先の記事で本多町の鈴木大拙館近くに大乗寺坂があり、坂の名は大乗寺が由来であると書いた。大乗寺は元禄10年(1697)に本多町から今の長坂に移された。大乗寺の歴史は古く、弘長3年(1263)、富樫家尚が野市(現在の野々市市)に真言宗の澄海を招聘して創建したのが始まりである。その後いろいろの出来事を経て現在に至っている。
大乗寺は野田山の麓に位置する。野田山には加賀藩主前田家の墓地がある。野田山墓地は天正15年(1587)に前田利家が兄利久を葬ったのが始まりである。野田山墓地は前田利家やまつなど前田家の墓の他、金沢三文豪のひとり室生犀星の墓などもある金沢最大の墓地である。
前田利家の墓など前田家の墓は、富山長岡御廟の富山藩主前田公の墓に見られるような大きな墓石は建っていない。墓の中央に小高く土が積まれており、まるで古墳といった方がぴったりする墓だ。シカや熊なども出没する閑静な中にある。
金森
コメントする