少し前に、父に舞鶴から一通の葉書が届いた。父は戦時中、舞鶴を母港とする病院艦に乗って世界の海を回っていたようである。その当時の戦友からであり、父の近況を心配した内容だった。戦後60年、戦友達が一人、また一人と、この世を去っていく寂しさも伝わってきた。
今から20年程前だったろうか、父は、全国に散らばっている戦友達と宇奈月温泉で同期会をやって、その時の世話役をやっていたのを思い出す。今年の2月に逝った父は、折に触れ、あの時の話をしていた。10年前に亡くなった母と一緒に、下見などをしながら楽しそうに汗をかいていた。そんなこともあり、思い出もひとしおだったのだろうと思う。
今年の同期会は、みんなにどんな思い出を残したのだろうか。私自身、前回の同期会と少し違った思いが残っている。父を亡くした年だからかも知れない。あるいは、世の中の一線から去る年になってきたからかも知れない。
(なお、葉書を頂いた父の戦友には、父が2月に他界したことをお知らせしていなかった非礼をお詫びした手紙をお送りした。)
蛇足
第二次大戦時の日本海軍の調理実習テキストを思い出したのでご紹介しておきます。「舞鶴要港部兵食献立調理講習記録」途中で作るのを挫折してしまっていますが・・・
こんにちは 生島です。同窓会後もいろいろお世話になります。ありがとう。今日猪谷希美江さんの命日で花を送りました。店員さんに花の色などを聞かれているうちに、涙が出そうになり困りました。十年前、人生まだまだというときの突然の訃報でした。その時彼女の分まで一生懸命生きようと思いました。これからも忘れないでいたい。 _江里
テレビから懐かしい旋律の胡弓の調べが聞こえた。富山県外に住むものにとって、めったに耳にする事のない‘越中おわら節’だった。
テレビの前に行ってみると、八尾の風の盆の中継の最中で、アナウンサーがおわら節の振り付けの説明をしながら、自らも踊り始めていた。私もつられて、手足を動かしてみる。なんと!!完璧。身体が振り付けを覚えている。高校の運動会(中学だったかも知れない)で、演目として教わり、大きな輪になって、踊った思い出がよみがえる。
娘が驚いた顔で、「お母さん!!何しているの?!!」と尋ねる。
「越中おわら節。教えてあげようか」と答える私。
「遠慮しとくワ」と冷ややかな答えが返ってきた。
もう少し、懐かしい調べを聞いていたいと思ったのに、ニュースは次の番組に変わっていた。
9月に入り、風が秋色を運んでくる。
8月13日の同期会から3週間が過ぎようとして、あの夜の出来事は " 夢か、幻か " 。騒々しい日常。
懐かしい顔に出会えた感動は、秋風と共に現実のものから、 " 思い出 " という引き出しの中にしまいこまれていくのを感じる。沢山ある " 思い出 " の引き出しの一つに、東高校同期会というインデックスをつけよう。その引き出しはこれからも時々使いたいから。