4/4例会の案内があった時、そんな思いでいっぱいになった。富山を離れて40年余り、この季節に富山を訪れたことは一度もなかった。金森さんに出席したい旨メールして、一週間位前から天気予報を気にかけていたが、例会の二日前まで雨の予報、運の悪さを嘆いていた。
ところが、前日になって天気予報が"曇り時々晴れ"と変わった。神様が私にご褒美を下さったと思った。
当日、サンダーバードと出来立ての北陸新幹線を乗り継いで富山に着いたのは11時少し前、駅に隣接するホテルに荷物を預け、松川べりに向かって歩いて行くとチンドン、チンドンと聞き覚えのある懐かしい音が聞こえてきた。チンドンコンクールの音だった。40年ぶりに訪れた春の富山で、満開の桜とチンドンコンクールに出会えた。"ツイテル"そう思って嬉しくなった。
例会に参加しようと思った時、実は少しだけ不安があった。神戸から唐突に参加してきた私が皆さんの中に溶け込めるのか。ひとり浮いてしまったらどうしようとか。
でも、そんな心配は全く無用だった。私は一瞬で皆さんの中に溶け込んでいた。
とりとめのない話の数々、おいしいフレンチ、新しい西町の街並み、美しく整備された富山城址公園、満開の桜、チンドン屋さんやたくさんの屋台、二次会での富山の海の幸とお酒、そして皆さんの温かい笑顔・・・忘れることのない思い出をいくつも持って神戸に帰ってきた。
富山東高校5回生でよかった。感謝。
辰己多香子
待ちに待った北陸新幹線が3月14日に開業となった。当日は朝早くからヘリコプターの飛ぶ音が聞こえていた。テレビも朝早くから東京からのキャスターが金沢駅などで開業の様子を中継していた。
金沢市内のホテルも満室で、レンタカーも予約で一杯、増車したが追いつかないという話も耳にしていた。
土日は混雑するだろうから街には近づかないでおこうと思ってはいたが、この目でどうなっているか確かめておこうと思い、金沢駅から武蔵が辻の近江町市場、ひがし茶屋街、長町武家屋敷跡から香林坊、兼六園と歩いてみた。
見るからに観光客というひと達が街を歩いていた。正に、「新幹線が春を連れて、やってきた」といった雰囲気だ。
ところで、来る4日に例会を総曲輪で予定している。そういったこともあって、富山はどうだったろうかと気にかかっていた。そんな折、開業当日14日の総曲輪通りの様子がツイッターに流れていた。
金沢の繁華街との違いに目を疑った。
金森
2008年4月4日に総曲輪丸一で例会(オフ会)をやった。もう7年前になる。この時の様子は「2008年4月の記事一覧」に掲載してある。
その記事の中に「先週の4日(金曜日)に丸一に向かう途中に松川べりを通った。松川べりの桜は、満開までにはもう少しだが、見ごろとなっていた。」で始まる「松川べりの桜」という記事がある。今年の例会も金曜日。
そう言えば、この頃は富山は桜の見頃だ。2008年の例会は夜の飲み会だったので、夕暮れ時の桜と夜桜だった。今年は、朝の光の中で松川べりの桜を楽しんだ後、会場の総曲輪レストラトゥールに行こうと思っている。当日はぜひ晴れて欲しい。
金森
久しぶりに晴れた。昼ごはんは蕎麦にすることにした。
山側環状道路を角間の金沢大学キャンパスを通り抜け福光に出る。福光から国道304号を五箇山へと車を走らせた。高速道路を使わなくても一時間半もあれば相倉合掌集落に着く。
「まつや」の蕎麦は出汁がいい。どちらかと言えば、醤油控えめ関西系の味付けだ。
最近、五箇山にはよく行く。道路事情など、金沢からの方が富山からよりも便利で行きやすいのではないかと思う。金沢を起点に、城端、五箇山、白川郷、高山へと巡ることができる。
金森
Good Luck 2012年9月号表紙
富山には「Good Luck」というタウン誌がある。これの2012年9月号に「出雲勢による支配から大和王権による支配へ 越中古代史を探る 姉倉姫事件の鎮圧は出雲勢による越中統一を表現?」という記事が載っている。
富山の古代の歴史に触れることができ大変興味深く読んだ。詳細はこちら(PDF)を読んでもらいたい。特に興味を引かれた冒頭部分を引用した。(ただし、写真は私が追加した)
姉倉姫事件の鎮圧は出雲勢による越中統一を表現?
姉倉ひめ神社
先月号の『富山の風景』で、『神通川と呉羽丘陵ふるさとの風土』(廣瀬誠著・桂書房)をもとに、姉倉姫の神話を紹介した。簡単に振り返ると、船嶮山(富山市舟倉の一帯)を本居とした姉倉姫という女神は、能登石動山の伊須流伎彦(いするぎひこ)と夫婦だったが、伊須流伎彦が近くの柚木山(そまぎ)の能登姫と通じたため、姉倉姫は激怒し、この三角関係のもつれから越中・能登は戦乱となった。この騒動を聞いて、出雲から大国主神(おおくにぬしのみこと)(別名・大己貴命(おおなむちのみこと))がやってきて戦乱を鎮め、関係者を処罰した。姉倉姫は小竹野〈呉羽〉に謹慎させられ、機織の仕事で罪を償わされ、伊須流伎彦と能登姫は海浜にさらされたーという神話である。
能登石動山大宮坊 能登中能登町
ちなみに能登石動山は「のとせきどうざん」と呼ぶ、一方、富山県小矢部市にある「石動」は「いするぎ」と呼ぶ。石動をなぜ「いするぎ」と呼ぶのか理由が分からなかったのだが、ひょっとしたら「伊須流伎彦(いするぎひこ)」と関係があるのかも知れないと、ふと思った。
今回、この神話の意味と越中の古代史について、とても参考になる資料を見つけることができた。
『「喚起泉達録」(かんきせんだつろく)に見る越中古代史』(棚元理一著・桂書房)である。
棚元氏は、「喚起泉達録」にある「大己貴命(大国主ノ神)が国作りをした時」がこの事件を解明する手掛かりの一つになるという。2世紀は「魏志倭人伝」にいう争乱の時代で、越ノ国でも豪族が勢力争いを繰り広げ、能登の豪族・能登姫等が国境の伊須流伎彦を誘い込み、強引に越中への勢力拡張(領地横領)を企てたことから姉倉姫事件が起こったと分析する。そして、出雲の大己貴命(大国主神)が、この機会を利用して越ノ国へ下向し、越中を平定したのだという。越中を統一した大己貴命は、呉羽丘陵に越中統治の拠点を置いて農耕地の開拓や絹織物の生産を奨励したという。
金森
大島絵本館の帰りに立野くんが新湊大橋を車で案内してくれた。
新湊大橋は富山新港に掛かる橋で、総延長はアーチ部分も含めて3.6km、橋を支える主塔の高さは127m、海上に架かる主体部分が600m。斜張橋としては日本海側最大級だ。
この日は北陸の冬には貴重な晴れた日で、冠雪の立山連峰を望みながらのドライブとなった。絶景だった。
この橋は上は車道、下は歩行者通路の2層構造で、歩行者道路を「あいの風プロムナード」と呼んいる。歩きながら日本海や立山連峰、能登半島を一望でき、絶景を楽しめるようだ。
新湊大橋のドライブを楽しんだ後、海王丸パークで立山連峰を背景に海王丸や新湊大橋をカメラに収め、「新湊きっときと市場」で白えびソフトクリームを食べながら一休みした。
金森
富山で用事を済ませて、野々市に向けて小杉ICで北陸道に乗る前に、大島絵本館に寄った。
先日の例会で立野くんから、大島絵本館に勤めており機会があったら寄ってくれ、と言われていた。
車を絵本館の駐車場に止めた。ガラス張りのモダンな建物の玄関に向かって橋が掛かっている。結構大きな建物が絵本館だ。絵本の図書館とか美術館のような施設だろうと想像していたのだが雰囲気が違う。
射水市大島絵本館 (いみずしおおしまえほんかん) は、富山県射水市にある、世界の絵本をテーマとする博物館。大島町によって1994年(平成6年)にオープンした。
大島町が企画して、上記の古事記の説話や附近に伝わる民話などを集めた絵本を刊行し、それをきっかけに「絵本の街」として町おこしのために開館した施設である。
設置の理念として、
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- 絵本文化を通して、郷土文化を再認識し、住みよいまちづくりに資す。
- 絵本文化を通して、内外との交流を図り、まちぐるみの文化活動として、明るく活気あるまちづくりをめざす。
- 絵本文化を通して、住民の創造意欲を刺激することにより、生活の豊かさをもたらすことをめざす。
が掲げられている。(ウィキペディアから引用)
ライブラリー、ギャラリー、カフェギャラリー、ワークショップ、CGワークショップ、パフォーマンスホール、シアターと絵本を体験できる施設が揃っている。どちらかと言えば「絵本のある遊び場」に近い。雰囲気はどことなく金沢21世紀美術館に似てると感じた。
みなさんも一度立ち寄ってみてはと思い紹介した。立野くんが居れば案内してくれると思う。
蛇足
カフェギャラリーのカレーライスは辛さが美味しいかった。
金森
久しぶりに五箇山蕎麦が食べたくなった。いつもの様に山側環状から金大角間キャンパスを抜けて福光に出て五箇山へと車を走らせた。
五箇山トンネルを抜けてしばらく走ると相倉合掌集落への登り口に着く。相倉集落の駐車場は有料ということもあり、登り口にある車を止めておけるスペースに駐車して歩くことにしている。
ここの「まつや」の蕎麦が美味い。温かい蕎麦が気に入っている。蕎麦つゆはくどくなく、どちらかと言えば関西風でわたしの好みの味だ。
金森
北陸道朝日ICを下りて南東方向小川沿いに県道45号を走ると朝日小川ダムに出る。小川ダムから上流に向かって少し車を走らせたドン突きに小川温泉元湯がある。
元湯の開湯は約400年前とされる。小川温泉への引湯は大正2年6月に完成し、旅館が同年10月にできた。竹久夢二も小川温泉に一ヶ月逗留したことがある。湯質は塩化物泉で子宝に恵まれる人が多かったことから、「子宝の湯」とも言われる。(ウィキペディアから引用)
竹久夢二と言えば、金沢湯涌温泉にも縁があり「金沢湯涌夢二館」で、いま正に(平成26年7月19日(土)?平成26年9月28日(日))「金沢湯涌夢二館柳川昇爾コレクション新収蔵記念展「南陽堂書店」主人が愛した夢二」が開催されている。
小川温泉元湯の中居さんに、この辺りは冬には雪も多く大変でしょうと話を向けると、雪が降ったらいの一番で除雪してくれて町中を走るよりもスムーズに往復できると話してくれた。小川ダムのための道路だからのようだ。
小川温泉には、打たせ湯のように源泉が流れ落ちる洞窟風呂がある。湯は最高だったが、アブにはまいった。
金森
芦峅寺の雄山神社を出た後、立山ICから北陸道で帰ろうと車を進めた。
右折すれば立山ICという交差点が目に入ったところで国道8号線へと右折した。岩瀬に行って海を見ようと思い立ったからだ。
東岩瀬町のランドマーク「富山港展望台」の駐車場に車を止めて富山湾を眺めた。それから古い町並みが残る岩瀬大町新川通りを歩いた。一服したいと思い御休所政太郎の案内板を見ていたのが午後3時40分頃。
そんな時、街を案内しているのだろうおじさんに声を掛けられた。
この通りは戦災で焼けていないとか、三大旧家の本家はどこで分家はどこだとか、親切にもいろいろと話しかられた。ただ、入ろうとしていた政太郎の案内板には午後4時までとなっていた。せっかくの話も気が気ではなく、うわの空で聞いていた。大変に申し訳ないことをした。でも4時前には店に入れた。
チョコレートパフェを食べて店を出たのは午後4時半を回っていた。
金森