■ 他人の山に登っていて評判を気にしていた
働き好きな者は退職して指示してくれる人がいなくなり、管理調整役だった者はその対象がいなくなる。およそ働く、管理するとはこの世の一部の職場という部分的生き方にすぎない。鉢物の新芽に小宇宙を見い出したりしてこなかった。言わば他人の山に登っていて評判を気にしていたのだ。さあ、自分のために生きよう!
■ 現代的老人になり自分のために生きよう
頭で文化を作るわりに人は動物の中では生命力の強い方ではない。文化に意味を見出すよりまず生物体として正しく生息して長寿であれと、現代はスポーツ、健康ブーム、セックスなど古い「文」をくだき、アメリカ的自己(利己)主義が盛ん。恥だが一理ある。寺が観光化し、大学が生活力の職業紹介所となり、それで強い肉体的者が勝っていく。ある程度これにも乗った上で文化人たれ!!。私達の年代はまだ恥を知っていた。今からでも遅くない。現代的老人になり自分のために生きよう。
■ 世のため頑張ろうと力まない
往年の勇者をたたえ合う、過去人脈の集いは「現在世にどう役に立っているか」問わないので楽しい。わざわざ飲み会に東京、名古屋から大きな出費で来る者も。現在の自分の価値は私達は意外と低く過去にあった値を見せ合い自己満足!!。勿論なかには晩成型の人もいていちがいに言えないが。そうと分かったら世のため頑張ろうと力まないこと。
■ 分業化社会
自分の背中のかゆい所は届かないので、他人にかいてもらう。そのお返しに他人の背もかいてあげる。分業化社会はこのように一見他人とかかわるようだが、突詰めると「自分」と言う存在に気付く。亡びると子が代わり、自分が続く。先祖から続き十数代さかのぼると日本人皆親戚と言うが実はたらい回しがあり上層部は自己利益の婚姻だけする。
■ 脳が文化作るのはヒトの身勝手
京大のゴリラの博士の話では、脳を除くとヒトは決して強い動物に入らないとの事。野生の動物の自分勝手を少し取り入れ、種としてのヒトも生物体として少し強くなれと言う。脳が文化作るのはヒトの身勝手で、まず地上で強く永く生き延びないといけない。文化の公家に野生の武士が歴史に現れたように現代文明にスポーツマンや長寿競争が現れている。自分のために生きよう。
■ まだこの程度なら出来ると自己点検
現職時代、高値の給料だった代わりに出来ない部下を抱え、職場の不条理を飲み込まされ退職したら安値でわけあり商品、中古だがぶらさげられていたものも除かれる。長寿時代の今もこの原則に時期のずれあってものっとっている。いわば自由人で自分のために生きる。前田の殿は歴代45、6才が平均寿命で50才前から小松に隠居した。当代の方は何かと顔を見せておいでるが日本郵船の役員までいって今隠居仕事。隠居しないのが僧と神宮で高齢で値が上がる。自分を値踏みし、まだこの程度なら出来ると自己点検したい。
実は金沢の友人たちが作っている高校時代の同期会のブログ作りの手伝いをしている。友人といっても私たちより10歳位上の人たちだから先輩というべきかも知れない。そのプログに投稿される記事がなんともこころに沁みてくる。エッセイ集として出版しようと思いたった。出版を許可してくれるよう投稿者にお願いしているところだが、先に編集作業を進めている。書名は「自由に生きる。おれは半太だ!!」にしようかと考えている。上のエッセイは編集中の原稿から一部を転載したものだ。出版の運びになったら買って下さいませませ。
金森
コメントする