以前勤めていた職場には東大卒の社員がゴロゴロといた。職場が技術系部署だったからかも知れないが、廊下を歩けば東大卒に会うと言われたものだ。ただ、彼らは学歴の事は殆ど口にしなかった。私の東大卒社員に抱いている印象は、下に紹介する記事に書かれていることと概ね同じだ。記事の中でも「現状に不満を持ち、10代の頃の成功体験にしがみつき、自分を大きく見せようとする「学歴病」の人とは対極にいるように見える。」が印象に残った。(金森)
http://diamond.jp/articles/-/94370
DIAMODO ONLINE
東大卒社員について
語られない社内の「足跡」
東大出身の社員は企業に入社した後、どのようなキャリアを積んでいるのか――。これは、多くの会社員にとって関心のあることだろう。よくも悪くも、世の中の会社員は「東大卒」という肩書きを持つ人に嫉妬に近い眼差しを向けがちなものだ。
そうしたこともあるためか、雑誌などのメディアで東大卒のビジネスパーソンが取り上げられることも多い。しかし、そうした記事を読むと、彼らの現在の仕事や役職などは紹介されているものの、「入社後の足跡」がほとんど取り上げられていないことに気づく。彼らはどのような理由やいきさつで入社し、配属され、時には人事異動となったのか。そうした経歴が見えてこない。肉声や素顔がわからないことが多いのだ。だからこそ彼らは、世間からイメージ先行の評価をなされることも多い。
東大卒社員の動向を知ることは、企業社会における学歴の意味や価値などを考えるための一助になることは確かだ。そこで今回は、東大卒社員のキャリア形成に着眼した取材を企業に対して行なった。特に配属や人事異動を中心に尋ねた。昇格については、同期生などと比べて優劣が明確になる以前の時期の社員について聞くようにした。この時期が、学歴の意味を考える際に最も適していると考えたからだ。
もちろん、今回の取材だけですべてを正確に判断することはできないが、東大出身の社員の入社後の「足跡」を知る上で1つの参考にはなるはずだ。
取材を依頼したのは、アサヒグループホールディングス(アサヒビール)だ。次の条件を満たしていると思えたからである。
(1)大企業であること
(2)人事・賃金制度が大半の社員の意識に浸透していること
(3)社員の定着率が高いこと
(4)全社員に占める東大卒社員の比率が低いこと
(5)人事・賃金制度を取材者である筆者がある程度、心得ていること
(6)ここ5年の間に取材をした経験・回数などが5回以上であること
1~6までの条件をクリアしていないと、偏った内容の取材になる恐れがあり、1人の社員のキャリアを記事として明確に表すことはできないと思った。また、実名で紹介することもできないと判断した。
広報担当者から、IR部門のマネジャーである鷲森良太さん(38歳)を紹介された。1時間半にわたり、ヒアリングをした。
まず、鷲森さんのプロフィールを紹介したい。
1977年、東京都新宿区生まれ。1996年、私立海城高校卒。同年、東京大学農学部入学。運動会ヨット部所属。2000年卒業。同年、東京大学大学院農学生命科学研究科に入学。2002年、修了。同年、アサヒビール入社。中国地区本部の営業企画部に配属。2006年、本社へ異動となり、業務システム部に配属。2010年、オーストラリアで研修(半年間)。2011年、国際部へ異動。2012年、外務省へ出向(3年間)。2015年、IR部門へ異動。現在、マネジャー(課長級)。
輝かしいプロフィールに見えるのだが、鷲森さんは取材の間、学歴について自ら語ることがなかった。その理由を聞いてみた。
「私は、学歴はあえてPRするものではないと思っています。現在は、IR部門に勤務しています。いま、この部署で何ができるかを問われているのです。入社したときから、そのように考えてきました。学歴は、はるか前の過去のことです。東大に入ることも、卒業することも、大学院を修了することも、私にとっては通過点の1つでしかないのです」
理系なのに事務系のコースへ
東大出身を意識していなかった
アサヒビールの大学・大学院卒の新卒採用試験は、総合職(事務系)で受けた。理系出身でありながら、文系が多数を占める事務系のコースを選んだことは意外に思える。
「確かに、理系の学生は研究職などに進むことが多いと思います。東大のときの友人の多くは大手メーカーなどの研究職になっていますが、放送局で音楽番組をつくっている人もいれば、不動産会社で営業をしている人もいます」
同期生は、大学・大学院卒の総合職(事務)で約60人。このうち、東大の大学院修了は2人(1人は女性)。一部の大企業と比べると、東大卒の社員が多いとは言えない。「東大卒の社員が多数を占める会社のほうがよかったのではないか」と尋ねた。
「東大卒の社員が多いか少ないかという基準で、会社を選んではいませんでした。就職活動をしていたとき、いくつかの会社を訪問しました。最初に内定をいただいたのが、アサヒビールだったのです。面接などを通じて、ここで働きたいと強く思うようになりました。様々な意味で納得感があったのです」
「就職活動をするときも、東大卒であることを意識していませんでした。学部と修士(大学院)の6年で学んだことだけで、生涯にわたり、仕事をしていくことができるとは思っていませんでした。
アサヒビールに入社後も、同期生をはじめ、他の社員の出身大学を私は把握していないのです。東大の大学院修了の女性がいることは、同窓であるから知ったのです。社内で、社員の学歴について話題になることもありません」
はじめに配属されたのは、広島の中国地区本部の営業企画部。アサヒビールに限らないが、大手ビールメーカーの場合、大卒で新卒として入った後、その多くは全国の支社・営業所などで営業に関わることが多い。
鷲森さんは、営業の最前線をサポートする営業企画部に配属された。主に営業の数字の管理などをしていた。東大卒という"知力"が評価されたように見えるが、鷲森さんは学歴で判断されたとは思えないと話す。
優遇ではなく大学受験で実証された
「知力の高さ」が評価されている
ここからは、筆者のこれまでの二十数年にわたる企業取材の経験の中で感じ取ったことを述べる。
東大出身の新卒社員が、大手メーカーや大手金融機関などに入社した場合、通常その多くは本社の企画部や経営企画室などに配属される。支社や営業所で営業の最前線に配属されるということはほとんど聞かない。配属されたとしても、在籍期間は他の大学出身者よりは短い傾向にある。
これは会社の判断として、現実的なのではないだろうか。大学受験などで知力が高いことが立証されている以上、その力を生かすことができる部署に配属するのは「適材適所」といえる。
このような状況を見て「東大卒だから、人事で優遇されている」と思う人はいるようだ。しかし、20代前半のこの時点では社員を判断する材料が圧倒的に足りないのだから、「優遇」云々とは別の次元のことなのだと思う。
大企業の場合、東大卒の社員は、30代前半から後半までの間にセレクトをされるケースが多い。幹部(役員)候補であり得る人材か、それとも準幹部(通常の管理職)止まりかといった判断は、何らかの形でなされているものだ。
幹部になるか、準幹部になるか――。それを見極めるための要素の1つが、所属部署や担当する仕事である。幹部になっていく人の場合は、会社を広く見渡すことができる部署などに配属される傾向がある。昇進・昇格のスピードよりも、所属部署や担当する仕事で判断したほうが、実態を見極めるためには好ましい。
たとえば、経営企画室や秘書室、人事、IRなどに所属しているかなどは、1つの基準になり得る。30代前半くらいからこういう部署のいくつかを経験し、ゼネラリストとして育成されていくものだ――。
仕事に取りかかるときは
ゴール(目標)を設定する
筆者はこのような問題意識を持ちながら、この後に続く鷲森さんの話を聞いた。広島の地区本部で4年間の勤務を経て、本社(東京・墨田区)へ転勤となり、業務システム部に配属される。ここでは、社内業務のシステムを企画したり、構築したりする。当時の仕事への姿勢や取り組み方を聞くと、こう答えた。
「仕事に取りかかるとき、ゴール(目標)を設定します。達成するための手段や方法などを考え、優先順位を決めます。常に100点を目指すのではなく、案件によってはまずは70~80点のレベルを目指すこともありました。期日を守り、コスト意識を持ちながら、業務全体のバランスを見て進めていくようにしていました。この姿勢は、今も変わりません」
自らの処理能力をどのように認識しているのか、と尋ねてみた。
「入社してから数年の頃は、同期生などと比べると高かったのかもしれません。大学院などで学んだことが生きていたからです。今は、同世代の社員がキャリアを積んでいますから、私のその力が高いということはないと思います」
筆者は、こんな問いも投げかけた。「上司や先輩社員などから、処理能力についてどのように言われるか」と。
「上司から、要領がいいと言われたことはあります。手際よく進める、という意味のようです。なぜそこまで早くできるのか、と聞かれたこともありました。普段から気をつけていることは、ゴール・イメージを可能な限り明確にすること。そして求められているポイントを整理し、優先順位を心得て進めていくことなどです」
筆者は、東大卒の社員の大きな特徴は、処理能力が高いことにあると思っている。
特に私大文系出身の社員と比べると、それが顕著である。処理能力のベースになっているのが、10代の頃の大学受験の経験ではないか。私大の受験(一般入試)と比べると受験科目が多く、覚えることははるかに多い。そこで培った力が、「処理能力」という形で表れてくる。この「処理能力」の高さが、仕事の安定感につながっていくのだろうか。
こんな問題意識を鷲森さんに投げかけてみた。
「大学受験のときは、幅広い分野の勉強をしました。高校の友人たちからは、『なぜそんなにすぐに頭に入るのか』と聞かれたこともあります。『要領がいい』とは言われていました。あの頃に培った力が、今『段取り力』として生きているようには思います。
処理能力とは言えないかもしれませんが、東大に合格し、卒業したことが1つの自信にはなっています。たとえば、難しい仕事や新しい仕事に向かうとき、『これまで何とかしてきたから、今回も何とかなるだろう』とは思うようにしています。何とかしなきゃいけないという思いもあります」
「学歴病」の会社員とは違う
自信に満ちていて卑屈さが全くない
この後、興味深い話をしてくれた。
「東大では、私よりも優秀な人がたくさんいました。学部にも大学院にもいます。英語で書かれた、難解な物理のテキストを読んですぐに理解していました。スポーツも達者で、まさに文武両道というタイプの学生もいました。こんな人がいるのだな、とショックを受けたことがあります」
業務システム部にいるときに、半年間、海外研修としてオーストラリアに赴任する。上司から、「視野を広げるいい機会」と勧められたのだという。同じ時期に、10人ほどの社員が海外に赴任した。
筆者が「選ばれた理由は、どのようなものだったのか」と尋ねると、鷲森さんは「仕事の実績などを評価してくださったのだと思っています」と答える。英語力が高いことも抜擢された理由の1つであるように思えた。
アサヒビールは海外展開を見据え、着々と体制を整えている。20~30代を中心に、海外の提携先の企業などに一定期間、社員を派遣している。
帰国後、国際部へ異動となる。極めて順調にキャリアを積んでいるように見えるのだが、「ゼネラリストになるべく、いい経験をさせていただいていると思っています」と、そつなく答える。
やりとりを通じて、上司などからは愛されるタイプなのだろうな、と思った。東大出身の会社員らしく、自信に満ちていて卑屈なところがない。この連載で何度か述べてきたように、現状に不満を持ち、10代の頃の成功体験にしがみつき、自分を大きく見せようとする「学歴病」の人とは対極にいるように見える。
国際部にいるときに、外務省へ3年間出向した。アサヒビールでは2番目となった。鷲森さんは、食料安全保障に関わった。他の大企業などからも、社員が出向で来ていたようだ。
これまでの取材経験を基にして言えば、中央省庁に出向する社員は、経営企画室や役員室、秘書室などで、次世代を担うと思われている30代の社員が多い。その一部が、40~50代の頃に本社の役員や関連会社の社長になっている。
鷲森さんは現在、IR部門でマネジャー(課長)をしている。新たな仕事であり、上司などから教えてもらい、覚えることが多いという。入社後、上司をはじめ社員との人間関係には恵まれているとも話す。
「東大に入る人は、成績はよかったのだと思います。それをアドバンテージだとしても、会社に入れば勉強していた頃とは違う力を求められます。東大卒だから必ず伸びていく、というものではないと思います」
今の自分に自信がないと
納得できる根拠がほしくなる
最後に、こんな問いかけをした。会社員の中には30代半ば以降になると、昇格などが遅れたりして不満を持つ人たちが現れる。このうちの一部は、15~20年以上前の学歴の話を自慢げにするようになる。"過去の栄光"を持ち出そうとしているようにも思える。なぜ、こういうことが起きるのだろうか――。
「想像の域を出ていませんが、今の自分に自信がないから、納得できる根拠がほしいのではないか、と思います。大学受験の頃の勉強は、成績や偏差値という数字で表れます。そのようなわかりやすいものを思い起こし、自分を納得させようとしているのではないでしょうか。私は、東大卒ということを強調しようとは思いません。アサヒビールの社員として満足し、納得するキャリアを積むことができています。上司や他の社員たちに感謝をしているのです」
鷲森さんの入社後の足跡をどのように捉えるかは、読者の判断に委ねたい。おそらく、多くの会社員が羨む経歴ではないかと思う。入社後、一貫して知力を生かした部署や仕事に関わってきたことは間違いない。それぞれのステージで、一定の成果や実績も残してきたのではないか。その大きな理由の1つは、突き詰めれば高い処理能力にある。それが、安定した成果・実績を残す力になっているのではないか、と思えた。「東大卒だから優遇されている」と簡単に捉えることはできない、何かがあるのではないだろうか。
読者諸氏の職場では、東大卒の社員はどのようなキャリアを歩んでいるのだろう。
金森