2016年5月の記事一覧

海外メデイアは本質を突いた報道をする。一方、NHKを始めとした日本のマスコミは大本営発表を単に垂れ流すだけの政府広報機関に成り下がっている。


NYタイムズが「安倍は広島の平和の教訓に反している」、ガーディアンは「安倍がオバマ訪問を右翼的に利用」と本質喝破

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首相官邸ホームページより


 オバマ大統領の広島訪問で、米大統領による初の被爆地訪問を達成させたと、安倍首相は鼻高々のようだ。そして、メディアや世論にも「安倍首相はよくやった」という空気が広がっている。

 だが、欧米のメディアはまったくちがう反応を見せている。といっても、ナショナリスティックな立場からオバマの訪問そのものを否定しているわけではない。彼らが問題にしているのは、そうではなく、日本のリーダーのほう。安倍首相がこのオバマ訪問とまったく逆の本質をもっていると指摘しているのだ。

 たとえば米紙「ニューヨーク・タイムズ」(電子版)は5月26日付で、「日本のリーダーは広島の平和の教訓をほとんど活かすつもりがない」(Japan's Leader Has Little Use for Hiroshima's Lessons of Pacifism)という見出しで報じた。

 記事では、戦後日本が憲法9条と日米同盟のもとで平和主義をとってきたと述べ、独自の軍隊をもち国際的により大きな役割を担う「普通の国」に変えようという安倍首相の路線は、原爆ドームに象徴されるメッセージ、すなわち、広島の慰霊碑の石碑に刻まれた「過ちは繰返しませぬから」の言葉に反している、と伝えられている。

 また、安倍首相が強行した安保法制や、武器輸出の推進に触れて、こうした日本の変化はオバマ政権からは歓迎されたが、同時に、安倍首相の動静はいまだ日本による占領や植民地支配の記憶が生々しく残るアジア諸国、とりわけ中国に不安をもたらしてきた、と記す。

 つまり、ニューヨーク・タイムズは、オバマの広島訪問をコーディネートしたと自慢げになっている安倍首相の政治的方針は、実のところ平和憲法の根幹である9条を形骸化し、また明らかな軍事的増長を見せていることに懸念を示しているのだ。そして、そのなかで最も強い安倍批判と言えるのが、記事の最後を、市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」共同代表である森瀧春子氏によるコメントで締めていることだ。森瀧春子氏の父親の故・市郎氏は広島で被爆し右目を失明、戦後、核廃絶と平和活動に従事してきた。

 春子氏は、オバマ大統領の広島訪問を受け入れつつも、原爆投下は誤りだったと言ってほしいとニューヨーク・タイムズに語る。そして、最も残念なのは、オバマの訪広で安倍首相までもが脚光を浴びて、広島の物語る歴史の教訓が蝕まれてしまうことだと言う。

「私はオバマ大統領には会いたい。けれども、その隣に安倍首相が立つ姿を見たくはない。広島の記憶を、利用してほしくはないのです」

 日本を文字通りの"戦争のできる国"に変えようと躍起になっている安倍首相が、ヒロシマを政治利用している。ニューヨーク・タイムズの記事は、そのことを強く印象付けるものだ。

 このように安倍政権の本質を伝える海外メディアは、ニューヨーク・タイムズだけではない。英紙「ガーディアン」もまた手厳しい。

 5月27日付電子版では、ロンドン大学SOAS・ジャパンリサーチセンターのシニアフェローであるマーティン・スミス氏が英報道局「Sky News」に語ったコメントを引用し、「オバマが謝罪しなかったことは、安倍政権の右翼志向を推し進めるのに利用されるでしょう。そして、むしろ東アジアでの日本の軍事的役割を強化し、1930年代から40年代に起こったことを忘却したい、いや、否定したいと思っている支配者層を後押しことになるのでないか」と指摘している。

 また、前大阪市長の橋下徹氏が、今月12日にこうツイートしたことも批判的に紹介している。

〈今回のオバマ大統領の広島訪問の最大の効果は、今後日本が中国・韓国に対して謝罪をしなくてもよくなること。過去の戦争について謝罪は不要。これをアメリカが示す。朝日や毎日その一派の自称インテリはもう終わり。安倍首相の大勝利だね〉

 オバマ大統領は原爆投下という自国の行為に謝罪をしておらず、そこは厳しく批判されるべきだが、一方で、被爆地を訪れ、被爆者の目をまっすぐ見て、その言葉に真剣に耳を澄まし、抱擁した。

 本当なら、安倍首相もこの姿勢にならい、ナヌムの家や、南京大虐殺記念館を訪ね、戦争根絶のために過去の教訓を学ぶと宣言すべきだろう。

 ところが、平和憲法を破壊しようと企む安倍政権と、改憲勢力として足並みをそろえる橋下氏のおおさか維新の会はそれを、グロテスクな歴史修正主義、戦争国家づくりに利用しようとしている。

 そして、欧米メディアはこれを見抜いて、率直に報じているのだ。これは「安倍首相はよくやった」との声で溢れかえっている日本国内とは対照的だ。

 この国は被爆国であると同時に、侵略国家だ。だからこそ、世界に向け、声を大にして戦争反対を発信し続けなければならない。戦前・戦中日本の無謬性を主張し続け、戦後日本の非戦の誓いを骨抜きにし、憲法や非核三原則をひっくり返そうとしている安倍政権に騙されてはならない。
(小杉みすず)
http://lite-ra.com/2016/05/post-2290.html

厚顔無恥

金森

原爆記念館 広島

  • 雑談

日本を安倍晋三自民党が目論むような「戦争をする国」にしてはならない。

金森

志位委員長と小沢代表 同日選に備え野党連携強化を

NHK NEWS WEB
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160525/k10010534891000.html

志位委員長と小沢代表 同日選に備え野党連携強化を

共産党の志位委員長と生活の党の小沢代表は金沢市で共同で記者会見し、安倍総理大臣が夏の参議院選挙に合わせて「衆参同日選挙」に踏み切る可能性もあるとして、野党間の連携を強化する必要があるという認識を示しました。

共産党の志位委員長と生活の党の小沢代表は25日、そろって金沢市を訪れ、初めて共同で記者会見しました。

この中で、共産党の志位委員長は、夏の参議院選挙について、「32の『1人区』で野党側の候補者を一本化できると思っている。『衆参同日選挙』は邪道だが、安倍総理大臣は邪道を邪道と考えない政治家だ。しっかりとした備えが必要で、小選挙区での野党共闘の態勢を作り上げたい」と述べました。

また、志位氏は、安倍内閣に対する不信任決議案について、「野党4党の党首会談で合意したのは、不信任決議案の共同提出に向けて検討するということまでで、それ以上でも、それ以下でもない。よく相談してやっていきたいということに尽きる」と述べました。

生活の党の小沢代表は「野党の立場としては『衆参同日選挙』あるべしという心構えが必要で、私は同日選挙の可能性はまだあるのではないかと思っている。不信任決議案については他党の皆さんに最終的には同調する」と述べました。


小沢一郎事務所のツイート
https://twitter.com/ozawa_jimusho/status/735384129865449476?lang=ja

本日、しばた未来さんの応援のため、金沢駅東口で4党合同街頭演説会を行いました。参院選一人区初の共同街宣です。この国の議会制民主主義を守るため、野党共闘に全力で取り組んで参ります。多くの方に足をお運びいただき、心より感謝申し上げます。


志位和夫氏のツイート
https://twitter.com/shiikazuo/status/735410261616533504

金沢で4野党共同街頭演説。民進近藤県連代表、社民盛本県連合代表、生活代表の小沢さんと一緒に、しばた未来さん必勝を訴えました。

「しばたコール」が起こり凄い熱気!

小沢さんと一緒に選挙で訴えるのは初めてですが、息がピッタリ合いました!

 

金森

わたしは共産党支持者ではない。政治的にはノンポリと言えるだろう。

共産党にはあまり良いイメージは持っていなかった。主張は理解できるが実現性に乏しいし、個人の考えを一方向(党の考え)で拘束し強制する党といったイメージで捉えていた。

選挙では当選するしないは関係なく、唯我独尊で候補を立てていた。結果的には権力政党への批判票を分散させるだけに終わっていたように思う。その意味からは、うがった言い方になるが、「自民党を勝たせる支援政党的存在」だったようにも思う。

ところが、夏の参議院選挙では、共産党は32選挙区で立候補するのは香川県選挙区だけである。他の選挙区では全て他の野党候補の応援に回るといっている。

日本を戦争する国にしないために。独裁者安倍晋三から日本を取り戻すために。共産党の本気度に目頭が熱くなる。

あの保守そのもの豪腕と言われていた小沢一郎は、以前から、自公政権を倒すには「オリーブの木」での野党共闘しかないとして動いていた。その呼びかけに応えてかどうかわからない。しかし、共産党が夏の参院選て小選挙区に候補を立てないと聞いて、驚きとともにその決断に頭がさがる思いでいた。

野党共闘を誰が先に言い出したかなどはどうでもいい。共産党の決断と、実行力には敬服する。

「小異を捨てて大道につく」。いや、自公政権、安倍晋三から日本を取り戻すために「大異を捨てて大道につく」だ。


志位和夫共産党委員長

 32の参院選1人区での野党統一候補がすべてで実現する見通しがついた。正直に言うが、この方針を提案した際、ここまで(野党共闘が)前進できるとは想像していなかった。うれしい「想定外」だ。香川県では共産党の候補に一本化する方向になった。選挙共闘、いよいよ力が入る。32全部で自民党を打ち負かしたい。

 最近、(行政の長である)安倍(晋三)さんが「私は立法府の長だ」と言っている。びっくりだ。この発言がもし勘違いなら、繰り返し言っているので、お粗末な総理大臣ということになる。もし本気で言っているのなら、気分は独裁者ということになる。(立法、行政、司法の三権がそれぞれ独立するという)三権分立の否定になる。自分が憲法によって縛られているという自覚がない人が、総理大臣をやっている。こんな恐ろしいことはない。このような救いがたい人物にはお引き取りいただくしかない。(22日、JR名古屋駅前での街頭演説で)

野党共闘の前進「うれしい想定外」 志位・共産委員長(朝日新聞DIGITAL)
http://www.asahi.com/articles/ASJ5Q5SQ2J5QUTFK009.html


金森

5月15日は、参加者30余名。朗読もあり、立体的な講演でした。参加者からは

「学童疎開について理解が深まり、二度と戦争を起こさないこと、

憲法9条を含め現憲法の大切さを感じたこと、

7月の参議院選挙が極めて大切であること、

若い世代に継承していくことの大切さ」

などの感想が出されました。

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講演会資料(PDFファイル)は こちら からダウンロードできます。

田中

能 「高砂(たかさご)」

  • 雑談

大野湊神社(おおのみなとじんじゃ)とは、猿田彦大神を祭神とする神社である。

大野湊神社の始まりは、神亀4年(727年)、陸奥の人、佐那(さな)が航海中に猿田彦大神を拾い上げ、大野庄真砂山竿林(おおのしょうまさごやまさおのはやし)に既にあった神明社(祭神・天照大神)の傍らに一祠を建立し勧請したのが始まりとされる。

また、大野湊神社には、加賀藩2代藩主前田利長が慶長5年(1600)関ヶ原の戦で戦勝し、その記念に同9年から現在に至るまで連綿と神事能が継承されており、今年は四百七回目とのことだった。

天気も良かったので、醤油の町として知られる大野地区にある大野緑地公園に散歩に出かけた。公園の隣りには大野湊神社があり、祭りのようだった。太鼓の音に引き寄せられるように神社の裏手から境内に入った。

丁度、神事能が始まるところだった。運良く舞台正面一番前の席が開いていたので腰掛けた。奉納される能「高砂(たかさご)」を鑑賞した。

 阿蘇の神主友成が播磨の高砂の浦に立ち寄ると、松の木陰を清める老人夫婦に出会う。老人はこれが相生の松であると教え、自分は摂津の住吉の者で、この姥が当地の者だから詳しく知っているという。老夫婦は、妹背の仲は住む所などにかかわりがなく、高砂の松と住吉の松も、相生の松といって夫婦の松なのだという。

この二つの松は『万葉集』『古今和歌集』の二集にたとえられ、松の栄えは和歌の言の葉の栄えを意味し、天下泰平の象徴だといい、自分達は松の精であると正体を明かし姿を消します。〔中人]

 友成は浦の男に舟を新造したので神職の方に乗りぞめをしてもらいたいと頼まれ、その舟で住吉へ行くと住吉の明神が現れて、壮快な舞〈神舞〉を舞い、天下泰平を祝福します。

 長寿の夫婦の能なので、婚礼などの祝儀に小謡としてよく謡われます。

(第四百七回 大野湊神社神事能 チラシから引用)

金森

味噌っかす

  • 雑談

次の練習日にはやっと、手旗を教えてもらえると聞いて、今度こそと良夫は心待ちにしていた。

ところが、せっかくのその日に警戒警報が発令されてしまった。警報が出されればすべての行事は中止となってしまう。去年の初空襲の時、警報の発令が後手にまわってしまったのに懲りてか、このところ頻繁に警報が出される。

たいていは空襲警報までには至らず、警戒警報まで解除になるのだったが、そのとばっちりで海洋少年団の訓練はほとんど進まなくなった。相撲大会もやはりお流れになってしまった。

良夫たちが海洋少年団として公式の行事に参加できたのは、山本元帥の国葬だけだった。

連合艦隊司令長官の山本五十六が南方戦線で戦死したと伝えられたのは、良夫が六年生になって間もなくだった。

良夫は以前、山本元帥についての記事を少年雑誌で読んだことがある。元帥が病気のお母さんを見舞いに帰ったとき、茶筒を使って上手にアイスクリームを作り、食べさせました、と言うくだりが妙に良夫の心をひきつけた。

この頃はもうアイスクリームはめったに口に入らなくなっていたからだ。

その頃、中国戦線で戦死した指揮官の事を書いた「壮烈加納部隊長」などの戦記物がいくつも載せられていて、良夫はいつも読んでいたから、同じように山本元帥の戦死も華々しい討ち死にとして受け止め、感動していた。

むしろ良夫にとって衝撃的だったのは、ソロモン海域の海戦で、初めて日本の戦艦が沈められたニュースを聞いた時である。ラジオの報道は確かに「我が方、艦齢外の戦艦二隻、沈没せり」

と伝えた。良夫はさっそく彰に聞いてみた。

「兄ちゃん、艦齢外ってどういうことだろ」

「うん、たしか、建造してから二十年以上経ったということじゃないかな。もう古くなった物だよ」

「ふうん、それじゃ、扶桑とか、山城あたりのことかな。陸奥や長門のことじゃないよね」

「うーん、そうだろうなあ...」

巨大な戦艦が熾烈に撃ち合った末、火炎に包まれて沈んでいく光景を良夫は想像した。それは壮絶であると共に、戦慄すべき事実であった。

十隻の戦艦群は日本海軍の力の象徴であり、良夫たちの憧れの的だった。その二隻を失ったのである。

「まだ新しく造った戦艦だってあるんだよねえ。新聞の写真に出てたのがそうだよねえ」

「ああ、あれな、そうだと思うよ」

公表はされていないが新鋭の戦艦が造られていると言う噂は一般に広く信じられていた。

良夫はそれを頼りに何とか衝撃を和らげ、自分を納得させようとした。

提督山本五十六の死については、みずから陣頭に立って戦い、名誉の戦死を遂げた者として、むしろ爽やかに受け止めていた。

元帥の葬列は軍楽隊を先頭に、荘重な足取りで粛々と進んできた。良夫は制服制帽に身を固め、儀杖を手にして晴れがましい気持ちで沿道に直立していた。

葬列の中ほどに真っ黒な砲車が引かれ、その上に元帥の遺骨が置かれている。その前後を多数の海軍将兵が警衛し、さらに後尾に陸軍の歩兵部隊が付き従っている。

陸兵はいずれも弔意を表す意味で銃を担わず、帯革を肩にかけ、銃口を下に向けていた。かなりの数がゆっくり歩いていくから、通り過ぎるまでがずいぶん長く感じられた。

翌日の新聞によると、随従の歩兵は一個大隊とあった。

解散して帰る途中、明治神宮の参道入口でドングリを炒って売っている屋台があった。アラレを炒る金網のなかにドングリを入れてガラガラ廻している。

ドングリの弾ける音がして、香ばしい匂いが鼻を打つ。

小さい頃、ドングリの中身をほじくって口に入れてみたら、嫌に渋かった憶えがある。

「へえー、ドングリなんて食えるのかな...」

「一袋買ってみようか」

炒ったドングリは意外にうまかった。


あとがき

この小説は一九四二年から五〇年までの間、すなわち戦中戦後のはなしである。今から七十年近くも前の事であるから、若い人たちから見ればほとんど歴史小説と言ってよいかも知れない。しかしだからこそ、あの動乱激変の時代を体験した者の責務として書き残しておくべきだと考え、記憶のうすれないうちにと二十五年ほど前に同人誌「浮標」に連載したものである。言うまでもなく主人公は作者と等身大であるが、多少は脚色されているし、他の人物も同様といえる。それをこのたび一冊にまとめて出すことになった。
声をかけてくださった金森喜正氏に改めて謝意を表したい。

  二〇〇七年 八月
市野倉 三郎


市野倉氏少年期の戦争体験を小説として出版したことがある。アマゾンを始めといて全国の書店で購入できる書籍として出版した。

ただ、現在は書店から返品された若干の在庫は手元にあるものの、販売はしていない。(アマゾンでは中古品がプレミアム価格で販売されているようだ。)

蛇足

先の記事「半世紀ぶりの聴講」に触発されてこの記事を書いた。

実は、市野倉氏は東京大空襲で「学童疎開」されていたことがある。後に教師となって学童を教えておられた。定年後に「学童疎開」のころのことを書き残して置きたいと相談され、上梓のお手伝をした。学童疎開での子どもたちが淡々と描かれている。

金森

半世紀ぶりの聴講

  • 雑談

東高校時代の恩師、須山先生の話を聴く機会があるということで思い切って出掛けてきた。我々5回生は昭和44年(1969年)卒業で47年の歳月が経過している。須山先生には地理の授業を受けており、それは1年時であったと思う。なんと半世紀が経過したことになる。

満81歳になられたとのこと、しかし髪も黒々穏やかで静かな語り口は50年前と全く変わらない。

定年退職されてから、ライフワークの一つとして10年間余り「学童疎開」を研究されているらしい。

先生の主張はズバリ、学童疎開させられた子供達が戦争の大きな犠牲者でなかっかたかということ。勿論230万人の軍人、80万人の一般国民の命が奪われ、そのうえ国富の3分の1が失われた事実は忘れてはならない。

終戦の直前約1年半の間に、東京の渋谷区・大田区・品川区の国民学校生約15000人が富山県に「学童疎開」してきたらしい。大きな理由は、激しくなった空襲を避けるためであった。しかし富山は東京より多少食糧事情は良かったものの、いわゆる「いじめ」や慣れない生活環境で多くの「疎開児童」は富山に良い印象を持っていないという。この辺の事情は柏原兵三の「長い道」や藤子不二雄Aの漫画「少年時代」に克明に描かれている。

結論、須山先生は憲法9条を遵守して二度と「学童疎開」が必要な状況を作り出してはいけない、そう主張しておられると思った。

最後に先生のまとめ上げられた「学童疎開」に関する書籍は現在アマゾンで電子書籍化が検討されているとのこと。先生は研究者としても有名で「須山盛彰」で検索すると詳しくしることができる。


新緑の金沢散歩

ゴールデンウイーク最後日に金沢の街を散歩した。

いしかわ四高記念公園から「しいのき緑地」へ。しいのき迎賓館で「小松九谷焼と德田家四代展」を鑑賞した。真弓坂口から兼六園に入る。桂坂口から兼六園を出て、石川門から金沢城公園に。河北門を右手に菱櫓へと向かう。内堀を左手に見ながら旧第六旅団司令部へ。木道を玉泉院丸庭園へと下りる。

昼食は竪町通りの路地にある金沢町家を改装した古民家カフェ「フルオブビーンズ(FULL OF BEANS)」で生パスタにした。

生パスタ フルオブビーンズ(FULL OF BEANS) 金沢竪町通り

フルオブビーンズ(FULL OF BEANS) 金沢竪町通り

金森

篠田の花火

  • 雑談

私は28の時に滋賀県に引っ越しもう38年も滋賀県に住んでいます。滋賀県はテレビ番組などを見ているとかなりマイナーな県ですが、東から京都に入るときは必ず通る地域なので歴史的にはかなり重要なのではないかと勝手に思っています。寺院の総数は愛知県、兵庫県、愛知県に次いで全国第4位ですが、人口10万人で行くと全国1位

それだけに催事も多く私はまだ全部知っているわけではありませんが、奇祭と言えるものもいくつか残っているようです。

その中から今回は自宅から徒歩5分のところにある篠田神社で毎年5月4日に行われる「篠田の花火」を紹介してみようと思います。

篠田の花火

近江八幡市に住んで28年目になる。近江八幡市は近江商人発祥の地としても知られるが、やたらと祭りが多い。大小合わせると20近くはあるのではと思う。我が家の近くでも毎年5月4日に行われる「篠田の花火」は結構歴史があるが、今年も3連休の中日5月4日に「篠田の花火」が例年通り行われた。篠田神社は我が家から直線距離で約400m、徒歩5分くらいの至近距離だが、最近は人が多すぎてなかなか見に行く機会がない。最近ではいつも翌日の早朝に焼け跡を見に行くことが多い。

「篠田の花火」は国選択無形民俗文化財に選択されていて、3月に行われる「左義長まつり」、4月に行われる「八幡まつり」とともに「近江八幡の火まつり」のひとつとなっていて、700年以上の歴史を持っている。特徴は直前の比較的小さい仕掛け花火からナイアガラ花火に続く全国的に見て非常に珍しいロケット花火(と思う)で点火される仕掛け花火で、狭い境内は一時火花、炎、煙に包まれる。特に最後の仕掛け花火は、点火直後失敗したのかと思った瞬間に爆発音とともに回転する花火の迫力と爆音に圧倒される。回転花火が終わった後しばらくは静寂、またも失敗したかと思ったころ青紫色の絵が浮かび上がる。この絵柄は毎年変わりわずか数分しか続かないが、一時幻想的な気分にさせてくれる。この仕掛け花火の後、境内中央に立てられている大松明に点火される。この後も神事は続くのだが、ほとんどの観客(と言っていいのかどうかわからないが)は帰る。

実は今年も直前まで見に行くつもりだったが断念してしまったので、本日早朝散歩がてら写真を撮ってきた。かなりマイナーな祭りで観光目的でもないため情報は少ないがYOU TUBEで動画がいくつか見ることができるのでリンクを貼っておく。

2014年

2015年

その他

近江祭百選 篠田の花火
http://www.eonet.ne.jp/~oumimatsuri/504sinoda.html

篠田の花火(広田)
http://www.ofours.com/higashi5/docs
/%E7%AF%A0%E7%94%B0%E3%81%AE%E8%8A%B1%E7%81%AB
/%E7%AF%A0%E7%94%B0%E3%81%AE%E8%8A%B1%E7%81%AB.htm

広田

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