裁判と言えば、人気の時代劇で、大岡越前守がお白州でもろ肌抜いて悪人を裁く。弱きを助け強きをくじき、人情味あふれる大岡裁定を言い渡すといったシーンを思い起こす。
私達は、そんなシーンを観て、胸をすっきりさせたり、興奮したり。裁判官もそうあって欲しいと期待したりもする。
しかし、大岡越前守は支配者が定める秩序を乱す者を取り締まる者でしかなかった。お白州は裁判所の法廷というより、検察の取調室だったとも言えるだろう。
「増補 中学生にわかる民事訴訟の仕組み」(P135-136)では、次のように解説している。
c お白洲時代
もとより、大岡越前守の時代にも、いわゆる「お白洲」があり、「秩序を乱した者を追求し、裁いて、刑を科す」という制度はありました。
しかし、そのような「お白洲」時代において存在したのは、基本的には、「支配する者」、「支配される者」という二面関係であり、「秩序を押しつける者」と「押しつけられる者」のみが存在したのです。
その意味では、基本的には、旧石器、縄文、弥生の時代、豪族の時代と異なるところはなかったのです。
大岡越前守の時代の「お白洲」に登場するのは、現代でいう「警察官、検察官、裁判官」を兼務した「お奉行」と、「罪を犯したとされる、裁かれる者」だったのです。