大野湊神社(おおのみなとじんじゃ)とは、猿田彦大神を祭神とする神社である。
大野湊神社の始まりは、神亀4年(727年)、陸奥の人、佐那(さな)が航海中に猿田彦大神を拾い上げ、大野庄真砂山竿林(おおのしょうまさごやまさおのはやし)に既にあった神明社(祭神・天照大神)の傍らに一祠を建立し勧請したのが始まりとされる。
また、大野湊神社には、加賀藩2代藩主前田利長が慶長5年(1600)関ヶ原の戦で戦勝し、その記念に同9年から現在に至るまで連綿と神事能が継承されており、今年は四百七回目とのことだった。
天気も良かったので、醤油の町として知られる大野地区にある大野緑地公園に散歩に出かけた。公園の隣りには大野湊神社があり、祭りのようだった。太鼓の音に引き寄せられるように神社の裏手から境内に入った。
丁度、神事能が始まるところだった。運良く舞台正面一番前の席が開いていたので腰掛けた。奉納される能「高砂(たかさご)」を鑑賞した。
阿蘇の神主友成が播磨の高砂の浦に立ち寄ると、松の木陰を清める老人夫婦に出会う。老人はこれが相生の松であると教え、自分は摂津の住吉の者で、この姥が当地の者だから詳しく知っているという。老夫婦は、妹背の仲は住む所などにかかわりがなく、高砂の松と住吉の松も、相生の松といって夫婦の松なのだという。
この二つの松は『万葉集』『古今和歌集』の二集にたとえられ、松の栄えは和歌の言の葉の栄えを意味し、天下泰平の象徴だといい、自分達は松の精であると正体を明かし姿を消します。〔中人]
友成は浦の男に舟を新造したので神職の方に乗りぞめをしてもらいたいと頼まれ、その舟で住吉へ行くと住吉の明神が現れて、壮快な舞〈神舞〉を舞い、天下泰平を祝福します。
長寿の夫婦の能なので、婚礼などの祝儀に小謡としてよく謡われます。
(第四百七回 大野湊神社神事能 チラシから引用)
金森