金沢の町には「広見」と言われる小さな広場のような場所がいくつかある。広見は幕政時代に設けられた。伏兵を配置するための戦略的場所、荷車などの回転場所、火消しの結集地、藩の高札や辻説法の場所などとして利用されていたようだ。
寺町には六斗広見があり、幕府の巡見使を金沢に迎える儀式を行うのにも使われていたとのことだ。
下の写真はひがし茶屋街入り口の広見だ。蛇足だけど、写真正面の浅田屋がやっている蛍家は平成26年3月15日をもって閉店とのことだ。
金森
富山県立富山東高等学校5回生親睦会
金沢の町には「広見」と言われる小さな広場のような場所がいくつかある。広見は幕政時代に設けられた。伏兵を配置するための戦略的場所、荷車などの回転場所、火消しの結集地、藩の高札や辻説法の場所などとして利用されていたようだ。
寺町には六斗広見があり、幕府の巡見使を金沢に迎える儀式を行うのにも使われていたとのことだ。
下の写真はひがし茶屋街入り口の広見だ。蛇足だけど、写真正面の浅田屋がやっている蛍家は平成26年3月15日をもって閉店とのことだ。
金森
幕政時代の金沢城の百間堀は今は埋め立てられて百間堀通りとなって、日本道100選のひとつにもなっている。この百間堀通りの広坂交差点で石浦神社と兼六園の真弓坂に挟まれた坂が広坂だ。この広坂を上ると右手に石川県立美術館がある。美術館を超えた隣が赤レンガ作りの民俗資料館で、ここを通り越して少し歩くと右に折れる小径がありる。小径の先が大乗寺坂だ。
金沢市が設置している標柱には「慶長から元禄年間に曹洞宗の古寺、大乗寺が坂下にあったのでこの名で呼ばれている。同寺はのち長坂へ移転した。」と記されている。長坂は山側環状道路でJAほがらか村がある辺だ。
大乗寺坂を下って少し歩いた右手に鈴木大拙館がある。ウィキペディアには次のように記されている。
「金沢市出身の仏教学者である鈴木大拙への理解を深め、思索の場とすることを目的に、金沢市が2011年(平成23年)10月18日に開設した。施設の設計は金沢市にゆかりの深い日本芸術院会員の谷口吉生。大拙生誕地の近くに立地し、借景となる本多の森公園との調和や大拙の精神とされる「静か」「自由」の具現化を図ったとされる。なお、開館日の10月18日は大拙の生誕日(旧暦)である」
町歩きの時によく立ち寄る場所でもある。
金森
朝、目が覚めると前日の天気予報に違えて良い天気になっていた。朝食を取りながら昼は蕎麦にしようということになった。天気もいいから五箇山で蕎麦にすることにした。
山側環状道路から金沢大学角間キャンバスを通って福光に出る。五箇山へは何時もは福光ICから東海北陸道に乗るのだが、天気もいいのでゆっくりと国道304号を下道で城端方向に車を走らせた。
五箇山トンネルを過ぎると五箇山に入る。トンネルを過ぎれば相倉集落は近い。昼前には相倉集落に着いた。今年の五箇山の雪は少ない。五箇山の雪も年々少なくなっているように思う。
散策しながら集落の中程にある相倉まつやに入った。蕎麦と天ぷらのセットを注文した。村を散策している時、すれ違うときに「こんにちは」と声を掛け合った外国人の夫婦がいた。その夫婦が店に入ってきて、わたしの前の席に座った。風貌から欧米人であることは分かる。それとなく聞こえてくる会話は英語ではなくフランス語のようだった。
相倉集落から飛騨白川郷を散歩して、帰りに五箇山のゆー楽に寄った。露天風呂で眼下に庄川のダム湖をみながら温泉に浸かった。帰り道、夕方4時頃、福光で雪がチラついてきた。
金森
金沢のひな祭りは旧暦に合わせ4月3日まで雛人形を飾る。加賀藩祖・前田利家が1599年閏3月3日に逝去したことから、しまうのを一ヶ月遅らせているとう言い伝えもあるようだ。
写真は金沢21世紀美術館近く広坂にある石川国際交流サロンに飾られている雛人形。このサロンは某地場銀行の頭取の家だったようだ。いまでは陶芸展とか写真展とかをよくやっている。町歩きの時に一休みかたがた立ち寄ったりしている。
金森
2007年10月に「総曲輪でオフ会」「総曲輪でオフ会・二次会」「総曲輪でオフ会・三次会」を書いていた。当時は日本でYouTubeが使われ始めたころで、わたし自身動画の作り方は知らなかった。今回、当時の写真を探して動画にした。先の「総曲輪でオフ会」の記事とともに作成した動画を掲載した。
みんな若い。わたしの髪の毛もまだある。
10月6日に総曲輪でオフ会をした。集まったのは8名。今回は三重から参加してくれた同期生もいた。開始時間に都合がつかず二次会に駆けつけた同期生もいた。
いつもの様にワイワイガヤガヤ、あっちへ、こっちへと話題が飛び回る。結局は何を話していたのか思い出せない。でもまぁ?、終わってみるとスッキリとする。同期生というのは良いものだ。
そうそう。新しい大和デパートの効果か、総曲輪も少しにぎやかになっていた。人も沢山入っていた。特に地下には多かった。
二次会をどこにしようかと、ちょっとだけ悩んだけど、いつもの「フルハウス」。
そして、三次会。
ボンドは、「ゴードン(ジン)を3、ウォッカを1、キナ・リレを半分の割合で。 氷を入れてシェイクし、薄く切ったレモンの皮を一枚いれてくれ」 とマスターに頼んだ。(カジノ・ロワイヤル)
2007年10月 8日(月)記
(動画はURLを知っている人だけへの限定公開)
金森
大作さんが投稿してくれた記事の中に大友楼が出てきた。
懐石・会席料理 大友楼は尾山町にある。金沢を代表する老舗料亭の一つだ。
金沢の中心地を野々市、白山・小松方面に通っているのが国道157号線。国道157号線の武蔵ヶ辻と香林坊の中間辺りに南町の交差点がある。この交差点を香林坊に向かって左に折れて兼六園方向へ少し歩く。最初の交差点手前右側に大友楼本店がある。
もう随分前になるけど、大阪の知人のリクエストで大友楼で昼食にしたことがある。知人は正月のおせち料理は大友楼のお重にしているとのことだった。そんなこともあって、せっかく金沢に来たのだからと「鯛の唐蒸し」を頼んだ。鯛のお腹に卯の花(おから)を入れた金沢の郷土料理だ。鯛は腹開きではなく背開きにする。腹開は切腹を連想させ縁起が悪いから背開きにするとのことだ。加賀藩の武家文化が色濃く影響している料理とも言える。金沢での結婚式でよく出される料理の一つでもある。
そんな大友楼の向いのビル二階に、町歩きの時などにランチするトラットリア・タマヤがある。二階の窓から大友楼の玄関先を見ながらスパゲティを食べる。こちらは値段も手頃でランチセット800円。近くの会社に勤めていると思われる女性客を多く目にする店だ。
金森
今年は3月に入ってからも寒い日がつづく。今も外は雪がちらついている。しかし季節は確実に春に向かっている。
二三日前に金沢の友人にフキノトウを貰った。金沢田上で雪をかいて採ってきたそうだ。山側環状道路から医王山に向かう辺りが田上だ。今年の金沢は雪がほとんど積もらない。それでも雪が残っているということなので医王山近くかも知れない。山菜を採りが好きな人は、それぞれに秘密の場所を持っている。その場所は他人にはなかなか教えない。
早速、フキ味噌と天ぷらにした。フキ味噌は炊きたての白いご飯と、三分突き玄米ご飯で握った焼きおにぎりに乗せた。
フキノトウの苦味が春を知らせてくれる。
金森
松川べりの桜を見た後、例会(オフ会)会場の総曲輪丸一に向かった。その時の様子を 2008年4月に ミニオフ会・2008.4.4 という記事にした。今回その記事を再掲し、例会の様子を撮影した写真を動画にして掲載した。動画を見て思う、6年前は若かった。月日の流れは早い・・・
4月4日(金曜日)、午後6時半頃から、いつものようにワイワイガンガヤとミニオフ会が始まった。会場はいつもの総曲輪「丸一」。
時節柄、職場で歓迎会があるとか、お花見の幹事をさせられたとかで、参加を予定していた3名が出席できなくなって、ご覧の9名でのミニオフ会になった。
いつものように、いろんな話が行きかっていて、何を話していたのか記憶にないが、時間はあっという間に過ぎてしまった。
そう言えば、今年はオリンピックイヤーだ。そんな話題にもなった。しかし、みんなの話しっぷりからすると、いそがしい、忙しいと、脂が乗り切っている。
そんな訳で、どうせ同期会をやるなら、みんなももう少し暇になってからやった方が楽しいかもしれないと、思ったり、思わなかったり。それまでは、こんなミニオフ会をやっていけばよいのではと云うのが、正直なところかな!?
2008年4月6日 記
(動画はURLを知っている人だけへの限定公開)
金森
世話人への連絡 higashi5@ofours.com へ
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