松代城跡と栗おこわ

松代城は戦国時代の川中島の合戦の頃に武田信玄によって築城されたお城だ。

 松代城は、永禄3年に武田信玄によって築かれ、高坂昌信を城将とした。 当初「海津城」と呼ばれていたこの城は、武田氏北信の要の城であった。 川中島の合戦は、この城を舞台に繰り広げられた。

 天正10年、武田氏滅亡後に森長可が城主となったが、織田信長が本能寺に斃れると上杉景勝の支配するところなり、天正12年に須田満親が城将となった。

 慶長3年、上杉景勝の会津移封によりこの地は秀吉直轄地となるが、慶長5年の関ヶ原の合戦前に森忠政が城主となった。 忠政は、関ヶ原の戦功により美作津山に移り、慶長8年に家康の六男松平忠輝が城主となった。 

 松平忠輝改易後、甥の松平忠昌が城主となるが、元和5年に越後高田へ移り、交替に酒井忠勝が10万石で入封する。

 元和8年、酒井忠勝が出羽庄内に移り、替わって信州上田より真田信之が10万石を領して入封し、以後明治までこの地を替わることなく続いた。(「お城の旅日記」から転載)

信州は桜が見頃で、上田城に寄ろうかとも考えた。しかし、上田城近辺の駐車場は有料で、それにも増して混雑していることが予想された。そして、市内の周辺の駐車場に車を留めて送迎バスで上田城に行くことになる。一方、松代城は無料駐車場が近くにある。

確かに松代城近くに来ると大きな臨時駐車場が造られており、誘導員が案内してくれた。駐車場に車を留めて桜が満開の松代城跡を散策した。

松代城を歩いて堀に掛かる正面の橋を渡った所に竹風堂松代店がある。昼には少し早かったが、昼時は混雑して並ばないといけなくなるだろうと、早めの昼飯にした。竹風堂の本店は小布施にある。ここの「栗おこわ」は美味しいので、長野に来た時にはよく寄る店の一つだ。

松代店の横には池田満寿夫美術館が併設されている。長野市で育った異才の芸術家・池田満寿夫の作品を収蔵されており、竹風堂が運営している。


左手が竹風堂松代店、左手が池田満寿夫美術館

栗おこわ 竹風堂 松代店栗おこわ定食

池田満寿夫美術館は以前に見学していたので、昼飯の後は、松代の町を散策した。松代町内のいろんな所で桜が咲き誇っていた。桜だけではない、松代は町並みが手入れされており、綺麗な町だと感じる。

しばし、松代の町並みを楽しんだ後、竹風堂に戻り、栗あんみつで疲れを癒やした。

栗あんみつ 竹風堂 松代店
栗あんみつ

金森

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このページは、ofoursが2016年4月22日 07:00に書いた記事です。

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