読売新聞の元北京総局長がナベツネ忖度体制の記事潰しを告発!「読売は中国共産党に似てる、日本の人民日報だ」
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LITERA
読売新聞会社案内サイト「読売新聞へようこそ」より
世界一の発行部数を誇る読売新聞がいよいよおかしなことになってきた。"紙面統一"の名の下に安倍政権に不利な報道が徹底的に排除されているのだ。
たとえば、「今世紀最大級の金融スキャンダル」といわれたパナマ文書問題では登場する日本の企業名や著名人の名前が伏せられていた。あるいは、沖縄で起きた米軍属による女性殺害事件も他紙が詳細を報じているにもかかわらず、米軍関係者の関与については容疑者が逮捕されるまでは一行も触れていなかった。これらのことは、すでに本サイトでも既報のとおりだ。いずれも、政権にとってマイナスにならないようにという配慮ではないかとされている。
実は、こんなことは氷山の一角なのだ。一般社団法人日本報道検証機構が8日、全国紙の「安保法制」関連報道の分析リポートを発表した。昨年5月〜9月の間の朝日、毎日、読売、産経の安保法制関連記事に出てくるコメントの数を調査したのだ。このうち、デモ関連の記事に出てくるコメント数の比較は圧巻だ。朝日214、毎日178に対して、なんと読売はたったの10。産経の11より少なかった。
社論として安保法制賛成なのはいいとして、読売の読者にはあれほどの盛り上がりを見せた安保法制反対デモの参加者たちの声がほとんど届かなかったことになる。つまり、世の中で起きている「事実」でさえ、政権に都合の悪いことは報道しないという姿勢なのだ。同じように、沖縄では辺野古基地反対派の声はほとんど載らない。読売新聞だけを読んでいると、あたかもアベノミクスもうまくいっているような錯覚になるとさえいわれる。
それだけではない。読売新聞では、政治的スタンスとは全く関係なく、特ダネを連発する記者には「禁止令」が出るらしい。リスクがあるから他紙より突出してはいけないというのだ。
そのことを生々しく伝えているのが『習近平暗殺計画 スクープはなぜ潰されたか』(文藝春秋)である。著者の加藤隆則氏は読売新聞の元北京総局長。1988年に読売に入社、2005年以降は中国特派員として活躍し、その功績が認められて上海支局長、中国取材を統括する北京総局長を歴任。名実ともに、読売の中国報道をリードしてきた人物だ。とくに、胡錦濤政権から習近平政権への権力の移行期には、自らとっておきのネタを掘り起こし、署名記事で世界に先駆けてさまざまなスクープを報じてきた。
ところが、そんなさなか、この敏腕記者に「特ダネ禁止令」が出され、「緊急帰国命令」まで出されたのだという。
それは、2012年5月16日、中国共産党の「中央政治局常務委候補リスト10人」という加藤氏のスクープが、同紙の朝刊一面を飾った日の夕方のことだった。当時の坂元隆国際部長から加藤氏の携帯に「浅海保の言葉」として以下のような内容の通達があったのだという。
「一連の加藤電について大丈夫なのかと心配する声も中国をよく知る人物から届いている」「特ダネはしばらく冷却期間を置くことにする」
さらに、6月5日、「急だけど、すぐに帰国するように」と帰国命令が下った。坂元国際部長は加藤氏を守るためだと説明したというが、実際は、加藤氏の身に危険が及ぶというような動きはまったくなかった。そこで、加藤氏は帰国を拒否。すると、会社は加藤氏を2013年、北京総局長から上海駐在編集委員に左遷してしまう。
しかし、加藤氏はそれでもめげなかった。2015年、加藤氏は「習近平暗殺計画があった」ことを中国共産党幹部が公式に認めていたというスクープネタをつかむ。加藤氏は複数の証言をおさえるなど、慎重に裏取りして記事に仕上げ、東京に送った。
ところが、出稿から1週間以上も放置されたあげく、本社は掲載を拒否してきた。加藤氏の裏取りは通常の掲載の条件を十二分に満たしていたが、国際部長は「物証がなければ載せられない」の一点張りだった。
中国で政権中枢に関する情報の物的証拠を得ようとすれば、情報源も記者も刑事罰を覚悟しなければならない。これ以上、情報源を危険に晒すわけにはいかない。そう訴えても、聞く耳を持たなかったという。ようは、絶対にクリアできないハードルを設けて記事を潰したかったのだ。
加藤氏は「物証がなければ報道できないというのであれば、報道機関の使命を果たすことはできない」と、自分の出処進退を賭けて掲載を要求したが、返ってきた答えは、「全容を物証として把握することは必須」とにべもなかった。
結局、加藤氏はこの特ダネを世に問うために会社を辞め、フリージャーナリストとして取材をし直し、約3カ月後に月刊「文藝春秋」で発表した。
この『習近平暗殺計画』には、加藤氏の暗殺計画をめぐる取材の詳細はもちろん、このスクープが潰された一部始終も詳しく書かれている。
ちなみに、加藤氏のスクープはけっして、安倍政権に対して有利とか不利とかの影響を与えるものではない。にもかかわらず、なぜ読売新聞は、これを潰してしまったのか。
加藤氏は最近、スタジジブリの雑誌「熱風」に連載されているジャーナリスト・青木理氏の対談に登場。その理由について述べ、読売新聞の最近のありようを改めてこう批判している。
「だんだん官僚的になって、事なかれ主義になっている。今の政権にくっついていればいいんだと。それ以外のことは冒険する必要はなく、余計なことはやめてくれと。これは事実だからいいますけど、読売のある中堅幹部は、部下に向かって『特ダネは書かなくていい』と平気で言ったんです。これはもう新聞社じゃない。みんなが知らない事実を見つけようという気持ちがなくなった新聞社はもう新聞社じゃないと僕は思います」
「この新聞社にいても書きたいことは書けなくなってしまった。そういう新聞社になってしまったということです。社内の人間は多くが息苦しさを感じている。(略)でも辞められない。生活もありますから。だからみんな泣く泣く、やむなく指示に従っている。」
かつての読売は本田靖春氏や大阪の黒田軍団を引き合いに出すまでもなく、自由闊達な雰囲気があった。それが明らかに変わり始めたのは、今年5月30日の誕生日で90歳になった渡邉恒雄会長兼主筆が、1979年に論説委員長に就任してからだったという。渡邉氏はオーナー経営者でもなければ、販売の神様といわれた務台光雄氏のような実績があるわけでもない。権力基盤は非常に脆弱だった。そこで、飴とムチと権謀術数による支配を築くことに着手した。
自らになびく相手は徹底的に大事にするが、歯向かう相手は完膚なきまでに叩きのめす。結果は功を奏して、渡邉氏は名実ともに読売トップとして全権を掌握することになる。渡邉氏が社長の座を手にしてからもう20年以上になる。この間に"反ナベツネ"勢力は徹底的にパージされている。いまや渡邉氏の周囲はイエスマンばかりで、社内には"事なかれ"と"忖度政治"がはびこるようになったという。
独裁体制が長引くにつれて渡邉氏本人の意向ではなく、渡邉氏の意向を勝手に忖度する"忖度システム"が肥大化するようになる。いまや読売で出世するには取材力や企画力より"忖度力"が重要だといわれるほどだ。
そして、この間いちばん変貌したのが読売社会部だった。かつて渡邉氏の出身の政治部と対立し、渡邉独裁体制を牽制する勢力としての存在感を示していたが、いまでは渡邉氏の"御庭番"として完全に取り込まれている。その中心を担っているのが、"ナベツネ防衛隊"とも呼ばれる法務部だ。もともと社会部出身者が担う部署だったが、数年前に法務室から法務部に格上げされ、社会部の司法担当経験者などエース級が集められるようになったという。
彼らは訴訟対策など一般的な法務の仕事だけでなく、社内外の"反逆者"に対しても目を光らせている。2011年11月に起きたいわゆる"清武の乱"を鎮圧したのも法務部の面々だった。
この法務部ついても、加藤氏は前述の対談でこう批判している。
「訴訟を起こされることが増え、当初は記者を守ることが目的だったんです。訴えられる時に記者を守る。そのリスク管理がいつのまにか会社のものになり、下手をすると経営者のものになってしまった」「読売は、その傾向が強い。なかば冗談で言うんですが、朝日新聞の社長が辞めましたね。共同通信の社長も辞めました。(中略)そういうことは読売では絶対起きません。下からパパパッとすぐ切っちゃいますから。」
こうした強固なナベツネ支配体制の確立と引き換えに、読売が失ったものはあまりにも大きかった。加藤氏のような特ダネ記者は社を去り、紙面はどんどん画一化、硬直化していった。
そして、今、読売は冒頭で指摘したように、他紙がすべて報じている事実でさえも、政府のお墨付きがない場合は一切書かなくなってしまった。忖度体制は、究極まで強化されてしまったといえるだろう。
加藤氏は、先の「熱風」で現在の読売新聞の姿について、こんな辛辣な表現をしていた。
「(いまの読売は)中国の共産党と似ているんです。これも冗談ですが、『日本の人民日報だ』という奴がいました。逆に中国で『人民日報は中国の読売新聞だ』って言ったら人民日報の人が怒っちゃったなんて話があります(笑)」
安倍政権と読売新聞によって、日本はどんどん中国のような国になっていくということなのだろうか。
(野尻民夫)
金森
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