金沢の街を歩いていると、割竹を円弧状に曲げて壁際に並べてあるのを時たま見かける。
金沢の犀川大橋の近く清川町にある老舗料亭「山錦楼」の道路側の壁際にも並べてある。建物とあいまって、風情を感じる。
この割竹で作った円弧状のものを、京都などでは「犬矢来」と呼ぶようである。犬の放尿を防ぐ目的で置かれたことからこう呼ぶようになったとのことである。
しかし、何時だったか、何処で聞いたか思い出せないが、金沢の矢来は、雨宿りできなくする目的で置いていると聞いたことがある。
写真を見ると分るが、矢来の上には窓がある。窓の内側では、客達が胚を交わしながら、いろんな会話をすることだろう。こういった席でしか話せない微妙な話もある。阿吽の呼吸の一言で話が決まる時もある。
客室の窓の下に矢来を置いて、雨宿りできないようにして、そんな会話が外に漏れないようにする、料亭の配慮だという。
老舗のお茶屋さんや料亭には、昔の人の知恵の仕掛けが多い。客達のための、いろんな工夫、配慮がされている。そんな事も考え合わせれば、金沢でよく見かける矢来は、雨宿りお断りといった目的で置かれるようになったと考えるのが良さそうである。
2007年3月の記事一覧
昌徳宮をひと回りして、元に戻る。敦化門の西側にある小さな門が出口だった。門を出ると駐車場がある。一緒のツアーに参加していた日本人観光客のほとんどが、この駐車場で待機していた旅行社のマイクロバスで、次の観光地に出発して行った。
さて、私達は北村へ。と言っても道案内がいる訳でもない。地図を頼りに、細い坂道を北へ上がり、北村ギルと名のついた通りを西に歩く。この通りにはさまざまな韓国料理の店が並んでいた。そろそろ、お昼時だし、何処かに入ろうと思っているうちに大きめの交差点にさしかかった。
目的地はこの交差点を北に上がるはず。私達は道路を渡って、北に歩き始めた。少し行くと、立派なお屋敷風のレストランが現れた。駐車場には高級車が止まり、いかにも高そうな店構えである。中を覗き込みながら前を通り過ぎようとしたその時、レストランの門の脇にある管理人小屋みたいな所から一人の男性が声を掛けて来た。何を言っているのか解らない。
『関わり合いになるのも面倒。ここは聞こえない振りして行こう。』
私たちは歩く速度を速めた。すると、彼は小屋から飛び出し、雑誌を手に持って追いかけてきた。私たちに追いつくと、中年の女性とレストランの写真が載っているページを開いて、早口で何か言った。何を言っているのかさっぱり解らないが、雑誌のページのレストランがここだと、言っているようである。
雑誌に載っている女性の方に見覚えがあった。私はバッグから、例の夫に買ってもらった旅行雑誌を取り出した。表紙に彼女が載っている。そして、最初のページに彼女の事が特集で紹介されていた。彼女は韓福麗先生。韓国宮廷料理の第一人者であり、昨年、日本でも放映された韓国の人気ドラマ'宮廷女官チャングムの誓い'の料理監修者としても知られている。
私が旅行雑誌をひらいて、彼に見せると、彼は思いっきり嬉しそうな顔で何か言った。やはり言葉は良く解らないが、ここが、この先生のレストランで、とても、美味しいから寄って行くようにと言っているようである。韓国語の中に英語と日本語が混ざっているのが少しだけ聞き取れた。好奇心が疼き出す。だが、問題は値段。
「What is the price for lunch ? 」
英語で聞いてみた。英語で返ってきた。
「Thirty thousand won」
3万ウォンなら妥協できる。だが、それだけで済むのかしらと少し心配だったが、韓福麗先生のレストランと聞いて、俄然、興味が湧いてきた。よし、昼食はここに決めた。
レストランの名前は「宮宴」それにしても、韓国ではこんな高級店でも客引きするのだろうか。
立山の登山口で、立山連峰を見ても、岩しか見えないように、天橋立で、股覗きをしても、なんの変哲もない風景が見えるだけである。やはり見る場所というものがある。
知恵の輪灯篭を三回くぐった後、天橋立を股覗きで見ることができる天橋立ビューランドの上り口へと向かった。天橋立ビューランドへは、スキー場によくあるリフトと、モノレールが並行して動いている。リフトは待ち時間がほとんどないとのことだったので、昇りはリフトを使った。
スキーを履かずに乗るリフトは初めての経験だったが、なんとかうまく乗れた。また、リフトを降りるとき、スキー板を履かずに、手を離すタイミングが不安だったが、補助員がうまくリフトを外してくれて、これもなんとかうまくいった。
リフトの終点にあるビューポイントから見る景観は、案内パンフレットに載っている写真そのものである。雲と海と、天橋立の曲線美、海岸の白い砂浜、行き交う船の波の跡など、全てが一体となった景観は、なんとも絶妙なバランスで、美しかった。
股覗き推奨の場所というのがあったので、お約束通り股覗きしてみた。頭に血が昇ってクラクラするのを覚えたが、特段変わったようには見えなかった。
看板の説明書を読むと、「頭に血が昇ってクラクラした感じで見ると、天橋立が幻想的に見える」といった趣旨のことが書いてあった。そう言うことだったのかと、改めて股から覗いた。確かに、前と比べて、幻想的に見える気がした。
イッテミア・ミッション「天橋立を股覗きで見る」
昌徳宮は、1405年に朝鮮王朝の離宮として建てられたが、1592年、豊臣秀吉による朝鮮出兵、壬辰倭乱(文禄の役)でほとんどが焼失、敦化門だけが残った。その後、1611年に再建されて、15代国王・光海君から26代国王・高宗まで正宮として使われていたという事である。
1997年には、全人類のために、保護すべき価値が顕著な文化遺産として認められ、ユネスコの世界文化遺産に登録された。
敦化門から昌徳宮に入場すると、小柄な女性のガイドさんから、昌徳宮ツアーの簡単なコース説明があった。分かり易い日本語の説明で、これから始まるツアーが楽しみになってくる。
先ずは、昌徳宮の中心的建物の仁政殿に案内された。その荘厳な佇まい、、殿内の玉座や装飾などを見学し、仁政殿前の役人たちが整列したといわれる石畳に立つと、朝鮮王朝の宮廷内の様子がしのばれる。
続いて、宣政殿、大造殿とガイドさんの後について見学して行く。どの建物も、始めて本格的な朝鮮の宮殿を見る私には感動的であった。
やがて、秘苑と名づけられた庭園に案内された。秘苑は韓国を代表する庭園だそうで、芙蓉池という四角の池が印象的で、日本庭園と似た雰囲気を持ちながら、ぜんぜん違う世界を作っていた。
次に案内された演慶堂は、それまでに見学した建物とは少し違って、飾りのない質素な様子で、日本の寺院に似ていると思った。
ガイドさんの話はどれも興味深かったが、何の予備知識も入れて来なかった私は「へぇ?」と思っているうちに、次へと行ってしまう。ツアーは1時間20分。あっと言う間であった。もし、もう一度、韓国に来ることがあったら、今度はもっとじっくり見学したい。