金沢の文豪に室生犀星がいる。ウィキペディアによれば
1889年、加賀藩の足軽頭だった小畠家の小畠弥左衛門吉種とその女中であるハルという名の女性の間に私生児として生まれた。生後まもなく、生家近くの、真言宗寺院雨宝院住職室生真乗の内縁の妻赤井ハツに引き取られ、その妻の私生児として照道の名で戸籍に登録された。住職の室生家に養子として入ったのは7歳のときであり、この際室生照道を名乗ることになった。私生児として生まれ、実の両親の顔を見ることもなく、生まれてすぐに養子に出されたことは犀星の生い立ちと文学に深い影響を与えた。「お前はオカンボ(妾を意味する金沢の方言)の子だ」と揶揄された犀星は、生みの母親についてのダブルバインド(二重束縛)を背負っていた。『犀星発句集』(1943年)に見える
夏の日の匹婦の腹に生まれけり
の句は50歳を過ぎた後も、犀星がこのダブルバインドを引きずっていたことを示している。
との出だしで紹介されている。
この犀星が愛したという散歩道、犀川大橋から上流桜橋にかけての道が「犀星の道」と呼ばれている。金沢市民も散歩したりジョギングしているのをよく見かける。
わたしも、満開ちょっと前の桜が咲き誇る「犀星の道」を散歩した。
(二枚目の写真右手前の階段を上ったところに、室生犀星文学碑がある)
金森
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