先週の記事で、「富山市公会堂」の写真を紹介した。あの写真は1982年の夏に撮影したものだ。今では取り壊されてANAクラウンプラザホテル富山となっている。一昨年の同期会は、このホテルでやった。実はこの時、ビデオや写真の撮影も担当したので、三脚などの撮影機材を自宅から自家用車で持ち込んだ。
撮影で酒を飲む暇はないから飲まないということは、まずはありえないので、ホテルの営業担当の人にお願いして、お手頃価格で部屋を用意してもらい一泊した。
この写真は、当日ホテルの部屋に入った時に部屋の窓から撮影したものだ。長らく工事していた富山城の改修も終わっていた。荒城の月のモデルになった城と聞いたことがあるが、上から見ると随分と可愛いお城だ。高校の時に時たま城址公園を散歩したことを思い出して懐かしく眺めた。広場でフォークコンサートを聞いた気もした。ただ、記憶は定かではない。
1組 金森
2004年8月12日富山金茶寮での同期会(1組、2組合同クラス会)の様子です。(ブログの右側サイドバーのカテゴリー「同期会2004年」からも見ることができます。)
1組 金森
2000年8月12日富山金茶寮での同期会の様子です。(ブログの右側サイドバーのカテゴリー「同期会2000年」からも見ることができます。)
1組 金森
時計塔の奥に見えるのが富山市公会堂だ。この公会堂は1997年3月に閉館し、今は一昨年の同期会で会場にしたANAクラウンプラザホテル富山になっている。時計塔も今では立山をイメージしたものに建て替えられて当時の面影はない。
また、この公会堂は「東京の日比谷公会堂、大阪市中央公会堂と並ぶ日本三大公会堂として呼ばれていた。また名物となっていたのが映写機であり、シネマスコープにも対応されていた。同公会堂の映写機は現在富山市郷土博物館に展示されている。」とウキペディアに書かれている。
いまでは牛島町にある富山市芸術文化ホール(通称 オーバード・ホール)が公会堂の役目を担っているようだ。
高校の頃、この公会堂であった合唱大会かなにかで、太田くんがやっていた合唱部を応援にいったという記憶がかすかにある。
1組 金森
「富山ブラック」という言葉をご存知だろうか。大喜のチャーシューメンのことを「富山ブラック」と言い、いまや全国区のラーメンになっている。
今日はちょっとした仕事で太田くんの会社に行ってきた。仕事が終わったのが11時半頃だった。直ぐに帰ろうかと思ったが、近くに大喜があるのを思い出した。久しぶりに大喜のラーメンが食べたくなくって寄ることにした。
総曲輪などで呑んだ後、締めに西町の大喜に寄ったのを思い出す。
ところで、今日ラーメンを食べ終わって会計する際、レジの横に名刺二枚位の大きさのチラシが置かれていた。「これはなんだ」と尋ねたら、「名刺のようなものです」と言うことだったので、一枚もらって読んでみた。
そこには、「高橋是康氏を代表とする(有)大喜は平成12年に解散しました。現在、西町と同じ場所で別会社が大喜の名前で営業し、支店を多く出しておりますが私共と一切関係ございません。」とあった。
そう言えば、昨年末に立野くんと富山駅前で呑んだのだが、居酒屋へ行く途中、左手に「富山ブラック・・・」という旗を立てている真新しい大喜があった。立野くんが、「以前の大喜じゃないんだよ」と言っていたが、こういうことだったのかと納得した。
確かに、西町本店や二口店でのラーメンと、根塚店のラーメンはチャーシューも違うし、味も違う。それに、値段も違っている。同じ大喜なのになんでなんだろうと思っていた。
高校時代からの思い出の中にある「富山ブラック」は根塚店の味ということだ。言われてみれば、そんな気がする。
1組 金森
古い写真を整理してしいたら昔の富山の写真があった。下の写真は、なにを思って撮ったかは覚えていたないが、総曲輪通りから中央通りの入り口を撮ったものだ。
撮影した日時ははっきりしないが、1982年の夏に撮影したようである。この写真を見て、インベーダーゲームをやっていた記憶がうっすらと蘇ってきた。喫茶店のテーブルはゲーム機を兼ねていた。また、写真の正面にある森永のパーラーの隣にビリヤード場があって、同期の誰かとビリヤードをやった記憶がある。矢郷くんだったかも知れない。
1982年と言えば、高校を卒業して10年ちょっとの頃だ。その当時は、横浜で働いていた。お盆や正月には帰郷し、同期のみんなに電話しまくって付き合ってもらっていた。いまから思えば、みんなに取っては随分と迷惑な話だったかも知れない。
この写真以外に、この頃の富山市内の写真が何枚かある。当時のことを思い出しながら、ボチボチと写真を紹介していこうと思う。
1組 金森
新年明けましておめでとうございます。
みなさんの中には、現役時代の忙しさから開放され、ゆったりとした生活を送っている人もいるでしょう。あるいは、父母の介護看護に汗を流されている人もいるいるのではないでしょうか。いずれにしても、多くの同期生のみなさんは現役時代の煩わしさから開放された一年を過ごされたことと思います。
実は私は昨年の暮れ、ひょんなことから肩を痛めてしまいました。肩甲骨の奥辺りからくる肩が抜けるようなズキンズキンとした痛みに悩まされしまた。首から肩に掛けての筋の疲労と緊張からの痛みのようです。自分の体力を過信し過ぎて、ゴルフやらトレッキングやらと、知らず知らずに身体に無理を掛けていたのが原因かも知れません。
肩を痛めてみて、介護する立場から介護される立場になりつつある現実を知らされた思いです。家族にも迷惑を掛けてしまいました。そう、いつまでも若くはないということでしょう。そして、無理をすれば自分だけでなく、周りの人にも迷惑を掛けてしまうということを実感しました。
自分の体力も歳相応に衰えていることを認識して、若いころのように無茶することなく、周りの人とも楽しく過ごしていきたいと思っています。みなさんも自分の体力を過信することなく元気にお過ごしください。
みなさんにとって辰年が良い年になりますように。
平成24年元旦
1組 金森