若い頃、横浜の工場に勤めていた。その町には、多くの工場と、そこに勤める多くの人達が生活し、町は活気に溢れていた。
残業なども多く、なかなか定時に帰れる日は少なかった。しかし、それでも、仕事の区切りには打ち上げと称して、仕事仲間で町の焼き鳥屋などに繰り出した。
焼き鳥屋とは言っても、モツなどのホルモン焼きの店である。富山の総曲輪にある両国のような店である。焼き鳥屋の二階にある座敷で、コップ酒でガヤガヤと集まることが多かった。多くは係りの仲間で飲むのだが、たまに、課長や部長を呼んでの飲み会ということもあった。
しかし、課長や部長がいるのは、大抵は一次会までで、後は仲間での宴会となる。部課長もその辺はわきまえていて、この辺で一次会を締めますと声が掛かると、一本締めかなにかをして、静かに何処かに消えていくというのがお決まりだった。
そんな時代である。工場には、社員食堂があった。ある時、英国だったか米国だったか思い出せないが、外国から来たお客さんが、社員食堂での食事風景を見て、「ブロイラーが餌を食べているようだ。」と言っていたという話が、工場内で話題になったこともある。「家は、ウサギ小屋」と言われていた時代だ。
工場には沢山の人がいたから、15分位の間隔で3パターン、食事の時間帯が別れていた。昼食のチャイムが鳴ると、その時間帯に割り当てられた者が、各職場から駆け出してきて列を作る。定食をお盆に受け取って、空いた席に座り、もくもくと食べ、食器を片付け、次の時間帯の人に席を譲る。言われてみれば確かにそんな感じではあった。
短い時間に、沢山の人の食事を作らないといけないことや、衛生上の配慮からか、おかずは揚げ物とか炒め物が多かったように思う。また、ご飯と言えば、多少パサパサとしていたり、べとっとした感じだった。当然ながら、古米、古古米を使っていたのではないかと思う。
とは言うものの、町の食堂の1/3位の値段で食べれたので、ありがたかった。工場の外には、中華店とか蕎麦屋、社員食堂のシステムに似た定食屋、こ洒落た食事処なども沢山あり、社員食堂に飽きたときなどに利用していた。
最近、私の住んでいる町の周りで、この定食屋に似た食堂を目にするようになってきた。野々市食堂もこの定食屋である。店の名前は忘れたが、富山の国道41号線のアピタ近くにも似たような食堂があったように思う。
まだまだ好奇心は旺盛である。野々市食堂に、昔の社員食堂の感覚で、ちょっと入ってみた。
これが「実に、旨かった。」のだ。
おかずとして、揚げ物や炒め物、焼き魚、煮物、酢の物と、いろいろと種類も多く、組み合わせ自由である。そして、ご飯も新米を使い、その日の分はその日に精米して、大きなガス釜で炊いて、炊きたてを出してくれる。なにせご飯が美味しかった。
そして、家族連れが多いのに驚いた。小さい子供達連の若い夫婦が沢山いた。ファミリーレストランではなく、こういった食堂を利用しているのだ。ファミリーレストランが衰退しているが、時代が変わっているのだ。
そう言えば、ファミリーレストランは、何処でもメニューは同じという安心感もあるし、食事の後にコーヒなどで時間調整するのにも便利という事もあって、出張の時などの待ち合わせや打合せ場所としてもよく利用する。
確かに利用者には、そんなビジネスマンが多いように思う。これからのファミリーレストランは、ビジネスマンをターゲットにしたビジネスレストランへと変わっていくのかも知れない。
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