富山湊入船町にある環水公園のスターバックス横の無料駐車場に車を止めて富山駅へ歩いた。
呉羽から東高校へ、晴れた日は自転車で通っていた。体育館や北日本放送の横を通って走った記憶がある。しかし、何処がどうだったのかサッパリ分からなくなっている。でも、環水公園は富山の自慢できる公園になっていると思う。
お昼に、駅にある白えび亭で「白えび天丼」を食べようと環水公園に車を留めたのだ。最近では金沢でも白えび天丼を食べさせる処があるが、やはり白えび亭の天丼が一番だ。ただ、800円台だったのが、今では1200円を超えている。これも新幹線効果なんだろう。
ところで、白えび亭へは駅の地下道を歩いた。そこそこの人が行き来している。しかし、行き来する人の割には、金沢駅での「にぎわい」を感じることがなかった。
どうも、金沢駅と富山駅の構造の違いが原因のように思える。
端的に言って、富山駅の構造はチグハグだ。人の動線が途切れ途切れになっていて、施設の繋がりがなく袋小路になっている。
金沢駅は、新幹線、あるいは、在来線の改札を出て、右に進めば兼六園口(東口)、左へ進めば金沢港口(西口)へとなるエントランスで東西の出口が繋がっている。また、新幹線から改札を出ることなく在来線に行けるし、在来線からも新幹線に行ける。
そして、エントランスの両側には高架下の百番街という商業施設への入り口がある。
東西の出口には人が足を止めて駅を見ることができる空間がある。東口の「もてなしドーム」や「鼓門」。ちょっと腰掛ける場所もある。
今はもてなしドームの天井から「金沢に来るなら、春か夏か秋か冬がいいと思います。」という垂れ幕が吊るされている。
立ち止まって振り返って駅を眺めることもできる。無駄と言われれば無駄かも知れない空間だが、いろんな人が思い思いにカメラを向けている。地元のテレビニュースの天気予報なども、もてなしドームの中で中継している。
金沢に着いて、これから街を散策する人は、この垂れ幕を見て、ザワザワとしたにぎわいを肌で感じながら、街への期待を膨らませて鼓門を出て街中へと歩く。街から帰って来た人は、金沢の思い出にもてなしドームで記念写真を撮っているてるのをよく見かける。記念写真に写り込んでいた垂れ幕に気付いて、次の季節にも訪れてくれるかも知れない。
鼓門を出て、真っ直ぐ歩けば武蔵ヶ辻の近江町市場へひがし茶屋街、武蔵ヶ辻を右に歩けば、香林坊から兼六園へとなる。
動線が途切れることなく続いている。歩く人の意思で途中下車(寄り道)できる構造になっている。
だだ、金沢の街(金沢駅)も、もともとは、富山駅と同じように東西の出口は北陸線で分断されていた。多分20年程前からだろうか、東西の出口を結ぶエントランスを作るための工事が始まっていた。金沢駅を高架にするため、駅横の金石街道の踏切を高架にする工事を進めた。
金沢駅から武蔵ヶ辻へは六枚交差点を通って迂回する構造になっていたが、駅から真っ直ぐの道を整備した。もてなしドームや鼓門を作ったのはその後だ。北陸新幹線金沢開業の20年以上前から準備を進めていたことになる。
金沢21世紀美術館や石川県立美術館も袋小路にならないように配慮されている。両美術館とも街歩きで休憩でるスペースを提供しているし、通り抜けることができる構造になっている。わたしも街歩きの休憩に、よく利用している。
兼六園から金沢城へも通り抜けることができる。今は金沢城の玉泉院丸庭園から尾山神社へ歩けるように鼠門を整備している。
富山の箱物は一つ一つは立派だが、それぞれが終着駅で動線が袋小路になってて人の流れがそこで途切れてしまう構造になっている。富山市の街自転車は一台何十万円もする素敵な自転車だ。一方、金沢市の街自転車は中古品に宣伝カバーを付けた安価なモノだが、乗り捨てられた自転車を不足している自転車溜に軽トラックで運んだりと、利用者が使いやすくすることにお金を掛けている。富山市と金沢市ではお金をかけるところに違いがあるようだ。
金沢は富山に比べて兼六園などの観光スポットが多いのは確かだ。ただ、金沢駅と富山駅の「にぎわい」の違いは、そこだけにあるようには思えなかった。
富山駅を利用する人たちはそこそこ居ると思う。富山駅の動線が途切れ途切れでバラバラになっているので、駅のいぎわいに結びついていないのように思えてならない。富山駅を取り巻く環水公園や市電なども含めた箱物が立派なだけに、動線が途切れ途切れで、にぎわいを作り出せていないのがもったいないと思うし、それら箱物が上手く利用されず朽ちていきそうで不安な思いにもなった。
金森