東高校時代の恩師、須山先生の話を聴く機会があるということで思い切って出掛けてきた。我々5回生は昭和44年(1969年)卒業で47年の歳月が経過している。須山先生には地理の授業を受けており、それは1年時であったと思う。なんと半世紀が経過したことになる。
満81歳になられたとのこと、しかし髪も黒々穏やかで静かな語り口は50年前と全く変わらない。
定年退職されてから、ライフワークの一つとして10年間余り「学童疎開」を研究されているらしい。
先生の主張はズバリ、学童疎開させられた子供達が戦争の大きな犠牲者でなかっかたかということ。勿論230万人の軍人、80万人の一般国民の命が奪われ、そのうえ国富の3分の1が失われた事実は忘れてはならない。
終戦の直前約1年半の間に、東京の渋谷区・大田区・品川区の国民学校生約15000人が富山県に「学童疎開」してきたらしい。大きな理由は、激しくなった空襲を避けるためであった。しかし富山は東京より多少食糧事情は良かったものの、いわゆる「いじめ」や慣れない生活環境で多くの「疎開児童」は富山に良い印象を持っていないという。この辺の事情は柏原兵三の「長い道」や藤子不二雄Aの漫画「少年時代」に克明に描かれている。
結論、須山先生は憲法9条を遵守して二度と「学童疎開」が必要な状況を作り出してはいけない、そう主張しておられると思った。
最後に先生のまとめ上げられた「学童疎開」に関する書籍は現在アマゾンで電子書籍化が検討されているとのこと。先生は研究者としても有名で「須山盛彰」で検索すると詳しくしることができる。