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富山の風景 一覧

東岩瀬

魚津の道の駅蜃気楼からナビを頼りに、海沿いの細い道を滑川、水橋と車を進め、岩瀬浜駅に着いた。

岩瀬浜駅はポートラムの終着駅だ。

富山県のホームページでは、東岩瀬を次のように紹介している。

 東岩瀬に加賀藩のお蔵が置かれ新川郡一帯の米が集まり、東岩瀬港は大阪への積み出し港として栄えました。さらに江戸時代後期には北海道交易を中心に廻船問屋(北前船主)が成長し、活況を呈するようになりました。
 しかし、北前船のにぎわいは明治中期までで、汽船の進出や鉄道の開通により、北前船は衰退していったのでした。(富山県HPから引用)

定かではないが、幕政時代東岩瀬辺りも富山藩ではなく加賀藩だったような気がする。

近くにある富山港展望台の駐車場に車を止めて、東岩瀬の古い町並みを歩いた。

北前船廻船問屋 森家 富山東岩瀬
北前船廻船問屋 森家

北前船 北前船廻船問屋 森家 富山東岩瀬
北前船 北前船廻船問屋 森家

東京大倉製金庫 北前船廻船問屋 森家 富山東岩瀬
茶室に置かれていた東京大倉製金庫 北前船廻船問屋 森家

旧岩瀬銀行(北陸銀行) 富山東岩瀬
旧岩瀬銀行(北陸銀行)

満寿泉の桝田酒造店
満寿泉の桝田酒造店

料理屋松月 富山東岩瀬
白海老団子で有名な料理屋松月

金森

道の駅 蜃気楼

北山鉱泉を出て8号線に出た後、右折して魚津の街に向かって車を走らせ、道の駅蜃気楼で休憩にした。天気も良かったので、富山へは、滑川、岩瀬と海沿いの道を走ろうと考えたからだ。

真っ青な富山湾は綺麗だったが、残念ながら蜃気楼は見えなかった。蜃気楼は、(3月下旬~)4月~5月(~6月上旬)によく見えるようだ。ホタルイカの美味しい季節に重ねっている。

魚津埋没林博物館のHPに蜃気楼について解説が載っていたので転載した。

◯蜃気楼を引き起こす空気層のでき方

上位蜃気楼は、下が冷たく上が暖かい空気層によって引き起こされます。
通常、地表から高度が上がるにつれて気温は下がりますが、上位蜃気楼が起きる空気層ではこの関係が逆転しています。高度と気温の関係が逆転するので、このような空気層を逆転層といいます。実際の観測値などから、魚津で上位蜃気楼が見られるときの逆転層の高さはおおむね10m以下、上下の温度差は1~5℃程度と考えられます。

では、富山湾にどのようにして逆転層ができるのでしょうか。これについてはいろいろな説がありますが、次の2つが代表的なものです。

    • 富山湾に冷たい雪解け水が流れ込み、それによって大気の下部が冷やされる
    • 海上にある低温の空気の上に、日中の陸地で暖められた空気が流れ込む

現在は、後者の説が有力と考えられています。今後の研究によって解明が進められれば、また新たな説が生まれる可能性もあります。いずれにしてもその機構は複雑でいろいろなパターンがあると思われるので、一つの説で蜃気楼のすべてを説明することはできないかもしれません。「謎が残されている方がロマンがある」という意見もあります。

◯蜃気楼の出やすい条件

富山湾で上位蜃気楼の出やすい条件には、次のようにある程度の目安があります。

    • 時期:(3月下旬~)4月~5月(~6月上旬)
    • 時間:午前11時ごろ~午後4時ごろ(それ以前、それ以後の例外もある)
    • 気温:18度以上の場合が多い(朝の冷え込みがあって日中の気温が上がるのがよい)
    • 風 :魚津の海岸で北北東の微風(おおむね風速3m以下)
    • 天候:移動性高気圧の中心が本州の東の海上に抜けて当日は晴れ、翌日頃から天候が崩れそうな日。等圧線の間隔が開き、強い風が吹かない状態。

もちろんこれらに当てはまらない例外もありますが、この条件がそろえば可能性が高いと考えてよいでしょう。

富山湾では、上位蜃気楼は、例年ならば上記の時期の間に10~15回程度発生します。ただし、その中には双眼鏡でようやく識別できる程度のものも多く、実際に肉眼でも蜃気楼を楽しめるのは5回もあるかないかです。

上位蜃気楼の回数はその年によってかなり変動があります。微妙なものを含めトータルで5回ぐらいしか発生しない年もあれば、20回以上発生した年もあります。(過去の記録はこちら)

また、持続時間もその日の条件によりまちまちです。数分で終わってしまうことも多い一方、出たり消えたりしながら半日以上も続くこともまれにあります。

道の駅蜃気楼から望む富山湾 富山魚津
道の駅蜃気楼から望む富山湾

道の駅蜃気楼から望む立山連峰 右寄りに剣岳と雄山 富山魚津
道の駅蜃気楼から望む立山連峰 右寄りに剣岳と雄山

黒部から国道8号線を富山に向かって魚津辺りを左手に折れる。少し走ったところに北山鉱泉という慶応3年に開湯したという湯治場がある。

慶応元年春、松倉村北山 仁右衛門夫婦に玉のような男の子が生まれました。しかし妻まつは産後の肥立ち悪く、床に伏しておりました。

月日は流れ、慶応三年八月、まつの夢枕に薬壺を抱えた薬師如来が現れ、霊泉へと案内、「これを沸かし薬とせよ」とのお告げを授かりました。

仁右衛門夫婦は仏力に導かれお告げの通り霊泉を掘り当て湯を用い治療に励んだところ、腰が立ち歩行ができやがて別人のように全快しました。

この霊験は四方に響き渡り、近国・遠国より湯治を求めて人々が訪れるようになり、その薬効は、子宝、産後だけでなく、リュウマチ、神経痛、中風、脊髄等の成人病、胃腸病、脚気、病後の養生など、さまざまな病に効き、湯小屋として賑わいました。
また、一粒種の男の子はこの湯水ですくすくと大きく育ち、やがて「力岩」の襲名を称し相撲界で活躍、明治相撲にその名を残しました。
その後、力岩は自分の出生が不思議な霊験に由来することから仏神を尊崇、仏の道へと入り、寺を開山すると湯治客の宿泊を受け努めました。その後も諸病平癒の湯として宿泊湯治の客足は絶えることなく、やがて旅館へと栄え今日のいけがみに至っております。(いけがみHPから引用)

この北山鉱泉に「いけがみ」という三姉妹の家族でやっている温泉旅館がある。料理は美味いと評判だったが、狭い部屋にコタツがあってトイレは共同という湯治場そのものといった旅館だった。そんな湯治場旅館だったので二の足を踏んでいた。

ところが最近改装したようで随分と綺麗になっていた。そこで、「ふるさとわり」を使って三姉妹に会いに行くことにした。

「いけがみ」は評判通りで、料理も美味しく、富山湾の幸、山の幸、魚津米のご飯やお吸い物、味噌汁と富山の幸を堪能した。知らなかった富山の地酒をいろいろと飲み比べることもできた。石川の酒も美味しいけど、富山の酒も格別に美味かった。

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そういえば、帰りに三姉妹の連れ合いの一人が駐車場まで送ってくれた。彼はニ・三年前までは野々市の近くで、能美市にある白山カントリー倶楽部の隣りの東芝の工場に勤めていたそうだ。嫁が旅館を継ぐのに一緒にやろうと頼まれて北山に来たとのことだった。予約のときに野々市とあったので嬉しくなったと話してくれた。世の中は狭いものだ。

金森

宇奈月温泉を出て、北陸道黒部ICに向かって走る。国道8号線に出たが、左折はせずに生地の方向に真っ直ぐ走った。予想通りナビにはない新しい道に出た。こを左折して魚津方向に車を走らせた。

冬には珍しい青空だ。魚津辺りで右折して海沿いの道を走ることにした。左手には立山連峰がくっきりと見えている。車を止めて立山連峰を眺めた。この辺りからは剣岳が正面に見えるが雄山は2時方向に斜めになって見える。

富山辺りから望む立山連峰とは少し違っているようだったが、素晴らしい眺めだった。

剣岳(正面)  立山連峰 富山
剣岳(正面)  立山連峰

剣岳(正面)  立山連峰 富山
剣岳(正面)  立山連峰

金森

宇奈月温泉

白えび亭で白えび天丼を食べて、国道8号を黒部へと車を走らせた。

目的地は宇奈月温泉だ。宇奈月温泉は大正生まれの温泉地で「現在の宇奈月温泉の地は、かつては「桃原」と呼ばれた無人の台地でした。大正時代になって黒部川の電源開発が始まったとき、この地に黒薙温泉からお湯を引き、温泉を開こうとする計画も進められました。その後何度かの失敗を重ね、大正12年にようやく熱い湯を引くことに成功。宇奈月温泉が誕生しました。平成15年には開湯80周年を迎え、今日に至ります。」(宇奈月温泉HPから引用)とのことである。

いまでは富山県を代表する温泉地になっている。

国道8号を魚津を出たころからカーナビが空を飛び始めた。左手に見えたと思ったパチンコ店が、右手遠くに見えていた。海側にバイパスが整備されたようだ。北陸道の黒部ICへ右折して真っ直ぐ走れば宇奈月温泉に行けると思っていたのだが、北陸新幹線の黒部宇奈月温泉駅への標識のところで右折して、新幹線駅を見て宇奈月温泉へと向かった。

無色透明のアルカリ性単純泉に浸かり、食べ放題の料理でお腹いっぱいなした。そろそろ終了となる「ふるさとわり」を利用して少しだけだけど税金を取り戻した。

黒部渓谷トロッコ電車 富山宇奈月

黒部渓谷トロッコ電車 富山宇奈月

宇奈月温泉駅 富山黒部市

とろろ昆布のおにぎり 杉乃井ホテル 富山宇奈月
やはり富山のとろろ昆布のおにぎりは格別だ

金森

今日も白えび天丼が食べたくて、環水公園に車を止めて、スタバの横を歩いて富山駅に出る。昼は白えび亭で白えび天丼定食にした。

岩運河環水公園 富山湊入船町

白えび天丼定食 白えび亭 富山

金森

富山駅と金沢駅

富山湊入船町にある環水公園のスターバックス横の無料駐車場に車を止めて富山駅へ歩いた。

呉羽から東高校へ、晴れた日は自転車で通っていた。体育館や北日本放送の横を通って走った記憶がある。しかし、何処がどうだったのかサッパリ分からなくなっている。でも、環水公園は富山の自慢できる公園になっていると思う。

お昼に、駅にある白えび亭で「白えび天丼」を食べようと環水公園に車を留めたのだ。最近では金沢でも白えび天丼を食べさせる処があるが、やはり白えび亭の天丼が一番だ。ただ、800円台だったのが、今では1200円を超えている。これも新幹線効果なんだろう。

ところで、白えび亭へは駅の地下道を歩いた。そこそこの人が行き来している。しかし、行き来する人の割には、金沢駅での「にぎわい」を感じることがなかった。

白えび天丼 白えび亭 富山駅

白えび亭 富山駅

どうも、金沢駅と富山駅の構造の違いが原因のように思える。

端的に言って、富山駅の構造はチグハグだ。人の動線が途切れ途切れになっていて、施設の繋がりがなく袋小路になっている。

金沢駅は、新幹線、あるいは、在来線の改札を出て、右に進めば兼六園口(東口)、左へ進めば金沢港口(西口)へとなるエントランスで東西の出口が繋がっている。また、新幹線から改札を出ることなく在来線に行けるし、在来線からも新幹線に行ける。

そして、エントランスの両側には高架下の百番街という商業施設への入り口がある。

東西の出口には人が足を止めて駅を見ることができる空間がある。東口の「もてなしドーム」や「鼓門」。ちょっと腰掛ける場所もある。

今はもてなしドームの天井から「金沢に来るなら、春か夏か秋か冬がいいと思います。」という垂れ幕が吊るされている。

金沢に来るなら、春か夏か秋か冬がいいと思います。 もてなしドーム 金沢駅

立ち止まって振り返って駅を眺めることもできる。無駄と言われれば無駄かも知れない空間だが、いろんな人が思い思いにカメラを向けている。地元のテレビニュースの天気予報なども、もてなしドームの中で中継している。

金沢に着いて、これから街を散策する人は、この垂れ幕を見て、ザワザワとしたにぎわいを肌で感じながら、街への期待を膨らませて鼓門を出て街中へと歩く。街から帰って来た人は、金沢の思い出にもてなしドームで記念写真を撮っているてるのをよく見かける。記念写真に写り込んでいた垂れ幕に気付いて、次の季節にも訪れてくれるかも知れない。

鼓門を出て、真っ直ぐ歩けば武蔵ヶ辻の近江町市場へひがし茶屋街、武蔵ヶ辻を右に歩けば、香林坊から兼六園へとなる。

動線が途切れることなく続いている。歩く人の意思で途中下車(寄り道)できる構造になっている。

だだ、金沢の街(金沢駅)も、もともとは、富山駅と同じように東西の出口は北陸線で分断されていた。多分20年程前からだろうか、東西の出口を結ぶエントランスを作るための工事が始まっていた。金沢駅を高架にするため、駅横の金石街道の踏切を高架にする工事を進めた。

金沢駅から武蔵ヶ辻へは六枚交差点を通って迂回する構造になっていたが、駅から真っ直ぐの道を整備した。もてなしドームや鼓門を作ったのはその後だ。北陸新幹線金沢開業の20年以上前から準備を進めていたことになる。

金沢21世紀美術館や石川県立美術館も袋小路にならないように配慮されている。両美術館とも街歩きで休憩でるスペースを提供しているし、通り抜けることができる構造になっている。わたしも街歩きの休憩に、よく利用している。

兼六園から金沢城へも通り抜けることができる。今は金沢城の玉泉院丸庭園から尾山神社へ歩けるように鼠門を整備している。

富山の箱物は一つ一つは立派だが、それぞれが終着駅で動線が袋小路になってて人の流れがそこで途切れてしまう構造になっている。富山市の街自転車は一台何十万円もする素敵な自転車だ。一方、金沢市の街自転車は中古品に宣伝カバーを付けた安価なモノだが、乗り捨てられた自転車を不足している自転車溜に軽トラックで運んだりと、利用者が使いやすくすることにお金を掛けている。富山市と金沢市ではお金をかけるところに違いがあるようだ。

金沢は富山に比べて兼六園などの観光スポットが多いのは確かだ。ただ、金沢駅と富山駅の「にぎわい」の違いは、そこだけにあるようには思えなかった。

富山駅を利用する人たちはそこそこ居ると思う。富山駅の動線が途切れ途切れでバラバラになっているので、駅のいぎわいに結びついていないのように思えてならない。富山駅を取り巻く環水公園や市電なども含めた箱物が立派なだけに、動線が途切れ途切れで、にぎわいを作り出せていないのがもったいないと思うし、それら箱物が上手く利用されず朽ちていきそうで不安な思いにもなった。

金森

今月初め立山室堂平で撮った幾つかの動画をまとめて一つにした。主に、今は立ち入り禁止になっている地獄谷の様子を映している。

金森

弥陀ヶ原散策

立山駅で室堂平への往復切符を買った。ロープウェイで美女平へ。美女平から室堂平へはバスで行く。まずは、弥陀ヶ原で途中下車して湿原を散策した。

弥陀ヶ原高原は標高約1,600?2,100m、南北2km、東西4kmにわたり広がる静かな大高原です。 木道が敷かれた湿原には「餓鬼(ガキ)の田」(池塘(ちとう))が点在し、カルデラ展望台など散策ポイントも豊富です。 夏になると高山植物が美しく咲き誇るほか、色鮮やかなチョウが多く生息し、わたしたちの目を楽しませてくれます。
2012年7月、「立山弥陀ケ原・大日平」が、世界的に貴重な湿地を保全する「ラムサール条約」湿地に登録されました。

※ラムサール条約の正式名称は「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」といい、 湿原や干潟、湖などの湿地及びそこに生息・生育する動植物の保全を目的とした国際条約です。
「立山弥陀ケ原・大日平」は日本国内では最も標高の高い所にある登録地となりました。

立山カルデラ展望台 立山弥陀ヶ原
立山カルデラ展望台から

ワレモコウ 弥陀ヶ原(みだがはら) 立山 散歩道の花
ワレモコウ

木道 立山弥陀ヶ原
木道

湿原 立山弥陀ヶ原
湿原

チングルマ 立山弥陀ヶ原 散歩道の花
チングルマ

木道とチングルマ 立山弥陀ヶ原
木道とチングルマ

イワイチョウ 立山弥陀ヶ原 散歩道の花
イワイチョウ

ワタスゲとイワカガミ 立山弥陀ヶ原 散歩道の花
ワタスゲとイワカガミ

エチゴキジムシロ 立山弥陀ヶ原 散歩道の花
エチゴキジムシロ

湿原と大日連山 立山弥陀ヶ原
湿原と大日連山

金森

立山室堂平の花たち

立山の短い春、そして夏。室堂平で出会った高山植物の花たち。

今回は、みくりが池を一周した。


立山ホテルのHPに掲載されている立山室堂平の散策マップ

コバイケイソウ 背景は立山雄山 立山室堂 散歩道の花
コバイケイソウ 背景は立山雄山

コバイケイソウ 背景に薄っすらと雲がかかる剱岳 立山室堂 散歩道の花
コバイケイソウ 背景に薄っすらと雲がかかる剱岳

ウラジロタデとヤマガラシ みどりが池 背景に雄山 立山室堂
ウラジロタデとヤマガラシ みどりが池 背景に雄山

ハイマツ(雄花) みくりが池 立山室堂 散歩道の花
ハイマツ(雄花) みくりが池

ハクサンイチゲ 立山室堂 散歩道の花
ハクサンイチゲ

ヨツバシオガマ 立山室堂 散歩道の花
ヨツバシオガマ

ウラジロタデ 立山室堂 散歩道の花
ウラジロタデ

みくりが池のハイマツの茂みに夏毛の雷鳥を見かけた。しかし、残念なことに望遠レンズを持っていなかったので、カメラに収めることはできなかった。

金森

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ごの会

「ごの会」は富山東高校5回生を中心にした親睦会です。

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