったので高校でも華道部に籍を置いていました。
茶道の創始者、千利休のことばに「花は野にあるように」という言葉があります。
私はこの言葉が大好きです。
花は野に咲いていた時の姿が一番調和が取れて美しい姿をしていると思います。
私も同じことを心がけて、花を生けるようにしています。
No.3匿名さん
本当に生け花は心癒されますね。
花を生けるゆとりを日々持ちたいものと思っています。
私の母は若いときから花好きで、家の掃除をおろそかにしても、花だけは毎日、絶やさない日々を送っているようです。お花の手習いは全く経験のない私ですが、見よう見まねで学校でも生けることがたびたびあります。我が家は茶花中心ですが・・・・・・・
「花は野にあるように」と、いつも口癖のように母は言っています。
孫達や孫の嫁にもそのように話し聞かせ、ススキや吾もこなどを子ども達に持たせていますね。
何歳になっても辰巳さん!、塩谷さん!、高校時代と人柄、気持ち変わらないのがパソコンの文字からも伝わってくるメールですね。
お喋りできる日を楽しみにしていますね・・・・・・ (潤)
コメントする